第28話不死身青年と旅人童女の追憶Ⅹ

「......」


 促されるままに外に出た僕を、何も言わずに水風呂の中に放り込んだ相模さんは、僕の反応を見て笑いながら、しかしビックリするほどの力で、水風呂から出ようとする僕の身体を、冷たさの中に押し込んでくる。


 そして数分の間の葛藤を経て、今に至るのだ。


「......」


 まぁいわゆる、放心状態という奴である。


 知らなかった......


 サウナに入った後に、水風呂に一分ほど押し込まれ、その後は外の空気に当たりながら、ただただボーっと過ごす。


 それがこんなにも、気持ちいいなんて......


 そんな風に思いながら、隣の椅子で同じように、外の空気に身を任せている彼の姿に視線を向けて......


 そしてまぁ、ゆっくと我に返りながら、僕は彼に、再び問い掛ける。


「それで......相模さん......」


「うん......なんだい......?」


「さっきの話の続きですよ......どういう、意味なんですか......?」


「......あぁ、そっか......そうだね、ちゃんと話そうか......」


 そう言いながら相模さんは、ほとんど寝ている様な態勢から身体を起こして、ゆっくりと話し始める。


「まぁ君も......もう気が付いているだろうけれど......とりあえず、分かりきっていることくらいは......はっきりさせようか......」


 そしてこちらに、さっきと同じような、冷たく静かな視線を、彼は見せる。


 その瞳は、言葉よりも雄弁だった。


 だから僕は何も言わず、ただ彼の言葉に、耳を傾けたのだ。


「......」


 そしてそんな僕に、ゆっくりと、ゆったりと、言葉を紡ぐ。


「その......若桐っていう女の子......その子は確実に......異人だよ」


 そう言われて、なんだか少しだけ、理由はわからないけれど、僕は安堵した。


 そしてだからだろうか......


 その後に、自分の口から出た台詞は、とても穏やかだった。


「......えぇ、それはなんとなく、分かっていましたよ......」


 少なくとも、今のこの状況で、あの若桐という少女が、普通でないことくらいはわかっていた。


 けれど......


「いいや、荒木君。大事なのは、その先だ。彼女が一体、何の異人であるのか......今回起こっていることの原因ならぬ要因は、果たして何なのか......」


「あぁ、まぁたしかに......でもそれも、相模さんは知っているんですよね?」


「あぁ、まぁそうだね......僕は知っている......」


 そう言いながら、何故か少しだけバツの悪い表情を見せる彼の次の言葉を、僕は流石に、予想できなかった。


 だってこんなの、この流れで、どうやって予想出来るだろうか......


「荒木君ってさ......幽霊って信じる......?」


 はっ......?



 相模さんから訊かれたその言葉の、意味を把握すること自体は難しくなかったけれど、その言葉の意図を汲み取ることが出来なくて、僕は心境そのままに、反応してしまった。


「......はっ?」


「いや......だからさぁ、幽霊だよ、幽霊。死んだ人の魂が、その人の形を成して見えちゃうアレのこと......荒木君はそういう類の話、信じたりするかい?」


「いや......べつに信じてはいませんけれど......ってか、なんで今そんな話を僕に訊くんですか?」


「そんな話だから、今訊いたんだよ。念の為にね......」


 そう言いながら、こちらから視線を外した彼は、まるで僕に、何かを諭している様な口調で、察して欲しい様な物言いで、言葉を続ける。

 

「まぁ、要はそういうことだよ......」


 その後の彼の言葉を、さすがにここまで言われれば、僕でも容易に想像できた。


 しかしそれでも、僕の口から出る言葉は、その相模さんの言葉を否定したい、それだった。


「そういうことって......でもそれなら、なんで僕は......それに柊や琴音だって......」


「あぁ、そうなんだよね......だからまぁ僕も内心、かなり驚いているだけれど......だって、普通行き会うことは無いからさ......『旅人の異人』なんかに......」


 聞き慣れない単語に対して、僕は問い掛ける。


「旅人って......それは、異人なんですか......?」


「まぁね......今回の様なケースで現れた異人を、僕等専門家は、そう呼称している。まぁ本人は、自分がそんな存在になったことに、自覚が無いんだろうけれど......でも、言ってしまえば、異人の括りは案外大きい......必ずしも人間である必要はないんだ。こんなことが起きるのは、本来かなり稀なケースだから、伝えていなかったけれど......言ってしまえば、人の形をしていれば......姿形が人間なら......それだけで異人としての性質や体質に、当てはまってしまう......」


 そう言いながら、彼は徐に立ち上がる。


 そして未だに混乱している僕は、そんな相模さんを、座りながら、見上げることしかできない。


 そんな僕に視線を落として、彼はさらに言う。


「とりあえず......ここから先は僕も、本気で対策を考えてみるけれど、正直あまり期待しないでね?なんせ僕は、ただの人間なんだから......」


 そう言って、その言葉を最後に、彼は露天風呂を後にした。


 湯煙の中で、ただ呆然と座る僕を、置いてけぼりにして......



 時刻経過


 部屋に戻り、琴音や柊に再度話を聞いても、やはり返ってくる言葉は変わらなかった。


 どうやら本当に、彼女たちの記憶には、若桐薫という、浴衣姿の女の子の存在は、まるでなかったのだ。


 その後僕は、相模さんに頼んで、佳寿さんに連絡を取ってもらった。


 そして電話越しに、僕は佳寿さんが、琴音と柊に対して、若桐についての記憶を取り除いたのだと、そんな風に思っていたことを告げたのだ。


 しかし僕のその言葉を聞いて、佳寿さんは電話越しに笑いながら、言い放つ。


『まったく、身に覚えのないことでアタシに電話をするなんて、いい度胸じゃないか』


 そう言われた途端、僕は通話をOFFにした。


 そうなると、どうやら本当に、若桐は普通の人間ではないと、そういう話になってしまうようで......


 そしてその正体は、さっき風呂場で、相模さんが僕に話していたような、そういう存在なのだろうか......


 そんな風に、グルグルと色々なことを考えながら、僕は寝床についた。


 そしてしばらくすると、僕は......


「えっ......」


 身に覚えのない程に綺麗な海辺に、座って居たのだ。


「......ここは、海......だよな......?」


 そんな風に呟きながら、砂を手にとって、感触を確かめる。


 浜辺の砂は、綺麗で細かく、サラサラとした、触り心地の良いモノだった。


 けれどその情景やその感触で、僕は今のこの現状が、現実のそれではなくて、夢の中に居るのだど、自覚したのだ。


 まぁ「夢を見た」なんて言葉を、その本人が語るのは、些か信憑性に欠ける部分がある様に思えるけれど......


 しかしそれでも、その時の僕は、それをそんな風に、自覚することが出来ていたのだ。


 なんせその夢には、彼女が居たのだから......


「こんばんわ、荒木さん」


 微笑みかける様にそう言いながら、浜辺に座る僕の隣に、彼女は腰掛けた。


 その姿は、現実で会っていた時と変わらない浴衣姿で、しかし現実で見ていた時よりも、何故だかしっくりと来る様な、そんな印象だった。


 まぁそれも、当たり前ではあるのだろう。


 だってこの夢は、紛れもなく......


 若桐が僕に見せているモノなのだから......


 隣に座る若桐に、僕はゆっくりと語り掛ける様にして、問う。


「......若桐、君は一体、僕に何をさせたいんだ?」


「......」


「こんな風に、僕の夢の中に出て来たということは、やっぱりそういうことなんだろ?君は普通の人間じゃなくて......君は......」


 そう言い掛けた所で、若桐は小さく、僕の袖を引っ張った。


 そして、僕の方を見ながら、彼女は言った。


「少し、歩きませんか......?」



 浜辺を歩く二人の速度は、不自然な程にゆっくりだった。


 けれどその速度は、まるで最初から、そう誂えられていたかのような......


 僕と若桐の間には、その速度で並んで歩くことが、当たり前になっている様な、こうして彼女と並んで歩くのは、現実でもなかった筈なのに......


 それを、申し合わせもすることなく、自然と出来てしまっていること自体がとても不思議で、とても......心地よかったのだ。


 そしてその道すがら、若桐は語り出す。


 彼女の過去を......


「私の家は、いわゆる行商人でした。町から町へ、日本中を旅をして、行く先々で商いをして、生計を立てていました。あるときは寒い地域に暖かな衣服や保存食を売りに行ったり、またあるときは温暖な地域に、そこでは実らない果物や野菜を売りに行ったりと、一年中あちこちを旅しながら、生活をしていました」


 そう語りながら、彼女は僕の方に視線を向ける。


 そしてそのまま、言葉を続ける。


「けれど、そんな日々を過ごしていたある日、私達家族は、この町に店を開き、腰を落ち着けることになりました。その時のことはよく覚えています。とても嬉しかったから......そして私達が、この町に来てしばらく経った頃、一人の学生さんに出会いました。けれどもその人は、ひどく疲れている様な目をした方で、私はそれが酷く心配でした。そんな心配から始まって、私はその人に色々な世話を焼くようになってしまって、そして次第にそれが、すごく幸せなことだと思えるようになっていました......」


 語られる彼女の声色に、少しばかりの温かさが滲んだ。


 その時間が、若桐にとってどれほど大切なモノなのか、その声が全てを物語っていた。


 だから僕は、彼女に言った。


「その人のこと、若桐は好きだったんだな......」


 そう言いながら、僕は彼女の方に視線を向ける。


 すると少しばかり、紅潮した頬を覗かせながら、彼女はその僕の言葉を、肯定する。


 けれどその後に、彼女は語る。


「けれどそんなある日、彼はいきなり、『明日、外国へと渡り仕事をしなくてはならない。もうここには帰って来れない』と、そう言葉を残して、私の前から居なくなってしまいました」


 そう言いながら、彼女は何かを思い出している様な、しかしそれでいて、少女というよりも、大人びた女性のような表情で、話を続ける。


「私はその時、彼のその言葉がどうしても受け入れられなくて、でもお見送りはしたくて......そんな中途半端な私は結局、彼には何も言えないまま、彼を見送りました......」


 そう言いながら、俯く若桐の横顔は、やはり酷く、澄んでいたのだ。



 そんな若桐の横顔を見ながら、僕は口にする。


「そっか......」


 けれどその後に、気の利いた台詞は出てこない。


 僕の中に、それらの言葉の引き出しが、まるで無いのだ。


 しかしそんな僕に、若桐はあっけらかんとした口調で、話を続ける。


「はい、そしてそれからしばらく経って、私は流行病に侵されて、この世を去りました」


「えっ、そんな急に!?」


「元々身体も弱かったので......」


 そう言いながら微笑んで、けれどその後は、彼女はしばらく口を噤んだ。


 どうやらここまでが、彼女が歩んできた人生ということなのだろう。


 若桐は話の途中、自分が死んでいることを言っていた。


 つまり自分が、もう既にこの世に居ないことを、彼女は自覚している。


 だから相模さんが言っていた、若桐が自覚していない部分というのは、彼女自身が、異人という存在になっているということで......


 つまり自分が、死んだ後にヒトから逸脱した存在になっていることを、この少女はまだ、自覚できていないのだ。


 そんな彼女に、僕は問い掛ける。


「それで若桐は一体、どうしたいんだい?」


「えっ......?」


「何かしたいことが......言ってしまえば心残りがあるから、若桐はずっと成仏できないまま、幽霊となって、この世に居続けているんだろ......それって、結構しんどいんじゃないか?」


「......そうですね、正直、結構しんどいです」


 そう言いながら、気を遣っているのだろうか、明るい表情をコチラに向ける。


 けれどその表情が、どうしても痛々しくて、僕は言ってしまう。


「だったら、僕にできることがあるなら、協力するよ。それにきっと、そのために若桐は、僕の夢の中に出て来たんだと思うから......」


 その僕の言葉を聞いて、少しばかり驚いた様な表情を見せる若桐は、しばらくの間言葉に迷いながら、しかしやはり、心残りはあるのだろう。


 何かを決めた様な眼差しを僕に向けて、彼女は言う。


 彼女の未練を......


「そうですね、もしも心残りがあるのだとしたら、結局最後まで、あの人の気持ちを知ることが出来なかったことなんだと思います......あの人が、私のことをどう思っていたのか......私はきっと、それが知りたいんです......」


 そしてその眼差しのまま、彼女は言う。


 彼女の要望を......


「荒木さん、私と一緒に、あの人の気持ちを、探し出してくれませんか?」


 そして頼まれた僕は......


 若桐のその言葉を最後に、夢から覚めたのだ。



 目が覚めてから少し経って、時間を確認して、僕は寝床から身体を起こして、顔を洗って、歯を磨いて、一通りの身支度を済ませて、もう一度時間を確認する。


 まだ、七時になる直前だ。


 部屋に居ても、まだ寝ている琴音と柊を起こしてしまうかもしれないので、朝食の半券を持ちながら、僕は静かに廊下に出る。


 長い廊下を歩いて、エレベーターに乗って、食堂に着くと、見知った顔が、とても分かりやすい場所に座りながら、朝食を食べていた。


 そういえば、この人はもう、部屋には居なかったなぁ......


 そんなことを思いながら、コチラに気付いて小さく手を振る彼の許に行き、相対する様にして同じ席に座りながら、僕は彼に言う。


「おはようございます、相模さん......」


「やぁ、おはよう荒木君。よく眠れたかい?」


「まぁ......それなりに......」


「それにしては、随分と疲れた顔をしているけれど......大丈夫かい?」


「......」


 その相模さんの言葉には、何も返さなかった。


 いいや、返せなかったのだ。


 恐ろしく、酷く、疲れていたから......


 そんな僕を見て、相模さんは立ち上がりながら、言う。


「おいおい、荒木君。ここの朝食はビュッフェ形式だぜ?自分で持って来ないと、ずっと何も食べられない」


 そう言いながら、珈琲を口にして、彼は僕の方をじっと見る。


 見られていることを、自覚しながら、けれど身体は、動こうとはしなかった。


 そんな僕を見て、相模さんは立ち上がりながら、「やれやれ」と言いながら、言葉を続ける。


「まったく、仕方ないから、僕が代わりに色々見繕ってあげるよ、ビュッフェ形式の朝食なのに、自分で持って来ようとしいんだから......文句は言わないでよね?」


「......えぇ、お願いします」


 そう言いながら、軽快に歩き出す彼の方を、僕は見る。


 そしてしばらく経ってから、相模さんは僕の前に朝食を置きながら、わざとらしく声色を変えて、言う。


「おまたせ致しました。海の幸の朝食御前でございます」


 そう言いながら、置かれた朝食は、ご飯と味噌汁。


 それに焼き魚と、刺身、サラダにデザートのフルーツ、飲み物はウーロン茶だった。


「こんなに食べれませんよ......」


 持って来てもらいながら、そんなことを言う僕に対して、相模さんは座りながら言う。


「いいや、しっかり食べた方がいい。それくらい、今の君は疲弊している。いくら君が不死身だとしても、それは身体だけの話だ」


 そう言いながら、さっきの飲みかけの珈琲をもう一度口にして、そして飲み干した後に、いつもの様な微笑を口元に添えながら、彼は言う。


「まったく、君は無茶をするんだから......」


 


 











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