第27話不死身青年と旅人童女の追憶Ⅸ
唐突に鳴り出した携帯電話の内容は、なんてことのない。
ただ単に、迎えの車が店に来たという、それだけのことだった。
だからその連絡を聞いて、既に夕食を済ましている僕と佳寿さんは、「店を出ようと」僕に言い、話を途中で切り上げて、その店を後にしたのだ。
ちなみに会計は、佳寿さんが出してくれた。
まぁ、あれだけのことをされたから、当然だと思うけれど......
そう思いながら、僕は「ありがとうございます。ご馳走様です」と口にした。
しかしその言葉を聞いて、佳寿さんは言う。
「心にも無い言葉は言わなくてもいいよ、兄ちゃん。今日のことを考えたら、これくらいのことは当然なんだろ?」
「......」
ちくしょう、やはりやり辛い。
そんな風に思いながら、きっとこんな気持ちも、全て覗かれていると思いながら、僕は車に乗り込む。
別れ際、車のドアを閉めようとした僕に対して、車体に身体を預けながら、佳寿さんは言う。
「なぁ兄ちゃん。さっきの話だが、一つ訊いてもいいか?」
「えぇ、どうぞ......」
「自分が吸血鬼の異人に対してしたことを、あそこまでハッキリと肯定する癖に、どうして兄ちゃんは、その行動に対して未だに、悩みを抱えているんだい?結果としてその吸血鬼の異人は、今も生きているんだ。最低限のことは達成された。それなら、そこまで悩まなくてもいいだろ?」
「それは......」
そこで言葉を切って、車体に身体を預けながらこちらを見る佳寿さんに対して、僕は視線を逸らしながら、言葉を探しながら、静かに紡ぐ。
「......僕がしたことは、結局のところ自己満足なんですよ。生きて欲しいと願ったのは、琴音じゃない。僕なんです。僕は彼女から、彼女が望んだ結末を奪い取って、生きることを強いたんです。そしてそれは、僕にとっては正しいことだったかもしれないけれど、琴音にとっては、そうじゃない」
そう言いながら俯く僕に対して、佳寿さんはさらに言葉を返す。
「......それ、本人が言っていたのかい?」
「いいえ、そうじゃないですけれど......でも、怖くて聞けませんよ......そんなこと......」
そう言いながら僕は、車のドアを閉めた。
そして運転手の人に「出してください」と言って、車を発進してもらう。
ゆっくと走る車の助手席に座りながら、サイドミラー越しに映る佳寿さんを見て、僕は思う。
覗いてしまえば......
除いてしまえば......
どんなに楽になるだろうかと......
そんなことを考えてしまう自分が、やはり最低だと、僕は思うのだ。
夜はそこまで深くはないけれど、外が時間よりも少しばかり暗く感じるのは、街中ほど灯りが少ないからで......
しかしその暗さが、なんだか妙に、安心する。
そんな風に思いながら、外に視線を巡らせていると、唐突に、僕は隣から声を掛けられる。
「まったく......困ったものですよ、ほんとうに......」
「えっ......」
「宗助くんといい、佳寿さんといい、あの姉弟は勝手が過ぎるんです。こちらにも色々予定があったのに......」
そう言いながら運転をしている女性は、何処か見覚えがあった。
あぁ、そうだ。
僕達が最初、この場所に来た時に現れた、スーツ姿の二人組。
「......色々、大変なんですね......」
そう言いながら、それ以降、何を言ったらいいかわからなかった僕は、再度外に視線を巡らす。
しかし隣に座りながら運転を続けるその女性は、再度僕に話しかける。
「あなたも、色々大変そうね......ほんと、同情するわ......」
「......やっぱり、専門家なら、僕のことは知っているんですね......」
「そりゃあね......こんな仕事していたら、担当じゃなくても耳に入るわよ。でも安心して、厳密に言うなら私は、専門家じゃないから」
「えっ......そうなんですか......」
そう言いながら僕は、外に向けていた視線を、隣に向ける。
そして、そんな僕の、あまりにも誂えた様な反応に対して、その女性は少し笑いながら、言葉を返す。
「えぇ、私には、あの二人みたいな能力もないし、異人と渡り合うための知識もない。ただ他人よりも少しだけ、事務的な仕事ができるだけ......」
「そういう人もいるんですね......」
「むしろ、そういう人の方が多いわよ?あの二人はだいぶ異常なの、色々とね......」
「そうなんですね......なんだか、安心しました......」
そう言いながら少しだけ笑って、安堵感に浸りながら、僕は前方に視線を向ける。
するとそこには、見慣れた街並みが見えて来て、どうやら、目的地の近くまで来たようだった。
数十分後、目的地に到着したので、僕は車を降りようと、シートベルトを解除して、ドアを開けて、身体を外に出す。
そして振り向いて、「ありがとうございました」と言いながら、車のドアを閉めようとすると、その運転席の女性は一言、僕の名前を呼び止めた後に、言った。
「自分が見ている世界を、必ずしも他人が見てくれているわけではないから、それだけは、気を付けてね」
時刻はおそらく、十九時半頃だろうか。
「なんて不用心な......」
宿泊している部屋に戻り、最初に出た言葉がそれだった。
なんせ誰も居なかったのだ。
オートロック式ではないことを、宿泊する際に伝えられている筈だけれど、鍵を持たずに外出しているのだろうか......
いや、行き先は恐らく、大浴場だろう。
洗面所のバスタオルが少なくなっていた。
風呂に行くくらいなら鍵を掛ける必要がないと、そんな風に思ったのだろうか......
それとも、後から帰って来る僕が、部屋に入れないことを危惧してくれたのだろうか......
「......いや、それはないか」
もしもその二択なら、まず後者はあり得ないだろう。
あの三人が、そんなことを考えてくれるとは、到底思えない。
「まぁ、いいか......」
そこまで考えて、しかしそれが、そこまで考える必要がないと思った僕は、考えること自体を放棄して、部屋のソファーに腰掛けた。
しかしそうなると、部屋には僕一人だけの状態が、ただ単に進行することになるわけで......
「......」
そしてそうなると、別れ際に運転手のあの人に言われた台詞を、僕は考え込んでしまうのだ。
『自分が見ている世界を、必ずしも他人が見てくれているわけではないから、それだけは、気を付けてね』
どうしてあの人は、あのタイミングで唐突に、僕にあんな台詞を言ったのだろうか......
当たり前のことを言っている様な、あの台詞。
不死身の身体になってしまったのだから、人間ではなくなってしまったのだから、そんなことは流石に、言われなくてもわかっていることなのに......
それにもしも......
もしも僕が、今も変わらずに普通の人間だとしても、あの台詞は当てはまる。
誰しも、見ている世界というモノは、たとえ同じ様なモノを見ていたとしても、それが全く、寸分違わず、狂いなく、紛れもなく同じというわけでは、決してないのだ。
そう思いながら、僕は徐に天井を仰いで、ポツリと呟く。
「......そんなこと、言われなくてもわかってるってのに......」
「なにが、言われなくてもわかるんだ?」
「......っ」
「なぁ、誠?」
「一体いつからそこに居たんだよ、琴音」
そう言いながら僕は、天井に向けていた視線を、自分の前に戻す。
するとそこには、大浴場から戻って来た、浴衣姿の琴音が居た。
「......」
「......なんだよ?」
まぁ、昨日も見たわけだから、今更なんだけれど......
「意外と浴衣似合うのな......」
「『意外と』は余計だ」
そう言いながら、僕のことを少し睨んで、その後すぐに視線を外しながら、部屋に入る彼女を見て、なんとなくだけれど、なんとも言えない違和感の様なモノが、たしかにあった。
部屋に入るや否や、琴音は旅館のテレビを点けて、僕が座っているソファーの隣に腰掛ける。
そして腰掛けながら、隣に居る僕の方を見て、彼女は言う。
「ところで、誠さぁ......」
「ん?」
「どうして今日、途中から一人で行動していたの?」
「えっ......あぁ、べつに、いつもとは違う、化け物みたいな人間に、拉致監禁されていただけだよ。そんなに大したことじゃない」
そう言葉を紡ぎながら、僕は彼女から視線を逸らす。
そしてその僕の言葉を聞いて、琴音は言う。
「イヤイヤ、拉致監禁って......一体どういう経緯で、あの子とデート中のあんたがそんな目に逢うんだよ。しかもそれを大したことじゃないって......」
そう言いながら、琴音はそこで言葉を切って、僕にもたれかかる。
そして静かに言葉を続ける。
「まぁでも、そっか......それじゃあ誠は今日、その化け物みたいな人間と半日以上一緒に居たんだね......」
「あぁ、まぁ......そういう事になるのかな......」
そう言いながら、理由はわからないけれど、なんだか妙に機嫌が良い様な、そんな声色の彼女に寄り掛かられながら、僕はさっき感じていた違和感を、再び感じる。
けれどそんな僕に対して、琴音はそのまま僕に言う。
「どうせ専門家でしょ?その人間も......」
「あぁ、まぁ......そうなんだけれど......」
そう言いながら僕は、そういえば琴音は今日、相模さんに連れられて、カウンセリングをしていたことを思い出す。
だからなのかな......
だからなんとなく、今日の琴音はいつもと違う様な、何かはわからないけれど、何かが異なる様な......
そんな不思議な印象を僕は彼女から感じてしまう。
しかしそんな彼女は、何事も無い様な口ぶりで、いつもの様な口調で、僕に言う。
「けれどまぁ、それなら無事でよかったよ......死ぬことは無いにしても、もしも何かあったら、昨日みたいに、誠と二人で何処かで遊ぶことも、出来なくなるもんね......」
「......」
「誠......?」
「なに、言っているんだよ......琴音......」
「えっ......?」
「昨日は、三人で遊んだんじゃないか。僕と琴音と若桐と、三人で......」
その僕の言葉の後に、しばらくの間沈黙が横たわる。
しかしその沈黙が彼女の中に......
「ごめん誠......」
「......」
琴音の中に、若桐のことを思い出させることは......
「若桐って......誰?」
なかったのだ。
時刻経過......
琴音との会話の途中、「僕も風呂に入って来る」と言って部屋を出た僕は、大浴場近くの踊り場で、湯あたりでもしたのだろうか......
ペットボトルのスポーツドリンクを飲みながら、誰も居ないベンチで横たわる、浴衣姿の柊に遭遇した。
だから僕は、先程の琴音との会話同様、柊に対して、若桐の名前を出したのだ。
しかしその言葉に対しての返答は......
「......そんな子は知らないわよ?」
「......」
「......まさか荒木君、私とのデートを途中からすっぽかしただけじゃなくて、見ず知らずの専門家に貴方が拉致監禁されていたことを、そんな虚言で誤魔化そうとしているの?もしもそうなら、流石の私もいよいよ、我慢の限界なのだけれど......」
「......」
そう言いながら僕のことを見つめるコイツが、今まで我慢というモノをしたことがあったかはさて置いて......柊も琴音と同様、若桐のことに対して、何も覚えていない様だったのだ。
それを確認した後、僕は脱衣所に入り服を脱ぎ、浴場へと向かいながら考える。
可能性がないわけでも、なかった。
もっともそれは、あの二人が若桐のことを憶えていないという事象についての、理由の方だけれど......
けれどそんなことを、あの人はするだろうか......
僕のことを拉致監禁した、今日知り合ったあの専門家。
もしもあの二人が、あの人に出会っていたら、タイミングなんて関係なく、辻褄などお構い無しに、若桐に関しての記憶を消すだろう。
けれどそうなると......
「わからないんだよなぁ......」
そう呟きながら、僕は浸かっている湯舟のお湯を、自分の手で掬い上げて、顔に当てた。
理由がわからない......っというよりも、意図がわからないのだ。
どうしてあの二人には、若桐のことを忘れさせて、僕はそのままの状態にしているのか......
百歩譲って若桐が、異人と何かしら関係があるとして......
あるいわ若桐自身が、何らかの異人だとして......
けれどそれなら、僕の若桐に関する記憶もあの二人の様に、佳寿さんなら、取り除くことが出来るのではないだろうか......
少なくとも僕とあの人は、しばらくの間ずっと、同じ場所に居たのだ。
琴音や柊よりもずっと、その措置を施し易い状況だった筈だ。
なのに、どうしてわざわざ......
「......っ」
顔を上げると、昨日は気が付かなかったけれど、どうやらこの大浴場には、サウナがあるらしい。
行ってみるか......
そう思い、湯船から立ち上がり、少し歩いて、サウナの扉に手を掛けた。
そして中に入ると、腕を組みながら、多量の汗を流しながら、僕の方を見て、見覚えのあるオッサンは言うのだ。
「違うよ、荒木君。それだと考え方が違うんだ......」
「......」
僕はそっと外に出て、扉を閉めた。
サウナ室の温度は約九十度くらいだそうだ。
しかしはじめてその部屋に入った感想は、「まぁ十数分くらいなら、居れなくもないだろう」という、前向きで面白味には欠けるそれだった。
そんな風に思いながら、まだ入って数分の僕に対して、一体いつからこの場所に居たのかわからないこの人は、隣で僕に話し出す。
「荒木君さぁ、会ったんだろ?僕の双子の姉に」
「えっ......あぁはい。会いましたよ......誘拐されて、幽閉されて、けれど最後には夕飯を御馳走になりました」
そう言いながら、正面の時計を見つめる僕に対して、相模さんは微笑を含んだ声で言う。
「この県限定のハンバーグ、美味しいよねぇ~」
「......」
「どうしたんだい?」
「イヤ、やっぱり僕の行動、全部把握しているんだなぁ......って、ちょっとうんざりしただけです......」
「何を今さら......君と僕の仲じゃなないか」
「そんな風に言われる程、僕はまだ相模さんに対して、心を開いてないですよ?その......能力でしたっけ?そういうのは......今更ながら凄いですよね、一種の才能ですよ......」
「才能ね......」
そう言いながら、隣に座る相模さんは、少しだけ声のトーンを落としながら言葉を続ける。
「馬鹿と天才は紙一重って言うだろ?それと同じだよ......」
「......どういう意味ですか?」
「馬鹿と天才は紙一重って言うだろ?それと同じだよ......」
「......どういう意味ですか?」
「僕等の世界では、病気と才能は、表裏一体なのさ......他人からは決して理解されない。そういう場所に、僕等は常に居なくちゃならない」
「......」
「だからまぁ、僕からすれば、そういうモノを持ち得ない、裏表の無い普通の人生の方が、よっぽど綺麗に見えたりするんだよ」
そう言いながら、相模さんは僕を見て、言葉を続ける。
「今の君なら、その気持ちも少しは、わかるんじゃないのかい......?」
そう言いながら、僕のことを覗き込むように見つめる彼の視線は、いつもより少しだけ、こんなにも熱い所に居る筈なのに、冷たく感じたのだ。
そして僕は、その視線に対して、なんて言葉を返したらいいのか分からなかったから、誤魔化すように口にする。
「......さぁ、どうですかね......」
そう僕が言った後に、数秒の沈黙が横たわる。
そしてそれが、なんだかとても息苦しかったから、僕は強引に、話題を引き戻した。
「......ところで、さっき言っていたのは、どういう意味だったんですか?」
「ん?何がだい?」
「......どうせ相模さんは、僕が何を考えているかまで、把握しているんでしょう?そしてその上で、貴方はさっき、考え方が違うと言った......」
「あぁ......そうだね、たしかに言った......」
「それは......どういう意味なんですか?僕としては、それなりに辻褄を合わせようと、努力したんですけれど......」
そう僕が言い掛けたところで、相模さんは立ち上がった。
何事かと思って隣に視線を向けると、年齢不相応のいつも通りの表情で、サウナ室の扉に手を掛けて、彼は言う。
「その話はきっと長くなるから、外で話そうか」
「......」
どうやらもう、限界らしい。
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