第23話不死身青年と旅人童女の追憶V
柊による、拷問とは行かないまでも、尋問と言って差し支えない様なあの仕打ちは、明日の観光で彼女を楽しませるという、謂わば執行猶予付きの恩情判決で幕を閉じた。
故に解放された僕は、この時はまだ入浴を済ませていない身体だったので、せめて夕飯前には綺麗にしておこうと、バスタオルと着替え一式を持って、大浴場の方へと足を運んだのだ。
もちろん......
もちろんあの尋問で、僕は柊に対して、若桐のことは何も口にしなかった。
今日の一件に、まるで関係ないわけではなかったけれど、結局プリンを食べ終わって、僕等が旅館の方へ向かうギリギリまで、一緒に行動していたけれど、それでもこれ以上、僕と琴音が偶然に関わりを持ってしまったあの浴衣姿の女の子を、これ以上僕達に関わらせるわけにもいかないと、こんな異常な集団に、普通の子を関わらせてはいけないと、そう思ったのだ。
だから僕は、柊にはもちろん、相模さんにも、あの子のことを伝えるつもりはない。
まぁでも、僕のことを管理しているあの専門家は、きっと今日のことも把握しているのだろう。
ほんと、どうやっているのか、未だにわからないけれど......
脱衣所で着ていた洋服を脱ぎ、持ってきたバスタオルと着替え一式を入れたカゴの中にそれも入れて、小さなタオルのみを持って、浴場へと向かう。
浴場は思っていたよりも広く、大きな湯舟がいくつかあり、外には露天風呂も設置されているらしい。
シャワーで身体を流し、頭と身体を泡立たせて、そしてその都度、お湯で泡を洗い流す。
そしてその後にようやく、大きな湯舟へと向かい、お湯に浸かる。
「はぁ......」
ため息に似た感嘆の声が、自分の口から漏れ出る。
うん、これは仕方ない......
そしてしばらく、お湯に浸かりながらなんとなく、ぼんやりと考える。
大学生になって、一人暮らしを始めてから、もう三ヶ月くらい経つけれど、そういえばこんな風にお湯に浸かること自体、だいぶ久しぶりなことである。
そもそも大学生になってから、異人になってしまってから、色々なことが初めてで、色々なことが普通じゃないから、それらに慣れることが大変だった。
そこまで考えて、そこまでぼんやりしながら、僕は気が付く。
もう自分の身体が、通常のそれではなく、異常な、異端な、異人というモノに形を変えてしまっていること......
そしてその形に、もう心までもが慣れ始めてしまっていることに......
それらにようやく、温かなお湯に身を揺らしながら、ぼんやりと、気が付いたのだ。
大浴場の大きな内風呂の、同じ湯舟に数十分、頭の中を空っぽにした状態でしばらく浸かっていると、露天風呂があることを思い出す。
思い出して、閉じていた瞳を開けて、ちょっとだけ考える。
せっかくだし、入ろっかな......
そう思い、湯船から出て、外に続く扉の方へ歩き、扉を開ける。
そしてすぐさま、湯船に身体を浸からせる。
「はぁ......」
先程と同様、ため息に似た感嘆の声が口から出てしまう。
湯舟に浸かっていた後だからだろうか、いくら夏だと言っても、夜風の下では、少しばかりの寒さは感じてしまう。
さっきはそれ故に、少しばかり早足になりながら、湯船の中に身体を沈ませた。
まぁでも......
それでも、一人暮らしの大学生が、普段入ることは絶対に叶わない様な、大きな露天風呂なのだから、露天風呂ゆえに、さっきの内風呂よりも、幾分温度が低くなっているのだから、少し長めに浸かるのも、悪くはない。
そう思い、天井を仰げはしなくとも、内風呂の大浴場のとき同様、とりあえず瞳を閉じて、お湯に浸かる。
そして先程同様、湯船のお湯に身を任せる様に、身体から力を抜いて、後ろの岩場に寄り掛かる。
けれど......
「やぁ、気持ちよさそうだね。荒木君」
「......」
こんなタイミングで、こんな至福の瞬間で、どこからか、聞き馴染みのある声が聞こえて来る。
いや......訂正、聞き馴染みは不本意ながらあるけれど、それはどこからという様な曖昧な距離間から聞こえる様な、そんな話ではない。
その声は、相模さんのその言葉は、すぐ正面から聞こえていた。
だから僕は、いつも通りに落ち着いた声色で、瞳を開けて、ゆっくりと、その正面に居る男に言葉を放つ。
「......いつから居たんですか」
「最初からだよ、君が入って来る少し前から......」
「......そうですか、気付きませんでしたよ」
そう言いながら、僕は視線だけを彼から外す。
そもそも身体自体が、彼の方に向いてしまっているのだから、もうそれは仕方がない。
だからせめてもの抵抗で、視線くらいは彼以外のどこかに泳がせる。
しかし周りには、僕等以外の客がいない。
そしてそうなると、どんな風に僕が対応しようと、どんな風に僕が態度で示そうと、彼はきっと、いつも通りに、余裕を口元に添えながら、僕へ話し掛けるのだ。
まったく......
「ところで、荒木君。熱海観光は楽しめたのかい?」
温泉とは、おそろしいモノである。
時刻不明(夜であることは間違いない)
温かなお湯に浸かりながらではあるけれど、夜風に当たりながら、裸の男二人が顔を突き合わせ続けるというのは、正面を見た時に、裸の男が目に映り続けるというのは、やはり些か心境的には、青年心的には、かなり微妙なところがある。
いや......もうこの際、ハッキリ言ってしまおう。
「相模さん......気持ち悪いです」
「えぇ、唐突に辛辣だなぁ~」
「とりあえず、横に来てくれませんか。正面見るとずっと貴方が映るのは、ハッキリ言って嫌なので......」
そう言いながら僕は、彼に自分の隣に来るように促す。
そしてそれを見て、相模さんは笑いながら、お湯の中で身体を動かして、僕の隣に移動する。
「まったく......君も佐柳ちゃんも柊ちゃんも、皆僕には冷たいよね~おじさんは悲しいよ」
「それはまぁ、主に原因は、大体のところ貴方にあるんですけれどね......」
そう言いながら、二人で並んでお湯に浸かりながら、一拍置いて、僕はゆっくりと、今日の出来事を話し出す。
「観光は......えぇまぁそれなりに、ちゃんと遊ぶことが出来ましたよ......」
そう言いながら、僕はゆっくりと、視線を落とす。
話しをしながら、少しばかり考えてしまうのだ。
若桐のことを、彼に言うべきか......
しかし彼は、そんな僕の心境を他所に、いつも通りの声色で、言葉を返す。
「そっか、それは良かったよ......あんな形で旅行が始まることは、正直言うと、僕の望むところではなかったからね......君がそう言ってくれるなら、少しばかりは安心したかな......」
「よく言いますよ......」
そう言いながら、僕は両手で正面に映る自分の顔を掬って、それを自らの顔にゆっくりと当てる。
お湯で顔を湿らせて、意識を少しばかり、まどろみの中から覚醒させる。
こういう心にもないことを、こういう風に言うことが上手い人だ。
相模さんは、そういう人だ。
だからうっかりしていると、彼の心境の、彼の思惑の、ほんとうの部分が何処なのか、ほんとうの狙いが何なのか、正直わからなくなってしまう。
うっかりしていると、そんな風に、僕は煙に巻かれてしまう。
だから僕は、せめて注意しなければならない。
彼に管理されているからこそ、普通の人間とは違う、異人という存在だからこそ、僕はもっと、相模さんの行動に、言動に、心境に、注意深く、気を付けなくてはいけないのだ。
そう思いながら、僕は身体を起こして、湯から上がる。
「もう出るのかい?」
「えぇ、湯あたりしそうなので、先に出ます」
一日目のスケジュールを全て終えた後、寝床について少しばかり時間が経てば、ある程度の眠気が身体を襲う。
この体質のせいなのか、普段はあまり眠くはならないけれど、普段とは異なる環境下で動いた今日は、やはり普段よりも、疲労を感じるわけで......
ようするに、何が言いたいのかというと、久しぶりに僕の身体には、眠気というモノが在中していたのだ。
それらのことを僕は、まどろみの中で思い返す。
「......」
そしてそれらのことを、こうして思い返せるということは、なんとなく今の状態が、寝ている途中の、夢の中であるということを、不思議ではあるけれど、自覚できる。
「......」
いや......夢の中に居ることを自覚できるって、それは一体どうなんだ......
普段眠りが浅い方ではあるけれど、こんな状態に、こんな風な感じになるのが、果たして正常であると言えるのだろうか......
これが果たして、普通の状態であると、言えるのだろうか......
普段から異質で異常な状態が、当たり前になっている僕だから、この状態が異質であるのか、異常であるのか、それを僕は、判断できない。
さて、どうしたものかな......
そんな風に考えていると、直接頭の中に、声が響く。
『義成さま......あなたは本当に、行かれてしまうのですね......』
澄み切った様な綺麗な声が、頭の中にずっと、反響する。
そしてその声が、いつの間にか僕の前に居る、一人の少女のモノであるということを、僕はどういうわけか、理解する。
浴衣姿の、背の低い少女。
僕に背を向けているから、顔は見えないけれど、その姿にはどこか、見覚えがあった。
そしてその少女の前に、もう一人、中肉中背の青年が立っている。
『本当は私も、あなたと一緒に......』
その少女の言葉で、なんとなく、状況を理解する。
その少女と青年が、何か大事な話をしていることを、理解する。
少女が青年に、何かを伝える。
『義成さま......私は......』
しかし少女は、言葉を紡ごうと、そう口を開いて、しかしながら、そこから先の声は出なくて、代わりに何かの、大きな音が、その場を包む。
汽笛の様な騒音が、その二人を包んでしまう。
もう、声が届かなくなって、何も聞こえなくなって......
「......」
「あら、おはよう。荒木君」
「あぁ......あーうん、おはよう......」
気が付けば僕は、目を覚ましていたようだ。
柊との挨拶を交わした後、寝ぼけ眼を擦りながら、枕元にある携帯を見ると、時刻は朝の九時頃を丁度回ったところで、天候は昨日に引き続き快晴で、そして遠くの方で、何かの機械音が聞こえる。
部屋の窓から見える太陽は、夏日をそのまま感じさせるほどの暑さで、昼間と変わらない様な鋭い光を放っていた。
まるで吸血鬼を殺すような、とても暑くて、鋭い光......
そんな朝の光と、聞こえる何かの機械音で、僕は熱海旅行の二日目の朝を、迎えたのだ。
「それにしても、荒木君。案外早く、起きたのね......もう少し寝ているモノかと思ったけれど......」
「......いや、普段と比べれば随分と寝た方だよ......普段はそれこそ、もっと眠りが浅いから......」
そう言いながら、まだ覚めない寝ぼけ眼をそのままに、僕は布団から上半身だけを起こして、洗面台の方を見る。
鏡越しに、こちらをドライヤーで髪の毛を乾かしながら、こちらの様子を見ている柊と目が合う。
あぁ、そうか......あれはドライヤーの音か......
そう思いながら、なんとなく辺りを見渡すと、昨日まで一緒に居たはずの、もう二人の姿が見当たらない。
「......あれ、琴音と相模さんは?」
「あぁ、あの二人なら、三十分くらい前に出て行ったわよ」
「えっ、そんなに早く?」
そう言いながら、僕はもう一度携帯の画面を見る。
さっきと時間は、大して変わらない。
っていうことは、大体八時半くらいには、もうこの部屋を出ていることになる。
昨日、相模さん達が柊を連れて行った時間は、たしか昼過ぎくらいだった。
だから今日も、てっきりそのくらいの時間だろうと、勝手に思っていたけれど......
そう思っているところに、タイミング良く柊が言う。
「私もそう思ったわ。けれどあの人曰く、あの子のカウンセリングは、私みたいに簡単には進まないらしいのよ......だから朝から始めても、殆ど一日を費やしてしまうらしいわ」
「......あぁ、そう.........なんだ」
その柊の言葉で、僕は琴音が、元は完全な異人体質者であったことを思い出した。
そしてそれと同時に、彼女のようなそういう者と、目の前に居る柊と、そしてもちろん僕とでは、ある意味で全く異なったそれなのだと、なんとなく、理解した。
「まぁあの二人、かなり早朝から起きていたらしいから、私が起きた頃にはもう、朝食も済ましていたわ......」
「そうなんだ......ってあれ、柊はまだ朝食を食べていないの?」
「えぇ、私はさっき、朝風呂から帰ってきたところだったから......」
そう言いながら、一通り使い終わったのだろう。
ドライヤーの電源を抜いて、コードを本体に巻き付けて、片付ける。
その姿を見て、僕は柊がある程度の身支度を済ませたと思って、声を掛ける。
「そっか、それならとりあえず、朝食でも食べに行こうぜ......」
そう言いながらようやく、身体を布団から完全に起こして、寝相で乱れた浴衣を直して、テーブルの上にある朝食券を手に取った。
たしか朝食は、旅館の一階にある食堂だったはず......
そう思い出しながら、徐に手に取ったその券に、僕は視線を落とす。
そしてそこには「朝食:七時~九時(一階食堂)」と、書かれていたのだ。
......いや、ダメじゃん......
旅館での朝食を食べ損ねた僕と柊は、とりあえず旅館の近くにあるコンビニで何か買って来ようという話になった。
コンビニに行く道中、ため息混じりに僕は呟く。
「まさか普通に寝坊していたとはなぁ......」
「そうね......でもまぁ、たまにはいいじゃないかしら......こうやって朝の散歩をするのも、せっかくの旅行なんだし......」
「そうか?僕の場合は、せっかくの旅行だったら、むしろ旅館で食べたいって思ってしまうけれど......」
そう言うと、三歩ほど先を歩く柊が、今着ているワンピースを翻しながら、こちらを振り返る。
振り返って、こちらを見ながら、彼女は言う。
「旅館の朝食は、明日も食べられるわ。それに明後日には帰るんだし......だから今日くらいでしょ?こうやってのんびりと散歩をしながら、朝食を買いに行けるのは......」
そう言うと、少しだけ僕の目を、覗き込む様な仕草をして、また踵を返すように、僕の先を彼女は歩く。
そしてその背中を見て、少しばかり間を置いて、僕も彼女に、呟くように言葉を返す。
「まぁ、それもそうか......」
おにぎりとサンドイッチ、それにペットボトルのお茶も買って、僕等はコンビニを後にした。
せっかく旅館から出たのだから、ただ部屋に戻って食べても、面白くない。
品定めをしながら、柊がそう言うので、そんな彼女の要望に応えるべく、店出た後に、歩きながら、少しだけ辺りを見渡す。
コンビニは、浜辺からなら徒歩で行ける様な場所にあったので、もしかしたら何処かに、海が見える様なベンチとかあるんじゃないだろうかと、そんな風に思ったのだ。
そして案の定、少しだけ歩いた所に、海が見えるベンチがあったので、そこで僕と柊は、先程買った朝食を食べることにした。
僕はおにぎりを、柊はサンドイッチを食べて、各々買った飲み物を飲んで、目の前に広がる海を見る。
景色としては、これ以上ない様な場所で、こうして朝食を食べることが出来るのは、たしかにさっき柊が言った様に、今日くらいしか出来ない事だろう。
そう思いながら、隣に座る彼女を、僕は見る。
そして彼女を見ながら、僕は思い出す。
ようやく、一ヶ月くらいの時間が経ったけれど、まだ記憶の中にある。
あれだけ血生臭い、おびただしい数の、痛い記憶。
思い返してみれば、柊と知り合って、最初の数日間くらいのことだったけれど、それでもやはり、その数日間を僕は、未だに鮮明に憶えているのだ。
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