不死身青年と旅人童女の追憶
第19話不死身青年と旅人童女の追憶Ⅰ
『旅人』という言葉を、耳にしたことはあるだろうか......
それは一般に、『旅をしている人』を指して使う言葉で、さらにもっと詳細に言えば、『自らの所属する社会を離れて、別の社会への移動過程にある人』を指して使う言葉でもあるらしいのだ。
しかしながらこの言葉を、こんな風に後者の様に考えながら使う人は、おそらくいないだろう。
いなくて当然のことである。
このたった二文字の、見れば意味がすぐにわかる様な単語を、こんな風に考えて使う人がいること自体、そもそもおかしな話で、普通ではないのだ。
けれど旅人という者は、その二文字の単語ほど、今ではわかりやすい者ではないのかもしれない。
なぜなら今の旅人という者は、その人の見た目からはあまり、わからなかったりもするからで......つまりどういう意味かというと、旅人は必ずしも、格好からして旅人というわけではないという意味だ。
旅人を旅人として認識するには、その旅人である者が自ら誰かに、「私は旅をしています」と言う必要があって......旅人はそんな風に、誰かに自分が旅人であることを自己申告しない限り、他人から見ればその人は、旅人として存在していないということになる。
逆に言えば、旅人ではない人を、旅人と他人が捉えてしまえば、例えそうじゃ無くともその人は、旅人として存在できてしまうのだ。
これでは誰しもが、そういう風にしてしまえば、旅人として存在できる様なモノである。
しかし実際のところは、そういうモノなのかもしれない。
今では昔と違い、様々な交通手段が普及したことで、誰しもが遠い距離の移動が容易になった。
車で道路を走ったり、電車で線路を辿ったり、飛行機で空を飛んだり、船で海を渡ったり。
遂には地球から離れて星々を巡るために、ロケットなんてモノも出て来てしまった。
それ故に旅人という者の存在は、やはり昔よりも希薄になってしまったのかもしれない。
今では旅人かそうでないかの見分けは、昔よりもつきにくく、分かりにくいモノになってしまった様に思える。
その昔は、ただひたすら歩きながら、町から町へ、街から街へと移動していたらしいので、きっとその姿を見れば、誰しもがすぐに、『この人は旅人である』と気付いたのだろう。
そんな時代の人間が、もし今の日本を見たらどう思うのだろうか。
便利になったと喜ぶのだろうか、それとも、味気がないと嘆くのだろうか。
どうせなら、聞いてみたいものである。
どうせなら、話してみたいものである。
今では旅のほとんどが、旅行という言葉に変わって使われている。
旅なんて言葉をわざわざ口にする人は、今ではそんなにいない。
それでも、どんな時代でも、それを行う人が必ず居たのなら、言葉は変わったとしても、それを行う人が居たのなら......
人間と旅というモノは、切っても切れない様な、そんな関係なのだろう。
しかしながら、どんなに時間が経ったとしても、どんなに時代が流れたとしても、変わらずに人の傍にあるモノが、人の心の中に存在するモノが、たしかにある。
その中でも特に、人の心に長い間住み着いて、自覚したら離れない、そんな厄介なモノがある。
それはいわゆる、恋というモノだ。
それはいつの日も人を惑わし、魅了し、本来とは違う自分の姿すらも、その相手によってさらけ出されてしまうモノで......
ただひたすらに、誰かを強く想い続ける感情で......
そんな喜怒哀楽では説明がつかなくて、複雑で面倒臭くて、環境やタイミングとか、そんな目には見えている様な、見えていない様なモノに左右されやすくて、それでもその誰かのことを考えると、愛おしくてたまらない。
そんな感情なのだ。
さて、ようやく長い前置きが終わる。
今回する御話は、そんな大事な二つを、人間として精一杯大切にしてきた、とある旅人の御話だ。
可憐で、純真無垢で、天真爛漫で、人としての姿を失ってまでもなお、誰かを想い続けることで、人とは言えない存在になってしまった彼女と、元からほとんど人間ではない、不死身なんていう馬鹿げた体質を相変わらず保有した異人である僕が、夏休みのほんの一時を、共に過ごした......
かけがえのない思い出の、物語。
八月上旬。
炎天下とも言える真夏日の真っ最中であり、天気予報で報じていた気温は、この夏最高の三十二度を記録しているらしい。
セミの声と、何処かの小学生たちであろうか、子供達の遊び回る声が絶えない今日この頃。
高校生の頃よりは少しだけ遅いタイミングでの夏季休業、所謂『夏休み』が、僕の通う神奈川大学でも始まった。
しかしながら大学生の夏休みというモノは、高校生の頃までのそれと比べて、約一ヶ月程度期間が長く、しかも学校側から提示される『夏休みの宿題』というモノは一切ない。
そしてそうなると、当たり前のことだけれど、自然と暇な時間が増えるわけで......
だからこんな外に出るには適していないお昼頃、自分が住んでいるアパートの台所の前に、僕は立っていた。
時刻は丁度、十二時である。
部屋の中から見ただけでもわかる程に強い日差しと、吸血鬼でなくても蒸発してしまう様な熱気が、アパートから一歩出ただけでもわかるので、だからせめて、家の中くらいでは涼味は味わおうと思い、昼食として冷やし中華を作ってみたのだ(比較的簡単なので1人暮らしにおすすめである)。
なるべく綺麗に皿に盛りつけた自作の冷やし中華を箸で取り、啜るまさにその直前......
箸で麺をとり、口にその麺を運ぶ、まさにその瞬間......
ある意味というか、普通に最悪のタイミングで、部屋のインターホンが鳴り響いた。
「誰だろ......」
そう呟きながら、まさに啜る直前だった麺を皿に戻し、そして箸を置いて、立ち上がる。
ハッキリ言って僕には、友人と呼べる間柄の者は存在しない。
そもそも故郷がある九州から、一人でこの横浜に来て、そこからあまり日が経たない、一ヶ月くらい経過した頃に、僕は吸血鬼の異人である 佐柳琴音 と、異人の専門家である 相模宗助 と知り合った。
そして色々なことを経て、僕は普通の人間であることを辞めて、不死身の体質を有した異人に成り果てたのだ。
そしてその後、またそこまで日を待たずして、今度は殺人鬼の異人である 柊小夜 と知り合った。
彼女とは、この部屋や大学の教室で、血生臭い青春劇を繰り広げた。
広げるだけ広げて、けれど最後は、横から紅一点の蹴り技で、文字通りの力技で、終息したのだ。
だからまぁ、僕には普通に、気軽に友人と呼べる者は、多分いない。
本当は、琴音とも柊とも、そういう間柄になりたいのだけれど、それはきっと、たぶんまだ、許されることではないのだ。
だからこんな昼間の、ましてや昼食時に誰かが訪ねて来るような事に、まるで心当たりがないのである。
だから僕は、いぶかしむ様にしながら部屋の扉のドア穴を覗いた。
するとそこには......
「やっほー、元気してる?とりあえず開けてくれない?外は暑くてしんどいからさ~」
「......」
何故か僕に関することは全て把握できる異人の専門家 相模宗助 が立っていたのだ。
あまりにも急な出来事は、今までも散々あったことだし、ましてやその『今まであったこと』の方が、どう考えてもみても危険度は高くて、なんならそれらのせいで、人としての通常性を失って、今の様な存在になってしまったのだけれど......
しかしそれでも、やはりこの専門家が、落ち着ける筈の自分の部屋に来ることは、それら以上に危険度が高くて、ついでに嫌悪感すらも感じてしまう様な気持ちになってしまって......
その......なんていうか......
「気持ち悪いんですよね......相模さん......」
扉を開けて数秒後に、悪気はなくとも本気の言葉が、つい自分の口から零れ出てしまう。
しかしそんな僕を見て、彼はやはり、相変わらずというか、いつもの様に余裕を口元に添えている。
そして添えながら......
「えぇ......来客に対しての第一声がそれかい?さすがの僕でも傷付くんだけれどなぁ~」
っとこんな風に、傷付くということ自体から、根本的に無縁な声色で、彼は心にも無いような台詞を口にする。
そしてその台詞に対して、僕は彼と目も合わせずに言葉を返す。
「あぁ、すみません。つい本音が」
「うん、なにも謝る気がないよね~荒木君」
「それはそうと相模さん......一体何なんですか?こんなクソ暑い真夏日の御昼時に...」
「いや~近くまで来たモノだからさぁ、少しばかり様子を見にね~」
「はぁ......そうですか、僕はこれから昼食なので、出来ればすぐに帰ってほしいんですけれど......」
「そう釣れないことを言うなよ~僕と君の仲じゃないか~というわけで、とりあえず上がって良い?」
「嫌です、帰ってください」
「即答!?もうちょい悩もうよ~」
「ここまでの会話で、悩む余地ありましか?」
そう言いながら、「それじゃあ」という言葉も付け加えて扉を静かに閉めようとする僕に対して、思いの外力強く、扉を僕とは逆方向の、開ける方に彼は押す。
その彼の姿を見て、僕は扉を開けた時よりもより意識して、嫌な顔を僕は作りながら言葉を紡ぐ。
「あの、ここ賃貸なので、壊れたりしたら困るんですけど......」
「そうだね、それだと管理している僕も、仕事が増えて困ることになるなぁ......」
「......っ」
「......~」
「はぁ......わかりました。どうぞ......」
そう言いながら、僕はどうしても引こうとしない彼の態度に根負けして、彼を部屋に入れる。
そしてそんな僕を見て、彼は変わらずの微笑を添えながら言う。
「フフッ......嫌そうな顔はしているけれど、なんだかんだ言って入れてくれるから、優しいよね。荒木君」
「閉めますよ?」
「あぁ~ハイハイお邪魔しま~す」
そう言いながら、足早に僕の部屋に上がり込む専門家の姿を見て、理由は特にないけれど、やっぱり閉め出してやれば良かったかなとも思いながら......
いや、けれどそれだと、もしかしたらもっと面倒なことになっていたかもしれないとも思いながら......
不本意な形ではあるけれど、僕は彼を部屋に招き入れたのだ。
まぁ、招いた覚えはないけれど......
相模さんが部屋に入り数分後、昼食のために用意した冷やし中華を冷蔵庫に仕舞い、代わりにアイスコーヒーが注がれた二つのコップを用意する。
べつに......この人が相手だから、わざわざこうやって飲み物を用意したわけではない。
ただ単に、なんとなくの社交辞令的な行為で、それ以上でもなければそれ以下でもなくて、要は......『部屋に客人が来たらお茶を出す』っていう、そういう常識的な、条件反射でしかないのだ。
まぁ何時ぞやのように、知らぬ間に部屋に上がっていて、未開封のコーヒーを開けている様な状況だったならば、そもそも僕が出す前に、既にその人の前にお茶があるのだから、僕がそれを改めて出すことはしないのだろうけれど......
しかしこんな風に、招いていなくとも正面から普通に来られてしまうと、やはりそれに対して、僕も普通に反応してしまうのだ。
そんな風に思いながら、僕は相模さんの前に座って、自分で淹れたアイスコーヒーを口にする。
もっとも、淹れたと言っても、インスタントを少量のお湯で溶かして、その中に氷と冷水を入れただけだけれど......
あっ、そういえば......柊がうちに来た時は、色々な出来事が急展開過ぎて、お茶を出すなんていうことを忘れていたような......
っと、そこまで思い出してから、僕はまた考える。
あの時はお互い、直前とは言わなくとも近い時間まで、ファミレスでドリンクバーを頼んでいたのだから、あの場合は出さなくて正解だったのかもしれなくて、そしてそれは......まぁ言ってしまえば、常識という処からは離れた行為となってしまうのだけれど、しかしそれが正解だったのだから、仕方ない。
そしてそうなると、案外『常識』と呼ばれる括りのモノには、常に疑いの目を向けて、臨機応変に、ケースバイケースで使い分ける必要があるのだろう。
しかし、それにしても......
「......あの、相模さん......」
「ん?なんだい?」
「いや、なんでさっきから、一言も話さずに、なんなら僕が出したコーヒーにも手を着けないで、僕の方をジッと見て、ニヤニヤしているんですか?ぶっちゃけ、滅茶苦茶怖いんですけれど......」
そう言いながら、僕は恐らく、怪訝そうに彼を見ている。
少なくとも、嫌そうにはしていた筈である。
しかしそれでも、彼の表情は変わらない。
相変わらずに、口元に余裕を携えて、僕に言い放つ。
「いや......ちゃんと生活しているんだなって、思ってさ」
「......」
皮切りに彼の口から出たその言葉に対して、僕は何て返すのが正解なのかわからなくて......
だからまぁ、正解では無いにしても、少なくとも不正解ではない言葉を、当たり前のことを、彼に言った。
「......そりゃあ、まだ死んでいませんからね......死んで居なけりゃ、生活せざる負えないんですから......その気が無くても、ちゃんと生活しますよ......」
「......そっか......それもそうだね。ごめんよ、変なことを言って。忘れてくれ......」
そう言いながら彼は、相変わらずの表情のまま、しかし何故か、どこか遠くを見る様な眼差しをしている。
いや、たぶん違う......
あれはきっと、他の何かを見ているのだ。
彼との付き合いは、まだ大して長いモノではないけれど、時折見せる微妙な言葉の変化や視線......
もっと抽象的な言い方をすれば、『雰囲気』とでも言うのだろうか。
彼が時折感じさせる、いつもとは異なる雰囲気は、彼の目の前にいる筈の僕のことすら、どこか遠くに追いやってしまう様な、そんな感じがするのだ。
もっとも、初めて知り合った五月のゴールデンウィークの頃から数えると、まだ三ヶ月とそこそこだから、そんな風に思うのは、僕の気のせいなのかもしれないけれど......
しかしそれでも、その三ヶ月とそこそこの間で、僕は色々なことを、彼を介して経験した。
人間の姿形をしながら、決定的に人間とは異なった体質や性質を有している『異人』と呼ばれる存在。
そしてそんな異人を管理する専門家である彼と、初めて出会った五月のゴールデンウィーク。
あんな嘘みたいな理不尽から始まって、互いが互いの大切な何かを奪い合った、輝かしい黄金色の数日間は、吸血鬼の異人として生きていた少女 佐柳琴音 の生き様とか、覚悟とか、誇りとか......
そういう目には見えない様な、掛け替えのない何かを、ほとんど僕が吸い取ってしまったのだ。
それはもう、文字通り、そのままの意味で......
そしてその結果、彼女は全体の五分の一が異人という、ゴールデンウィーク
の時よりも、さらに不安定で、不確かな存在になってしまって......
そして吸い取った僕はというと、何をされても死ぬことはない、ただ不死身なだけの異人に......ほんとこれも、文字通りそのまま『不死身の異人』という、相模さん曰く前例が存在しない様な化け物に、成り果ててしまったのだ。
そしてそんな化け物に成り果てた僕が、次に遭遇した人物。
徐に赴いた、夏の夜中のコンビニで遭遇した、殺人鬼の異人の少女 柊小夜
殺人鬼の異人であった実の兄の影響を受けてしまった彼女の、理解不能なレベルでの、自己中心的な物言いから始まって、まだそこまで不死身にも慣れてはいなかった僕のことを、散々刃物で殺した彼女との、壮絶で劣悪で、血の臭いが絶えない様な青春劇の数日間。
あれだけの回数殺されて、挙げ句自分の血で描いた黒歴史の数々は、その日々がまだそこまで遠くはない今でも......いいや、むしろ今だからこそ、いっその事もう忘れてしまいたいくらいなのだけれど......
しかしながら......
しかしながらそれでもあの日々は、言ってしまえば僕の不注意が、僕の迂闊さが招いた結果なわけで......
そしてそこまでの事柄が、これもまた文字通り、自分の身に降りかかってようやく......
そこまで来てようやく、僕は自分の不甲斐なさを、自分の浅はかさを、自分の無自覚さを、再度確認することが出来たのだ。
「......っ」
そんな風に思い返して、そこまでのことを思い出して、ようやく僕は、さっき彼が言った台詞の、『生活しているんだな』って言葉の意味に気が付いた。
僕はその言葉に対して、『死んでいないのだから』と、そんな風に返したけれど、僕のことを専門的に管理している相模さんから言わせれば、そういうことではなくて......
表面上でも字面でも、同じような意味合いに見えるけれど、決してそうではなくて......
ただ単純に、零れる様な安堵を込めて、彼は僕に対して、こう言いたかったのだ。
あれだけのことを経験して、あれだけのことを体験して......
本当に『よく生きていたモノだ』と......
「......それはそうと、相模さん。何か僕に用があったんじゃないんですか?」
そんな風に率直に、よく生きていたモノである僕は、彼に尋ねる。
そしてそう尋ねられた彼は、少しだけ間を置いて、いつもの口調で僕に言う。
「へぇ~どうしてそう思うんだい?」
「べつに......本当に何も無いのに、わざわざ僕の家に来てまで様子を見るって......相模さんがそんな、普通の友人にする様なこと、しないでしょう?」
そんな風に皮肉を言われたはずの彼は、何故だが少しだけ嬉しそうな微笑を浮かべて、いつもの声色で言った。
「なんだよ......今日は随分と鋭いじゃないか」
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