第18話不死身青年と殺人鬼少女の青春Ⅸ
「まぁ、あの子のことは、今はそれほど心配しなくていいよ、荒木君」
「......」
あの一件から、少しばかり時間が経った今日この頃、僕と相模さんは、あの時と同様、例のカラオケボックスのお店の一室に、向かい合わせになりながら座っていた。
しかしながら、今回はどちらも歌わない。
歌うための場所であるということは、もちろん僕も、そして彼も、重々承知している。
しかしまぁ今日は、『歌う』というよりも『謳う』のだ。
事後報告というか、答え合わせというか......
そういう感じに、そういう風に今まで出した、出し並べた情報をすり合わせて、すり減らして、柊のこの一件に、殺人鬼のあの一件に、区切りをつける。
今日の目的は、そんなところだ。
先に開口した相模さんは、それに対して何も言わない僕を見て、続けてゆっくりと、あのとき僕に見せた新聞記事をテーブルの上に置いて、話し出す。
「もうわかっていることから、丁寧に並べていこう。まず、あのときココで君に見せたこの新聞記事、ココに載っている人物の名前は 柊 陽太(ひいらぎ ようた) 血縁上は柊ちゃん 柊 小夜(ひいらぎ さや) の兄で、当時は今の君等と同じ大学一年生で......」
「彼も、殺人鬼の異人だった......」
そう僕が口を開いたところで、相模さんは少しだけ間を置いた後、「そうだねぇ......」と言った。
最初に......
僕が最初に殺人鬼の異人のことを知ったのは、相模さんからの電話で、『仕事仲間から聞いた、噂程度の代物』と、そういう風に聞いていた。
それはつまり、噂が流れる程に、それ程までに、前例があったということで、そしてそれはそこまで古くない事例だったからという事に、他ならない。
そしてその事例が、この新聞記事の内容である。
「まぁ、火のない所に煙は立たぬって言うしね......無関係の人間の、しかもまだ、年端も行かぬ子供を異人が殺したなんて......これほどの前例があれば、こういう危険性の根拠の様なモノがあれば、今回のように、僕ら専門家の間では、噂くらいになっても、おかしくはないよね......」
そう言いながら、彼は自分がテーブルの上に置いたその新聞記事を、ジッと見る。
そしてその時の彼の視線は、珍しくも少しだけ、険しく見えた。
それはきっと......
きっと自分が関係していれば、この時から自分が関与して、管理していれば、きっと今回の様なことには、あの時の様なことにはならなかったと、そういう風に、このときの彼は考えていたからだ。
だって......
「相模さん、それでその柊のお兄さんは、やっぱり......」
「あぁ、事件後しばらくの間は、行方を眩ましていたけれど、最近その兄は、もう一人程、同じ通り魔的犯行で殺した後に、今度は自らが殺されている。場所は横浜駅で、時期は......」
「この間の、ゴールデンウィーク......」
そう僕が呟いた所で、目の前に座っていた彼は、静かに頷いた。
つまりは、こういうことである......
殺人鬼の異人として、人間の小学生を通り魔的犯行で殺した 柊 陽太 は、その後数年間に渡り、行方を眩ませていた。
そしてその間、兄である陽太が行方を眩ませている間に、彼の家族である柊家は、殺人犯の家族として、世間から後ろ指を指されて生活をしていたのだ。
もっとも、僕はそこまでの話を相模さんから聞いて、到底それが正しい事だとは、後ろ指を指すことが正しい事だとは、思わなかったけれど......
しかしそれでも、僕はその気持ちが理解できないわけでは、後ろ指を指したくなる気持ちを、まったく理解できないわけではなかったのだ。
だって単純に、怖いじゃないか......
怖くて、恐ろしいじゃないか......
殺人を犯すような、犯罪を犯すような人間の家族が、自分の身近に存在していたら、もしその中に、また同じような人が居たら、次に狙われるのは、無差別に狙われるのは、身近に居る自分なんじゃないかって、そんな風に思ってしまう。
そしてそうなってしまったら、きっと僕も、それが正しい事だと思って、そう思い込んで、彼女の家族を排除しようと、自分の身近から、危険の種になりかねない、柊家全体を消してしまおうと、考えてしまうかもしれない。
けれど......
「けれど本当の問題は、その後に起こった。それはあの、ゴールデンウィークでの横浜駅。君が刺されたあの時だ......」
「......はい」
そう、あの時僕のことを刺した人物、そしてその後に、吸血鬼の異人である琴音に殺された人物......
それが 柊 陽太 だったのだ。
そしてそうなると、最初にコンビニで、琴音に対して刃物を向けていたことは、ある意味では正しい行為だったと、仇討ちとしては正しい行為だったと、そういうことになる。
まぁ『彼氏』というよりは『実兄』を、『寝取られた』というよりは『刈り取られた』ということになるので、あのとき彼女が僕に向けて言っていたこととは、随分というか、まったく違う意味合いになってしまうけれど......
しかしそれでも、あのとき僕が来るまでに起こっていた、あの突拍子も無い出来事は、何の脈絡もない出来事は、そこに至るまでに、ちゃんとした道筋があったのだ。
「でもその道筋を、僕が狂わせてしまった......」
「まぁ、偶然にも......って感じだけれどね、君が彼女に刺されたことで、君が彼女に殺されてしまったことで、彼女は完全に変わってしまった。もっとも、
そう言いながら相模さんは、予めドリンクバーから持って来たジュースに口付けて、僕を見る。
そしてその彼の視線は、彼の無言の視線は、僕に対して言っている。
柊の兄が殺されたことも、柊が殺人鬼の異人に成り果てたことも、要はそれら全ては、僕の不甲斐なさが、僕の無自覚さが招いたことだと、異人の専門家である相模さんは、僕に対して、そう言っているのだ。
あのときに......
あのゴールデンウィークの時に、相模さんに散々言われた言葉を、もうだいぶ、心の奥の方にまで刻んだ筈の言葉を、僕はまた思い出す。
思い出して、自分の異人性に、自分の異常性に、もっと自覚的でなければいけなかったと、今更ながら痛感する。
もう散々、痛い目は見ただろうに......
「まぁでも......佐柳ちゃんが殺した相手が人間ではなくて、殺人鬼の異人だったっていうことを知ることが出来たのは、こちら側としては、かなりありがたい事だ。これでまぁ、この町で立て続けに起きた異人関連の事例では、人間の死者は誰も居なかったと、人は誰も死んでいないと、そういうことになるからね......」
そう言いながら彼は、空になったグラスを持って、一度部屋を出る。
そして少しだけ時間を置いて、部屋に戻ってきた時に、今度は違う色の、さっきまでとは違う色の液体をグラスに入れて、再び同じ場所に座って、そしてその液体を一口、飲み込む。
その相模さんの姿を見て、そこまでの彼の姿を見て、ようやく僕は、さっき相模さんが言った台詞に対して、言葉を返す。
「結局......」
「ん?」
「結局僕はこの数ヶ月の間で、佐柳 琴音 と 柊 小夜 という、何の罪も無い二人の女の子に、何の関係もなかった筈の二人の女の子に、ただただ、許し難い程の迷惑を掛けたことになりますよね......迷惑を掛けて、本来彼女達が歩む筈だった道筋を、通す筈だった筋道を、迷わせて、惑わせて、狂わせたことになりますよね......」
「まぁ、たしかにそうだね......こうして綺麗に整理してみれば、今回の柊ちゃんのことも、前回の佐柳ちゃんのことも......君が彼女達に与えた影響は絶大だ」
そう言いながら彼は、僕の方をジッと見る。
そして僕は、そんな彼の視線に耐えられずに、わざとらしく視線を外す。
そしてそのまま、思ったことを口にする。
「それなら......」
「......」
「それなら僕は、今後はもう、あの二人に関わらない方が、いいのかもしれないですね......」
「......そう思うかい?」
「思いますよ......だって......だって僕が居なければ、僕が関わっていなければ、この数ヶ月は平和だった筈じゃないですか......それなら......」
「でもそれだと、佐柳ちゃんは確実に、完全な吸血鬼の異人として、ゴールデンウィークなんか知らないで、パンケーキの甘さも、映画館も、ホテルのベッドも......そういう色々なことを知らないで、彼女はあの日、太陽に焼かれて死んでいただろうね......」
「......」
「それにきっと柊ちゃんも、遅かれ早かれ、何らかの切っ掛けで、結局殺人鬼の異人に成り果てて、誰かを殺していただろうね......それこそ本当に、僕等とは関係のない誰かを......」
「なにが......言いたいんですか......?」
「べつに......ただ僕は、君が関係しなかった場合を推察したに過ぎないよ。それ以上でもそれ以下でもない」
「......」
「それに、管理している側から言わせてもらえれば、それだけ君が、異人である彼女達に与えたモノがあるって、ただそれだけの話だよ。絶大な影響の中には、そういうモノも含まれている。君は今回、偶然にも彼女達に関わったけれど、そういう時に近くに居て、関りを持ったっていうことは、案外大切なコトなんだよって、ただそれだけの話さ」
そう言いながら彼は、グラスに入った液体を口にする。
そしてそんな彼を見ながら、僕は言う。
「そういう風に、言ってくれるんですね......相模さんは......」
「まぁ、こんな大人だからね......こういう風にしか言えないんだよ......」
そう言いながら彼は、いつもの様に、微笑を口元に添えていた。
その後、さらに数時間ほど話をした後に、僕と相模さんは、本当に一曲も歌わずに、そのカラオケボックスのお店を後にした。
歌う必要がないのなら、もっと別の場所でも、お金のかからない別の場所でも良かった様な気もするけれど、しかし僕がそう思おうと、何の不満もなさそうな顔をして会計を済ませるのは、大人である相模さんなのだから......
だからまぁ、大人ではない僕が、お金を払わない僕が、何かしら意見して口を挟むことは、出来ないのだ。
まぁもともと、するつもりもないけれど......
店を出た後に携帯電話を確認すると、何件かメッセージが受信されていた。
お店が地下にあったから、店内に居るとメッセージを受信できていなかったけれど、こうして店の外に出て、地上に出て確認してみると、僕は意外にも彼女達から、琴音と柊から、それぞれ連絡を貰っていたことを、知られるのだ。
普段はほとんど、メッセージを貰うことなんかは、ないというのに......
そんな風に踏切の所で、遮断機が上に上がるのを待ちながら、携帯電話を見ていると、隣に立っているおっさんは、笑いながら僕を見て言う。
「おや、佐柳ちゃんからかい?それとも柊ちゃん?」
「まぁ、どっちもですけれど......なんでわかるんですか......?」
「そりゃわかるよ。僕は君のことを、不死身の異人である君のことを、管理しているんだから......それよりいいのかい、急がなくて?」
そう言いながら、いつもと変わらない、不敵で余裕な笑みを浮かべながら、彼は僕を見る。
あんな風に、あんな言葉で、僕が彼女達に関わったことを、異人に関わることを認めてくれた専門家は、相変わらずのからかう様な視線を、僕に対して向けて来る。
そしてその視線に対して、その彼の言葉に対して、僕は目を合わせずに、ただ目の前の踏み切りを、遮断機が上がる踏み切りを見据えて、駆け出すような姿勢で、歩調で、前に出る。
そして少しだけ早足になりながら、隣にいた彼に対して、視線は合わせずとも彼に対して、少しばかりぶっきら棒に、バツの悪さとか恥ずかしさとかを含んだ声色で、口にする。
「......言われなくても、急ぎますよ」
その僕の言葉が、彼の耳に届いたのかは知らないけれど、しかしそれでも、たぶん伝わっているに違いない。
僕の気持ちも、言葉の裏も、彼にはきっと、全て伝わっているのだ。
なんせ彼は、不死身の異人である僕を管理している、専門家なのだから。
連絡を貰って、恐らく数分後......
あの踏み切りの所から商店街の外側にあるスーパーマーケットに向けて、以前は思い掛けない形で柊と一緒に来た、普段ならよく一人で赴くスーパーマーケットに向けて、普段なら絶対にしない様な全力疾走をしながら、僕は入り口の所まで辿り着く。
そして辿り着いてから、これまたそこまで時間を置かずに、息を切らして両膝に手を着けた状態で、僕は僕の目の前で、僕のことをジッと見て、胸の前で偉そうに腕を組みながら仁王立ちをしている彼女に対して、乱れる呼吸の合間に出て来る言葉を、何とか紡ぐ。
「やぁ......お待たせ......」
しかしながら、そんな僕の命辛々の言葉に対しての彼女の返答は、元吸血鬼の異人であった彼女の言葉は......
「遅い、一分遅刻」
「......」
元の彼女とは何ら変わらない、鬼の様なそれだったのだ。
店内に入って数分後、プラスチックのカゴを持ちながらゆっくりと歩く僕に向けて、品物であるトマトを持ちながら品定め中の琴音は、何かの切っ掛けなんて無しに、その話題を切り出した。
「それで、結局例のアレは解決したの?」
「えっ......あーうん。そうだな......とりあえずは解決したよ......」
「そっか、それはよかった」
「うん......琴音も、あの時は助けてくれてありがとう。あのまま僕一人だったら、きっともっと殺されていたよ......」
そう言いながら、僕は未だに何の品物も入っていない、空っぽのカゴの中に視線を落とす。
あのとき、相模さんが指定した施設の真ん前には、道路を挟んで、琴音がアルバイトをしているコンビニがあった。
そしてそのコンビニから、あまりにも出来過ぎたタイミングで、バイト終わりの琴音が姿を現したのだ。
そしてそのお陰で、僕は彼女に救われた。
そんな風に、あのときに起こった経緯の、簡単な概略を僕が思い返していると、彼女は僕が持っている空っぽのカゴに、品定めを終えたトマトを一つ、彼女が働くコンビニで貰う様なモノよりも、一段階薄いビニール袋に入れた状態で、そっと入れる。
そしてそれを入れながら、一言ポツリと、呟くように彼女は言う。
「べつに......たまたまバイト終わりに、見知った顔が殺されていたから、なんとなく気まぐれに、助けただけだよ」
そう言いながらコチラを見る彼女の瞳は、初めて会った時よりも幾分、柔らかさが加えられている様な、そんな気がして......
そして僕は、それをなんだか、とても嬉しく思えたのだ。
しかしながら、その後に続く彼女の台詞は、トマトをカゴに入れた後、すぐに次の品物の品定めを始める彼女の言葉は、予想外のモノだった。
「ねぇ、誠......」
「ん?」
「今回の件ってさ、結局は私が、あの夜勤の日にあの子に刺されていれば、ここまで面倒なことには、ならなかったんじゃないのかな......」
そう言いながら彼女は、今度は両手にキャベツを持っている。
結構シリアスなことを、シリアスな口調で言っているのに、両手にはキャベツがあるのだ。
それがなんだか......
そんな風にそんなことを言う彼女の異常さを、それらすべての異様さを、なにもかも全て肯定してしまっている様に、僕には見えたのだ。
そしてそんなことを言う彼女の冷たい声が、そんな風に落ち着いている彼女の音色が、なんだかこれらの物事を、簡単に片付けてしまう様に思えてしまって......そして僕は、なんだかそれがとてもイヤで......
だから、否定した。
「......それは違うよ、琴音」
「......どうして?あの子のお兄さんを殺したのは、紛れもなく私なんだよ?」
「そうだとしても、それは違う。そんなことで終わっていい話じゃないんだ。そんな......加害者と被害者で、どっちが悪いみたいな......そんな人間同士の話じゃなくて......あの日、あんな不用意に、僕は琴音の前で殺されるべきではなかったんだ......だから......」
そう言いながら僕は、キャベツを持っている彼女を見つめる。
傍から見ればまるで普通で、何処にでもいる様な彼女に向けて、僕はそんなことを言う。
そして自分で言ったその言葉で、自分はもう、本当に普通の人間には戻れないということを、否応なく、しかしようやく......
ここまで来てようやく、自覚する。
そんな風に......
そんな風に静かに打ちのめされている僕を見て、さっきと同じようにキャベツをカゴに入れながら、琴音は僕に尋ねる。
「......誠、後悔してるの?」
「......なにを?」
「......私にしたこと」
「......その言い方は、些か誤解を生みそうだけれど......でも、後悔はしてないよ、だって......」
そう言い掛けたところで、僕は言葉を切った。
なぜならそれを言うのは、ただ単になんだか、照れ臭かったのだ。
だって......あのとき琴音のことを諦めて、自分だけ普通の人間に戻るなんて選択をしていたら、きっと今のこんな時間も、存在していなくて......
そしてそれを、なんだか寂しく思ってしまうなんて......
そんなことを言葉で表すのは、それを彼女に伝えるのは、やはりどうしても、今の僕には出来そうになかったのだ。
そんな僕の顔を、琴音は覗き込むように見つめて、切れた先の言葉を聞き出そうと、僕に尋ねる。
「......だって、なに?」
そしてそんな彼女に対して、僕はわざとらしく視線を逸らしながら言うのだ。
「......いいや、やっぱりなんでもないよ......」
さらに幾つか食材を追加した僕と琴音は、そこまで長くない、しかしまばらに人が居るレジに並んで、それらを購入するための会計を済ませる。
全部で大体五千円。
互いに一人暮らしで、それでお互い、必要なモノを購入したら、大体こんな感じになるだろう。
二で割ったら、大体三千円には届かないくらいの、そんな感じだ。
会計後すぐに琴音は計算して、その金額に一番近しい、キリの良い金額を、その場を一括で支払った僕に手渡して、それを躊躇いもなく僕は受け取る。
そしてその後は、何も言わずに各々のレジ袋に、購入した物を詰め込んで、詰め込み終わったら、プラスチックのカゴを元に戻して、僕等は店外へと向かう。
外に出ると少しだけ、じっとりとした湿気が身体に貼り付く様な、夏になりかけている中途半端な暑さが煩わしい、そんな夜である。
そしてそんな夜の帰り道、信号機で足を停めたタイミングで、彼女は僕に向けて唐突に、言葉を紡ぐ。
「あのさ誠......言っておくけれど、許したわけではないからね......あの時私にしたこと、今でも凄く怒ってる」
「......うん」
「だから......私より先に死のうとしないで。私のことこんな風にしておいて、一人で勝手に色々抱え込んで、逝こうとしないで......」
「......」
「ちゃんと......ちゃんと最後まで......」
そう言いながら彼女は、小さく震える手で僕の袖を掴む。
あの時の、あの赤髪の女の子の正体である彼女は、そう言いながら僕を見る。
思い返してみれば、あの時間にあの場所を指定したのは相模さんだ。
そして僕に関連すること全てを、どういうわけか把握している彼は、きっとあのタイミングで、目の前のコンビニでバイトをしている琴音が、あの場にあんな形で入ってくることを......
バイト終わりである琴音が、彼女の中に残された、約五分の一の、吸血鬼の異人としての体質と性質を駆使して、僕を助けることを......
それすらも全て、彼は織り込み済みだったのだろう。
そしてそうなると......
相模さんは初めから、ただ不死身なだけの僕ではなく、琴音の力を使って、今回の件を解決しようとしていたことになる。
あの人のことだから、絶対にそうだろう......
そうだ、そうに違いない。
そう考えると、僕はとんだ咬ませ犬役を演じたモノである。
それに今思い返してみれば、僕が柊に感じていた必要以上の恐怖心は、彼女に最初殺されていたということよりも、ただ単に、同族嫌悪の類だったのかもしれない。
異人というモノは、姿形が人間であることに変わりはないが、様々な体質や性質を有している。
それはつまり、人とは異なるという点においてだけ言えば......
それだけの点において言えば、僕のことを散々殺した柊は、柊に散々殺された僕は、それに今こうして、僕の袖を掴む琴音は、皆すべからく、同族ということになるのだ。
そんなことを考えた矢先、目の前の信号が、赤から青に移り変わる。
長いようで短い、赤信号の足止めが終わる。
そして僕は、琴音の言葉に対しての返答が思いつかぬまま、丁度いい台詞を持ち合わせないまま、歩き出す。
彼女の手を、引きながら......
さらに幾分、数日後......
日中は殺人的な暑さを延々と放つ太陽が現れている今日この頃、季節はもう完全に、梅雨を抜けて夏である。
そしてそんな日に、大学の前期末試験を終えた僕は、あの日の柊から送られたメッセージの内容を完遂するために、家には帰らず、しかし帰路に近しいこの場所に、以前来たことがあるこの場所に、足を運ぶ。
あの時は柊からデートの目的地だと言われて、驚きや戸惑いを隠せなかっかったこの場所は、相も変わらず、幾つもの墓石が綺麗に並び連なっていた。
そしてそんな場所に、今度はあの時ほど間誤付かず、僕は足を踏み入れる。
踏み入れて、メッセージに書かれた内容に従って、歩き続ける。
そして歩き続けた先に、彼女は居るのだ。
「あら、偶然ね......」
初めて会った時と、恐らく一字一句変わらないその台詞を言いながら、しかし手には、あの時とは違う、墓を掃除するための道具を持ったまま、柊は僕に笑い掛ける。
そしてそんな彼女の言葉に、メッセージを貰って今日招集された僕は、わざとらしく合わせた台詞を嘯く。
「あぁ、偶然だな......」
そう言いながら、僕は思う。
こんな時間にこんな場所で、それに墓を掃除するための道具さえ持っていなければ、何も深刻な事情が無い、普通の女の子という風に見えていただろう。
けれど彼女は、そうではない。
そうではないことを、もう僕は知っている。
身をもって、知っているのだ。
そんな僕と彼女は、一緒に柊家ノ墓を掃除して、線香をあげて、両手を合わせて祈った。
そのとき、かすかに開けていた僕の瞳に映る彼女の肩は、少しだけ震えてるように見えたのだ。
初めて彼女に会った時、彼女は自分の兄の名を、殺人鬼の異人であった兄の名を、大切な家族の名を使って、琴音を殺そうとしていた。
今思い返してみても、その時の彼女の言動は、やはり要領を得ていないのだけれど、しかし今思い返してみると、きっとそれが......
大切な兄の名前だけが、彼女の中にあった唯一の、人間らしさだったのかもしれない。
けれどそんな大切な兄の名を語って、僕と琴音に、吐かなくても良い様な嘘を吐いて、普通を装って生きている。
兄のことを口にして、呪われて生きている。
そんな中途半端な自分が、化け物になったあの時でさえ許せなくて、だからあの時、彼女はあんな声になろうとも、あんな姿になろうとも、否定したのだろう。
そしてそんなことを考えてしまうと、一概に彼女の異人としての行動を責めることは、どんなに彼女に殺されていようと、死ねない身体の僕は、やはり出来ない事なのだ。
そもそも何度も言うように、今回のこんな騒動も、前回のゴールデンウィークも、原因は紛れもなく、僕の不徳の致すところなのだから......
自業自得も甚だしい......っと、まぁ結局のところは、そういう話になってしまうのだ。
そう思いながら、祈り終えた僕は、まだ祈り続ける彼女に向けて、小さく謝罪を口にする。
けれどきっと、そんな僕の小さな声で紡いだ言葉なんて、きっと彼女には届いていなくて......
でも今は、それでいいのかもしれないと、そんな風に思う。
なぜなら、死ねない身体の、便利な身体の僕の言葉は、やはり何処か、口先だけの軽々しさを携えてしまっているような、そんな気がしてしまうからだ。
そこまで長くはない帰路の道中、隣を歩く柊は、唐突に口にする。
「ねぇ、荒木君。あなたはどこまで、私の嘘を知っていたの?」
そう僕に尋ねた彼女の言葉は、その時の彼女の声色は、やはり相模さんが言う様に、大丈夫そうだった。
大丈夫そうだったので、僕は正直に口にした。
「相模さんが教えてくれるまでは、僕は何も知らなかったよ」
そう言いながら、もう大丈夫そうな彼女を、僕は見つめる。
そして見つめながら、あの日相模さんが言っていた、『今はそれほど心配しなくていい』という台詞を、思い出す。
たぶん今回の一件で、柊の殺人鬼の異人としての、誰かを殺したくなる様な異常な性質も、あのとき見せた異端なまでの戦闘モードな体質も、とりあえずしばらくは鳴りを潜めるという形で、暫定的だけれど、概ね安心して良い結果となったのだろう。
あの人が、僕に関わることなら、粗方のことは把握できるあの専門家が、そんな風に言っているのだから、たぶん間違いはないのだろう。
そしてそんな彼女が、隣を歩く僕に向けて、何かを諦めた様な表情で言う。
「そう......じゃあ結局、私も荒木君も、あの専門家の人にしてやられたってことになるのかしらね......まぁ私の場合は、彼氏を寝取られただとか、弟を殺されただとか、そんなありもしない、吐かなくても良い様な嘘を吐いたのだから、やられて当然って感じなのだろうけれど......」
そう言いながら俯く彼女の横顔は、思いの外しおらしく見えた。
そしてそんな彼女に、僕は言った。
「でもそれは......たぶん柊にとっては、必要なことだったんだよ。そんでもって......そうしないと自分の中でバランスが保てなくなることって、たぶん誰しもがあることで......それはたぶん......」
『普通のことなんだ』と......そう言い掛けたところで、僕はそれを彼女に言うべきか迷って、口を噤んだ。
なぜなら、彼女がその言葉を好きではないということを、僕は知っている。
あのファミレスの時の会話で、あの時既におかしくなっていた彼女は、そう言っていたのだ。
そう思うと、やはり言葉が出てこない。
そんな風に、何を言うべきかわからなくて間誤付いている僕を見て......
渡れた筈の信号が、点滅していた青から赤に移り変わって、要らない足止めを食らう僕を見て......
彼女は小さく、そして静かに笑うのだ。
「フフッ......優しいのね、荒木君......」
こうして僕達の、咽かえる様な血の匂いが絶えない、壮絶な日々は幕を閉じた。
こんなことで何かに変われたわけでも、成長できたわけでもないけれど、少なくとも僕が 柊 小夜 という少女に関わることで、昔よりは幾分、マシな何かになったことは......それだけはまぁ、たしかな気がする。
殺人鬼の異人と成り果てた彼女と関わることで、自覚していた筈の自らの異常性を再度認識することで、その認識が著しく甘かったことを、確認した。
もうここまで身をもって体験して、経験すれば、いくら愚かな僕でさえも、学ぶことは出来ただろう。
だからもう僕は......
普通という不安定で不確かな何かに......
正常というすべからく当たり前な何かに......
それらと同等の類の何かに戻ることは、多分もう......絶対にないのだ。
しかしそれでも......
たとえ自分が異常で異端な、普通とは異なる何かだとしても、もうあんなに何度も殺されるのは御免だし、自分がこの先も誰かとこんな形で関わることは、こんな風に血生臭い、殺し殺される関係で関わることは、決して望まないけれど......
けれどそれでも、こんな日々にもしも名前を付けるなら......
こんなに間違いだらけの日々に、何か名前を付けるなら......
それならきっと、便利で使い勝手の良い、あの専門家も、何時ぞやに電話越しで嘯いていた言葉が、『青春』という大それたそんな台詞なんかが、実は案外、適役なのかもしれない。
人間らしいことは少々で、人外らしいことが多々あった、そんな日々にも使える、まだそこまで長く、生きるということを全うしていない僕らが、間違いや愚かさを肯定して前に進むために使える、そんな便利な言葉は......
たぶんきっと、これくらいのモノなのだろう。
そう思いながら、僕は隣に佇む彼女を見つめる。
そしてそんな僕の視線に気付いた彼女は、僕に「なによ......」と問い掛ける。
その彼女の言葉に対して、僕は目の前の信号が、赤から青に移り変わるのを待ちながら、視線を外しながら、言葉を紡ぐ。
「いいや、べつに......ただこの数日で、色々なことがあったなって......そう思っただけだよ......」
そんな僕の言葉に対して、彼女も同じように、たぶん僕から視線を外して、同じ様な声色で語り掛ける。
「......そうね、色々な経験をしたわ。荒木君のおかげで......」
「誤解を招くような言い方をするな。お前それ、絶対にわざとだろ?」
「さぁ、なんのことかしらね......」
そう言いながら隣の彼女は、楽しそうに静かに、小さく笑う。
そしてその声色のまま、僕に続けて言う。
「けれど荒木君。もしかしたら明日からの方が、もっと色々なことが出来るんじゃないかしら?」
そう言いながら、彼女は僕の袖を引っ張って、こちらに視線を投げ掛ける。
そして僕は、その時の彼女の瞳を見ながら、彼女の言葉の意味を考える。
あぁ、そうか......そういえばそうだったなぁ......
そう思い出した所でようやく、信号は赤から青に移り変わる。
だから僕と柊は、周りの他人達と同様、歩き始めるのだ。
そして歩きながら、僕は思う。
もしかしたらきっと、青春なんて言葉が似合うのは、明日からの日々なのかもしれない。
なんせ明日からは、夏休みなのだから。
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