第15話不死身青年と殺人鬼少女の青春Ⅵ

 携帯電話のアラームを止めて、時間を確認する。


 時刻は午前10時過ぎ......


「......っ」


 僕の隣で寝ている柊を起こさないように、眠気でけだるい身体をゆっくりと起こして、そしてその動きのまま、台所に足を運び、コップに一口分の水を入れて、それを口に含む。


 そしてそのまま数秒程うがいをした後水を吐き出し、歯ブラシに歯磨き粉をつけて、それを口の中に入れ歯を磨く。


 別に毎朝必ず最初に行うわけではないが、僕は起き抜けの口の中の不快感は、なるべく早く取り除きたいと思う方だし、それに今日はいつもと違って宿泊客がいるモノだから、家主ではあるけれど、彼女より先に起きることが出来た僕は、なるべく早めに身支度を整えようと、そう思ったのだ。


 そんな風に、昨日というより今日の夜明け前に起きたあの出来事のことを、なるべく思い出さない様にしながら身支度を進める。


 しかしそれでも、思い出さない様にしていても、やはりそれを完全に忘れることは出来ないわけで......


 殺された時の記憶など、強烈過ぎて僕には、扱いに困るのだ。 




 歯磨きを終え、口を濯ぎ、お湯に切り替えて顔を洗う。


 それらのことを一通り、まるで一呼吸のような感覚でやり終える。


 そしてやり終えた後に、タオルで顔を拭きながら、そのまま後ろに後退り、壁にもたれる様にして力なく、ただ力なく立ち尽くす。


 そして立ち尽くしながら、ただ天井を仰ぐ自分の顔は、たとえ鏡を見なくとも、ひどい顔をしていることは容易にわかる。


 そんな風にして壁に力なく寄りかかる僕は、夜中に柊によって刺された首元を、もう傷が綺麗に塞がっていて、何事もなかったかのように見える自分の首元を撫でる様に、なぞる様に触りながらポツリと呟く。


「......やっぱり、血も何も残らないんだなぁ......」


 もうわかりきっていた筈の自分の体質に対して......


 身体の傷どころか、飛び散った血液すらも、まるでマジックインクの様に消えてしまう、なんとも便利な自らの体質に対して......


 少しばかりの恨めしい気持ちと安堵を込めながら呟いたその言葉は、当たり前の様に、誰にも届かない。


「......まぁ、それでいいんだけれどね......」


 そう言いながら、何故だか泣きたくなるような気持ちになりながら、僕は手に持っていたタオルで自分の顔を覆う。

 

 しかしそれでも、涙が出ることは決して無くて、それがまた余計に虚しくて、空々しくて、そして只々悲しく思えて、仕方なかった。


 けれどその最中、自らの出血した血液が無くなる、僕の体質によって起こるその現象に対しては、それらの悲壮感よりも、やはり安堵の方が強いのだ。


 なにせこの部屋は、言うまでもなく賃貸である。


 汚して余計な手間と出費が増えるのは......


 それだけはどうしても、避けたいと思うモノだから。




 僕が一通りの身支度を終えて、十時が半分程になろうとする頃


「......あら、おはよう荒木君」


 彼女はようやく、目を覚ました。


「......あぁ、おはよう柊さん」


 そう言いながら僕は、寝起きの寝ぼけた目の前の女の子を見ながら、やはり昨日のことを思い出す。

 

 しかしそんな僕とは対照的に、彼女はそんなことは気にせずに、僕にそのままの流れで、そのノリで、朝の会話を続ける。


「荒木君、意外と朝は早いのね......」


「......そうでもないよ、もうそろそろ十時半だし......」


 そう言いながら、僕は手元の携帯電話に視線を落とす。


 そして彼女も、その僕の言葉を聞いて、自分の携帯を確認する。


「あら......まさかそんなに寝ていたなんて......普段ならどんなに遅く寝ても、七時頃には目が覚めるのに......」


「......もしかして、何か今日予定があったのか?」


「いいえ、別にそんなことはないわ。今日は土曜日だから講義も取っていないし、バイトもない。一日フリーよ」


「......そうか、なら良かった......」


 そう言いながら、もう一度携帯に視線を落とすと、そのときの僕の言葉に、柊が食いついて言葉を紡ぐ。


 それもわざとらしい、からかう様な声色で......


「あら、もしかして荒木君、誘っているのかしら?」


「えっ?」


「うれしいけれどごめんなさい、なんせデートの予定は十年先まで埋まっているの。まぁでも、荒木君なら十年ぐらい待ってくれるわよね?」


 そんな風に、わざとらしい上目遣いの殺人鬼は、まるで漫画の様な台詞を言いながら、僕の応答を心待ちにしている様だった。


 だからまぁ、そこまで面白い返しは出来ないけれど、とりあえずは言葉を探して、僕も応答する。


「待てないだろうし、待つ気もないよ......っていうかそもそも誘ってない。さっきなんだか変な間があったから、単純に何か予定があったのかと、そう思っただけだよ......」


 そう言うと、彼女はまたあからさまに、自分の容姿が優れていることを自覚してだろうか、わざとらしい仕草でこちらを見つめて言う。


「なーんだ......てっきり荒木君が、私と一夜を共に過ごしたことで、篭絡されてしまったのかと思ったわ。残念ね~昨日は楽しかのに......」


「......お前、よくそんなことが言えるな......こっちは昨日のアレのせいで、気分が最悪だよ......」


 そう言いながら、僕は彼女のことを静かに見つめる。


 すると彼女も、こちらのことを静かに見つめ返す。


 そして見つめながら、彼女は言う。


「......こんな美人と一夜を共に出来たんだから、アレくらいいいじゃない。貴方はどうせ、生き返るんだから......」


 そう言いながらこちらを見つめる彼女の瞳は、昨日感じた様な、あの身体を覆う様な、蝕む様な冷たさを纏っていた。


 けれどその冷たさを、もう僕は知っていて、だから多分言えたのだ。


「......いいわけないだろ」


「どうして?」


「決まっているだろ、そんなの......」


「......」


「......身体の傷は消えても、心まではそうはいかないよ......」


 自分の気持ちの、ありのままを......




『身体の傷は消えても心までは......』なんて、そんな今更過ぎる胸の内を、僕に馬乗りになって首に包丁を刺し込んだ、そんな彼女に言ったところで、恐らく何の効力もなければ、意味もないことだった。


 だからこの数秒後に、彼女が僕に対して言った言葉


「......それなら荒木君」


 それは正直本当に、何も期待していなかったモノだったから......


「今日は私とデートしましょう」


 ただ素直に驚いた。




 しかしそれでも、驚きながらも、僕は彼女に言葉を返す。


「......十年先まで、デートの予定は埋まっているんじゃなかったのか?」


「そんなわけないでしょ?まさか荒木君、あんな漫画の様な台詞を本気にしたの?」


 そう言いながら、彼女は身体を起こして、ゆっくりと立ち上がり、その動きの流れのまま、背伸びをする。


 そんな彼女の横で、変わらずに椅子に座りながら、背伸びをする彼女を見ながら、僕は尋ねる。


「......一体、何が目的なんだ?」


「......そんな目的なんて、何もないわ、ただの暇つぶしよ......」


「......」


「それにその暇つぶしで、もしかしたら私が荒木君に与えた傷を、少しは癒せるかもしれないでしょう?」


 そう言いながら彼女は、さっきまで僕が居た台所に向かって、歩みを進める。


 その彼女の姿を目で追いながら、けれど椅子には変わらず座ったままで、僕は言葉を返す。


「それ......本気で言っているのか?」


「本気よ、そうじゃなかったらこんなこと言わないわ......」


「......っ」


「......どうしたの?」


「......いいや別に、なんでもない」


「......そう、じゃあすぐに支度をするから、待ってなさい」


 そう言って、おそらくは冷水だったはずの蛇口を開けて、すぐに顔を洗う彼女は、その後近くに置いてあったタオルで顔を拭き、拭き終わってサッパリとした顔を僕に向けて、再び言葉を続ける。


「私があなたの傷、癒してあげるから......」


 そのときの、台所の窓を通して、彼女の後ろから刺していた光が、まるで彼女自身を照らしているように見えてしまって......


 そのときの彼女の姿が、なんとなくあの時の、はじめて言葉を交わした時の琴音の姿に似ていた気がして......


「......」


 それが僕には少しだけ恐ろしく思えて、言葉が出なかった。


 だって、あまりにも人間離れしているその綺麗な光景が、彼女のことを、柊のことを、異人たらしめているような気がして、ならなかったから......




 デートと呼ばれる、いわば男女の逢引きというモノを、そもそも完全な人間だった頃から、不死身の異人になる今日まで、僕は経験したことがない。


 いや......もしかしたらあのゴールデンウィークの、あの琴音との時間を、傍目から見ればその類と同義に見られるのかもしれないから、それをカウントしてしまえば、経験済みと言えなくもないのだろう。


 あっ......いや、でも違うな......


 だってあのときのアレは、僕と琴音の関係性に、やむを得ない理由があって、やむにやまれぬ事情だあって、それらが積み重なったから、結果的に僕と彼女は時間を共有した。


 だからあのときのアレには、琴音と過ごしたあの時間には、逢引きと呼べる程の、デートと呼べる程の身軽さは、今思い返してみても無かったように思えるのだ。


 そんな風に、やはり僕という男が、柊が言う様なデートと呼ばれるモノに対しての経験値を持ち合わせていないことを、自分自身で再確認したところで、支度を済ませた柊が僕に声を掛ける。


「おまたせ、荒木君。じゃあ行きましょうか......」


 そう言いながら、昨日と同じ服装ではあるけれど、昨日とは些か異なった雰囲気の彼女は、僕より先に靴を履き、僕の部屋の扉を徐に開ける。


「あぁ、うん......」


 そしてそんな彼女を見て、僕も置いて行かれてはならないと、少しばかり慌てた様子で、彼女の後を追いながら、自分の部屋の扉を閉めて、鍵をかける。


 そして鍵をかけた後、とりあえずは駅がある方向に二人で歩きながら、僕は彼女に対して問い掛ける。


「ところで柊さん......」


「なに?」


「デートって言っても、今日はどこに行って、何をするつもりなんだ?僕、何も聞いていないんだけれど......」


 そう僕が尋ねると、少しばかり前を歩く彼女は、クルリとこちらに翻し、少しだけ笑みを含ませながら言う。


「あら、そういうのは男性である貴方がエスコートするのが常識でしょ?もしかして私をデートに誘っておいて、目的地はおろか、やることすら決めていないなんて......荒木君はそんなダメな男ではないわよね?」


 その彼女の口調から、彼女の言葉が冗談交じりの、からかいを含めたやり取りであることを察することが出来たので、正直に言う。


「......すみません、僕はまさしくそのダメな男です。何も決めていないし、どこに行くかもしりません......」


「正直でよろしい。まぁそもそも今朝にいきなり決まったデートでそこまで用意されていたら、それはそれで流石にドン引きするわ」


 そう言いながら彼女は、またもやクルリと翻し、進行方向に身体を向けて、歩きながら言葉を続ける。


「だから今日は特別に、私がエスコートしてあげるから、ちゃんと付いて来なさい」


 そう言いながら前を行く彼女の足取りは、僕から見れば不思議なことに、何故だかとても、軽やかに見えたのだ。




 てっきり駅の方向に向かっていたから、僕はそのまま電車に乗って横浜駅か、みなとみらい駅にでも行くモノかと思っていたのだが、しかしどうやらそれは思い過ごしだったらしく、柊はそのまま駅を通り過ぎて、大学から徒歩で行ける様な場所まで歩みを進めて、つづら折りの坂を上り切って、そしてようやく、その目的地の真ん前で、僕たちは足を止めた。


「あの......柊さん......此処って......」


「......そう、此処がデートの目的地よ......」


 そう言いながら、何もおかしなことがない様な、まるでそれが当たり前のことであるかの様な、そんな表情を彼女はしている。


 しかしながら、僕はそんな柊の横で、そんな場所に連れて来られて、ただ呆気に取られたというか、啞然としているしかなかったのだ。


 なぜならその場所は、大学生の恋人同士はおろか、そもそも友人同士だとしても一緒に行くような場所ではなくて......


 カラオケや映画やカフェやオシャレなお店では勿論なくて......


「......」


 幾つもの墓石が綺麗に並び連ねる、霊園だったのだ。





 いや......いくら何でも、そんなことはあり得ない......はずだ......


 そんな風に思いながら、少しだけ瞳を閉じて、数秒後にまた視界を開ける。


「......っ」


 しかしそれでも、やはり目の前に見える景色は変わらない。


「......なにをしているの、荒木君?」


「いや......さすがの僕でもこの場所がデートの目的地だということに驚きを隠せないというか、信じたくはないというか......なっ、何でこの場所なんだ......?」


 そう僕が尋ねると、彼女は不思議そうな表情で、淡々と言葉を返す。


「何でって......そんなの決まっているじゃない。お墓参りよ......」


「墓参りって、一体誰の......あっ、おい......」


 僕が言葉を言い終える前に、彼女はまるで来慣れた場所のように、陳列された墓石の間を、僕を置き去りにして闊歩する。


 そんな彼女の、少しばかり足早になる歩き方に、僕はなんとか追いつきながら言葉を続ける。


「柊さん、いくらなんでもこんな......」


 しかし歩きながら彼女はまた、僕の言葉が言い終わる前に、ポツリと呟く。


「やっぱり、この時期ならまだ人は少ないのね、よかった......」


「えっ......?」


 少しばかり困惑する僕に向けて、彼女は歩きながら補足する。


「今ならまだお彼岸前だから、人は少ないと思ったのよ。もしも知り合いに見られたりしたら、流石に気まずいでしょ?」


 そう言いながら彼女は、いつの間にか僕を連れて霊園の、社務所の様な所に辿り着く。


 そして辿り着くと、近くに置いてあった木で出来た水桶と柄杓を持ち、そして霊園の管理人らしき人に話しかけ、花をもらう。


花を貰った後、水桶に水を汲みながら、彼女は話を続ける。


「私の家って、実は実家がこの辺りなのよ、大学を決めた理由も、単に家が近かったからって、それだけだわ......だからまぁ、此処にあるのよ......」


「......」


 そう言いながら、あまりにも慣れた手つきで淡々と行われる、彼女の墓参りの準備をする姿に対して、僕は何も言葉が出なかった。


 そしてそんな僕を気にせず、水を汲み終えた彼女は、まるで歩き慣れた通学路を歩くような、そんな足取りで、そんな異常な程に軽い足取りで、柊の苗字が入った墓石の前まで歩いて、そしてその前で、また彼女はポツリと呟く。


「......此処にね、弟が居るの......」


 その言葉はおそらく......いや、確実に僕に対して放たれた言葉だったけれど、しかし僕は、この時もまた、何を口にするべきかわからなくて......


「......っ」


 そしてしばらくして、自分がこんな時に言える言葉など、そんなモノは持ち合わせていないことに、気が付いたのだ。




「まだ、小学生だったのよ......」


 そう言いながら柊は、水桶の中の水を柄杓で掬い上げ、その水を墓石に掛けながら、話を続ける。


「習い事の帰り道で、そこまで遅い時間じゃなかったから、母も私も油断していたの......だから病院から連絡を貰った時は、その内容をすぐに理解することが出来なかったわ......それに、そのあと警察から話を聞いたの......そしたら、どうも弟は、通り魔に刺されて殺されたらしいのよね......あぁ、そうそう、この時にはもう、弟の葬儀も終わっていたわ......そうね......その話を聞いて、弟が刺されたときの話を聞いて......本当はイケない事なのかもしれないけれど、それでも、やっぱり思ってしまうわよね......」


 そう言いながら柊は、さっき管理人から受け取っていた花を墓石の傍に添えて、そしてお線香に火をつけて、それも添える。


 そしてそれらを添え終えて、そしてその周辺の掃除も粗方済ませた後に、彼女は両手を合わしながら、瞳を閉じながら、たしかに言った。


「殺したくて、仕方がないって......」


 そしてその彼女の台詞は、聞き覚えがあるどころか、聞き間違える筈がない、柊が僕と初めて出会った時の、あの身勝手な台詞、そのものだったのだ。



 

「私、今日はこのまま帰るけれど、いいかしら?」


 墓参りを終えた後、少しだけ歩いたところで、柊はそう言った。


 そして彼女のその言葉に、少しばかり動揺しながらも、しかしどこか安堵したような気持ちにもなりながら、僕は言葉を返す。


「あっ......うん、わかった......」


「じゃあ......」


 そう言いながら、彼女は僕とは違う方向に進みだし、しかし進む直前に、こちらのことは見ていなかったけれど、たしかに彼女は言ったのだ。


「今日はありがとう、荒木君。また明日......」


「......」


 そしてその彼女の言葉に対しては、僕は何も答えることはしなかった。


 どうしてなのかは、なんとなくしかわからないけれど、それでも今の僕が、彼女に何か言うことは、それだけは何故か、違う気がしたのだ。


 僕のことを刺し殺して、アレほどまでに人を捨てていた彼女に対して、自分の弟を理不尽な形で失った彼女に対して、不死身で死ねない、彼女から見れば『便利な身体』を持つ僕が言う台詞は、きっと何一つとして、届かない......


「ほんとう、どうするのが正解なんだろうな......」


 そう言いながら、一人になった僕は、雲一つない青天を仰ぎながら、後ろの金網に寄りかかる。


 しかしその金網は、身体を預けるにはあまりにも......


 あまりにも錆びついていると、そう思ったのだ。




 ポケットの中では、携帯電話が振動していた。

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