第14話不死身青年と殺人鬼少女の青春V

 気がかりだった着替えの件は、近くのコンビニに売られている物を使うということになり、それを買いに行くときは一人でいいから家に居ろと、そう言って彼女は再び僕の家を出ていった。

 

 僕の家から徒歩数分のところに、一軒だけコンビニがあるから、おそらくそこに向かったのだろう。


 出て行ってから三十分と経たない間に、柊は部屋に戻ってきた。


 そして部屋に入るなり、彼女は言う。


「汗をかいたから、シャワーを浴びたいわ」


 そう言いながら僕の方を見つめる彼女は、数秒のわざとらしい沈黙の後に、睨みが利いていない無表情な顔で言い放つ。


「覗いたら殺すわよ?」


「誰が覗くか!」


 そういうのはもう少し、表情を作って、感情を露わにしてから言ってくれ......



 そんなやり取りをした後の、風呂場の方からは、シャワーの音と鼻歌が聞こえてくる、そんな妙なタイミングで、また何故かこんな、何かを見透かされている様なタイミングで、僕の携帯電話に着信が入った。


 そしてその電話に出ると、聞き覚えのある不愉快な声が、僕の耳に届く。


「やぁ~荒木君、今電話、大丈夫かい?」


 そう言いながら、大丈夫であることを既に知っている様な彼の声は、少しだけ笑いを含んだ彼の声色は、相変わらずのゆったりとした静かな物腰で、僕の言葉を待っている様だった。


 だから僕は、そんな彼の言葉に対して、同じような静かな物腰を意識して、言葉を選んで、返答する。


「えぇ......大丈夫ですよ。相模さんこそ、こんな時間にどうしたんですか?」


「いや~今なら連絡しても差し支えないと思ったからね~、電話してみた」


「それはそれは、気を遣って頂きありがとうございます。ついでに気持ち悪いんで死んで頂いてよろしいですか?」


「ついでにしては要求が些かヘビーだと思うのは僕だけかな?」


「まぁ、僕は死なないので......」


「あぁ、そういえばそうだったね......ところでさ......」


「......なんですか?」


 そんな風に彼もまたわざとらしく言葉を切って、少しの間の沈黙を作ってから、僕に尋ねる。


「今君の部屋にいる女の子は、一体何者なんだい?」


 そう尋ねた彼の言葉に、僕もまた数秒の沈黙の後に、こう返した。


 もっともそれは、彼が僕に尋ねた言葉にに対しての返答ではなくて、その時の彼の言動に対しての、取り繕うことすら不可能なくらいの、率直過ぎる、ただの感想だったのだ。


「相模さん......本当に気持ち悪いです......」



 こちら側の状況は、本当にどういうわけか、何もかも全てが筒抜けの様なので、僕があまり事細かに状況を伝えなくとも、気持ち悪いことに相模さんは、ほとんど全てのことがお見通しだったのだ。


 そしてそんな彼が、からかう様な声色で一言、僕に言う。


「なるほどね~、じゃあ君は今、実はかなり羨ましい状況なわけだ~」


 そしてそんな彼の軽い言葉に対して、僕は苦言を呈する。


「相模さん、どうしてそうなるんですか......」


「どうしてってそりゃ、見ず知らずの女の子が、大学構内でいきなり声を掛けてきて、その日のうちにファミレスだけれど茶を嗜んで、それでしかも家に泊めてくれだなんて......そんなの羨ましい以外の何者でもないんじゃないかい?」


「あの......さっきも言いましたけれど、殺人鬼の異人かもしれない奴と、一日、同じ部屋に居なきゃいけないんですよ?」


 そう、このときまでの短い間に、柊がもしかしたら、例の殺人鬼の異人なのかもしれないという事を、僕が彼女に対して抱いている疑念を、僕は相模さんに伝えた。


 まぁそれすらも、もしかしたら僕が伝える前から、彼は把握していたのかもしれないけれど......


 そしてそれを伝えられているにもかかわらず、それを知っているにもかかわらず、この人は『羨ましい』と、そんなことを言うのだ。


 ......正気か??

 

 そう思いながら電話口に耳を傾けていると、相模さんは変わらずに笑いながら軽口で、こちらの心情を知ってか知らぬか、しかしそれでも確かな事実を、揺るぎない真実を、言い放つ。


「でも君不死身だろ?殺されても死なないなら、関係ないんじゃないかい?」


「あのですね相模さん、知らないでしょうから言っておきますけれど、不死身だとしても痛覚はあるし、殺されている記憶も残るんです。それなのにそれが......」


 あれ......


 言いながら、言葉を続けながら、僕はこのとき唐突に思った。


「なんでもないわけが......」


 もしも彼女が、柊が殺人鬼の異人なのだとしたら......


 その異人的な性質上、殺意やら憎悪やらは無いにしても......


 は、何も感じないにしても......


「ないじゃないですか......」


 殺した後も、殺してしまった後にも、何も感じずにいることが、、果たして出来るのだろうか......


「......そっか、それもそうだね......少しだけ無神経だったよ、ゴメンね......」


 僕の言葉を聞いた後に、彼はそう言った。


 その奇妙な程素直な言葉を残して、彼は電話を切った。


 そして無機質な電話音が僕の耳に届く時、明らかにさっきまでとは違う感情が自分の中にあることを、僕は自覚せざるを得なかったのだ。



「シャワーありがとう。とても気持ち良かったわ」


「あぁ、うん......」


「......なに?」


「......いいや、なんでもない。僕もシャワーを浴びて来るよ......」


 何でもない......


 本当に何でもない様な、どこにでもあるような会話を終えて、僕は自分の着替えを持って、浴室に向かった。


 シャワーヘッドから流れる水の音と、高い温度を帯びた湯気が浴室を満たした頃に、僕は服を脱いで、そしてその水を少しだけ肌に触れさせて、適温であることを確認する。


「......」


 そして確認が出来た適温の水を、僕は少しずつ、身体の下の方から上へと、徐々に全身を濡らす。


「......」


 そして濡らしながら、僕は考える。


「......」


 相模さんとのあの会話や、殺人鬼の異人のことを考えて、そしてもしもそれが、今部屋に居る彼女に当てはまることだとするならば、もしもほんとうになのだとしたら......


 僕は一体、どうするべきなのだろうか......


 どうすることが、果たして正解なのだろうか......


「......」


 相模さんの様に、こちら側のことを全て把握しているような人とは違って、不死身以外は何一つとして特異性のない僕は......


 それ以外は何もかも全てが平凡な僕は......


 一体彼女に、何をしてあげられるのだろうか......


「......うるさいな......」


 不意に出たその独り言は、シャワーの音にかき消されて、温かい湯気に溶けて消えた。


 一人で浴室で、何も喋らずいつものようにしているはずなのに......


 いつもと変わらないはずなのに......


 頭の中ではただひたすらに、僕が彼女に対して何をしなくてはいけないのかなんてことを自問自答している自分が居て、その声が段々と、僕の中に居る筈のその声が、段々と外側から言われているような、そんな感覚に陥ってしまって、それが堪らなく、うるさく思えてしまったのだ。


 何をするのが正しいかなんて、そんな答えがないことを考えている自分が、どうにもうざったく思えて、仕方なかった。


 そして、だからなのだろうか...... 


 だからまた一言、今度はシャワー音すらしない浴室で、僕は呟いたのだろうか......


「......僕はもう、一度間違えているだろ......」


 そう言いながら思い出したのは、あの時の屋上で僕に見せた琴音の顔と、冷たい鉄の感覚だった。


 そしてもう、あんなことは御免だと、そう思いながらも、やはり何も術を知らない自分に対して、どうしようもない程の歯痒さを、感じていたのだ。



 僕が浴室を出た後、そこまで遅い時間でもなかったけれど、昨日の夜中というか今日の夜明け前に、僕と出会ったあの時間帯に起きていたモノだから、そのツケがしっかりと回って来たようで、ヒドイ眠気が彼女を襲ったらしい。


「さすがに限界だわ......もう寝ましょう......」


 そう言いながら、僕が用意した布団に、潜り込むようにしてうつ伏せに、枕に顔を預けて眠ろうとする。


 そしてそんな彼女の姿を見て、僕は立ち上がり、電気を消すための紐を三回引いて、部屋を真っ暗にする。


 そして僕は、いつもの様にベッドに仰向けに、身体を預ける。


 こういう時はもしかすると、女の子である彼女をベッドに寝かして、僕が布団で眠るべきなんだろうけれど、しかしいつも僕が使っている寝具に彼女を寝かそうとするのは、それはそれで些か誤解を招いてしまう恐れがある。


 まぁでも、何の脈絡もなく僕の部屋に来た彼女なら、もしかしたらそんなことは、まったく気にしないのだろう。


 そう思いながら、横で変わらずにうつ伏せになっている彼女に、僕は視線を移す。


 しかしそのタイミングで、その態勢で、彼女は僕に対して口を開く。


「ねぇ......まだ起きてる?」


「えっ......あぁ、うん。起きてるよ......」


 唐突に声を掛けられて、少しだけ驚きながら、僕は言葉を返す。


 そしてその僕の言葉に、彼女は静かな声でまた、言葉を返す。


「......そう、よかったわ......聞きそびれていたことがあったから......」

 

「なに......?」


「あなたの名前......なんていうの?」


「えっ......あぁそっか、言ってなかったっけ......」


「えぇ、私は名乗ったけれど、あなたはまだ名乗っていなかったわ......」


「あぁ、なんかごめん......」


 そう言いながら、少しだけ間を置いて、どんな形でその言葉を口にすることが正解なのか、自分の名前を言うだけなのに、その前後の言葉に迷いながら、

僕は自分の名前を口にする。


「僕の名前は......荒木 誠(あらき まこと)って、言うんだ......」


「そう、よかったわ......眠る前に聞けて......」


「えっ、どうして......?」


「だって......名前も知らない人の部屋に上がって、その人の隣で寝るなんて、そんなのイヤだから......」


 そう言いながら、段々とか細くなる彼女の声は、まどろみと現実の境にいるような、そういう声だった。


「あぁ、そういうことね......」


 そしてその言葉を聞きながら、『勝手に付いて来たのは彼女の方なのに』って少し思いながら、けれど不思議と、そのときの彼女の物言いに対しては、何かを不満に思うことはなかった。


 そんな風に考えながら、『もう僕も寝てしまおう』と思っていると、また不意に、彼女が僕に声を掛ける。


「......ねぇ、荒木君......」


 今度はしっかりと、まどろむ様な声色で、僕の名前を口にして......


「ん、なに......?」


 僕の方を見ながら、彼女は言う。


「おやすみなさい......」


 その彼女の、久しぶりに誰かに言われたようなその言葉に、思いもよらない懐かしさを感じながら、なんとかして僕も、彼女に返したのだ。


「......あぁ、おやすみ、柊さん......」


 でもその言葉は、もう深い眠りに落ちてしまった彼女には、届かなかった。




 その出来事は唐突に、しかしそれは起こるべくして、起きたのかもしれない......


 眠りに着いて数時間後、おそらく時刻は、日付をまたいで午前二時くらいだろうか......


 早い時間に寝てしまったことで、こんな中途半端な、変な時間に目が覚めてしまった僕は、夏の蒸し暑さを覆うようなこのアパートの一室で、今全くと言っていいほどに、暑さを感じなていなかった。


「......っ」


 それどころか極寒の冬ですら感じられない寒気だけが、身体の中を駆け巡りり、そしてその寒気によって、徐々に一つ一つの、自分の細胞が死んでいくのを、否応なく理解させられる。


「......ひいらぎ......さん......」


「......」


 無言で、無表情で彼女は......


 柊 小夜 は、僕に覆いかぶさるように馬乗りになっている。


 早めの時間帯に眠りについたのは僕だけではなく、むしろ彼女の方が、深く眠りに落ちていた。


 もしかしたらそれが、こんな現状の要因なのだろうか......


 いいや......それは違う......


 この現状は、この現象は、そもそもこれは......


 もっと根本的な原因で、もっと本質的な要因で、成り立ってしまっているのだ。


 これをもしも第三者に、簡単に説明すると、多分こうなるだろう......



 僕に馬乗りになっている柊が、台所に置いてあった包丁で、僕の首を、喉ぼとけをめがけて、首の骨もろとも、刺し割ったのだ。



「......っ」


「......」


 血は噴水の様に、僕の身体から噴き出した。


 そしてその血は、目の前にいる柊にはもちろん、部屋の天井や壁や床に、ベッタリと付着してしまう。


 しかしそんなことよりも、自分の首の骨と、ステンレスの包丁の鋭利な部分が擦れて、普通なら聞かないであろう音が、僕の身体の中から出ていることを否応なく自覚して、それがとてつもなく、恐ろしかった。


 そして柊が、僕の喉から包丁を抜き取ると、空気と自分の血液が混ざったような、よくわからない何かが、口とか鼻とかに溢れて来て、そしてそれがあまりにも苦しくて、吐き出してしまう。


「ガハッ......」


 喉を潰されているからだろうか、声は出ない。


「......ッ」


 しかしそんな僕に、彼女はしがみつくようにして、すがる様にして、抱き着くようにして、僕の血まみれの胸に頭を擦りつける付けるようにしながら.....


 まるで恋人同士がする様な形で、身体を僕に預けながら.....


 彼女は言葉を、紡ぎ出したのだ。



「ねぇ、荒木君。殺されるってどんな気分なの?」


「......っ」


「私が貴方をこうやって殺すとき、貴方は何を考えているの?」


「......」


「私は、貴方以外を殺したことがないから、貴方に尋ねるしかないのよ......貴方は殺されても生き返るのだから、私は何も悪くないでしょ?私はただ、自分に正直に生きてるだけなのよ......」


「......」


「普通の女子大生で......だからこれもきっと......きっと普通なのよね......」


「......」


「どんなに野蛮な人間であろうと、どんなに優しい人間であろうと、どんなに欲にまみれた人間であろうと、どんなに不幸な人間であろうと、どんなに幸せな人間であろうと、どんなに怖い人間であろうと、どんなに可愛いらしい人間であろうと、どんなに格好いい人間であろうと、どんなに不細工な人間であろうと、どんなに普通な人間であろうと、どんなに異常な人間であろうと、どんなに憎らしい人間であろうと、どんなに好きな人間であろうと、どんなに嫌いな人間であろうと......もう誰でもいいから殺したくて、仕方がないの......」


「......」


 彼女のその言葉に、僕は何も応えることが出来なかった。


 しかしそれは、喉を割かれ、声帯を壊されていたからという訳ではない。


 もし今、僕が声を出せる状態であったとしても、僕は彼女のその言葉に、何かを返答することは、出来なかっただろう。


 そもそも彼女の、まるで脈絡のないその言動と行動に、何かを返すことが正解なのだろうか......


 いいや、それはきっと違う。


 何も言わず、ただ朽ちていくだけの死体となって、瞳を瞑って、息を引き取ることこそが......


 殺してしまったと、死なせてしまったと、彼女に自覚させることこそが、きっと正解なのだ。


 しかし僕には、それが出来ない......


 不死身の異人である僕には、彼女のために死んでやることは、唯一絶対に、出来ないことなのだ......


 しばらく経って、また彼女は僕の上で、言葉を続ける。


「ねぇ、荒木君......私と一緒に、どこか遠くに行かない?こんなに人が多い都会じゃなくて、どこか山の中で、二人だけの家を建てて暮らすの......そうすれば、私は貴方だけを殺して、一生他の人達には迷惑を掛けずに生きて行けるでしょう?」


「......ッ」


「私は殺すなら、貴方がいいわ。他の人なんて考えられないの......だって他の人達は、殺したら死んでしまうでしょう?死んでしまったら何も話せないじゃない......何もしてくれないじゃない......だから私は、殺すならば貴方がいいわ......」


「......ふざける.....な.....」


 喉が少しずつ、再生され始めたからだろうか......


 それでもやっと出た声は小さくて、消えそうだった。


 けれどそのまるで、蚊が鳴いたようなその声で、僕は彼女に、本心をそのまま言葉にしたのだ。


「.....っ」


 しかしそれ以外は何も言えず、何も出来ず、ただ抱き着いて離そうとしない彼女の体温を感じながら、いっその事眠ってしまおうと思って、瞳を閉じた。


 身体中に貼り付いた寒気と、貼りついている彼女の温かさが混ざり合って、身体の中で溶けあっていくような、そんな不思議な感覚を感じてしまう。


 こんな風に殺されるのは、これで二度目だ。


 一度目は道端で、二度目は自宅で.....


 もしかしたら三度目も、あるのかもしれない。



 『殺すならば貴方がいいわ』



 彼女のその最後の言葉は、あまりにも無茶苦茶だ。


 そもそも話の最初では、『誰でもいいから殺したい』と、そう言っていたじゃないか.....


 それが数分足らずで、僕じゃなきゃいけないと言葉を変えるのは、それはあまりにも無茶苦茶で、ふざけた話で......


 けれど、その言葉に対して返した僕の言葉は、小さ過ぎてきっと、彼女には届かなくて......


「......」


 だからきっと今、こんな風に僕の上で、いつのまにか彼女は眠ってしまっているのだ。


「......っ」


 それも皮肉なことに、死んだ様に、深い眠りに着いている。


 殺されたのは紛れもなく、僕の筈なのに......



 


 


 



 






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