第13話不死身青年と殺人鬼少女の青春Ⅳ
現時点での時刻は、おおよそ十六時頃だろうか......
「......っ」
「......」
いや、もしかしたらもう既に、そこから一時間程経過して、十七時になってしまっているのかもしれない。
なぜなら、今いるこの場所を訪れた時よりも、少しだけ周りの人間の数が、多くなって居るからだ。
しかしまぁ、今僕達が居るこの場所を思えば、この時間帯にこれだけ人が集まる現象は、実はそこまで珍しい事柄でもない。
なぜならこの場所は......
「......あ、あのさ......」
「なに?」
「いや......とりあえず、何か頼まないか?」
大学から程近い、所謂ファミリーレストランと言われる場所だからだ。
ファミリーレストランという場所は、一般的には気楽に入ることが出来る飲食店として、様々な年齢層の人達から愛されている。
値段がリーズナブルな点は、その要素の最たるモノの一つであろう。
さらに付け加えるなら、メニューとして出されてくる料理の味が、安定しているということだ。
まぁそれは、大抵のファミリーレストランが、大型のチェーン店であるが故に、しっかりとしたマニュアルに従って料理が作られているからなのだろう。
手頃な値段で、安定した美味しい味の料理を食べることが出来る場所。
そんな快適を絵に描いた様な場所で、僕は今、まるで針の筵のような心境で、店員さんに渡されたお冷に、口をつけて、うなだれる。
どうして今更、僕がファミレスについてこんなに事細かく説明するかというと、そうしなければ僕の心が、僕の精神的な何かが、確実におかしくなってしまいそうになるからだ。
無理もない。
なんせ今、僕の目の前に座っている彼女は、昨日僕を刺し殺した張本人で、間違いないのだから......
「......」
なんだろう、考えてみれば、僕はココ最近、運が悪いどころか、不幸なことがあまりにも多く起き過ぎている。
不死身の異人に成り果てた、あのゴールデンウィークの惨状も、切っ掛けは僕の不運が招いた、不幸な事故だった。
それに加えて、昨日のアレだ......
もしも彼女が本当に、殺人鬼の異人というコトならば、もしかしたらあの時から、もしかしなくてもあの時から、偶然ではなく必然的に、僕は異人という存在に、近付き過ぎてしまっているのかもしれない。
あぁそうか、だからきっと相模さんは、電話で僕にあんなことを言っていたのか......
あんなわざとらしく、冗談めいた彼の忠告は、こんな形の現実に姿を変えるのか......
そう思いながら、僕はうなだれていた視線を、目の前に座る彼女に向ける。
「......」
店内で向かい合いながら座る彼女は、僕の先程の声掛けに、意外にも素直に従い、テーブルの端に立て掛けられていたメニューを手に取り、それを開いて見ているところだった。
そして数分後、彼女は僕の方を確認せず、元の場所にメニューを戻して、その動きのまま店員さんを呼び出すための、テーブルに予め設置されているボタンを押した。
そして店員さんが来るや否や、彼女はドリンクバーを二つ、注文したのだ。
「......」
「あら?もしかして何か食べたかった?」
「イイヤ、ダイジョウブダヨ......」
「そう、どうして発音がカタカナなのかは気になるけれど、まぁいいわ」
そう言いながら、彼女は席を立つ。
その彼女の行動を見て、そうすることを思い出した様に、僕は自分もドリンクバーからジュースを持ってくるために、立ち上がろうとする。
しかしそこで、鋭い言葉が彼女から僕に向けられる。
「なにしているの?」
「えっ......なにって、そりゃ......ジュースを取りに行こうかと......」
「そんなの私が持って来てあげるから、あなたは気兼ねなく座ってなさい」
そう言った後に、彼女は少しだけわざとらしく間を置いて、僕の目を見ながら、静かに小さく口元を緩ませて続ける。
「もしも逃げたら......わかっているわよね......?」
その彼女の言葉で、僕は昨日というか早朝の、あの意味のわからない殺人を思い出す。
そして思い出しながら、僕も口元を上げて、言葉もカタカナにならない様に注意して、なるべく冷静を装いながら紡ぐ。
「あぁ......うん、じゃあ......お願いします......」
その言葉の後に、静かに席に戻る僕を見届けて、彼女は踵を返して、ドリンクバーの方に向けて歩き出す。
そしてそんな彼女の後ろ姿を見て、逃げられないことを悟った僕は、とりあえずは静かに、その場に座り続けるしかなったのだ。
テーブルに置かれたジュースは、僕がオレンジジュースで、彼女はメロンソーダだった。
「どーぞ」
「あ......ありがとう」
そう言いながら、やはり普通のオレンジジュースが僕の前に置かれたことを、なんなら丁寧に、グラスにストローを刺した状態で置かれていることを確認して......
「......」
少しばかり、動揺してしまう。
僕のことを一度刺した彼女が、こんなに普通に丁寧に僕の前にオレンジジュースを置いているこの状況は、そんな事情を知らない他人から見れば普通の情景なのだろうけれど......
しかしやはり......
どうしても当事者となってしまうと、これはあまりにも異常で、異端で、ハッキリと言ってしまえば狂っているような、そういう状況なのだ。
そう思いながらも、折角持って来てもらったジュースに手を付けないのは、なんだかそれはそれでおかしい気がするから、僕は一口、ストローを通してそのオレンジ色の甘い液体を、口の中に吸い上げる。
「それで、本題なのだけれど」
そう言いながら、彼女は自分が持って来たメロンソーダには目もくれず、ただ僕の方を見つめながら、言葉を続ける。
「どうしてあなたは、生きているの?」
その彼女の問いに対して、返答できないわけではない。
むしろ僕は、その問いに対して明確な答えを持っている。
しかしながら、それを彼女に伝えるための言葉を、その答えを彼女に伝えるための、普通の人間同士がする様な会話の言葉を、僕は何一つ、この時は持ち合わせていなかった。
だからまぁ、何も言えない僕は、ただそのまま、無言のまま、オレンジジュースを飲んでいたのだ。
「......」
そんな僕を見て、彼女は少しだけ考えて、また話を切り出した。
「......いいわ、訊き方を変えましょう......どうしてあなたは私に殺されたはずなのに、こんなノウノウと大学に来て、授業を受けて、挙句には授業をサボって、可愛い女の子とファミレスでお茶をしているのかしら?」
ブフォッッ!!!
その彼女の言葉には、さすがの僕も反応するしかなかった。
そしてそんな風に反応した僕に対して、彼女は続けて言う。
「あら、ジュースが気管にでも入ったかしら?まったく、意外とそそかっしいのね」
「ちょっとまて、今の訊き方には明らかな悪意と捏造が施されているよな?」
「あら、私は全て事実を言ったに過ぎないのだけれど」
「授業はサボっていない!四限目は休講だったんだ!」
そう、あの後にあった四限目の授業に関しては、不運なことに休講のメールが来ていたのだ。
「奇遇ね、私も今日はたまたま一限目以外休講なのよ」
「うれしくないね」
「どうして?」
「言わなきゃわからないか!?」
「言わなきゃなわからないわ、こんなに可愛い女子大生があなたみたいな影の住人を逆ナンして今に至るのに、どうしてそれがうれしくないの?」
「ヒトのことを陰キャだと言いたいならそう言え!」
「私はどちらかといえば陽キャよ?」
「知らねーよ!!っていうか、あんなことをしておいて、よくそんなことが......」
しまった......
「そうよね......よかった......」
「えっ......?」
「私の覚え違いなのかと、そう思ったわ......けれどやっぱり、私はあなたに、あんなことをしたのよね?」
「......っ」
「もう一度訊くわ......どうして昨日私に殺された筈のあなたが、今こうして生きているの?」
そう言いながら、彼女は僕のことを、何の比喩も無いような、ただ真っ直ぐとした瞳で見つめる。
そしてその瞳を見て、今更言葉を切っても、口を噤んでも、既に手遅れだったことを悟るしかない僕は、やはり話すしかないのだろう。
たとえ僕が、彼女が理解できるようなそういう言葉を、今は持ち合わせていなかったとしても......
たとえ僕が、不死身の異人だということを晒すことになるとしても......
話さなかったことが原因で彼女にまた殺されることは、避けたかった。
「僕は......」
なんせ痛いのは、嫌いなのだ。
それなりに多くの他人が居る今のこの場所でするような話題ではなく、しかし殺人を犯すような女の子と、どこかしらの密室でするような話題でもない、そんな内容にしかなりえない最初の、火蓋を切るための言葉を、僕は目の前に
座る彼女に向けて、恐る恐る口にした。
「僕は......不死身なんだ......」
そしてそんな言葉を面と向かって言われてしまった彼女は、その言葉の意味を理解することが出来るまでも、納得は出来ないと言いたげな表情をしながら、その言葉を繰り返す。
「えっ......不死身って......」
「......」
次に何を言うべきかわからない僕と、何を追記して訊けばいいのかを探っているのであろう彼女との、そんな二人の間に流れる沈黙。
けれどまぁ、沈黙してしまうのも仕方がないのだろう。
誰だって目の前で、話している相手が、「自分は不死身だ」なんて言えば「コイツは何を言っているのだろう?」と、そう思うに違いない。
そうだ、そうなるのが当たり前の反応なのだ。
そしてだからこそ、その沈黙の後に彼女が再び、僕に対してこう尋ねたことも、そこまで不思議な話ではないのかもしれない。
「あなた......もしかして人間ではないの?」
......
「......あぁ......そうなるのかな.........」
そう言いながらも、僕は自分が発した言葉の温度が、さっきまでのとは明らかに違っていることに、明らかに冷たくて、ヒトのそれではなくなってしまっていることに、少しだけ嫌悪感を感じながら、自覚する。
しかしそんな僕の言葉に、まるで動じる素振りすら見せない彼女は、再び僕の存在に対して言及する。
「じゃあ、あなたは一体何者なの?普通の人間で、身体だけが不死身であることなんて、刺されても平然に、次の日に大学に来ることが出来る普通の人間なんて、少なくとも私は知らないのだけれど......」
そう言いながら、変わらずに真っ直ぐと僕のことを見つめる彼女は、僕から見ればそれだけで、異常に見えた......
いや......もっと純粋に、変な人だと思ったのだ。
だって、そうじゃないか......
彼女から見れば、明らかに化け物である可能性が限りなく高いであろう僕に対して、そんな僕に対して、こんな風に真っ直ぐと、彼女は瞳を向ける。
それはもはや、常軌を逸しているとしか言えない。
正気の沙汰とは、思えない。
そんな風に彼女のことを見ながら、何かを諦める様にして、僕は自分の正体を、不死身の異人であることを、晒したのだ。
「......僕はね、異人なんだ......」
そして晒した途端に、僕は彼女から視線を外した。
晒す筈のなかった自らの正体を誰かに晒す時、少なくとも晴れやかな気持ちにならないことは、ある程度想像出来ているつもりだった。
しかしその話す相手が、一度自分のことを包丁で刺し殺している相手だということは想像していなくて、この状況は明らかに想像以上で、そしてだからだろうか......
だからこんなにも想像以上に、この場から逃げ出したい気持ちに、衝動に、駆られるのだろうか......
そんな風に思いながら、僕は自分が飲んでいた、目の前にあるジュースに視線を落とす。
いや......この場合は視線を落としたというよりも、目の前に座る彼女から視線を外したと、彼女のことをどんな顔で見ていいのか、そんなことが分からなくなってしまったと......
そういう気持ちの方が幾分、強かったのだ。
しかしそんな僕の気持ちなど、おそらくこの目の前の彼女は考えていないのだろう。
その証拠に彼女は、彼女からすれば明らかに聞き慣れなかった言葉に対して、疑問を呈する。
「偉人って......あなた実は、とてつもなく偉大な御方なのかしら?」
「はっ??」
「まぁたしかに、不死身というのは、いわば医学の最終目標みたいな感じだろうから、たとえあなたの様な何の取り柄のない様な、凡庸な輩だろうと、不死身というその体質だけで偉人になりえるのだろうけれど......」
「待て待て待てちょっと待って......いろいろツッコミたい所はあるけれど、それよりなによりもたぶん漢字が違うというか、何もかもが違い過ぎる様な気がするから訂正させて」
「えっ、なに違うの?」
そう言いながら、彼女はキョトンとした表情で僕を見る。
そんな彼女に対して、僕は自分のことを説明するために、口を開く。
「別に僕は、偉大な人間であるところの偉人ではないよ......人間とは異なるっていうところの、異端とか、異常とか、そういう意味の、そういうニュアンスの、異人なんだ......」
「あぁ、なるほど......そういう漢字なのね」
「そう、そういう感じだ......」
そう言いながらも何かズレているような、会話の上だけだとぬぐい切れない様な違和感を、僕は彼女に感じていた。
しかしそれでも、それは些細な違いであると思うから、僕は話を続ける。
あのゴールデンウィークのことを、あの時の滑稽な、惨劇というか喜劇というか悲劇というか......
誰にも話すことはないと思っていた、あの馬鹿げた輝かしい日々のことを、僕は彼女に、一通り話したのだ。
そして話し終えた所で、少しだけ間を置いて、彼女は言った。
「ふーん、そう。だいたいわかったわ......」
「そっか......」
そのあまりにも淡白な彼女の動じない物言いに呆気に取られながらも、どう思われているのか、怖くなってしまうから、話をする時は上げていた視線を再び落として、彼女から外してしまう。
けれど話し終えて、数秒の間だけまた沈黙が流れてしまって、それが気になってしまった僕は、もう一度再び、目の前に座る彼女に視線を移す。
けれど移した先の彼女の表情は、本当にさっきまでと、何も変わらない。
そしてそんな、あまりにも変わらない彼女に、僕はつい尋ねてしまう。
「なあ、君はどうして、そんなに落ち着いているんだ?」
「えっ?」
僕から質問されたことに、彼女は軽く驚いた。
「だってこんな話、不死身とか吸血鬼とか異人とか、こんなわけのわからない話、普通なら信じないだろ......?」
その僕の問いに、彼女は少し考えながら答える。
「......そうね、たしかに普通なら信じないわ。けれども今の私は、もう目の前の自分の景色自体が、そもそも普通じゃないのよ......」
「えっ?」
「だってそうでしょう?昨日殺した相手と今ファミレスでお茶を飲んでいるなんて......こんなのどう考えても普通じゃないじゃない」
「まぁ、たしかにその通りだけれど......」
「それに私、『普通』っていう言葉自体、あまり好きじゃないのよ」
「えっ?」
その彼女の言葉に対して、僕は戸惑いながら聞き返す。
けれど聞き返された彼女は、ただ悠然とした態度で続ける。
「だってそんなモノ、育ってきた環境や境遇で、人によっては全然違うモノに変わってしまって、当てにならないじゃない。けれどそんな不確かで不安定で、意味合いが釣り合っていない様な言葉を、皆よく使うでしょ?そんなの堪らなく、気持ち悪いわ......」
「......」
その彼女の言葉に、そんな彼女の考え方に、もう既に普通ではない、異常な存在である僕は、何も返す言葉を持たぬまま、ただ無言で、それを聞いてしまう。
けれどそんな僕を見ながら、彼女は一言、僕に言う。
「それにしても、不死身って便利そうでいいわね」
「えっ......」
言い放たれた言葉に、僕は上手く反応出来ない。
「だってそうでしょう?死なない身体なんて、便利じゃない......」
僕の反応が悪かったからなのか、再び彼女は言い直す。
そして僕も、今度はしっかりと、その彼女の言葉の意味を、考えることが出来た。
だからそれに対しては、それだけに対しては、僕は明確に否定したのだ。
「いや、そんなんじゃないよ......」
そう否定した後に、僕は目の前にある、未だにコップに残っていたオレンジジュースを、飲み干した。
あの後、流石に人の数が多くなって来たファミレスで、あんなおかしな話を続けるのは気が引けたので、僕は帰宅を提案して、そして彼女はそれを、何とも素直に、快く、受け入れた。
会計はドリンクバー二人分、そこまで大きな出費でもないのに、何故か彼女は、律儀にキッチリと、小銭を僕に渡してきた。
「貴方みたいなのに、変な借りは作りたくないのよ」
さいですか......
そしてそんなやり取りを終えて、ファミレスを後にした僕と彼女はその場で別れた。
帰る彼女の後ろ姿を見て、僕も反対側に踵を返して帰ろうとする。
しかしそこで、この時間帯ならおそらく、総菜やら弁当が値引きされているということを思い出した僕は、そのまま同じビルに併設されているスーパーマーケットに入って、買い物カゴを持って、店内に来ていたのだ。
しかしながらここで、何故だかとんでもなく、不可解な事態が僕を襲う。
「あのさ......」
「なに?」
「いや、なんで居るのかなって......」
「別に気にしないでいいわよ?」
「気にするよ!さっき明らかにバイバイしたよね?」
そう、一人暮らしである僕がここに来ていることは、生活で用いる食材等を購入するためなのだから、そこまで不自然なことではなく、むしろ超自然なことだと言ってもいい。
しかしこの場で起きている超不自然な、不可解なことと言えば、先程ファミレスで話をしていた彼女が、律儀に割り勘もして、なんならバイバイした筈の彼女が、今もなお僕に付いて来ているという事だ。
「踵を返したら、あなたがスーパーに入っていく姿が見えたから、それならついでに......」
「あぁなんか買うの?」
「付き纏ってやろうかなって」
「新手のイタズラなのかな?何が目的なの??僕お金はそんなに持っていないよ???」
「安心して、そんなの最初から期待していないわ」
「......っ」
チキショー、ぐぅの音も出やしねぇ......
一体何なんだ......
何が目的でこの危ない女は、僕に付き纏うんだ......
そんな風に考えていると、彼女は僕のそんな考えを読んだのか、それともそんなことは決してなくて、ただ気の向くままに思い付いたのか......
「それに私、今日はあなたの家に泊まることにするわ」
そんな言葉を、口にする。
「はぁ......はっ!?」
あまりの唐突な、いわゆる青天の霹靂的な彼女の言動に、僕は手に持っていた目的の総菜を落としてしまう。
まぁその総菜は一応、僕が持っている買い物カゴに入ったから別に構わない。
しかし今僕の目の前では、そんなことがどうでも良くなる様なことが起きている。
「えっと......冗談だよね?」
「冗談じゃないわ、本気よ。今日私は、最初からあなたの家に泊めてもらうつもりだったのだから」
「それは絶対に嘘だよね!?明らかに今さっき思いついた感じだったよね!?」
「そんなことないわ、最初からそのつもりだったわよ?」
「それはそれでダメだからね!?僕一応男だからね!!?」
「そんな心配はしていないわ、だって......」
そう言いながら、彼女は僕の耳元に唇を近づけて、小声で言う。
「あなた一度、私に殺されているじゃない?」
その時の彼女の言葉は、さっき話していた声色よりも、明らかな冷たさを帯びていた。
その冷たさに、一瞬戸惑いながら、怯みながら、僕は何とか言葉を返す。
「......そ、そうだけれど......」
そう言いながら、次の言葉を探して僕はうろたえる。
そしてそんな僕とは対照的に、変わらずに耳元に唇を添えた態勢で、彼女は饒舌に話を続ける。
明らかに......
「それにもしかしたら私は、今日の夜中にまた誰かを、殺したくなるかもしれないでしょう?」
明らかに異常な言葉を、その声色にしたためながら......
そこまで遅い時間では無い筈の、そんな夜の帰り道。
アパートが多く建ち並ぶこの住宅街には、如何せん街灯というモノが少なくて、そのせいで時間以上に、夜道の暗さを感じてしまう。
「......」
「......」
けれどまぁ、自分の故郷である九州の片田舎に比べれば、まだまだ全然明るい方だから、別段それをそこまで気にすることは、ほとんどない。
そう思いながら、僕は先程スーパーで購入した食材が入っているレジ袋を片手に、帰り道を普通に歩く。
「......」
そしてその後ろには、数メートル離れた所には、数分前と変わらずに彼女が歩く。
「......」
そう今はそんな、街灯だとか夜道だとか、そんなどうにもならない様なことよりも、もっと他に気にするべきことが、気にしなくてはいけなくて、注意しなくてはいけないことが、僕の後ろを......
「......」
「......なに?」
「......いや、べつに......」
振り向いた先の僕の後ろを、彼女は未だに付き纏っている。
どうやら本当に、僕の部屋に泊まる気らしい......
彼女の宿泊が決め手となったあの台詞が、もしほんとうに彼女の本心であるならば、こういう風に行動した僕の判断は、正しいとは言わないまでも、少なくとも間違ってはいない筈なのだ。
いや......本心であるかどうかは、この際大した問題ではない。
なぜなら彼女は、一度僕を殺している。
彼女に一度殺されている僕は、彼女からどんな無理難題を言われたとしても、彼女に対して恐怖心がある以上、逆らうことができない。
たとえ身体の傷が治ったとしても、心の傷まで治るわけではない。
そしてその治らない傷は足枷となって、僕と彼女を、こういう形で繋げてしまう。
その事実がある以上、そして僕がそれを知ってしまっている以上、僕は彼女を、もはや簡単に一人にするべきではない筈なのだ。
もしも本当に、誰かが彼女に殺されてしまったら......
彼女が誰かを殺してしまったら......
それこそ、そんな正しくもなくて、間違っている結果は、あってはならない筈なのだ。
自分の部屋の前に辿り着いて、ドアノブに鍵を刺したところで、僕はあることに気が付いて、彼女に尋ねる。
「そういえばさ、君の名前って......?」
「柊 小夜(ひいらぎ さや)。小さい夜って書いて......小夜」
「そう......なんだ」
「何でこのタイミングで聞くのよ?」
「あぁ......そう言われると何でだろう......なんとなく、今気になったからかな......」
そう言いながら鍵を回して、僕は部屋の扉を開けた。
そしてその後に彼女は、「そう、変なの......」と言いながら、僕の部屋に入っていった。
まったくもって、その通りである。
名前なんてモノは、普通なら会話をする一番最初の段階で、なんなら出会ってから最初に聞いておくべき、最優先の個人情報だ。
それをこんな、本当によくわからない変なタイミングで気になって尋ねてしまうのは、それはそれで、なんだか失礼な気もしてしまう。
そう思いながら僕も、彼女に次いで自分の部屋に入った。
部屋に入り、スーパーで買ったモノを台所に置き、ついでに自分の教材が入った鞄も居間に置き、僕は冷蔵庫を開けて、買って来たモノを順に詰めていった。
そんな些細なことをしている間、僕の頭の中では、言い訳じみた言葉の数々が、繰り広げられていく。
そもそも僕と彼女の出会いは普通ではなかった。
名前を知る前に、僕は彼女に包丁で刺されて、殺されたのだ。
だからまぁ、名前を知らなかったことも、たまたまそれをあんなタイミングで尋ねてしまったことも、仕方がないことではあるのかもしれない。
そう思いながら、僕は買った全ての食材を冷蔵庫に入れて、ビニール袋を小さく結んで纏める。
そしてその動きのまま、居間のスペースでクッションを下に敷きながら座っている彼女のことを見て、彼女の装いを見て、気付いてしまう。
本当は、夜道の暗さや名前よりも、気にするべきだったことで、しかし彼女が誰かを殺してしまうかもしれないことよりは、もしかしたらそこまで重要ではな......くはない......
同等以上に重要なことだ。
だから僕は柊にそれを、なるべく平然を装いながら尋ねる。
なるべく、怪しくないような声色で、サラリと......
「そういえば着替えって......どうするんだ......?」
「......」
「......」
「......変態」
しまいにゃ泣くぞ......
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