第12話不死身青年と殺人鬼少女の青春Ⅲ

 着替えた後は、再び洗面台に行き、髪の毛をワックスで整える。高校時代はワックスで髪を整えて登校するなんて習慣が無かったせいか、これが未だに上手くできず、かなり手こずってしまう。


 そんな風に手ごずりながら、とりあえずはイイ感じに髪型をセットしようと、試行錯誤をしていると、後ろの方から急な言動が飛んでくる。


「それはそうとさ、どうして君は昨日、あんな所で殺されていたんだい?」


「......」


 髪の毛をいじる手を一度止めて、正しい返答を考える。


 そして考えながらも、彼についても考える。


 彼からしてみれば......


 異人の専門家で、僕を管理することを仕事の一環としている彼からしてみれば、その質問を僕にすることは、考えなくても当然のコトなのかもしれないけれど......


 しかしそれでも普通、そのとき殺された本人に対して、その時のことについてそんなに安易に、尋ねてしまえるモノなのだろうか。


 死なないだけで、不死身なだけで、別に痛みがないわけでも、苦しくないわけでもないのに......


 そんな風に彼に対して、単純に、嫌悪的な気持ちになりながらも考えた、あまりにもつまらない返答は、僕の口から零れ落ちる。


「......よくわからないんです......どうしてあんなことになったのか」


 そしてその零れた言葉に対して、彼はいつもと変わらない静かな口調で、言葉を返す。


「そっか......まぁ、わからないことを訊いても仕方がないよね.........」


「......」


「けれど荒木くん。あまり、無理をしてはいけないよ?」


「えっ......」


「不死身の異人とは言え、君はほんの前までは普通の人間だったんだ。あんな切っ掛けで、今は後天的な異人体質者になってしまっているけれど、それでも、心が身体と同じ速度で、その異質さに追い付けるとは限らない......」


「えっと......何が言いたいんですか......?」


「単純だよ、『何かあったら相談しろ』って、そう言いたいんだ」


「......」


 無言になってしまう僕に向けて、彼はそのまま言葉を続ける。


「僕はこう見えて異人の専門家なんだ。だからもしも、それ絡みのことで何かあるなら、頼れるときは頼ってくれて構わない......」


 その言葉の後の、数秒の沈黙の後に、僕は口を開いた。

 

「......そうですね、そうします」

 

 そしてそれを聞いた彼も、その僕の速度を真似て、言葉を返す。


「......あぁ、そうしてくれ」


 そんな風に、微妙に噛み合っていない様な、彼が何か勘違いをしていて、僕が何かを見落としている様な......


 そんなこの奇妙な会話は、とりあえず僕の不慣れな髪の毛のセットが終わるのと同時に、終わりを迎えたのだ。


 そして身支度を終えて外に出るとき、もういい加減、慣れなくてはいけないのかもしれないと、そんな焦燥を感じながら、その日の一限目の授業に出席するために、部屋の鍵を掛けてから、僕は大学に向けて、歩き出したのだ。



 その後、僕は講義のために大学に向かい、相模さんとは別れた。

 

 あのゴールデンウィークの時もそうだったけれど、この人は僕を管理してはいるけれど、常日頃から行動を共にしているわけではないのだ。


 むしろほとんど、僕の前に姿を現さない。

 

 しかしそれでも、姿を現したかと思えば、その時々にあった的確な助言を僕に与える。


 まるでそれまでの僕の行動を、生活を、把握しているように......


 そうやって彼は、未だにその方法はわからないけれど、そうやって僕との間に確実な距離の一線を引いている。


 はしていても、はしない


 それが彼の中にある、僕のような異人という、人間とは異なる者に対する、最大限の配慮の表れなのだろう。

 

 そんな風に......


 そんな都合の良い形で考える様に、今の僕はしているのだ。


 

 さて、一限目の授業を終えて、しかし二限目は空きコマなので、足早に早目の昼食を食べてしまおうと、僕は学食に向かう。


 この大学は、実は学食がそれなりに有名だったりもするのだ。


 しかもこの時間なら、二限目を受講している生徒が多いため、そこまで並ばずに注文を済まして、席に着くことが出来る。


 二限目が終わる御昼時の学食は、正直言って並ぶ気が失せるほどの行列が出来てしまうので、こういう日は案外貴重なのだ。


 しかも今日は、チキン南蛮定食が大盛り無料で五百円の日


 これは、金がない貧乏大学生なら、頼むしかないだろう。


「すみません、チキン南蛮定食、ご飯大盛りでお願いします」


「はーい、大盛りね~」


 そう言いながら、学食の職員が手際よく用意をしてくれた今日の昼食を、こちらも間誤付かない様にしてオボンに乗せて、その流れのままに会計の方に歩きさして、支払いを済ませる。


 そして自分が座れる席を探しながら歩くと、丁度目の前に、まったく同じ物を食べている、金髪の女の子が、そこに居た。


 そして彼女もこちらに気付き、無言のままチキンを口に頬張りながら、しかし真っ直ぐこちらに視線を向けて、小さくてを振る。


 そしてその振った手をそのまま、こちらに来るように手招きをする。


 まぁ、一緒に食べるような友人も他に居ないわけだから、別に構わないんだけれどさ......


 しかしやはり、昨日というか今日の早朝に、バイト中に刃物を突き付けられていた女の子に、友人とはいえ手招きをされると、やはり少しだけ、思うところがないわけでもないのだ。


 けれどまぁとりあえず、せっかくありつけた昼食なのだから、冷めないうちに食べるのが正解なのだろう。


 もう今の僕は普通の食事を......


 を、昔の時ほど美味しいとは、思えないけれど......



 お互いにまったく同じメニューであるチキン南蛮定食を、相対するような形で突き合わせて、互いに互いを正面に据えて、まぁ片方はもうほとんど食べ終わっているけれど、とにかくそんな感じで、僕は彼女と昼食を共にした。


 彼女......そう、彼女だ。


 深夜というか早朝というか、そんな時間帯にあんなことに遭遇した、僕のかけがえのない友人。


 名前は 佐柳 琴音さやなぎ ことね


 彼女曰く、出会ったときの深い紅色は、どうやら僕のあの行動の影響で抜け落ちたらしく、今では金というよりも黄金という言葉が似合いそうな髪色で、しかもあの時よりも今は短くなっている。


 どうやら夏だから、暑いから、鬱陶しく思って切ったそうだ。


 けれどそれのお陰で、どこか人間離れしていた彼女の異常さは、少しだけ和らげられているような、まるで普通の大学生の様な、そんな風に、今の僕には見える。


 しかも相変わらずの、彼女の華奢な体形は、きっとどんな服でも似合うのだろう。


 バイトの時とは違う、吸血鬼の時ならば絶対に着なかったであろう、肩や腕を露わにした、夏用のワンピースを当たり前のように着こなすその姿は、やはり一言で言うならば、容姿端麗という言葉が、かなりしっくりくるのだ。


 そんな彼女に、あの後あったことを全て話した。


 僕が刺されたことや、相模さんが現れたこと......


 それら全てを、隠すことなく何もかもを、彼女に伝えたのだ。


 そしてそれら全てを聞いて、数分の沈黙の後に彼女から一言、ため息交じりの言葉が僕に向けられる。


「それじゃあ結局、昨日のコト、アイツには言わなかったんだ......」


「うん、何も言わなかった......」


「ふーん......」


 その僕のつまらない返答に対して、彼女は本当につまらなそうな、退屈そうな表情で反応を返して、そしてあからさまに視線を逸らす。


 そして僕は、その彼女の行為に対して、まるで言い訳をするような声色で、言葉を探しながら、選びながら、紡いでいく。


「正直さ......あまりあの人には、相模さんには関わって欲しくないし、関わりたくないんだ......」


「そんなの、私もそう思うよ。っていうかずっと、この前までずっとそう思いながら生きてきたし......」


 そう言いながら、彼女は一口、水を口にする。


 そしてその後に、僕に現実を突き付ける。


「でもさ......多分そんなのムリじゃない......?」


「うん......たぶんもう、相模さんは把握しているんだと思う......」


 そう言いながら、視線を落として食事をしている僕に合わせて、彼女もまた無言になる。


 けれどきっと、考えていることは同じだ。


 なぜなら僕と彼女は、二ヶ月前のゴールデンウィークに、彼に対して、計り知れないほどの『恩』と『恨み』がある。


 そのことを、きっと彼女も思い出しているのだろう。


 もちろん彼は、異人の専門家である以上、それを生業としている以上、それが当たり前のことなのかもしれないし、だから彼は今朝僕に対して、『頼れるときは頼ってほしい』と、そんな言葉を吐いたのだろうけれど......


 けれどやはり、また彼に頼るのは、どうも気が進まないし、それにまだ彼に頼るには、色々と不明瞭なことが多過ぎるような気もするのだ。

 

 そんな風に思いながら、やはりあまり、普通の食事を美味しいとは思えない僕は、かなり遅い速度で食事をしながら、その思っていることを言葉にする。


「まぁ......もしかしたら昨日はさ、ただの狂った普通の人間に、琴音はたまたま刃物を向けられて、僕は刺されたのかもしれないし......」


「『ただの狂った普通の人間』って......矛盾の塊のようなパワーワードだよね......狂っている時点で普通じゃないし、刺したらなおさら異常だよ」


「まぁ、それもそうなんだけれど......」


 そう言いながら、食事を続ける僕を見て......


 っというよりも、僕が食べているチキン南蛮を見て、彼女は言う。


「ところでさ誠、あまり食事が進んでいないようだけれど、なんで大盛りにしたの?」


「だってそうすれば、夜は食べなくて済むから......」


「その考え方は危ないよ、危険だよ。食事は健康な身体づくりの源なんだから、きちんと一日三食、最低でも二食は食べなきゃ~」


「......それ、琴音が言うとなんか変じゃないか......?」


「そなんことないよ~今は心底、そう思いながら生きているよ~誰かさんのせいで~」


 そう言われてしまうと、さすがに何も言い返せない。


 冗談交じりにこんな風に言ってくれてはいるけれど、本当はこんな風に話すことが出来ない様な、そういう内容を、今彼女は僕に言っているのだ。


 そしてだからきっと、僕は次に彼女から言われた提案に対して、有無を言わさず肯定するしかなかったのだろう。


 もちろん彼女も、それを見抜いた上で、その提案を口にしたのだ。


「よかったら一口、手伝ってあげようか?」


 食いしん坊の元吸血鬼は、わざとらしく上目遣いで、そう言った。



『手伝う』という名目上、それなりの責任が彼女の中に生じたのか、それともただ単に食い意地が張っていただけなのかは知らないが、一口と言いながらも、残っていた三切れのうち二切れのチキン南蛮と、更には白飯と味噌汁までも自分の茶碗とお椀に、それぞれ半分近く移して、それはそれはご満悦な表情で、食べていた。


 まぁ、僕がしんどそうに食べるよりも、満足そうな顔で彼女が食べている方が、作ってくれた職員や、料理された食材も浮かばれることだろう。


 しかしそれでも、やはり一言くらいは言ってしまう。


「お前......太るぞ......」


「うるさい、大丈夫、吸血鬼は太らない」


「とんでもねぇ理屈だな......でもお前、実際は吸血鬼だろ?」


「いいや、今でも吸血鬼の異人だよ、まぁ二割程だけれど......」


「ほとんど人間じゃねぇか......言っとくがな、人間は成長期を過ぎると、食べたモノが腹の中に、脂肪という形で残るんだ。あんまり油断していると、そのうち取り返しのつかない体型になっちまうぞ......」


「安心して、そのときは日光浴びれば瘦せるから!」


「どういう身体の仕組みなんだそれは?」


「なんかよくわからないんだけれどね~最近は日光を浴びただけで水分だけでなく色々なモノまで身体の中から出てくる気がするんだよ。前はこんなことなかったからさ~」


「それはそもそも、昔のお前がなるべく日光に当たらない様にしていたからそう感じるだけであって、別にそれが脂肪ってわけではないだろ......っていうかそれ大丈夫なのか?」


「あー大丈夫大丈夫、別に健康的被害があるわけではないから。でもなんだ~違うのか~てっきりそうだとばっかり思っていたんだけれど~」


「人間の身体はそんな便利な構造になっていないよ。わかったら少しだけ、せめて人の物を取るのだけは......」


 そう言いながら、僕は少しだけ、言葉に詰まる。


 それを見て、変なところで言葉を切った僕に対して、琴音は少しだけ不思議そうにしながら言う。


「......ん?どうしたの?」


「あぁいや......なんでもない......とりあえず、これからはあんまり食い意地張るなよな......じゃあ、そろそろ行こう、なんか人も増えてきたし」


 そう言って僕は、食べ終わった食器を持ってその場から立ち上がる。


「えっ、あぁうん......そうだね」


 そう言いながら琴音も、同じように食器を持って立ち上がり、そして二人して、一ヶ所しかない返却場所に行って食器を返し、そのままの流れで裏口のような所から食堂を出る。


「じゃあ、僕は図書館で課題するけれど......琴音はどうする?」


「あぁ......別にいいかな~今日はもう何もないし、帰るよ」


「そっか、じゃあ......またな」


「うん、またね......」


 そう言って、僕はその場で琴音と別れて、いつも通り一人で、大学の図書館に向かった。



 あのとき琴音に対して言葉を詰まらせたのは、僕が言えた義理ではないと、そう思ったからだ。


 なぜなら僕は琴音から、大切な彼女の生き様とか誇りとか覚悟とか、そういう類の大切なモノを根こそぎ奪って、強引に奪い取ってしまって、その結果今ココにいる。


 そんな僕が琴音に対して、『人の物を取るな』とか、そんなことはやはり言えた義理ではないと、あのなんでもない様な会話の最中でさえも、そう思ってしまったからだ......



 課題の進み事態はそれなりに好調だった思うし、そもそもまだそんなに焦らなくてはいけないような、そういう提出物でもない。


 提出日までには、まだ数日の猶予がある。


 もっとも、この課題の科目自体は、期末テストの様なモノがなく、このレポート課題で点数を決めることを、担当していた講師の先生は言っていた。


 だからしっかりとした考えをまとめて、確認して、最終的に完成したモノを出せれば良い。


 だからまぁ、それくらいのモノならば、そこまで集中力を要することなく、テキトウな所で切り上げることが出来るのだ。


 しかしまぁ、だからだろうか......


 まるで見計らっていたかのようなタイミングで、図書館から出たところで、僕の携帯電話が鳴りだしたのは......


 明らかに知らない番号だったので、本当なら無視をするのが道理なのだが、しかしなぜだろう、その番号に見覚えは無い筈なのに、何故だか通話ボタンをタップしてしまった。


「はい......」


「あっ、よかった~出てくれた~」


 その声を聴いて、どうして自分が通話に出てしまったのかなんとなく理解しながら、しかしそれでもやはり、というよりか当然に、後悔してしまう。


「......相模さん、なんで僕の携帯の番号知っているんですか?教えた覚えがないんですけど......」


「いやだなぁ~僕は君のことを管理している専門家だよ~それくらいのことは教えられなくても知っているよ~」


「そうですかわかりました警察呼びますねそれじゃあ」


 そう言いながら携帯を耳元から離して切ろうとすると、それを察した相模さんは必死な声色で言葉を放つ。


「あーーーごめんごめん待って切らないでーーー割と大事な話があって電話したんだからーー」


 本当に切ってやろうかと思ったが、珍しくもなんだか重要らしいので、寸での所でとどまって、再び携帯を耳元に戻した。


「なんなんですか一体......そもそも相模さん、今何処にいるんですか?」


「あぁ~それ聞いちゃう?」


「別に興味ないですけれど、なんかこっちだけ情報握られているのはシャクなので」


 そう言うと少しだけ笑いながら、彼は言った。


「今はね~仕事で静岡に居るの~」


「絶対うそでしょ......そんな神奈川から少し離れたリゾート地みたいな所、本当に居たとしても、少なくとも仕事でとは思えないんですけれど......」


「いや本当だって~これでも結構働き者なんだよ~まぁたしかに、目の前のビーチで少しくらいは泳いだりしたけれどさ~」


「ほら、やっぱり遊んでいるんじゃないですか」


「そんなことないよ~仕事もしているって~」


「はぁ......もういいですから、要件を......」


 そう言い掛けたところで、相模さんは唐突に、僕の言葉を遮る様にして、尋ねて来た。


「それはそうと、君は佐柳ちゃんには、もう許してもらえたのかい?」


「......っ」


 その尋ねられた言葉に、どう返答するべきか迷って、しかし結局何も言えなくて、言葉を失ってしまう。


「あれ?その反応だと、まだ許してもらってないんだね~」


 あまりにも軽々しく言う相模さんの口調に、少しだけ苛立ちを覚えながら、しかしそれを悟られてはいけないと思い、僕は冷静を装いつつ慎重に、言葉を紡ぐ。


「......当たり前でしょ......そもそも、許してもらえなくて当然のことを、僕は琴音にしたんです。そんな簡単に、水に流して良いような話じゃないんですよ、アレは......」


 そう言いながら、僕は二ヶ月前の、あの時のことを思い出す。


 思い出しながら、その現場の一部になった、あの高い大学施設を見上げる。


 そしてあんな所から落ちて、まだ生きている自分が、やはり少しだけ怖く思うのだ。


 しかしそんな僕をよそに、この大人は無責任なことを言い出す。


「べつに、アレはもともと佐柳ちゃんの方にも、少なからず責任がある様に見えるけれどねぇ。だから全部が全部、全面的に君が悪いとも言えないような気がするけれど?」


「......」


「それに、喧嘩両成敗って言うじゃないか。とっとと仲直りして、夏休みは皆で海でも行こうぜ!」


「そんな気になれませんって......そもそも仲直りしても、海は厳しくないですか?」


「何を言っているんだい!海に行かずしてキャンパスライフの青春は成り立たないじゃないか!!」


「いいえ、明らかに一人だけおっさんが混じっていますよね、それ......」


「それに君等と一緒なら、経費で海水浴が出来る!!」


「完全に相模さんの私利私欲じゃないですか!!そんな理由で海に行きたくないですよ!!」


 そう言うと、電話越しの相模さんは「えぇ~つまんねぇ~なぁ~」とか言いながら、そこからさらに二三言くらい文句を言っている。


 それがあまりにも聞くに堪えない幼稚なモノだったので、僕はさっき遮られた言葉を再び、相模さんに投げ掛けた。


「それはそうと......結局何で、わざわざこんな昼間に、相模さんは僕に電話をしたんですか?」


 そしてその投げ掛けた言葉で、相模さんはようやく、「あ~そうだったそうだった」とか言いながら、本題の話を始めたのだ。



「あーそうだったそうだった、忘れるところだったよ~いやちょっと、異人絡みで面白い話なんだけどねー」


 そんな風に、さながら何かの世間話でも始める様なノリで、電話口の専門家は話し出す。


「荒木君さ~って、知っているかい?」


 その言葉を聞いた途端、ドクンッと、自分の心臓が跳ねるような苦しさが、身体の内側を叩いた。


 そしてそのせいで、少しだけ、恐る恐る、相模さんに聞き返してしまう。


「殺人鬼......ですか......?」

 

「そう、殺人鬼。むやみに人を殺す鬼のような悪人って意味の、謂わばオーソドックスなタイプの異常者のこと」

 

「いいえ、そこまで詳しく言わなくもわかりますけれど......異人なんですか......それって......?」


「異人なんだよねーこれが......」


 そう言いながら、少しだけ声色を重くする相模さんに、僕も耳元をすましながら言葉を返す。


「......そうなん、ですか......」


「うん、前にも話したと思うけど、異人って言うのはさ、姿形が人間であったとしても、人間とは決定的に違う、特異的な体質や性質を持った者のことを言うんだ」


「はぁ......それは知っていますよ。だからあの時の琴音や今の僕が、その異人っていうのに分類されていることも......人間じゃないってことも、理解は出来ます」


「そう理解してくれるなら、そこまで難しい話でもないよ。だってそれは言い換えれば、姿ってことになるんだから。だからその場合、殺人鬼の異人が居たとしても、別におかしな話ではないんだ。むしろ居て当然、異人としては珍しくもない存在なんだよ......」


「......」


 その相模さんの言葉に対して、僕は何も言えず、聞き入るしかなかった。


 そしてそれを察したのか、さらに相模さんは続ける。 


「普通、人が人を殺す時って、少なからず何かに対しての憎悪やら殺意やらがあるモノだろ?まぁ君が前に遭遇した通り魔は、たぶん憎悪の方だろうね。もっとも、それは上手くいっていない自らの人生に対してで、君に対してではないだろうけれど......」


 そう言われてしまうと、たしかにそんな気もしてしまう。


 なんせその頃は、今と違って誰かに恨まれる様な、許されないことはまだ何も、していなかったのだから......


「けれど殺人鬼の異人には、そういうは、一切存在しない。むしろあるのは、好奇心や探求心に近い様な.....もっと簡単に言ってしまえば、かな」

 

「欲求......ですか......」

 

「そう、欲求。『食事をしたい』とか『気持ち良く眠りたい』とか『異性と交流したい』とか......殺人鬼にとって『殺人』は、そういう類の、抑えられないような存在して当たり前の、衝動に等しいモノなんだよね......」


 相模さんのその説明から......いや、相模さんから殺人鬼という言葉を聞いた時から、僕は昨晩の『人を殺したくて仕方がない』という、とてつもなく身勝手な理由で僕を刺し殺しておいて、真っ白なハンカチを投げて去っていったあの女の子を、否応もなく、思い出してしまう。


「まぁ、仕事仲間から聞いた噂程度の代物だから、そうらしいってことしか言えないんだけれど、とりあえず、用心するに越したことはないからね~」


 その相模さんの台詞は、どことなく何かに勘づいている様な気がしたので、僕は聞き返す。


「用心する必要が......やっぱりあるんですか?」


「そりゃあね、だって一応、君も異人なんだから、類は友を呼んじゃうかもしれないでしょ?」


「うーわ、あり得そうな最悪な理屈なんですけれど、それ......」


 そう言うと、相模さんは少しだけ笑う。


「ハハッ、まぁでも人間であろうとなかろうと、殺人鬼に遭遇する確率なんて、運が悪い意外に、本来ゼロに等しいモノだと思うから、あまり心配する必要はないよ、でもやっぱりさ、さっきも言ったけれど、用心するに越したことはないからね。伝えとくよ~」


「はぁ......そうですか......わかりました、用心します......」

 

 そう言って、僕のその言葉を最後にして、電話を切った。


 本当は言わなければいけないことなのかもしれないが、けれどやはり、今の段階であの女の子が、相模さんの言う『殺人鬼の異人』であると断定するには、やはり些か、情報が不足している気もしてしまう。


 それにそもそも、もうあんなのと遭遇することは、余程の不幸か不運でない限りは、あり得ないだろう。


「はぁ......」


 しかしやはり、酷く大きなため息は出てしまう。


 そういえばいつの間にか、図書館から離れて、食堂から見える中庭のテラス席に、僕はずっと座っていた。


 べつに何かを意識していたわけではなく、むしろ無意識に、あの夜の日に相模さんと話した場所を、僕は選んでいたのだ。


 そしてそんな、大学の中庭にある椅子に、背中を預けて傾けて、青空を見上げる。


 こんな時だというのに、空は腹が立つほど綺麗なモノで、それに今日は、久しぶりに猛暑では無い日中なのだ。


 だからだろうか、真夏に似合わない、涼しげな風が吹くたびに、考えること自体を放棄したい気分になってしまうのは......


「まぁ、考えても仕方ないんだけれどさ......」


 そんな風に、ため息の跡をなぞる様に嘆いた独り言に対して......

 

「なにが考えても仕方ないの?」


 まさかそんな、何かしらの言葉が返ってくるとは思わなくて......


「えっ......?」


 そしてその声に、なんとなく覚えがあるだけに、昨日聞いていた声に似ていただけに、僕は恐る恐る、声のする方に視線を向けて、態勢を立て直した。


 そしてそこに居たのは......


「ところで、あなたはどうして、生きているのかしら?」

                     

  似ているどころか完全に同一の......


 殺人鬼の、女の子だったのだ......

 

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