第9話大学生青年と吸血鬼少女の強奪Ⅷ
この場所は、あまりにも寒かった。
時刻はとっくに、深夜を通り過ぎて朝日が昇る手前の時間だ。
これは相模さんからのアドバイスである。
『家に帰り、夕食を済ませたら、布団で寝て、そして朝日が昇る直前に、それを持って、この場所に行けばいい、そうすれば君は、彼女に会える。そして彼女に会って、それを使って、君が決めたことを、やればいいさ』
そう言いながら渡された、新聞紙に包まれた物と一緒に渡された小さな紙切れには、ある場所が記されていた。
こんな所に、こんな時間に、女の子が一人で居るのは、それはあまりにもおかしなことだと、普通では考えられないことだと、そう思った。
けれど......
もしもその女の子が『吸血鬼の異人』という存在ならば、きっとそれは異常なまでに、正常な光景なのだろう。
月の姿は見えなくとも、空の冷たい空気と、彼女の姿があまりにも、それがあまりにも、似合い過ぎているのだから......
だからきっと、今彼女はこの場所に居て、然るべきなのかもしれない。
そう思いながら、階段を登り終えた先に視線を移すと、やはり彼女はそこに、風を感じるようにして立って居た。
そして僕は、そんな彼女に声を掛けた。
「琴音さん、こんな所で何をしているの?」
その僕の声に気付いた彼女は、振り返り、少し驚いた表情をした後に、言葉を紡ぐ。
「なんで......なんで君が、ココに居るの......?」
「そんなの、決まっているでしょ?琴音さんを探しに来たんだよ......だからさ......」
そう言いながら、僕は彼女に一歩近づく。
しかしそうすると、彼女は二歩程退いて、僕が近づくことすら拒む。
「ダメだよ......来ないで......」
「どうして......?」
「どうしてって......もう知っているでしょ?私は、人を殺したんだよ......」
「うん、知っているよ......僕を刺した通り魔を、あの場で、殺したんでしょ?」
そう僕が言うと、彼女はまた二歩程後ろに退いて、そして僕とは視線を合わせずに、弱々しい声で言う。
「そうだよ......殺したんだよ......今まではちゃんと、上手くやっていたのに、それなのに、それなのに私は、あの一瞬だけはどうしても......どうしても抑えられなかった......」
「それはどうして......?」
「......わからない......けれど誠の血を見た途端、自分の中の何かが切れたの......何かが切れて、抑えられなくて、気が付いた時には殺してた......」
そう言いながら、夜の冷気に靡く彼女の髪は、残酷なまでに綺麗だった。
だけどこれから僕が彼女にしようとすることは、どんな風に見方を変えても、どんな風に考えたとしても、きっと彼女が望んでいるような結末には、ならないのかもしれない。
それに本当は、こんなことはするべきではないのだろう。
こんなことをすれば、もしかしたら彼女は、僕を一生許さないかもしれない。
こんなあからさまに、全部のルールを捻じ曲げる様なやり方......
一生恨まれて、一生呪われるのかもしれない。
けれど......
それでも......
そう思いながら、僕はまた一歩、彼女に近づく。
しかしそんな僕を見て、彼女はまた僕のことを拒む。
「だから......来ないでって言っているでしょ......嫌なんだよ......また自分が抑えられなくなって、今度は誠のことまで、殺してしまうかもしれない......だから......」
その彼女の言葉の切れ目で、僕は彼女に、相模さんから渡された、冷たい鋼のそれを、拳銃を、突き付けたのだ。
「えっ......」
その僕の姿を見て、本日二度目の驚きの表情をする琴音さん。
けれどその表情は、さっきのよりも複雑な、それだった。
その彼女の顔を見て、僕は言う。
「知っているよ......だから今こうして、僕は君のことを、殺しに来たんだ」
そう言いながら、心無い台詞を言いながら、僕はちゃんと銃弾が装填されるように操作して、しかしそれをしながら、変わらず彼女には銃口を突き付ける。
「誠が......私を殺すの......?」
「そうだよ、もう君とは一緒に居られない......この拳銃には銀の弾丸が入ってる。唯一吸血鬼の異人を殺せる道具だと、相模さんから預かった。これなら確実に、君を殺せる......吸血鬼である君と一緒に居れば、もしかしたらまた暴走して、他の誰かを殺してしまうかもしれない。そうならないようにするために、僕が君を殺すんだ......」
淡々と、誰かに誂えてもらった様なその台詞を言いながら、自分で説明したその銃弾を、その銃口を彼女に向けながら、僕は彼女の瞳を、じっと見る。
そしてそんな僕を見て、彼女は僕から一度視線を外して、下を見る。
しかし数秒の沈黙の後、彼女が再び顔を上げると、そのときの彼女の表情は、今までのどんな彼女よりも、穏やかな表情をしていたのだ。
そして一言、添える様な声で彼女は言う。
「そっか......誠が......誠が殺してくれるんだね......」
その彼女の言葉に、彼女の表情に、僕は少しだけ、決心が鈍りそうになる。
拳銃は重く、腕を上げているのが辛くなる。
二人の間を吹く風は、冷たくて、しんどい。
しかしそんな僕とは反対に、涙を瞳に貯めながら、何かが吹っ切れた様な彼女の表情は、やはり変わらず、綺麗だった。
「じゃあ......たのむよ......」
その彼女の一言が、まるで予めに、僕と彼女の間で交わした、申し合わせた何かの合図のようになって......
僕は吸血鬼の異人である彼女に向けて、引き金を引いたのだ。
引いた引き金は、銃口から発射された弾丸は、たしかに彼女を貫いた。
そして貫かれた彼女は、その弾丸の勢いのまま後ろに倒れて、その倒れた先には何もなくて、ただの空中だけが、空気だけが、広がっていた。
そしてそんな彼女を見て、彼女を貫いた弾丸を発射した拳銃を投げ捨てて、人間とは明らかに異なった身体能力を駆使して、僕はただ空中に投げ出される彼女の身体を、後ろに回り込みながら抱きかかえるようにして、支えたのだ。
そしてそうすれば、そうなってしまえば、僕等二人の身体は必然的に、そのまま空の中に投げ出されてしまう。
投げ出された二人の身体は、重力加速度的に落下速度が増した状態で、それこそミサイルのような状態で、高い大学施設の屋上から地上に向けて、落下した。
落下したことで、アスファルトの地面に大きなヒビが入る。
体質的に普通の人間よりも頑丈な、中途半端ではあるけれど異人である僕ならば、落下した先の地面がたとえそんな状態になったとしても、普通の人間よりも負担するダメージは少なくて、そしてそれは、たとえ一人の女の子を抱えていたとしても、同じことなのだ。
しかし彼女の方は、僕が彼女に向けて発射した弾丸が、彼女の身体をたしかに貫いて、彼女の吸血鬼の異人としての部分は、明らかに瀕死の重症なのだ。
あの時と、同じように......
僕と彼女が最初に出会った、明らかに完全に、彼女が全面的に加害者で、僕が被害者だったあの時のように、今は彼女の方が、死にかけている。
だから僕は、あの時彼女が僕にしたであろう行動を、今度は僕から、彼女にしたのだ。
彼女が僕にしたこと......
それは僕から、半分の人間性を吸い取って、そして自らの異人性を、相手に流し込んだあの行動。
ずっと気になっていたことではあった。
どういう行動をすることで、彼女が僕に対してそんなことが出来たのか。
正直これが正解かは、自信がない。
けれど確実に言えることは、あのときは人間の血を、あのときはまだ完全な人間だった僕の血を、彼女は吸血していないということだった。
ファミレスのときに、彼女のことを管理していた相模さんは、たしかに言っていた。
『たしかに彼女は、生きている人間から直接吸血を行ったことは一度もない』
あの言葉が真実なら、あの時はまだ微かに生きていた筈の、人間であった僕の血も吸っていないということになる。
それなら......そうだとすれば......そうだとしたら......
彼女が僕にしたことは、自ずとこういうことになるだろう。
馬鹿げているように見えるけれど、きっとこうだろう。
「ごめんね......琴音さん......」
そう言いながら、僕はなるべく、そっと触れるようにして......
彼女の唇を、奪ったのだ。
数日後の、ゴールデンウィーク最終日。
僕は大学構内の喫煙所で、相模さんと相対していた。
僕等二人以外居ない喫煙所。
間には、換気扇と灰皿が組み込まれている大きなテーブルがあって、壁はおそらく煙草のヤニのせいなのだろう、黄色く汚れている。
そしてその壁にも、黄色く汚れた、見慣れたタイプの換気扇。
どうやら喚起に関しては、しっかりとした設備が整っているようだ。
そんな場所で、彼は胸元のポケットに閉まってあった煙草の箱から一本取って、それを口に咥える。
そして火をつけて、一息吸って、吐き出すタイミングで、あの日のことを口にする。
「まぁ、理にかなっていたとは思うよ。口というのはそもそも、栄養を取り込むための、消化器官の最前端だ。その構造の仕組みを利用して、君の残っていた人間性を流し込むことは、案外そこまで難しいことでもないのかもしれないよね......」
そう言いながら相模さんは、煙を吐く。
そしてさらにもう一服、煙を吐きながら、煙草を口にしない癖に喫煙室にいる僕に向けて、そのまま言葉を続ける。
「けれどまさか、死にかけていた彼女の、吸血鬼としての異人性までも吸い取ってしまえるとはね......完全な異人ならまだしも、君の様な中途半端な異人にそんな芸当が出来るとは......正直驚きだよ......」
そう言って、彼はまた煙草を咥えなおして、僕を見る。
そしてそんな彼に対して、僕はとてもバツが悪い気持ちになって、視線を背ける。
あのときの......
あの行為の裏側を知っている人間は、彼しか居ない。
彼女の口を通して、彼女が持っていた異人性を吸い取ったあの行為。
それをするためにはどうしても、吸血鬼の異人としての彼女には、死にかけてもらう必要があった。
だから僕は、相模さんから渡された、銀の弾丸が装填された拳銃の引き金を、彼女に向けて、彼女の急所に向けて、引いたのだ。
バツが悪そうにしている僕を見て、相模さんが笑いながら言う。
「そんな顔をするなよ、荒木君。すべてちゃんと、君が思う通りに、事は進んだんだろ?だったらもっと、嬉しそうにしてもいいんじゃないかい......?」
その言葉に対して、僕は視線は合わせずに、しかし返答の為に口を開く。
「それでも......」
「......」
「それでもやっぱり......あれは僕の勝手な......身勝手な行為だったのかなって......そう思ってしまう感情もあるんです......だって......」
だってあの日、彼女はきっと、死のうとしていたんだから......
確認したわけではないけれど、きっとあの屋上は、ここら辺で一番朝日が差し込む場所なのだろう。
だから彼女は、吸血鬼である彼女はあの日、あの僕と初めて会った日も、あの屋上に居たのかもしれない。
おそらく死ぬために、朝日に焼かれて死ぬために、あの場所に居たのかもしれない。
そう考えてしまうと、彼女の言動にも納得できる。
唐突に、人間に戻りたいかを僕に尋ねた時の、あの言葉。
『まぁでも、誠は人間に戻れるから、大丈夫だよ』
『あぁ、保障するよ』
パンケーキ屋に向かった時に話した、彼女のあの言葉はきっと、そういう意味だったのだろう。
だってそれなら......
今回のことが、そういうことに当てはまることを、相模さんから説明されたわけではないけれど、けれどこういう設定は......
『呪いを掛けた術者が死ねば、呪いが解ける』なんて設定は、結構使い古されているじゃないか......
それならもう、あの日からきっと彼女は、吸血鬼の異人としての佐柳琴音は、自ら命を絶つことを望んでいたのだ。
そこまでの考えを一通り相模さんに伝えると、彼は少し笑いながら言った。
「まぁ、その通りなんだけれどね......吸血鬼の異人としての異人性が半分になったとしても、おそらく朝日に照らされていれば、焼かれて蒸発することはなくとも、灰になってはいただろうから......それをするために、朝日が出る直前に、あんな場所に居たとすれば、たしかに合点がいく......」
そう言って一本の煙草を吸い終えて、彼は二本目に手を伸ばす。
そして二本目に火を着けたところで、さらに話は続く。
「それで君は、君の勝手な感情で、『琴音ちゃんに生きていて欲しい』っていう、そんな身勝手な願望で、彼女から『異人として死ぬ権利』を奪ってしまったと......そんな風に、考えているのかい?」
「......」
あまり口を開くと、煙草臭い煙が口から、身体の中に入るから......
だから僕はこの時、無言で、視線で、その彼の言葉を肯定した。
あの彼女の唇を奪った行為は、同時に彼女から、異人としてこの世を全うする生き方を、彼女の生き様を、奪ったことになるのだ。
そしてそれと同じくらいの強さで、僕は彼女に、生きることを強いたのである。
その結果、今の彼女の状態は、およそ全体の五分の一が異人で、残りの五分の四が人間という、今までよりもさらに不安定な状態となってしまったらしい。
一体何を指しての『全体』なのかは、知る由もないけれど......
相模さん曰く、『ほとんどは人間の異人』という存在だそうだ。
「まったく......拷問だよね......」
そう言って静かに笑う相模さんの横で、僕はまたなんともいえない、バツの悪い感情になってしまう。
そしてそんな風に黙り込んでいると相模さんは、どこからともなく拳銃を取り出して、その銃口を僕の額に向けて......
そして何の躊躇もなく、引き金を引いたのだ。
二人しか居ない喫煙所の中には、煙草臭い臭いと、血生臭い僕の臭いが合わさって、最悪の悪臭が完成する。
ヤニで汚れた黄色い壁に、僕の鮮血が飛び散る。
しかし次第に、額を撃たれたことで飛び散った僕の血は、ただ色を薄くして、まるでマジックインクの様な消え方をして、臭いも残らない。
そしてそれと同じくらいの速さで、僕の撃たれた額も、傷口が塞がるように、治るような形で再生するのだ。
「ほんとうに不思議だよね......」
「......」
「吸血鬼の様な、高い身体能力があるわけでもなければ、太陽だったりする弱点らしい様なモノもありはしない。外見は本当に、ただの普通の人間......なのに......」
死なない。
何をされても、何をしても、僕は死なない身体に、なってしまったのだ。
「まぁ、琴音ちゃんの方の五分の四が人間だとすれば、君の中の五分の四は異人なのだろうけれど......それでも、ただ不死身なだけの異人というのは、今までに全く前例がないんだよね......」
そう言って、吸い終わったのであろうか、二本目の煙草の火を消して捨てて、そして僕の血がなくなったことを確認して、僕等二人は扉を開けて、外に出た。
外は晴れ晴れとした、快晴で、しかしながらやはりその天気を、僕は気持ち悪いと思ってしまう。
けれどそう思うのは、きっと僕が、もう明らかに普通の人間では無いからだろう。
そう思って空を見上げていると、隣に居た相模さんが、僕に声を掛ける。
「それじゃあ、今日はもう帰るよ。君の状態、とりあえず現状はそれなりに把握出来たし、これからも管理するつもりだから......まぁ、今後ともよろしくね、 荒木 誠 君」
そう言いながら、去ろうとする相模さんの姿を見て、僕はついとっさに、彼に尋ねてしまう。
「あ、あの......」
「ん......?」
「そういえば訊きたかったんですけれど......どうして僕が、琴音さんを死なせない為に動いてることを、あなたは知っていたんですか......?」
そう僕が言うと、彼は不敵に笑って言い返す。
「......そんなの、
「はい......?」
「琴音ちゃんが君と通り魔にしたことは、本来は人間と異人との関係性を著しく害した行為だから、御法度のペナルティを受けてもらうつもりだったんだ。けれどもう、そんなのは必要ないくらいに、彼女は罰を受けた」
「罰......ですか......?」
「言っただろ、拷問だよねって......」
「あっ......」
「吸血鬼の異人としてしか生きてこなかった彼女にとって、これから先の、『異人とは違う生き方で生きる』というのは、拷問以外の何物でもないよ」
その言葉に、僕は少しだけ怖くなって、少し前を行っていた相模さんを追いかけて、さらに訊いてしまう。
「僕はこれから、どういう風に、琴音さんに接すればいいんですかね......」
そう言うと、相模さんは吹き出すように笑う。
「フハハッ......あーごめんごめん、まさかそんな、中学生みたいなことを僕に訊くとはね......」
「いや......だって......」
「あぁ悪い悪い......そうだなぁ、とりあえずは......」
そう言いながら、相変わらずこの人は、からかう様な声色で、歩きながら、僕に話を続けたのだ。
その後、僕はその足で、彼女がアルバイトを始めたコンビニに足を運ぶ。
大学からほど近い、『目の前』と表現するのが妥当なくらいの立地で存在するこのコンビニは、朝から夜まで休みなく、閉店することなく、二十四時間営業し続けているようだった。
まぁ、こんな目の前に大学があるのなら、昼も夜も、それこそ丑三つ時の様な夜中も、学生をはじめとする多くの人が利用するのだろう。
そんな誰もが利用するコンビニで、彼女は今働いている。
血液以外のモノを、昔よりは幾分、美味しく食べられるようになったから、とりあえずは働いて、お金を稼いで、何か美味しいモノを食べようと、そういうことらしい。
普通自分が今までとは違う存在になったら、自分が望まない形で生きていたら、もう少し戸惑って、何も出来なくなるようなモノだけれど、そうはならずに、「じゃあとりあえず働くかって」なるのは、なんだか変態的な気もするけれど、ある意味彼女の長所なのだろう。
けれどそれでも......
当たり前だけれど、僕のことは許さないと、そう言われた。
まぁ、それくらいのことは覚悟した上で、僕は彼女にあぁいうことをしたのだから、仕方ない。
「いらっしゃいませー」
そう言いながら、彼女は僕が来たことを確認すると、少しだけ嫌そうな顔をしながら、レジで仕事をする。
そんな彼女のもとに、僕はサンドイッチを二個とペットボトルの飲み物を二本、持って行った。
持って行くと、接客をしているとは思えないような声と表情で、僕に言う。
「何しに来たんだよ......」
そんな風に言われたので、僕も同じように、言葉を返す。
「買い物だよ......ここはコンビニなんだから、当たり前だろ......」
「あぁ、それもそうだね......」
そう言いながらレジを打って、値段が表示される。
四点で大体八百円程だ。
「有り金全部置いて行け」
「随分と斬新だな、まぁ今はそんなに手持ちがないから、ほとんど有り金全部だけどさ......」
「おつりは?」
「いるよ」
「いるの?」
「いるよ!」
そう僕が言うと彼女は、渋々二百円程のおつりを手渡す。
そして渡しながら、小声で彼女は言う。
「あと十分ほどで終わりだから、店の前で待ってて......」
バイトを終えて外に出ると、彼女は何時ぞやの白い大きめのパーカーを、ワンピースのように着て現れた。
あの綺麗な深紅色の髪は、今では色が抜けた様な、しかしながらそれでも、煌びやかな金髪だ。
よくバイト先で許可を貰えたモノだと、思ってしまう。
おそらく何かの力が働いたのだろう。
「それで、私に何の用......?」
「えっ?」
「何か用があったから、来たんでしょ。じゃなきゃ、わざわざ誠がバイト先に来るなんてあり得ないじゃん」
「ハハッ......とんだ言われようだな......」
しかしまぁその通りだから、あまり言い返せない。
別に恋人でもない女の子のバイト先に......っというか恋人だとしても、わざわざバイト中の所に赴いたりはしないだろう。
そう思いながら、僕は相模さんに、最後に言われたことを、とりあえず彼女と歩きながら、伝えたのだ。
伝えたことは、シンプルだったと思う。
本来彼女が、専門家から受けるはずだったペナルティがなくなったことと、その理由、それと......
「その......ごめん......なさい......」
「何が......?」
「僕は君の気持ちを無視して、君に生きることを無理矢理強いた。それは多分、本来君が受けるべきだったペナルティよりも大きな罰になるって......まるで拷問だよねって......相模さんに言われたんだ......」
「......言われてから気付いたの?」
「うん......」
「じゃあ、もうしばらくは許さない......」
そう言った後に彼女は、静かな瞳で、僕のことをジッと見つめる。
そこに言葉はまるではなく、しかしながら睨みつける様なそれでもなく、ただ静かに、僕に対して視線を送る彼女を見て、『目は口ほどに物を言う』なんて言葉があるけれど、本当にその通りなんだと、そう思った。
そして僕は、そんな彼女の瞳に対して納得して、しかしそれでもやはり、こういう風に、言葉にするしかなかったのだ。
「うん、そうだよね......でも......ごめん......」
「......」
そこから僕と彼女は、無言になった。
もう何も話すことがないと、たぶん僕だけでなく彼女も、そう思ったからだ。
最後の最後に、相模さんが教えてくれた情報も、多分今言ったとしても意味がない。
彼女が殺した通り魔が、小学生までも手に掛けていたクズだったと......
異人の様に人間から逸脱した存在でなくとも、ほんとうに悪い、言ってしまえばこの世から居なくなってしまった方が良い様な、そんな人間だったと......
そんなことを教えたとしても、もう意味なんてないのだ。
「じゃあ私、こっちだから......」
「あぁ、うん......」
そう僕が言うと、彼女は「じゃあね」と言って、僕とは反対の方向へ歩き出す。
しかし歩き出す彼女を見て、僕は思い出した。
あぁ、そうだ......
そういえば相模さんは、僕が彼女とどう接するべきかを尋ねたとき、「とりあえず」って、こんなことを言っていたな......
そんなことを思い出して、僕は彼女のことを、大きな声で呼び止める。
「琴音!!」
そう言うと、彼女は驚いた様な顔をして、こちらを振り返る。
そしてその表情に向けて、僕はまた大きな声で言う。
「またな!!」
そう言うと、彼女は少し笑って、小さく手を振って、こう答えた。
「うん......またね」
その時の彼女の表情には、ほんの少しだけだけれど、人の様な温かみを、たしかに感じることができた様な、そんな気がしたのだ。
こうして僕の、人間としての生き方を奪われて、異人として生きることになった僕の、そして異人としての死に方を奪われて、ほとんど人間として生きることになった彼女の、そんな互いが互いの、大切でかけがえのない何かを奪い合った日々は......
そんな僕と彼女の、輝かしい黄金色の奇跡のような日々は、たしかに幕を閉じたのだ。
吸血鬼の異人であった琴音に、中途半端過ぎるくらいに中途半端な、不安定な存在になることで生きることを強引に強制した僕のこの先の生活は、きっと普通よりも異常で異端な、大変なモノになるのだろう。
それは相模さんも、あのとき言っていた。
僕にあの拳銃を渡したときに、彼は言っていた。
けれどそれでも......
そうだとしても、僕は彼女が異人として死ぬことを、彼女の望みが叶うことを否定して、彼女が持っていた異人としての生き方を、無理矢理乱暴に強奪したのだから......
だからこの先の僕がどういう風になろうが、どんな仕打ちをされようが、そんなことはきっと、些細なことなのだ。
だからとりあえず僕は、明日からの平日を、何の変哲もない日々を、中途半端な存在ではあるけれど、彼女から奪い取ることで得た不死身で......
『不死身の異人』として生きて行こう。
花の大学生活は、まだ始まったばかりなのだから......
まぁ、死に花を咲かせることは、無理だろうけれど......
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