第8話大学生青年と吸血鬼少女の強奪Ⅶ
相模さんが僕に手渡した紙切れは、新聞紙だった。
そしてそれが新聞紙であるならば、おのずとそれには、必然的に記事の内容が書かれていたのだ。
もっとも、このとき相模さんが僕に手渡した紙切れが、本当にただの、何も書かれていない白紙の新聞紙なら話は別だが、しかしそこには、見出しであるのだろう、色彩に富んだ大きな文字で、こう書かれていたのだ。
『横浜の夜、吸血鬼あらわる!!連続通り魔を殺害か!?』
その紙切れを見て、そして相模さんの言葉を訊いて、僕は数秒、おそらく本当の意味で、息を吞んだ。
「これって......」
そう言いながら、言葉を失う僕に向けて、相模さんは淡々とした口調で言葉を紡いで、僕に事の顛末を説明してくれた。
あのあと、僕が殺された直後に、相手の通り魔の男性は首を吹き飛ばされてしまったらしい、しかしそれを見た周囲の人間は、あまりにも起きたことが異端すぎて、あまりもその光景が異常過ぎていて、まるでそれが、映画か何かの撮影だと思い込んだ人間の方が多くて、すぐに警察や救急車を呼ぶことを判断できた者は、ほとんど居なかったらしいのだ。
しかしそれでも、誰が見ても明らかな首無し死体と、不意を突かれて刺された僕の醜態と、通り魔の首を吹き飛ばした吸血鬼の異人である琴音さんが、その場にそんなモノが三つも居れば、それこそ必然的に、その場はパニックの中心になり果てる。
そしてその場がパニックになった直後、琴音さんはその場から、人間では考えられないような身体能力を駆使して、姿を消したのだ。
そしてその結果が、この新聞記事である。
昨日のことを一通り話した相模さんは、その口調のまま僕に言う。
「琴音ちゃんの状態は、謂わばバランスを保っていて、どちらにも倒れない天秤のような状態だった」
「天秤......ですか......」
「あぁ......片方には君から吸い取った人間性、そしてもう片方には、元からあった、吸血鬼の異人としての異人性だ。けれど君が刺されて殺された現場を、一番近くで目撃した彼女は、そのときの君の血液を、一番近くで目の当たりにした彼女は、彼女の中にあったその半分の吸血鬼の異人性を、一気に膨れ上がらせて、暴走したんだ」
「......」
無言で俯いている僕は、そのときの彼の言葉でようやく、相模さんが言っていた、『自覚的であるべきだ』という言葉の意味を、言葉の真意を、ここまでのことが起きてからようやく、理解できた。
つまり彼は、こう言いたいのだ。
そのときの通り魔が、そのときの人間が、そのときの吸血鬼によって、そのときの異人によって、首を吹き飛ばされて殺されたのは......
人間が異人に殺されたのは......
異人が人間を殺したのは......
まぎれもなく、中途半端な存在である僕のせいだと、そう言いたいのだ。
その後、相模さんはとりあえず、行方を眩ました琴音さんの捜索のために、僕の病室を後にした。
そして僕は、ただ病室で一人きり、取り残されて、ベッドの上に横たわっていたのだ。
まぁ病院に居る以上、患者として病室に居る以上、そうする以外の選択肢は最初から僕には存在しないから、だからまぁこれは、当然といえば当然の結果なのである。
しかしそれでも、先ほど相模さんが言ったように、僕の外傷は塞がっていて、内傷に関してもまた、まったく問題がないだろうということなので、だから僕は、言うなれば健康的な身体でそのまま、病室のベッドに横たわるしかなかったのだ。
そして健康的であるからか、二日も寝たきりだった僕は、ただ横たわりながらも、思考は止まらず、様々なことに対して巡らせていた。
二日も寝ていたのなら、ゴールデンウィークは残り少しだろうか......
大学の授業はいつからだっただろうか......
そういえば休み明けは一限の授業だったはずだから、寝坊してはいけないな......
金もないから、何かバイトをした方がいいだろうか......
でも大学の課題が忙しいからな......
「......琴音......さん......」
まるで彼女とは関係のない、様々なことに思考を巡らせていたはずなのに、それなのに、相模さんが居なくなった病室で、最初に自分の口から出た言葉は、まぎれもなく、彼女の名前だった。
そしてそうすると、そうしてしまうと、彼女のことを次々と考えて、彼女の言葉を次々と、思い出してしまうのだ。
けれど思い出す彼女の言葉は、何故かとても朧気で、脆くて、少しでも触り方を間違えると割れてしまう様な、そんなガラス細工のように、うすくて透明なそれだった。
それほどまでに、もう彼女のことが、自分の中では、過去のコトになりつつあるのだろう。
自分が殺されたせいで、もしかしたら彼女は今、大変な状況になっているのかもしれないのに......
それなのに、当事者であるはずの僕が、こんなにも彼女のことに対して熱を持てていないのは......
こんなにも彼女のことを、脆く捉えてしまっているのは......
こんなにも、中途半端で居るのは......
きっと自分が、完全な人間ではないからとか、半分異人だからとか、そういう話ではないのだろう。
もう......そういう風に、何かの境遇のせいに出来る事態では、とっくにないのだ。
「これは......僕のせいなんだな......」
僕は自分が吐いたその独り言を、ようやく吐けたその言葉を確かに聞いて、ここまでのことがあってからようやく、荒木誠という青年が、そんな自分自身が最初から、『中途半端な奴』であるということを、自覚したのだ。
その日の夜、僕は病院を抜け出した。
病院を抜け出して、まず最初に向かった場所は、自分の家だった。
何処に彼女が居るのか、そんなことに関して何かしらの手掛かりを持っているわけでもない僕は、それでもまず、二日間ただ寝て過ごしてしまった為に身体に染み付いた病院特有の臭いを洗い流したくて......
だからまずは、自宅に戻ってから服を脱いで、それを洗濯機に放り投げて、ガスの電源を付けたら、その動きのまま、ただいつもと同じようにシャワーを浴びたのだ。
そしてお湯を浴びながら、僕は考える。
彼女が居るとしたら何処なのか、ただただ考える。
まぁ考えて、そして何かしらの答えが出たところで、そこに彼女が居る保障なんてモノは、あるわけがないのだけれど......
けれどそれでも、そうすること以外の選択肢が、今の僕にはないのだ。
彼女のことについて考えて、彼女のことを探して、見つける。
そうすること以外の選択肢が、そうすること以外に、僕が彼女に対してするべきことが、今はどうしても、思いつかない。
「行くか......」
そう自分に言い聞かせながら、シャワーから流れ出るお湯を止めて、部屋に戻り服を着て、そして大して髪も乾かさずに、僕は足取りもそのままに、また外へ繰り出した。
東白楽から電車に乗り、とりあえずは横浜駅に向かった。
抜け出した時間が、夜の中ではまだ大分早い時間帯だったから、電車が動いていたので、それに何の躊躇もなく乗り込んだ。
乗り込んだと言っても、それに向かうと言っても、東白楽から横浜までの道のりなど、せいぜい二駅くらいしか電車に乗らないから、席に座ることはなく、端に寄って立ちながら、携帯でネットニュースを開いて、何か琴音さん絡みのことで新しい情報が更新されていないかを、調べたのだ。
しかし残念ながら、いや......もしかしたら不幸中の幸いと言うべきなのだろうけれど、吸血鬼が何かをしたという情報は得られなかった。
それどころか、新聞にまで取り上げられた、僕が刺されたことが切っ掛けで起きた琴音さんの騒動すらも、事実ではなくて、新聞社の自作自演なのではないかと、そんなことを言い出す輩も出て来ていたのだ。
それほどまでに......
それほどまでにその時の光景は、あまりにも異端で、あまりにも異常で、そしてあまりにも、化け物染みていたのだろう。
そしてそのせいで、その時の事実は、きっとねじりにねじれて、あらぬ形に姿を変えて、違う誰かに伝播する。
そして伝播した先で、また違う形に変えられて、事実とは異なるモノに姿を変える。
そう思うと、そう考えると、本当の姿というのは、本当のコトというモノは、きっと何処にも存在しないのかもしれないと、柄にもなくそんなことを、このとき僕は、考えてしまったのだ。
「ん......?」
横浜に着いたタイミングで、携帯がメッセージを受信した。
LINEのようなアプリのそれではなくて、電話番号を通して送られてくる、いわゆるショートメールである。
そしてそこには、見知らぬ番号が表示されたそのメッセージの内容には、知らないわけがない彼女の名前が記されていたのだ。
しかもたちが悪いことに、内容はこうである。
『琴音ちゃんの居場所がわかった。とりあえず神大の、中庭のテラス席に来てくれ』
そのメッセージを見て、僕はなるべく、なにも考えないようにして、すぐに目の前の、逆方向の電車に乗ったのだ。
横浜駅から文字通りのとんぼ返りをして、しかしながら駅員に電車賃のことを説明するのも面倒だった僕は、わざと東白楽の駅から一駅乗り過ごし、白楽駅で下車した。
東白楽駅とは違い、下車した先がそのまま商店街に繋がっている白楽駅は、ゴールデンウィーク中である今でも、学生らしき人達の姿を多く見られた。
しかしながらその中に、なけなしの期待感で探してはみるけれど、やはり彼女の姿を見つけることは出来なくて、だから僕は、本当にあのメッセージの指示通りに、大学に向かうことになったのだ。
夜の大学構内には、人は一人も居なかった。
ゴールデンウィーク期間中では、構内の電源を全て落として、停電状態にするらしいから、きっとそのせいで、普段は居るであろう警備の人達の姿も、なかったのだろう。
「やぁ遅かったね。待ちくたびれたよ......」
そう言いながら、『専門家』の男は中庭のテラス席に座りながら、煙が出ている煙草を口に咥えて、僕をじっと見据えていた。
いつぞやにも聞いた同じような台詞を、場所は違えど、再び大学構内で聞くことになるとは思っていなくて、しかしこの状況を、目の前の専門家の彼は、全て余すことなく知っていたかのような......
やはり相模さんのことは、そんな風に見えてしまうのだ。
そう思いながら僕は、目の前に座りながら僕を見据える彼に対して、とりあえずの苦言を呈した。
「テラスは禁煙ですよ......相模さん。吸うならせめて、喫煙所に行って下さい......」
「固いことを言うなよ、今は僕と君しか居ないだろ?」
「モラルの話をしているんです。大学構内でそんな風に堂々と、喫煙所でもない場所で煙草を口に咥える人は、どうかしていますよ......」
「まぁたしかに、それは紛れもなく正論だね。じゃあまぁここら辺で......」
そう言って、彼は自分が持っていた缶コーヒーの空き缶に、おそらくはまだ半分近く残っているであろうそれを、何の躊躇もなく捨てた。
そしてその動作のまま、彼は再び僕に視線を移して、言う。
「それにしても、良い表情じゃないか。ようやく自分が、荒木誠という青年がどういう奴なのかを、自覚したようだね」
「......そうですね、ようやく自覚しましたよ。あまり喜ばしくないことに、自分は根っからの、性根からの、『中途半端な奴』ってことに......」
そう言いながら、僕は相模さんが座る席にほど近い、しかしながら正面とは言えないような席に、腰を落ち着かせたのだ。
「そうだね、それは間違いなく君の性格だよ。そしてそれが、君の異人としての体質と性質に影響した......」
そう言いながら、相模さんは僕を見る。
人間を見るような視線で、異人である僕を見ながら、彼は言葉を続ける。
「性質や体質、それにその人の習慣、歴史、トラウマ、その他諸々......異人という者達は皆同様に、それに相応しい切っ掛けが存在する。まぁ今回の場合は、それがあまりにも直接的過ぎたから、君がどういう人間なのかなんてことに、最初は目を向けられないでいたけれど、それについては僕の凡ミスだ。まったく......初心忘るべからずなんて言葉は、本当に肝に銘じておくべきだと、心からそう思った」
そう言いながら笑う彼に対して、僕は言葉を返す。
「けれど次に会ったっとき、あのファミレスのときには、相模さんは僕に、誰しもが自分を自覚するべきだと、そう言いましたよね......」
「あぁ、言ったよ......それに君に対して、『他人事』という言葉も使った」
「あんなのじゃ分かりませんよ......普通」
そう言うと、相模さんはニヤリとしたいつもの表情で、言葉を返す。
「もうとっくに、普通ではないだろ......」
「......」
そしてその彼の言葉に対しては、僕は何も返すことが出来なかった。
多分あの言葉は、彼女のことに対して語っていたように聞こえたあの言葉は、本来僕があの場で、ちゃんと受け取らなくてはいけないことだったのだ。
まるで琴音さんのことを言っていた彼の言葉の矛先は、時間を掛けなくとも、あの時からちゃんと、僕の方に向いていた。
言葉の裏では、『君も彼女のように』自分に対して自覚的であるべきだと、そう言いたかったのだろう。
そしてそれがわかれば、僕が彼女の行為によって、半分異人で半分が人間の存在になった理由も、こんなイレギュラーな存在になってしまったことの理由も、すぐにわかることだったのだ。
「けれど分かっただろ?考えてみれば当たり前のことなんだ。どんなに直接的に、君のことを異人にしようとしても、それでは、それだけでは、成立しない。もしもそんなことが簡単に成立してしまったら、この世は君のような化け物で、溢れ返ってしまうよ......」
そう言いながら、僕を見つめる相模さんの瞳には、怪訝そうに彼を見つめる僕の姿があった。
僕のことを躊躇なく化け物と呼ぶこの人には、僕という存在は、荒木誠という存在は、一体どのように見えているのだろうか......
けれどたしかに言えることは、少なくとももう僕は、誰から見ても、自分から見ても、確実に人間ではないということだった。
僕はもう、人間とは決定的に、異なってしまったのだから......
「それで......琴音さんは結局、何処に居るんですか?」
「その前に一つ、確認したいんだけれど......」
そう言いながら、相模さんは座っていた自分の席を立ち上がり、そして僕の方を見て、その動きのまま、その緩やかな口調のまま、僕に尋ねた。
「君はあの子を見つけて、一体どうするつもりなんだい?」
その彼の問い掛けに、僕は即答したい気持ちを抑えながら、なるべく同じような口調のまま、言葉を返す。
「......そんなの......決まっているじゃないですか......」
そう返した僕を見て、相模さんはまた笑う。
「決まっている......ね......君のその口調なら、君がこれから彼女に会ってやろうとしていることも、なんとなく予想できるな......まったく、若いっていいよね」
「......」
「けれど本当にいいのかい?本来なら関わらないような、関わるべきですらないような、彼女のような存在に対して、たかだか数時間程度の考えで行動を起こして......きっと後悔すると思うよ?」
「......」
「少なくともこれから先の、この大学での四年間は、周りの他人達の様に、普通に過ごすことは出来なくなる......それでも君は、君が言うその『決まっていること』を、するつもりなのかい?」
軽快に足を運ばせながら、緩やかに歩きながら、それと同じ様な口調で警告を促す相模さんを、対照的に同じ場所に座り続けながら、僕は見ていた。
そしてその状態のまま、重苦しい自分の口を開いて、言葉を返す。
「......何を言われたとしても、僕は僕がするべきことをするだけですよ......たとえそれで、これから先の生活が大変なモノになって、後悔する時が来たとしても、何もしないことで、今後悔するよりは、ずっといい......」
もうとっくに、意志は固まっていた。
たかだか数時間程度の考えだとしても、それをするべきは自分以外居ないということを、何よりも先に、理解したからだ。
彼女と過ごした時間は、もう変わりようがない過去になって、自分の中で思い出になっていて、短い間のゴールデンウィークの日々は、たしかにあった。
そんな彼女が、今こういう行為をしてしまっている要因が、その原因が、紛れもなく僕という、荒木誠という存在にあるのだから、それを清算するべきは、僕以外ありえないのだ。
表情を変えずに、余裕を持て余した様子の相模さんは、僕を見ながら、彼の近くに置いてあった鞄から、新聞紙で包まれた何かを取り出して、それを僕に手渡しながら言う。
「......そうかい、それならもう、何も言わないよ......」
手渡されたその言葉には、包まれていた物の温度よりも冷たい何かが、たしかにあった。
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