第7話大学生青年と吸血鬼少女の強奪Ⅵ

 矛盾が生じてしまう恐れがあるので、予め言っておくと、僕は彼女のことを、とても綺麗で特別な存在だと、それは間違いなく、今でも思っているのだけれど......


 なんだろう、それはなんとなく、そう理解しているに過ぎないのだ。


 欲求だとか、下心だとか、色気だとか、そういうモノをまだ、微かになんとなく感じることが出来る筈なのに......


 それなのに、ただ綺麗なモノを、綺麗だなって......


 僕は彼女に対して、そういう風な気持ちにしか、ならないのだ。


「ねぇ......」


「えっ?」


 考え込んでいたところに、不意に声を掛けられたから、一瞬だけ思考が鈍くなる。


「誠、私に話があるって言ってたでしょ?何の話?」


「あぁ、うん......」


 一拍置いて、少しだけ言葉を考えて、話し出す。


「昨日さ、あのあと相模さんに会ったんだ......」


「えっ、アイツに会ってたの?」


 そう言いながら、彼女の視線は厳しく、冷たく、鋭さを増す。


「あっ......」


 言葉選び大失敗。


 彼女にとっては、名前を出すべきではない人の名前を、僕は真っ先に言ってしまったのだから......


 しかしこの話は、やはりあの専門家である相模さんの名前を出さない事には始まらない。


 だから僕は、その彼女の視線に臆せずに、そのまま話を続ける。


「うん、昨日あの後の帰り道、偶然会って、そのあとファミレスで少しだけ話をしたんだ」


「偶然?へぇーそれで?」


 明らかに不機嫌な態度をとる彼女に、やはり僕はそのまま話を続ける。


「うん、吸血鬼の異人がどういう存在で、そしてこれから先、琴音さんや僕が、どういう風になってしまう恐れがあるのかも、多分全部ではないけれど、粗方訊いたんだ」


 そう言うと、彼女は少しだけ表情を真剣なそれにして、口を開く。


「そう......それで、誠はそれを訊いて、怖くなっちゃったの?」


 その彼女の言葉に、僕は何故か、とても素直に返事をした。


「......うん、そうだね。怖くなった......」


 そう言いながら、僕は彼女の視線を見つめる。


 その見つめた視線に、彼女が合わせながら話してくれる。


「そっか......そりゃそうだよね......」


「うん......まだ全然、自分が人間ではなくなったなんてこと、ちゃんと自覚はしていないけれど、でも......それでも緩やかに、けれどたしかに、だんだんとそれがわかるんだ......」


 それをわかってきているのに、そのことにすら、なんにも感じなくなっていっている気がするのも......


 そういうことも全部含めて、僕は怖いと思っているのだろう。


 途切れている会話の糸を結び直すようにして、彼女は紡ぐ。


「そっか......でもね、誠......」


「......」


 そのあとの彼女の言葉を、僕は何も言わずに、ただ待った。


 けれどこのあと、彼女から言われたその言葉の意味が、このときばかりは本当に、こんなことを言われることを予想していなかったから、わからなかったのだ。


「私もね......怖いんだ......」


 それは僕が、彼女から初めて聞いた、弱音だった。



「怖いって......琴音さんが......?」


 そう言いながら、僕は彼女の瞳越しに映る自分を見ていた。


 それが見えるくらい、いつの間にか近くに彼女が居て、僕が居たのだ。


「うん、怖いよ......すごく怖い......」


 静かな声で、静かな表情で、彼女は言う。


「でも、そんな風には見えないよ......君は楽しそうに振る舞っている」


「そりゃあ、そもそもこんなことになったのは私のせいなのに、君に変な気を使わせるわけにはいかないでしょ?それに、楽しいのも事実だよ。普段は絶対に出来ない様なことを、今はしている」


「それって、一昨日や昨日みたいなこと?」


「うん......そもそも普段は、日が出ているうちは、あまり外に出られないんだ、でもそういう所って、遅くても夕方か、夜の六時には閉店するでしょ?それに人があんな多い所で食事をしたり、映画を見るなんて、普段の私には許されていないから......」


 そう言いながら、彼女は静かに、僕と合わせていた視線を外す。


 そしてその表情は、自分が吸血鬼の異人であることを、否応なく、自覚しているようだった。


 昨日相模さんが言っていことを、彼女は言われなくとも、そうしている。


「でも......やっぱり怖いよ。人間を襲う確率が、普段より限りなく低い今だから、いつもと違うことができるけれど、それって普段の私にとってみれば、なことだから......」


「そうなの?」


「そうだよ。人間の食べ物をそれなりに美味しいと感じることも、流行りのお店や映画を楽しむことも、それに眠くなることだって、普段は絶対に、あり得ないことなんだから......」


 その彼女の言葉で、僕はこの部屋に入ってからの、彼女のあの最初の行動の理由について、納得することが出来た。


 それどころか、どうして彼女がこの場所を選んだのかも、なんとなく、納得できたのだ。


「もしかして琴音さん、眠かったからホテルを選んだの?」


「えっ、うん。そうだよ」


 だからって、ラブホはどうかと思うけれど......


 そんな風に考えていると、その僕の考えを読んでいるような言葉を、彼女は続ける。


「だって安かったし、それに私、普段眠ることをほとんどしないから、部屋にベッドとか寝具が全然ないんだよね。だから今のこの体質になっている間に、試してみたかったんだよ」


「試すって、ベッドを......?」


「うん」


「ちなみにそれの感想は?」


 そう尋ねた僕の言葉に、意外にも彼女は割とすぐに、微笑を浮かべながら、肯定の反応を示した。


「うん、悪くない」


「......そっか、そりゃよかった」


 その彼女の反応に、少し戸惑いながら、僕はそう返した。


 戸惑ったのは、彼女が言った『怖い』が、そのときの彼女の反応からは、感じることが難しかったからだ。


 でもこれはきっと、吸血鬼だからとか、人間だからとか、そういうのではないのだろうと、それだけはわかった。


 一人の女の子として、佐柳琴音はそういう子なのだろうと、それを理解できたのだ。



『悪くない』と彼女が言って、『そっか、そりゃよかった』と僕が返したところで、部屋の照明が、通常のオレンジ色から、淡いピンク色に変わった。


 恐らく時間によって、自動的にその時間に適した照明の色に変わるシステムなのだろう。


 詳しくはわからないけれど、そんなモノなのだろうと、僕はテキトウに考えて、それをそう捉えたのだ。


 しかし琴音さんは、それに対して珍しそうな反応を示して、その反応のままベッドの方に行き、色々なスイッチをテキトウに押し始めた。


 暗い青色、幻想的な緑色に、ミラーボールの様な光の装飾。


 押しながら様々な照明を、彼女は試す。


 そして試しに試した結果、最終的に彼女が選んだ色は、暗く、しかし確かな、赤色の照明だった。


 それを選んだところで飽きたのか、それとも本当に、彼女がその照明を気に入ったのかは知らないが、そこから部屋の色が変わることはなくて、そして僕はそうなることを、なんとなく予想していたような、そんな気がしたのだ。


 どうしてなのかはまるで、見当がつかないけれど......


 ベッドの方に居る彼女に、僕は言う。


「あのさ琴音さん......一つ訊いてもいいかな」


「なに?」


「......吸血鬼の異人って、本当に不死身なの?」


「......」


 尋ねた僕の質問に対して、彼女は珍しく無言だった。


 いつもならそれが当然のような感じで言葉を返す彼女が、このときは何を返して良いのか、何を言い返していいのか、言葉を見つけられないでいるような、そんな感じに僕には見えた。


「......琴音さん?」


 そう僕が彼女の名前を言うと、彼女は僕から視線を外しながら言う。


「......そうだね、たしかに不死身だよ。まぁ不死身っていうのが、どういう定義なのかにもよるけれど......」


「......それって、どういう意味?」


「......そうだね、例えば私が誰かに刺されたりしても、身体はその傷をすぐに修復してしまうから、死ぬことはない......とかかな......」


「......それって、つまり身体の細胞の、自然治癒力が異常に高いってこと?」


「っというよりも、もっと分かりやすく言えば、吸血鬼の異人の身体は、常に健康的な身体を維持しているって感じなんだ。だから傷の治りが異常に早いし、それに常に健康的だから、病気にもなりようがないんだよ......だからまぁ、結果的には『不死身』ってことになるんだろうね......」


 そう言いながら、逸らしたままの視線を、彼女は珍しく泳がせる。


 まるで何か、知られたくないことを知られてしまったような、そんな反応を僕に見せる。


「......そう、なんだ......」


 けれど僕は、このときどうして彼女がそんな反応をしたのか、まるでわからなかったのだ。



「琴音さん、もう出ようか......」


 そう僕が言うと、彼女は逸らして、泳がせていた視線を、ようやく僕に合わせてくれて、静かな笑みを見せながら、「そうだね」と言った。


 たぶんお互いに、この場所に居るのはもう、潮時だと思ったのだろう。


 身体を重ねたわけではないけれど、それでもこれだけ言葉を交わして、深いところまで話をすれば、今まで以上に彼女のことを、吸血鬼の異人のことを、知れた気がしたのだ。



 外に出ると、当たり前だけれど、もう暗くなっていた。


 それでも横浜の駅前には、まだ全然人が居て、むしろこれからの方が人は増えそうな、そんな感じの夜だった。


 そういえば今日は、まだ夕飯を食べていない。


 半分が人間で、半分が異人である僕は、元が普通の人間だから、いつもよりは空腹や食欲をあまり感じないけれど、琴音さんの方はその逆だ。


 元が完全な、吸血鬼の異人だから、もしかしたら彼女は僕以上に空腹を感じていると、そう思った。


「どうする、何か食べる?」


 後ろを付いて歩く彼女に、僕は尋ねる。


 その僕の言葉に対して、どういうわけか彼女は少しだけ、何かを考えるような間を空けて言った。


「......あぁ、そうだね~何食べよっか~」


 そう言いながら、僕たちは駅の柱の近くに立って、彼女は自分の携帯を見て、お店を探し始めた。


 そしてそんな彼女を見て、僕は思った。


 なんだ......普通の言葉が返ってきた......


 あんな話をさっきしたばかりで、普段は無いような間があったから、てっきり何か普通じゃない言葉が返ってくるのかと、そう思っていた。


 それだけに、彼女のその彼女らしい反応に、少しだけ拍子抜けしてしまう。


 けれどそれは、思いの外僕の方が、そういうことを意識してしまっているだけなのかもしれない。


 まだきっと、自分の中に半分、彼女が流し込んだ異人があることに、慣れていないのだろう。


 そういえば......


 今まで他のことを気にしていたから、あまり気にはしなかったけれど、彼女は一体どうやって、死にかけていた僕の中から人間性を吸い取って、彼女の異人性を流し込んだのだろうか......


 彼女はどうやって、僕を人間ではない『何か』に、したのだろうか......



 ドスッ......



「っ......」


 そんなことを考えながら、今更ながらそんなことに疑問を持ちながら、琴音さんがお店を探し終わるのを待っていると、突然後ろから、鋭利な何かを刺し込まれた様な感覚が走って、しかしそれとは不釣り合いの鈍い音が、自分の内側から発生したのも、たしかに分かったのだ。


 そして振り返ると、背中の所には帽子を深く被った見知らぬ男が、ピッタリと張り付いていた。


 そしてその後に、寒気に似た何かと確かな痛みが、差し込まれた所を中心にして、血液と共に身体の外に流れ出る様な、感覚が全て、自分の身体の中から引きずり出されてしまったような、そういう不快感に襲われたのだ。


「あっ......」


 自分の右腕を、自分の身体から出たのであろう赤い血が染め上げて、それを見てようやく理解して、そして遠くの方では、見知らぬ女性の悲鳴が、聞こえた気がした。


 そういえばいつぞやのニュースでは、通り魔のことを報道していたような、そんなことを思い出したりもしながら......


 僕はその場に、ただ倒れるようにして、殺されたのだ。



 意識を取り戻すと、目の前には見覚えのない白い天井が広がっていた。


 そして視線を動かすと、身に覚えのない布団と衣服に包まれている僕の身体が、そこには確かにあった。


 自分の顔を手で触れて、その手を自分のモノだと認識するように天井に掲げて、そこまでのことをしてようやく、「......死んでいなかったんだ......」と呟いて、理解した。


 そしてそう理解したところで、僕は声を掛けられたのだ。


「やぁ、目が覚めたかい。荒木君」


「えっ......」


 聞き慣れたわけではないけれど、それでも聞き覚えのあるその声の方向に、僕は身体をゆっくりと起こして、視線を向ける。


「相模......さん......?」


「おはよう......って言っても、もう夕方だけどね......」


 そう言いながら、彼は座っていたパイプ椅子から立ち上がり、僕の表情を見ながら少し笑う。


 そしてそんな彼に対して、僕は戸惑いながら言葉を返す。


「......おはよう......ございます......えっと......どうして、相模さんが......?」


 そう僕が尋ねると、彼は表情を変えぬまま、そして僕が今の状況を理解していないことを、彼は理解しているから、それをそれなりの声色で、僕に話す。


「あの日刺された君は、救急車で運ばれて、この病院に搬送されたんだよ、けれどさすが、吸血鬼の異人の体質を半分貰い受けているだけある。刺された箇所の傷は、もうこの二日間ですっかり塞がっているし、それ以外に目立った外傷は無し、それにその様子だと、内側の方も健康なんだろうね。まったく、知ってはいても、こうしてそれを目の当たりにすると、恐ろしいモノがあるよ......」


 その相模さんの言葉の、気になった所だけに対して、僕はさらに尋ねた。 


「......僕は、二日も寝ていたんですか......」


「あぁ、けれど本来なら、一生目を覚まさなくてもおかしくないくらいに、刃物は深く、君の身体に刺さっていたそうだよ」


「そう......ですか......」


 なんだろう......


 こうして病院の衣装を着て、ベッドに横たわっているのだから、今説明されたことが、自分のことであることはたしかな筈なのに......


 それなのにどうして僕は、こんなにも他人事のような感覚になるのだろう......


 そんな風に思考を巡らせていると、そんな僕に対して相模さんは言う。


「やっぱり、君は相変わらずの、他人事なんだね」


 そう言いながら、相模さんやはりいつもと変わらずの、何処かに必ず余裕を据えている様な微笑を、口元に覗かせるのだ。



「他人事......そんな風に、見えますか......?」


 そう言いながら、僕は相模さんの方を見た。


「あぁ、そう見えるよ。ファミレスで話した時よりも、さらにもっとね......君は自分に起きていることに対して、あまりにも感度が鈍すぎる。まるで君に起きていることなのに、君は何も関係がないような、そういう風に僕には見えて、仕方ない」


 そう言いながら、相模さんは僕の方を見た。


「それは......」


 そう言いながら、僕はあのとき相模さんに言われた言葉を思い出して、それをそのまま、彼に尋ねた。


「僕がまだ異人というモノに対して、自覚的ではないからですか......」


 そう尋ねると、相模さんは僕のその言葉に対して、少しだけ間を置いて、しかしながら表情は変わらずに、僕に言葉を返した。


「そうだね。けれど異人を半分流し込まれて、たった数日が経過しただけの君に、彼女と同じくらいの自覚的な意識は求めていないよ。けれど、それでも君は、あの日あの場所で、殺されるべきではなかったんだ」


 そう言いながら、相模さんは僕を見る。


 随分と理不尽なことを言われている筈なのに、そのときの相模さんの言葉には、そのときの相模さんの視線には、どうしてなのかはわからないが、今までには感じたことがないような説得力が、たしかにあったのだ。


 しかしその言葉が、やはりあまりにも理不尽だということはわかるので、僕は反論を述べるべきだから、言葉を探して、それを口にする。


「そんなの......僕にどうにか出来るわけがないじゃないですか。いきなり後ろから、何の前触れもなく、知らない男に刺されたんです。そんなのに対して、一体どうやって、僕が対処できたって言うんですか......」


 その僕の言葉に対して、相模さんは頭を掻きながら言う。


「ちがうよ、荒木君。そういう話はしていない......」


「だったら、相模さんは一体、何の話をしているんですか......」


 そう尋ねた僕を見据えて、少しため息を吐きながら、相模さんは言う。


「僕はね、最初からそんな次元の、の話はしていないんだ。僕がしているのは、たとえ半分だとしても、君が異人である以上、君が完全な人間とは異なる以上、あんな場所で、あんなに完全な人間が多い、いわゆる公衆の面前で、しかも元は完全な吸血鬼の異人である、琴音ちゃんの目の前で、君は、殺されるべきではなかったんだ......」


 そう言って、相模さんは僕に、ポケットから出したある紙切れを手渡して、そしてその手渡した動作のまま、彼は唐突にこう言った。


「琴音ちゃんの居場所が、わからなくなった」


 その言葉の意味を理解するのに、僕はさらに数秒の時間を、必要としたのだ。







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