それはもう大昔からきまっているのだ。人間には絶望という事はあり得ない。人間は、しばしば希望にあざむかれるが、しかし、また「絶望」という観念にも同様にあざむかれる事がある。正直に言う事にしよう。人間は不幸のどん底につき落され、ころげ廻りながらも、いつかしらいちの希望の糸を手さぐりでさがし当てているものだ。それはもうパンドラの匣以来、オリムポスの神々にっても規定せられている事実だ。楽観論やら悲観論やら、肩をそびやかして何やら演説して、ことさらに気勢を示している人たちを岸に残して、僕たちの新時代の船は、一足おさきにするすると進んで行く。何の渋滞も無いのだ。それはまるで植物のつるが延びるみたいに、意識を超越した天然の向日性に似ている。

 本当にもうこれからは、やたらに人を非国民あつかいにして責めつけるような気取ったものの言い方などはやめにしましょう。この不幸な世の中を、ただいっそう陰鬱にするだけの事だ。他人を責めるひとほど陰で悪い事をしているものではないのか。こんどまた戦争に負けたからと言って、大いそぎで一時のがれのごまかしをねつぞうして、ちょっとうまい事をしようとたくらんでいる政治家など無ければ幸いだが、そんなあさはかな言いつくろいが日本をだめにして来たのだから、これからは本当に、気をつけてもらいたい。二度とあんな事を繰り返したら世界中の鼻つまみになるかも知れぬ。ホラなんか吹かずに、もっとさっぱりと単純な人になりましょう。新造の船は、もう既に海洋にすべり出ているのだ。

 そりゃ僕だって、いままでずいぶんつらい思いをして来たのです。君もご存じのとおり、僕は昨年の春、中学校を卒業と同時に高熱を発して肺炎を起し、三箇月も寝込んでそのために高等学校への受験も出来ず、どうやら起きて歩けるようになってからも、微熱が続いて、医者からろくまくの疑いがあると言われて、家でぶらぶら遊んで暮しているうちに、ことしの受験期も過ぎてしまって、僕はその頃から、上級の学校へ行く気も無くなり、そんならどうするのか、となると眼の先がまっくらで、家でただ遊んでいるのもお父さんに申しわけがなく、またお母さんに対しても、ていさいの悪いこと並たいていではなく、君には浪人の経験が無いからわからないかも知れないが、あれは全くつらい地獄だ。僕はあの頃、ただもうやたらに畑の草むしりばかりやっていた。そんな、お百姓のをする事で、わずかにお体裁を取りつくろっていた次第なのだ。ご承知のように、僕の家の裏には百坪ほどの畑がある。これは、ずっと前から、どうしたわけか僕の名前で登記されているらしいのだ。そのせいばかりでもないけれども、僕はこの畑の中に一歩足を踏みいれると、周囲の圧迫からちょっとのがれたような気楽さを覚えるのだ。この一、二年、僕はこの畑の主任みたいなものになってしまっていた。草をむしり、また、からだにさわらぬ程度で、土を打ちかえし、トマトにそえを作ってやったり、まあ、こんな事でも少しは食料増産のお手伝いにはなるだろうと、その日その日をごまかして生きていたのだけれども、けれども、君、どうしてもごまかし切れぬ一塊の黒雲のような不安が胸の奥底にこびりついていて離れないのだ。こんな事をして暮して、いったい僕はこれから、どんな身の上になるのだろう。なんの事はない、てもなく癈人じゃないか。そう思うと、ぼうぜんとする。どうしてよいか、まるで見当も何もつかなくなるのだ。そうして、こんなだらし無い自分の生きているという事が、ただ人に迷惑をかけるばかりで、全然無意味だと思うと、なんとも、つらくてかなわなかったのだ。君のような秀才にはわかるまいが、「自分の生きている事が、人に迷惑をかける。僕は余計者だ。」という意識ほどつらい思いは世の中に無い。

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