七
姉さん。
だめだ。さきに行くよ。
僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです。
生きていたい人だけは、生きるがよい。
人間には生きる権利があると同様に、死ぬる権利もある筈です。
僕のこんな考え方は、少しも新しいものでも何でも無く、こんな当り前の、それこそプリミチヴな事を、ひとはへんにこわがって、あからさまに口に出して言わないだけなんです。
生きて行きたいひとは、どんな事をしても、必ず強く生き抜くべきであり、それは見事で、人間の
僕は、僕という草は、この世の空気と
僕は高等学校へはいって、僕の育って来た階級と全くちがう階級に育って来た強くたくましい草の友人と、はじめて
僕は下品になりたかった。強く、いや強暴になりたかった。そうして、それが、
僕は下品になりました。下品な言葉づかいをするようになりました。けれども、それは半分は、いや、六十パーセントは、
いつの世でも、僕のような
人間は、みな、同じものだ。
これは、いったい、思想でしょうか。僕はこの不思議な言葉を発明したひとは、宗教家でも
この不思議な言葉は、民主々義とも、またマルキシズムとも、全然無関係のものなのです。それは、かならず、酒場に
けれども、その酒場のやきもちの
人間は、みな、同じものだ。
なんという
なぜ、同じだと言うのか。
けれども、この言葉は、実に
イヤな言葉だと思いながら、僕もやはりこの言葉に
弱いのでしょう。どこか一つ重大な欠陥のある草なのでしょう。また、何かとそんな
姉さん。
信じて下さい。
僕は、遊んでも少しも楽しくなかったのです。快楽のイムポテンツなのかも知れません。僕はただ、貴族という自身の
姉さん。
いったい、僕たちに罪があるのでしょうか。貴族に生れたのは、僕たちの罪でしょうか。ただ、その家に生れただけに、僕たちは、永遠に、たとえばユダの身内の者みたいに、
僕は、もっと早く死ぬべきだった。しかし、たった一つ、ママの愛情。それを思うと、死ねなかった。人間は、自由に生きる権利を持っていると同様に、いつでも勝手に死ねる権利も持っているのだけれども、しかし、「母」の生きているあいだは、その死の権利は留保されなければならないと僕は考えているんです。それは同時に、「母」をも殺してしまう事になるのですから。
いまはもう、僕が死んでも、からだを悪くするほど悲しむひともいないし、いいえ、姉さん、僕は知っているんです、僕を失ったあなたたちの悲しみはどの程度のものだか、いいえ、
僕の自殺を非難し、あくまでも生き伸びるべきであった、と僕になんの助力も与えず口先だけで、したり顔に批判するひとは、陛下に
姉さん。
僕は、死んだほうがいいんです。僕には、
そうしてただもう、自分の家からお金や品物を持ち出して、ママやあなたを悲しませ、僕自身も、少しも楽しくなく、出版業など計画したのも、ただ、てれかくしのお
姉さん。
僕たちは、
姉さん。
この上、僕は、なぜ生きていなければならねえのかね? もう、だめなんだ。僕は、死にます。らくに死ねる薬があるんです。兵隊の時に、手にいれて置いたのです。
姉さんは美しく、(僕は美しい母と姉を
姉さん。
僕に、一つ、秘密があるんです。
永いこと、
そのひとの名は、とても
でも、僕は、その秘密を、絶対秘密のまま、とうとうこの世で誰にも打ち明けず、胸の奥に蔵して死んだならば、僕のからだが
姉さんは、ご存じかな?
姉さんはそのひとをご存じの筈ですが、しかし、おそらく、
僕は立ち上って、
「それでは、おいとま致します。」
そのひとも立ち上って、何の
「なぜ?」
と普通の
「でも、……」
「すぐ帰りますわよ。」
と、やはり、まじめな顔をして言います。
正直、とは、こんな感じの表情を言うのではないかしら、とふと思いました。それは修身教科書くさい、いかめしい徳ではなくて、正直という言葉で表現せられた本来の徳は、こんな
「またまいります。」
「そう。」
はじめから終りまで、すべてみな何でもない会話です。僕が、或る夏の日の午後、その洋画家のアパートをたずねて行って、洋画家は不在で、けれどもすぐ帰る筈ですから、おあがりになってお待ちになったら? という奥さんの言葉に従って、部屋にあがって、三十分ばかり雑誌など読んで、帰って来そうも無かったから、立ち上って、おいとました、それだけの事だったのですが、僕は、その日のその時の、そのひとの瞳に、くるしい恋をしちゃったのです。
高貴、とでも言ったらいいのかしら。僕の周囲の貴族の中には、ママはとにかく、あんな無警戒な「正直」な眼の表情の出来る人は、ひとりもいなかった事だけは断言できます。
それから僕は、或る冬の夕方、そのひとのプロフィルに打たれた事があります。やはり、その洋画家のアパートで、洋画家の相手をさせられて、
僕は眼をつぶって、こいしく、こがれて
姉さん。
僕がその洋画家のところに遊びに行ったのは、それは、さいしょはその洋画家の作品の特異なタッチと、その底に秘められた
あの洋画家の作品に、多少でも、芸術の高貴なにおい、とでもいったようなものが現れているとすれば、それは、奥さんの
その洋画家は、僕はいまこそ、感じたままをはっきり言いますが、ただ大酒飲みで遊び好きの、
おそらくあのひとは、他のひとの絵は、外国人の絵でも日本人の絵でも、なんにもわかっていないでしょう。おまけに、自分の
そうして、さらに驚くべき事は、あのひとはご自身のそんな出鱈目に、何の疑いも、
ただもう、お得意なんです。何せ、自分で画いた絵が自分でわからぬというひとなのですから、他人の仕事のよさなどわかる
つまり、あのひとのデカダン生活は、口では何のかのと苦しそうな事を言っていますけれども、その実は、馬鹿な田舎者が、かねてあこがれの都に出て、かれ自身にも意外なくらいの成功をしたので
いつか僕が、
「友人がみな
と言ったら、その中年の洋画家は、
「へえ? それが貴族
と答えて平然たるものでしたが、僕はその時、その洋画家を、しんから
けれども、この洋画家の悪口を、この上さまざまに述べ立てても、姉さんには関係の無い事ですし、また僕もいま死ぬるに当って、やはりあのひととの永いつき合いを思い、なつかしく、もう一度
ただ、僕は姉さんに、僕がそのひとの奥さんにこがれて、うろうろして、つらかったという事だけを知っていただいたらいいのです。だから、姉さんはそれを知っても、別段、
僕はいつか、奥さんと、手を
姉さん。
死ぬ前に、たった一度だけ書かせて下さい。
……スガちゃん。
その奥さんの名前です。
僕がきのう、ちっとも好きでもないダンサア(この女には、本質的な馬鹿なところがあります)それを連れて、
僕は昔から、西片町のあの家の奥の
それが、まあ、何というチャンス。姉さんがいなくて、そのかわり、
昨夜、ふたりでお酒を飲み、女のひとを二階の洋間に寝かせ、僕ひとりママの
姉さん。
僕には、希望の
結局、僕の死は、自然死です。人は、思想だけでは、死ねるものでは無いんですから。
それから、一つ、とてもてれくさいお願いがあります。ママのかたみの
夜が明けて来ました。永いこと苦労をおかけしました。
さようなら。
ゆうべのお酒の酔いは、すっかり醒めています。僕は、
もういちど、さようなら。
姉さん。
僕は、貴族です。
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