ここはどこなんでしょうか
本を貸してもらいに来たはずの僕は、いつの間にか砂浜にいて、アロハのような赤い染色された上着と、短パン、サンダルという南国の観光客スタイル。気づいたらこの服装だった。さっきまでのパーカーにリュック、スキニーって恰好のままだったら、周りのおかしさよりも先に暑さが気になっていたはずだ。すごしやすい格好に勝手に着替えさせられたことの意図が分からない。
足は動く。手も動く。首はもちろんのこと、屈伸しても別段の引っ掛かりは感じない。ストレッチをしてみる。体が軽い。今すぐにでもどこかへ駆け出せそうなほどに体力は有り余っている。でも、どうしても口は動かないし、胸の中には焦燥感があった。何かから逃げなくてはならないような、早くここから離れなくてはならないような気持が、理由もわからないのに僕の中でうごめいていた。
今いる場所の手掛かりが欲しくて、僕は海に近づいた。青く澄んだ海、白い砂浜。一歩ごと進むごとに知らない感触が足裏に伝わる。弱弱しく寄せる波音。波の切っ先で揺れるペットボトル。足の先が濡れるところまで来て、ひゃっとしたけれど、以前として声を発することが出来なかった。
横を見ると、いつの間にか唐沢美香が居た。白いワンピースに麦わら帽子、焼けた肌が健康的なまぶしさを放っていて、僕は無性に腹が立った。まず間違いなく、この理不尽の元凶は美香だ。こいつが何かをやらかして、僕はここにいる。けれど、僕の口は僕の意思とは別に動き出し、しゃべり始めた。
「アミ、探してたんだぞ。どこに行ってたんだ。洞窟のほうに隠しておいたボートがなくなってたから、てっきり全部バレて、僕だけ取り残されたかもって」
怒気もいくらか混じってはいたけれど、縋るような、どうにか絞り出した弱さの色濃い声だった。アミと呼ばれた唐沢の方も、普段見たこともない憂いを顔に浮かべている。
「来ちゃったんだね、キョウヤ。何度も駄目だって言ったのに。」
「もちろんだよ、言っただろう?僕はここに帰ってくるって。まさかあんなことになるなんて思わなかったけど、でもこうして帰ってこれた。もう誰もいないだろう?ここにいるのはもう、僕らだけだよ、アミ」
麦わら帽子の中の鋭い目を見て、キョウヤの動きが止まった。異物が喉元にせりあがってくるのを感じた。してはいけないことをした時の、叱られるのを待つときのあれだ。
「キョウヤが何がしたかったのか、何のためにこの島に来たかなんて、最初から分かってた、でも、私も、壊してほしかったから、もしかすると、ここじゃないどこかへ行けるんじゃないかって思ってたから。でも、違ったんだ。私が本当に欲しかったのは、どこか別の場所での幸せなんかじゃない、この島での平穏だった。明るくて、うるさくて、てんあげで、ぱりぴな、そんな毎日だった」
アミは泣いていた。ふざけたことを口走りながら、泣いていた。麦わら帽子はどこかへ消え、いつの間にか背後にはドレッドヘアーにグラサンをかけ、ラジカセを担いだアロハの集団が居た。アロハの集団は、ただじっとこちらを見ていた。
「いや、でも、僕がしたことは、祠を壊しただけだ。現象としてはそれだけなんだよ。もう島中にクラブサウンドが流れることはないし、島神を鎮めるための行事だって必要ない。何より、一人旅の人間をさらうなんてこと、しなくて良くなるんだよ」
淀みなくこぼれる言い訳の軽さ。自分のものではない軽薄な言葉が、自分の口から紡がれるさまのうすら寒さ。今にもアロハの集団に襲い掛かれるんじゃないかと、僕は気が気でなかった。
「歪んでるわ、私たち。もうばいぶす様はいないの。ここにはいない。あの日、目覚めちゃったから、島ごとなくなったんだよ、だからあなたも行くしかないの。来て、祠まではついて行ってあげる。行くよ」
行くよ、の言葉を合図に、アロハ集団はラジカセの再生ボタンを押しレゲェと思しき曲に合わせて体を揺らしながらゆっくりと家が立ち並ぶ方向へと歩き始めた。音楽とともに、何かが僕の中から抜け落ちていく感覚がある。見ると、おぼろげな白衣の男が、アロハたちに担がれ、何かを叫んでいる。レゲェが邪魔をしてうまく聞き取れないが、罵倒を繰り返していることだけが、何故か僕にはわかった。いきなり体の主導権を渡され、どうしていいのかわからず立ちすくんでいると、アミが僕の肩をつかんで、こう言った。
「もう、島は終わったの、あの日。分かって。もうここに、明日は来ないの」
何もかもを咎めるようなその言葉への返答は僕の中にはなく、返答に困っている間も、彼女はじっと見つめて目をそらさなかった。僕は僕なりに、聞きたいことを聞くしかなかった。
「すいませんが、ここは、どこなんでしょうか」
僕が喋れてしまったせいで、何かが確実に壊れた。そんな感触があった。
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