第5話 Fly Me To

「相棒。マジのとこはどうなんだ?」

 

 バトォが管理塔の壁に描かれた反政府的な落書きを磨きながらつぶやいた。

 

「何がだよ」

 

「分かってんだろ? スパイだよ! ス・パ・イ!!」

 

 

「ちげぇよ。どっから来たのかも、親の顔も思い出せねぇんだ」

 

 

 重たい沈黙を破ってナナシがつぶやいた。

 

 

「もしかして名前も思い出せねぇのか……?」

 

 バトォがずらしたサングラスの下から見せた眼はいつになく真剣で哀れみと悲しみの光が宿っていた。

 

 

「ちげぇよ」

 

 

 ナナシは立ち上がってストレッチを始めた。

 

 

「さてと……アリバイも無事にできたところでサクッと仕事にいきますか」

 

 

 ナナシは管理塔の最上階に見える明かりの灯った窓を見上げた。

 

 

 排気ガスで濁った月の無い空に四角く縁取られた黄色い光は輝いて見える。

 

 

 ナナシは管理塔から遠ざかるように走り出した。

 

 

「お、おい!! 相棒!! 何処行くんだよ!?」

 

 ナナシは振り返らずに中指を天に向けた。

 

 それを見てバトォはしかめっ面で腰に手を当てる。

 

 

「はいはい……お手並み拝見といきますよ」

 

 

 ナナシは立ち並ぶ雑居ビルの壁を駆け上っていく。

 

 パイプを掴み、室外機を踏み台にどんどん上に駆け上って行く。

 

 

 あの窓に届くためには……

 

 生半可な高度では届かない。

 

 

 滑らかな管理塔の壁を……

 

 見つからずに登ってる余裕はない。

 

 

 それなら……

 

 

 それだったら……

 

 

 この街の最上階から……

 

 

 窓に向かって……

 

 

 

 飛ぶ……!!

 

 

 

 螺旋を描いて違法建築の電波塔を駆け上り。

 

 ナナシはためらうこと無く。

 

 勢いを殺さぬよう。

 

 翔んだ。

 

 

 窓が近づく。

 

 どんどん近づく!!

 

 しかし勢いが足りない。

 

 ほんの少し届かない。

 

 滑らかで

 

 爪の入る隙間もない

 

 塔の壁に

 

 ぶつかる……

 

 

 そう思ったとき窓が開き真っ白な細い手が伸びてきた。

 

 

 ナナシは咄嗟にその手を掴んで壁を蹴り勢いに乗ってぐるりと回転する。

 

 真っ白な細い手に重力がかかったのはほんの一瞬だけだった。

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