第11話 鍵穴くん 2
朝、動物の群れのような人の流れに乗り遅れている気分で、僕は街中を見渡しながら登校していた。歩いていると、公民館だったり、保育所だったり、消防署だったり、いろんな情報が頭の中に入ってくる。
同じく学校に向かっている人達から、いろいろな話題が聞こえてくる。
今日の体育めんどくさいよー。新作のゲーム買った? そのユーチューバーがめちゃくちゃ好きでさー。
みんながみんな、楽しそうに声を上げている。
そんな中、僕だけ一人で登校しているのが、なんだか少し恥ずかしかった。
いやでも、と僕は心の中で唱える。
僕は土曜日に、ぼーちゃんと一緒に秘密基地で楽しく過ごしたことを思い出す。
僕にだって友達はいる! そう思って、学校の入り口を通った。左の運動場では、まだ朝の会まで時間があるからと、鉄棒で遊んだり鬼ごっこをしたりして楽しんでいる人たちがいた。
それを見て、僕はまた寂しくなって前を向く。
すると、後ろから声がした。
「あ、こーちゃーん!」
その声で僕は足を止めて、振り返った。間違いなくぼーちゃんの声だった。
ぼーちゃんは、人の流れの中でもはっきりと分かるくらい大きく手を振って、明るい表情でこちらに走ってきた。
「おはよ!」
僕の前で足を止め、ぼーちゃんはあいさつした。
「おはよ、ぼーちゃん」
僕はうきうきした気持ちで、そう返した。ぼーちゃんが来てくれて、僕はなんだか安心した。
そうして僕たちは、みんなみたいに肩を並べて歩く。
「今日体育だよ? こうちゃんはどうするの? 見学?」
「うん、先生にもお願いしてあるんだ」
「へー、いいなー。今日サッカーやるんだけどさ、あの拓海野郎が毎回一人で突っ走るから嫌なんだよ」
「……でも、僕はみんなと運動したいな」
僕は、自分がこんなに貧弱な体なのが嫌だった。僕がこんな体だから、みんなに気を使わせてしまう。
「そっかー。見学ってのもつまらないか。あ、そうだ、今日の昼休み、学校を案内してあげるよ!」
「え、いいの? ありがと!」
僕は喜んでそう言った。
「あ、そうそう、あと、今日五時間目で早く授業終わるだろ? だったらその後に、秘密基地行こうよ」
「え、やった!」
「そこで、今日の宿題ぱっぱと終わらせようぜ」
なんだかこういうの、学校生活って感じがして楽しいなと、僕は思った。
四時間目の体育では、僕は体操服に着替え、石の階段に座って見学していた。
僕はサッカーがどういうスポーツなのか、あまりよくわからない。
僕は拓海君を見て、以前に蹴られたことを思い出す。
前に僕の家に謝りに来たとき、とても反省しているように見えたから、もうあんなことをしないだろうとは思うけど、それでもやっぱり怖くて、なるべく拓海君から目を逸らして、ぼーちゃんを見ることに専念した。
この授業が終わって給食を済ませたら、ぼーちゃんが学校を案内してくれる。僕はその期待を胸に膨らませていた。
給食を終え、みんなが机を前に寄せると、ぼーちゃんが僕の方にやって来た。
「行こうぜ」
そう言ってぼーちゃんは僕の手を取る。
その時、みんなから目を向けられているのが分かった。
へー、令斗と昂輝君って、いつの間にか仲良しになったんだー。
そんな声が聞こえて、僕は少し恥ずかしくなる。
ぼーちゃんに手を引かれて、僕は教室を出る。
「げ、もう噂してやがる……」
教室を出て、第一声。そんなことをぼーちゃんは言った。
「ぼーちゃんは、僕以外にも友達っているの? いたら仲良くなってみたいな、なんて……」
僕は単純に気になって訊いた。いつも僕と接してくれるぼーちゃんしか、僕は見たことがなかった。
ぼーちゃんは少し間をおいて、言った。
「ゲーム友達は他の教室にいるけど、拓海ほどじゃないけど、こうちゃんはついていけないと思うぜ。テンション高くなって突っ走るタイプだから」
「そ、そうなんだ」
そういう人は、僕は嫌とは思わないけど、一緒にいるとなると話は別だ。自分の体がもたない気がする。それでも、元気な人は憧れたりするけど。
「あと、俺にやたらとくっついてくる女子とか……、まあいいや」
「え、女子?」
「何でもないって……」
恋愛のことはよくわからないけど、ぼーちゃんっていわゆる、モテるタイプなのだろうか……。
「あ、令斗君と昂輝君!」
そう思っていると、女の子の声が後ろから聞こえた。
「うわ、噂をすれば……」
ぼーちゃんがめんどくさそうに小声で言う。
「え?」
僕がそう言うと、その女の子は僕たちに追いついてきた。
「二人とも、なにしてるの?」
明るい表情で、僕たちの目の前でその女の子は訊く。僕たちは足を止める。その女の子には見覚えがあった。確か、ドッジボールのチーム決めの時に拓海君に悪口を言われて、言い返していた人だった。名前は確か、美香だったっけ。
「別に、学校を案内してやってるってだけ」
ぼーちゃんはそう答える。
「へー、楽しそう! ねえ、私も混ぜてくれない? 私、昂輝君とも仲良くなりたいの!」
「はあ⁉ いいわけないだろ? 俺達二人でやりたいんだからさ」
俺たち二人で、というぼーちゃんの言葉がなぜか少し頭の中に残った。
「まあまあ、いいんじゃない?」
僕はぼーちゃんにそう言った。
「えー? でも……。まあ、こうちゃんが言うなら……」
そうぼーちゃんは返す。僕が意見すると揺らいでしまうぼーちゃんが、なんだか面白かった。
すると、後ろから別の女の子の呼ぶ声がした。
「美香~」
そして、美香は声のした方向に振り返る。女の子は美香の方を向いて言う。
「美香、委員会の仕事なかったっけ?」
「あ、そうだった!」
「ほら、早く早く! 怒られちゃうよ?」
女の子は美香を連れて、僕たちの進む方向とは逆に急ぎ足で歩き始めた。
「ふう、よかった、美香が天然で」
ぼーちゃんはそう言って喜んだ。やっぱり美香と一緒には行きたくなかったみたいだった。
「もしかして、ぼーちゃんについてくる女子って、美香さんの事?」
僕がそう訊くと、ぼーちゃんは目を見開いて言った。
「気にすんなって言っただろ⁉ ほら行くぜ?」
そしてぼーちゃんは僕の手を取る。心なしか手があったかくなって、力が強くなっているのが分かった。
「別に美香が好きとかじゃねーからな!」
そうぼーちゃんは付け加える。
「うん、わかった」
僕はふふっと笑って言った。
僕はぼーちゃんに連れられて、図書室へとやって来た。
僕がめまいを起こしそうなくらいに様々な本が並んでいて、机で本を読んでいる人がいたり、本を検索するパソコンで遊んでいる人がいたり、新鮮な光景だった。
「おー、ねえ、ちょっと見てって良い?」
「いいよ。そんな面白い本はないけど」
僕は奥の方へと歩いて行き、気になった背表紙に触れた。
「あ、ハリーポッター。この名前知ってる」
「こんな文字だらけの本、読む気起きねーなー」
隣でぼーちゃんがつまらなさそうに言う。
「ねえ、これ、借りれる?」
「図書カードは?」
「あ、家に置いてきてる」
「じゃあ無理だな」
そっかー。と言って僕はがっかりする。
「あ、そう言えば、この前見せてくれた漫画は無いの?」
僕は図書室を見渡しながら言った。前にぼーちゃんが見せてくれた海賊の漫画が、少し気になっている自分がいた。
「ねーよ。学校に漫画とか。歴史の漫画ならあるけど。それに、今日秘密基地に行ったら読ませてやるよ」
「え、いいの?」
「俺のなら図書カードなしでも貸してやるぜ」
その後も、僕達は校内を歩き回った。
帰り道、まだ夕焼けに包まれていない帰り道を新鮮に思いながら、僕はぼーちゃんと歩いた。どうやらぼーちゃんの家は秘密基地とは別方向にあるらしく、僕の家の方が、秘密基地に近かった。秘密基地がある田んぼが広がった場所は、小学校から西に向かって、踏切を渡り、住宅街を抜けた先にある。そこへの道は僕の通学路にもなっていた。僕の住むアパートは丁度田んぼが見えるようになっていて、僕が初日にぼーちゃんに家の場所を教えると、ぼーちゃんは僕の家と秘密基地が近いことを教えてくれた。
秘密基地に着くときには夕焼けが街を包んでいて、秘密基地がある林の中にも、夕日が差し込んでいた。
僕たちは秘密基地の中で、今日出された宿題をやっていた。
「ねえ、ここ分からなくて……」
僕は算数ドリルをぼーちゃんに見せる。
「ああ、ここは半径と半径と円周率を掛ければいいぜ」
「あ、ありがと」
僕はその後も問題を解き続け、丸を付け始めた。放課後に宿題をする習慣は、慣れるのに時間がかかりそうだと思った。
「あ、そうだ」
僕はそう言って、ノートに書いた問題の横にあるものを書き始める。
「ん?」
ぼーちゃんはその様子をのぞき込む。
僕はある落書きをし始める。鍵穴の形をしていて、ネコ型ロボットのような腕と掌。二本の縦線で描かれた目、線一本で書いた、にこっとした口。
「どう? かわいくない?」
僕はぼーちゃんを見ながら言う。
ぼーちゃんは少し困った顔をして、
「んー、かわいいけどなんのキャラ?」
と訊いた。
「鍵穴くんって言うの。お母さんが問題集とかに書いてくれた落書き。友達みたいな、そんな感じかな……」
そう答えたけど、ぼーちゃんはいまいちピンとこなかったみたいだ。
「まあ、こうちゃんにとって友達なら別にいいけど……。でも、落書きすると先生に怒られるぜ」
「え、そうなの⁉」
「うん。前に拓海がノートに漫画の落書きして先生にこっぴどく怒られてたから」
にやにやししながらぼーちゃんが言う。
「えぇ……」
僕はあの先生の怒鳴り声を思い出した。
記憶の中の怒号にはじかれるように、僕は慌てて落書きを消した。
宿題を終えると、丁度午後五時のサイレンが鳴った。小屋の中も、少し暗くなってきている。
「あー、そろそろ帰らねーと」
ぼーちゃんは窓の外を見ながら言う。
なんだか、ぼーちゃんといると時間があっという間に過ぎていくなと、みんなにとってはよくある感覚を僕は新鮮に思った。
僕たちは宿題や筆記用具をランドセルに詰め込む。
すると、僕は奥の本棚にある漫画が目に入った。
「そういえば、昼休み、漫画貸してくれるって、ぼーちゃん言ってたよね?」
「あー、言ってたね。いいよいいよ。一巻持っていきな。俺は十巻まで読んでるから」
「へー、そんなにあるんだね、この漫画」
僕は本棚から漫画の一巻を取り出しながら言う。
「まあでも、最新ので六十巻ぐらい出てた気がするぜ?」
「ええっ⁉ そんなに⁉」
ひひひ、とぼーちゃんは歯を見せて笑う。
僕はランドセルに漫画を入れて背負った。ぼーちゃんもランドセルを背負い、秘密基地を出て、田んぼの道を歩いた。
「そう言えば、こうちゃんは親は帰ってきてないの? 今まで聞いてこなかったけど」
「ああ、僕のお母さん、忙しいのか、帰るのが遅いんだよね」
「お父さんは?」
「ううん、いない」
「あ、俺も。まあそういうことは訊かないほうがいいか」
「うん。僕だってお母さんの事情は知らないし」
僕たちはそのまま歩いて、ビニールハウスのある分かれ道で別れた。
僕はそのまま道をまっすぐ歩く。
赤い空を見上げながら僕は思う。
僕には、一緒にいて楽しい友達や、優しく接してくれる人たちがいる。もう怖くはないし、もう、弱い自分のことを嫌いにならなくていいんだ。
休日は秘密基地で宿題や漫画を読んで過ごし、授業が早く終わる日にも秘密基地で過ごす。とにかく、ぼーちゃんと過ごす時間が楽しかった。クラスメイト達も僕がぼーちゃんと仲良くしているところを見て、僕に接してくれることが多くなった。
そうやって学校生活に慣れていくうちに、夏休みが始まった。
夏休みでは僕とぼーちゃんは毎日のように秘密基地に集まった。
「うげー。先生宿題出しすぎだよー……」
秘密基地の中、僕の前でぼーちゃんはそう言う。
目の前には算数のプリントが集められた冊子、漢字プリントや問題集が積み重なっている。
夏休みというものをよく知らなかった僕は、見たことのないほどの宿題の量に頭がくらくらしそうだった。
「こうちゃんはさー、自由研究何にする?」
だらりと机に頭を預けながらぼーちゃんは訊く。
そう、僕には、プリントやドリル、問題集なんかよりもはるかに強大な宿題が立ちはだかっていた。自由研究だ。
どうやら四年生になってからやるものだそうで、クラスメイト達も自由研究をやると言われたときは困惑していた。
「えー、ほんとにどうしよう……」
「六年生とかは、お金を洗ってきれいにしてたらしい」
「え、そう言うのもありなの?」
「結構自由らしいぜ。まあ、自由研究なんだからそうなんだろうけどさ、でもほんとにだるいよなー」
そう言って二人でうーんと唸ってみる。
「あー! ダメダメ! 余計なこと考えたら! このままじゃ俺たちの一週間で宿題終わらせる計画が進まねー!」
そんな計画経ててたっけ……。と思いつつ、僕も心の中で自分に鞭を打って宿題に取り組む。
何時間かお互いに集中して算数の問題集を進める。
この小屋は風通しが良くて涼しく、集中しやすかった。
何時間かかけて算数の問題集を進め、僕達はお互いに弁当バッグから取り出した。お母さんにお昼はお弁当にするようにお願いしておいたのだ。
僕たちはお互いに弁当を食べ終え、バッグに入れた。
そして、その後にぼーちゃんがこんなことを言い出した。
「そうそう! 今日、ここにボードゲームもって来たんだ!」
「ボードゲーム?」
「じゃじゃーん!」
そう言いながら、ぼーちゃんはバッグから黒と緑が特徴的なボードゲームを取り出す。
「なに? それ」
「え、しらねーの? オセロだよオセロ!」
「オセロ?」
「うん、たくさん色を取った方が勝ちってやつ」
その後、僕はぼーちゃんに詳しくルールを教えてもらいながら、何時間もオセロをプレイした。いつの間にか五時のサイレンが鳴るほど熱中してしまい、僕は一度も勝てないまま終わってしまった。
「え、もうこんな時間⁉」
「そろそろ帰らないと……、あ、そうそう、この前借りた漫画返すね」
「あ、サンキュ」
僕はバッグから漫画を取り出し、ぼーちゃんに渡す。
「どうだった? この漫画」
ぼーちゃんはそう訊いた。
「すごく面白かったよ! あんまりこういう、戦う話ってあんまり読んだことなかったから! 小さい時の主人公が目元にナイフ差すところとか、赤髪の人の腕がなくなるところとかはびっくりしちゃったけど」
「まあ、そういうところは苦手な人はいるかもなー。まあでも、面白かったなら良かった」
「ねえ、二巻も借りていい?」
「ああ、もちろんいいぜ」
そう言われて、僕は本棚から漫画の二巻を取り出し、秘密基地から出た。
僕たちはそんな日を何回も繰り返し、勿論一週間で宿題を終わらせられるはずもなく、何十日もかけて宿題を終わらせた。自由研究もなんとか終わらせ、宿題を夏休みが終わる十日前にすべて終わらせた。宿題をすべて終わらせたときの遊ぶだけでいい日々は、これでもかというほどオセロで遊んだり、漫画を一緒に読んだりした。
そしてまたいつもの日常に戻って、そのままいつものようにみんなと仲良くやっていければいいと、僕は思っていた。
長野昂輝のお母さんは、パスタの麺を茹でながら、サラダを作るためにキャベツをピーラーで削いで、千切りキャベツを作っていた。
リビングには電気はついておらず、代わりに昼の日差しがベランダから差し込んでいる。白いカーテンの向こうで揺れる洗濯物や、嬉しそうに日を浴びている観葉植物。きれいな部屋だとは思いつつも、なんだかここの空間だけ、時間がピタッと止まっている気がしてならなかった。そうでなくともこの場所は、何かがこの世界の流れから取り残されている。僕はそう感じた。長野昂輝のお母さんは、ずっとここで、ずっと一人で暮らしていたのだろうか。
「私の家はね、私のお仕事だったり、環境だったりの都合で、何回かお引越しをしていたの」
僕がリビングの部屋を見渡していると、長野昂輝のお母さんは話始め、慌ててそちらの方に向いた。
「最初は昂輝が生まれて間もないころ。私はそこでシングルマザーになっちゃって、って、難しい話は分からないわよね……」
僕は頷いた。
長野昂輝のお母さんは、サラダを盛りつけながら話を続ける。
「二回目は、私のお仕事の都合で。昂輝はまだ小さかったわ。その頃に、心臓の弱い子だってことが分かって……」
そこで、長野昂輝のお母さんは話を一回止める。その時のことを思い出したのだろう。
「長年入院して、ちゃんと学校に行けることになったの。そこで、昂輝はあなたと出会ったのよ」
長野昂輝のお母さんはそう言って、パスタの麺から目線を逸らし、僕と目を合わせた。長野昂輝のお母さんの目は、きっと光があるはずなのに見つけられない、そんな目だった。
「三回目の引っ越しは、あなたも、覚えているでしょう?」
ドクッと、僕の心臓が跳ねる。長野昂輝のお母さんの話は、僕が知りたい真実の核心部分に触れていく。そんな予感がした。
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