第14話 鍵穴くんのいるところ

 本当のお母さんの場所から離れ、僕は駅を出て、線路沿いの歩道を歩いていた。


 朝に来た道はもう、夕焼けの色に染まっていた。部活帰りの高校生や、サラリーマンや、ベビーカーを押す女性の人。いろんな人が家路につく中、僕はこれからどこへ向かうべきなのかと迷っていた。


 僕は歩きながら、自分の掌を見つめる。


 最初は、心臓の病で弱かった僕。それが、今はぼーちゃんの体を借りて、生きている。この体の中ではぼーちゃんの血が流れ、ぼーちゃんの心臓が動いている。ぼーちゃんの目を借りて、この世界を長野昂輝である僕が見ている。


 こんな事態を、僕はどう受け止めればいいのだろう。鍵穴くんになったぼーちゃんは、そのことをどう思っているのだろう。僕を、どう思っているのだろう。


 僕は、今すぐにでも鍵穴くん、いや、ぼーちゃんに会いたい。


 それでも……。


 ……ここから出てってよ!


 僕は昨日、ぼーちゃんに言ってしまったことを思い出す。あの時、本当のぼーちゃんを家から追い出してしまったことを。


 これじゃ、小学生の時とまったく一緒じゃないか。


 僕は、小学生の時に、ぼーちゃんに最後に言った言葉も思い出す。二回も僕は、ぼーちゃんを傷つけてしまった。


 すべてを思い出した僕は、ぼーちゃんに、一体どう謝ればよいのだろう。




 家の玄関の前に立ち、鍵を差そうとする。でも、ここで帰るのは絶対に違うと、どこかでそう思っている。


 鍵が鍵穴に触れたとき、やっぱり違うと、全身が感じた。絶対にここで帰るべきではない。僕にはまだ、やらなきゃいけないことがある。僕は鍵をバッグの中にしまう。


 僕は左の方へ向いて、駐車場への階段を降りようとする。けれど、階段へ向かう途中、ドアが開く音がして、誰かが僕の手をつかんだ。勿論、ぼーちゃんのお母さんだ。


「令斗⁉」


 振り向くと、ぼーちゃんのお母さんはとても心配そうな顔で、僕の腕をつかんでいた。


「お母さん……」

「令斗! 今までどこに行ってたの? 私、ずっと心配だったのよ⁉」


 ぼーちゃんのお母さんはそう言って、腕をつかむ手を一層強くする。僕は今、他人の母親に心配を掛けられている。この人は、僕の本当のお母さんじゃない。


 ぼーちゃんのお母さん、ぼーちゃん思いだなあ。かいちゃんは昨日そう言った。僕はかいちゃんがどう思ってそんなことを言ったのか、分かった気がした。


「昨日だって、お友達と勉強会した後に、昔の記憶がないって言って来たじゃない! 令斗のこと、どれだけ探したと思ってるの⁉︎」


 ぼーちゃんのお母さんは、とてもとても、過保護というくらいに優しい。それでも、記憶がない時期、僕はそれに気づかなかった。自分はずっと、誰かに支えられっぱなしでいた。誰かに反抗することなんて、一切しなかった。前までの僕だったら、ここでお母さんの力に負け、すべてを投げ出してしまっていた。


「放してよっ‼」


 僕はそう叫んで、お母さんの腕をつかみ、力ずくで引き離した。


 引き離されたぼーちゃんのお母さんは、ぽかんとした顔で、僕を見ていた。


「令斗……」


 僕はずっと、誰かに頼りっぱなしでいるわけにはいられない。お母さんや、かいちゃんや、ぼーちゃん。僕は今まで誰かがいないと動けなかった。手を差し伸べられないと、自分から行動できなかった。だけど今は違う。今一番何をすべきか、それを考えられるくらいには、僕は変わった。


「記憶のことはもう大丈夫。……お母さん、僕、今からやらなきゃいけないことがあるから」


「何? やらなきゃいけないことって……」

 そうお母さんは訊く。


「友達の所に、行かなきゃいけない」

「友達……、昨日来た子のこと?」

「その友達もだけど、違う。もっと昔の……」


 そう言うと、お母さんの顔が青ざめた。


「昔の友達って……、令斗、もしかして⁉ また死のうと……」


 ぼーちゃんのお母さんはヒステリックになりかける。そうなるのも当然だと、僕は思う。この人は、自分の息子が死にかけるのを目の当たりにしたのだから。この人は、この体の中にいる人間がだれかなんて、知る由もないのだから。


 だけど、このことは言える。この人とは本当の親子の関係ではなかったとしても、大切な人なのだと。


 だから、僕は言わないといけない。


「違う‼ 死のうとなんてしてない! 僕はちゃんと生きたいって思ってる!」


 僕は叫ぶ。


 ぼーちゃんが鍵穴くんになってこの家に来るまで、僕は生きたいとはっきり思うことさえできなかった。


「僕はちゃんと、過去と、今の自分に向き合わなきゃいけない! そのために、昔に友達と遊んでいたところに行かないといけないんだ! ……記憶のことは、後でちゃんと話すから……」


 そう言うと、ぼーちゃんのお母さんは、悲しそうな表情から、ゆっくりと優しい笑みへと表情を変えた。


 そしてぼーちゃんのお母さんは、涙を流しながら、言う。


「私は、令斗がまた、自分を嫌になってしまわないように、ずっとどうしたらいいか考えてた。令斗が嫌な思いをしないように、できるだけのことをしなきゃいけないって。でも、令斗は、自分で自分に向き合いたいって思っているのね……。いいわ、行ってきなさい。そしてちゃんと、ここに帰ってくるのよ」


 お母さんは頬に涙を残したまま、笑みを浮かべながら言った。


 僕はその言葉にはじかれるように振り返って階段を降りた。


 肩にかけたショルダーバッグの中の財布には、自転車の合鍵が入っている。僕はそれを取り出して自転車に差し、自転車に乗って、秘密基地へと漕ぎ始めた。




 雑木林の入り口に自転車を停め、ロックをかけて、中に走って入っていく。


 いつかかいちゃんと一緒に入ったときのように、おびえながら進んだりはしない。


 夕焼けが入り込む木々の中を、僕は駆ける。


 僕は鍵穴くんの形になってしまったぼーちゃんに、あんな別れ方をしてしまったことを、謝らないといけない。それに、鍵穴くんとしてまた、僕の所にやってきてくれたことに、ありがとうと言わないといけない。僕はずっとずっと、ぼーちゃんに支えられていた。


 鍵穴くんになったぼーちゃんは悩みを打ち明けた僕に対して、生きる理由を教えてくれた。


 僕のせいで、こんなことになってしまったというのに。


 僕は、鍵穴くんになったぼーちゃんが言ったことを思い出す。


 ……ねえ、初めて令斗君の家に来たときさ、僕、令斗君に言ったよね、僕は令斗君の悩みを解決するためにやって来たって。


 ……だからさ、いつかは僕に話してくれると嬉しいな。今日じゃなくていい、明日じゃなくてもいいから。


 ……記憶のことも、きっと大丈夫だよ。小学生の時でも、きっと、ぼーちゃんにはとっても明るい時間があったはずだよ!


 ……生きる意味が分かんなくてもさ、自分にとっての生きる意味を探すことを、生きる意味にしようよ!


 ……本当にかいちゃんにだけ、ぼーちゃんって呼ばれてるんだね。


 ……二人だけのあだ名って、なんかいいなー。


 どうして鍵穴くんが僕にここまで優しくしてくれたのか、今になって理解できた。


 走っていると、木製の小屋が見えてくる。ふと、僕の目に涙が浮かぶ。


 あの時できなかった仲直りを、僕はきちんとやってみせる。




 走って体力を使った僕は、ゆっくりと地面を踏みしめながら、小屋に近づいていく。微かだけれど、鍵穴くんの後ろ姿が、小屋の中に見える。


 鍵穴くんは、僕の足音に気づいて、振り返る。


「ぼーちゃん……?」


 頭の中に響くような、いつもの鍵穴くんの高い声が、そう訊く。


 優しい風が、草や木、僕の髪や服を揺らす。


 僕は、じっと鍵穴くんの二本の縦線の目を見て、言う。


「僕、全部、全部思い出したよ。ぼーちゃん……」


 僕の胸からじんわりと感情が湧き上がって、更に僕は涙を浮かべる。僕は今、会うことのできないまま別れた友達と話している。


「あ……」


 ぼーちゃんの二本の縦線の目から、ぽろぽろと涙が溢れる。


 そして、ぼーちゃんは、秘密基地から僕に向かって走り出した。


「こおおおおおちゃあああああん‼」


 そう叫びながら僕の方へ向かってくる。僕は地面に膝をつけて、僕の所へ猛ダッシュするぼーちゃんを受け止める。


 僕は、鍵穴くんになったぼーちゃんを抱きしめる。


「本当に全部、思い出したの?」


 そう、ぼーちゃんは訊く。


「うん。僕がこうちゃんだってことも、ぼーちゃんと一緒に過ごしたことも、ぼーちゃんにひどいことを言ってしまったことも、全部」


 そう言って、僕はさらに抱きしめる力を強める。


「俺、こうちゃんに謝りたかった……」


 ぼーちゃんは僕の腕の中でそう言う。そう言ったのが聞こえて、僕ははっとする。僕たちは、お互いに謝りたかったんだ。


「小学生の時、俺、思ったんだ。俺、こうちゃんの友達に、本当になってよかったのかって……。俺がこうちゃんの友達になって、こうちゃんはあの体で無理して俺についてきたんじゃないかって……。だから、こうちゃんは僕と友達にならないほうがいいって言ってたのかなって……」


 僕は、抱きしめながら首を左右に振る。


「そんなことを思ってしまったから、俺はこうちゃんに別れを言えなかった。あの時、無理を言ってでも病院に行くべきだった。なのに、俺は自殺なんて馬鹿な真似をして……。だから、俺はこうちゃんとまた会えて、今度はちゃんと助けようと思ったんだ。今度こそ、こうちゃんが楽しく生きられるようにしてやりたいって思ったんだ……」


 僕は鍵穴くんになったぼーちゃんを抱きしめながら、涙を流す。


 僕も、僕の気持ちを言う。


「僕も、ぼーちゃんに謝りたかった。僕は、なんてひどいことを言ってしまったんだろうって。ぼーちゃん、僕はね、ぼーちゃんの友達になれて、とてもうれしかった」


 友達を作るのが怖くて、体が弱くて、右も左も分からなかった僕に、あの日、ぼーちゃんは用具入れの奥で、僕に手を差し伸べてくれたのだ。


「僕は、楽しかったあの日々に、自分の弱さで嘘を付いた。だから、ほんとにごめん。ぼーちゃんが謝ることなんて、一つもないのに」


「こうちゃんだって、謝ることは一つもねーよ」


 そう言って、僕達が何も言わない間、また、優しい風が僕たちを包み込むみたいに吹く。


「俺達、お互いに、謝りたかったんだな……」


 ぼーちゃんは僕の腕から離れて、僕の正面に立って、そう言った。


 そして、ぼーちゃんは続ける。


「こうちゃんは、どうやって俺の中に入ったんだ?」


「僕、ぼーちゃんみたいに幽霊になって、運ばれてるぼーちゃんを見つけて、僕が体の中に入れば助かるかもしれないって思って……」


 僕はそう答える。


「そう……。じゃあさ、これから多分、こうちゃんは俺の体の中に入ったままだよな。こうちゃんは、俺として生きていくことになるんだ」


「ぼーちゃん、それで、いいの? それじゃ、僕だけ生きてることになっちゃう……。ぼーちゃんだけ幽霊だなんて……」


 そうだ、僕は、ずっと前に死んでしまって、都合よくぼーちゃんの体を借りてしまったことになるのだ。


「俺は、大丈夫だよ。俺が死んでしまったのは俺のバカのせいだし。それに俺は、こうちゃんが楽しそうに過ごしているのが、嬉しいんだ」


 ぼーちゃんはそう言う。その言葉が、僕の中で、ずっしりと重たく響いた。


 心臓の病気で死んだはずの僕は、これからずっと、ぼーちゃんの体に支えてもらって生きていくことになるんだ。僕はぼーちゃんの言葉で、はっきりとそれを意識した。


 ぼーちゃんは小学校の時も、鍵穴くんになってからも、ずっと僕を助けてくれていた。僕が楽しく過ごしているのが嬉しいから、と。


 僕はそんなに誰かに想ってもらっているんだ。


 僕はずっと、ぼーちゃんに支えられていたんだ。


 だったら、僕が言うべきことは、謝罪だけじゃないはずだ。


「ぼーちゃん、ありがとう」


 記憶の中にいた大切な友達と向き合って、僕はそう言った。




 夕焼けの空は、夜に包まれつつあった。


 いつかの日のように、僕は鍵穴くんになったぼーちゃんを自転車のカゴに乗せながら、ゆっくりと走った。


 ぼーちゃんは、自転車に揺られ、田んぼの風景を眺めながら、言う。


「ねえ、もう一つ、話さなきゃいけないんだけど……」


「何?」


 躊躇いがちに話すぼーちゃん。ぼーちゃんが何を言い出すのか、僕は薄々気づき始めている。


 僕には少しだけ、鍵穴くんの落書きの線が、消しゴムでこすりつけられたみたいに、薄くなり始めているのに気づいていた。


「俺、今日中には、この世界からいなくなると思う。ほら、初めて会ったとき、言っただろ? こうちゃんの悩みを晴らしたら、俺はいなくなるって」


「うん……」


「どうやら、今日がその時みたいなんだよね……」


 ぼーちゃんは、僕と目を合わせずに話す。だけど、ぼーちゃんは泣いているのだと、僕は直感的に分かる。


 僕はぼーちゃんに言う。


「ねえ、ぼーちゃん。前にさ、生きる理由を探すことを生きる理由にしようって、言ってたよね」


「うん……」


 ぼーちゃんはゆっくりと頷く。


「僕ね、少しわかった気がする。僕の生きる理由」


 僕がなぜ生きなきゃいけないのか、きちんと言葉にできるわけではないけど、僕の心は、これからもずっと生きていたいと強く思っている。


 人は、人として生きる事に絶対的な意味なんてない。けれど、これから僕が生きていく人生で、生きたいと思えるものに数えきれないほど出会う。鍵穴くんとの出逢いも、きっとその一つなのだ。


 ぼーちゃんは、僕の方を向いた。


 ぼろぼろに、涙を流していた。


「そっかぁ……。よかった……」




 家に戻ると、見覚えのある自転車が、駐車場に止まっていた。


「あれ、あの自転車って……」


 ぼーちゃんはカゴの中でそう言った。


 僕は駐車場の前で止まって、ぼーちゃんは自転車のカゴから飛び降りた。止めてある自転車をまじまじと見て、僕を振り返って言う。


「やっぱりこれ、かいちゃんのじゃね?」


 そう言われて、僕は玄関のドアの方を見上げる。


 そこには、インターホンを押そうとするかいちゃんの姿があった。


 僕はかいちゃんの方へ、階段を上がる。それに、鍵穴くんになったぼーちゃんもついていく。かいちゃんは僕の足音に気づいて、僕の方を見る。


「あ、ぼーちゃん……」


 かいちゃんは気まずそうにそう言う。かいちゃんは僕の方へ歩いてくる。


「えっと、昨日は、ぼーちゃんの気持ちも考えないで、あんなこと言って、ごめん……。俺、ぼーちゃんが心配だったから……」

「ううん、大丈夫。僕、ちゃんと昔の事を思い出して、自分に向き合ってきた」

「それって、どういうこと?」


 僕は優しいかいちゃんに対して、人と関わることを恐れて、自分を隠して接してきた。かいちゃんを友達と呼ぶのでさえ、僕は躊躇っていた。


 だから、僕はちゃんと、言うんだ。


「僕は最初、人が怖かった……。人とどう話せばいいのか分からなくて、ずっと表だけ取り繕ってた。だから、僕はかいちゃんを友達って言える勇気がなかった」


 僕は勇気を振り絞って、言う。


「ねえ、次からちゃんと、友達として……」


 そう言うと、かいちゃんは鳩が豆鉄砲を食らったような表情になり、やがて安心しきって答えた。


「なあんだ、そう言うことか! いいぜ。元々ぼーちゃんとはそのつもりだったけどな!」


 ぼーちゃんはそう言って、いつもみたいに、頬をつねってやりたくなるようなさわやかな笑みを見せた。


 僕は体の力がするりと抜けていくほど安堵し、ぽろぽろと泣いてしまう。


「おいおい、そんな泣くことでもないだろ」


 かいちゃんは笑い混じりにそう言った。かいちゃんにとってはそうでも、僕にとってはとても大きな前進だったのだ。


「だってぇ……、うっ……」


 隣でぼーちゃんはぷぷぷと笑いをこらえている。くそ、後で部屋に入ったら前みたいに叱ってやる、と僕は泣きながら思う。


「あ、もうこんな時間かー」


 かいちゃんは空を見上げてそう言った。


「帰るころには暗くなってるなー」


 そう言ってかいちゃんは階段を降り、僕の方を見上げた。


「じゃあ、また学校で! テストも近いからな!」

 あ、忘れてた、と僕は内心びくっとする。


「じゃあな!」

「うん、ばいばい」


 そう言うと、かいちゃんは僕の隣の方を向いた。鍵穴くんになったぼーちゃんがそこにはいる。かいちゃんは、その方向に手を振った。


「えっ⁉」

「えっ⁉」


 僕と鍵穴くんになったぼーちゃんの声が重なる。かいちゃん、鍵穴くんの姿が見えるの?


「ちょっと、なんで……?」

「いや別にー。なんかいる気がしただけー」


 そう言って、かいちゃんは自転車をこぎ始める。


 僕とぼーちゃんはお互いに顔を見合わせ、ぽかんとする。やっぱりかいちゃんはどこかつかめない感じの人だなと、僕は思う。


 ぼーちゃんはにっこりした顔になって、僕に言う。


「これからは、俺無しでも大丈夫だよな。だって、あんなにいい友達がいるんだもん」


 うん、と僕は頷いた。




 あの土砂降りの日、記憶のない僕の所にやって来た鍵穴くんは、これから生きていく僕に、とてもとても、大切なものをくれた。




 夜、俺はベッドの隣で、ぐっすりと眠るこうちゃんを見る。こうちゃんは疲れているのか、すぐに寝てしまった。今日一日、いろいろあったからな。


 もうすぐ、俺はこの世から消えてなくなる。


 俺はその前に、俺がここにいた印でも残しておこうと思った。


 俺はこうちゃんの、通学用のバッグから、適当にノートを取り出した。数学のノートだった。


 俺は背伸びして勉強机に置いてあるシャーペンを取る。


 床にノートを置いて、丸い手でページをぱらぱらとめくる。


 日本語なのかどうか疑うような記号がたくさん書かれているのを見て、ひえー、と俺は声を上げた。


 俺はシャーペンをつかみ、適当なページに印を残した。


 印はかなり不格好になってしまった。昔から俺は絵が苦手だ。


 まあ、こんなもんでいいかと、俺は妥協する。


 俺はシャーペンを元の位置に戻し、ノートをバッグの中に入れた。


 俺はまた、こうちゃんの方を見る。


 こうちゃんは、安心しきった顔で、ぐっすりと眠っていた。最初は、あんなにうなされていたのに。あの時は、昔の嫌な部分の夢でも見ていたのかもしれない。


 今日は、俺といて楽しかった夢でも見ているといいな。


 大丈夫、と、俺はこうちゃんの手に触れながら思う。


 俺は、かいちゃんのことを思い浮かべる。初めてかいちゃんを見たとき、俺の体の中に入ったこうちゃんを、ぼーちゃんって呼んでいるところに、俺はとても驚いてしまった。


 こうちゃんはきっと、いろんな人たちの中で、どんどん俺より成長していくんだろうな。


 俺がいなくても、きっとこうちゃんはやっていける。


 じゃあな。こうちゃん。




 朝、僕は目を覚ます。

 窓からは明るい朝の日差しが、勉強机の前の窓から差し込んでいて、どこからか小鳥の鳴き声が聞こえてくる。なんだか、静かに命が躍動しているような、瑞々しい朝だった。


 ぼーちゃんはもう、そこにはいなかった。

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