第3話 青く燃える草原

〈1〉

  

 

 果てしなく続く草原を貫く道路の中天では太陽が輝いている。

 道路の脇にビュイック・リビエラを停めたアルセーヌは路肩で腰かけている。

 アリアは教えたばかりの草笛を吹いて、不思議な旋律を奏でている。

 リベルタ大陸を西から東へ抜けるには大平原を通るのが一番早い。

 しかし、海産物や資源のある北海や過ごしやすい赤道沿いと違い、大平原には人が少ない。

 地平線まで続く道路の左右を見ても、店舗らしいものも見当たらない。

 ――困ったなぁ――

 ビュイック・リビエラは遂に動かなくなった。

 多少の整備はできるにしても、モーターやバッテリーを分解して組み立てる自信が無い。

 金のスタンプで手に入った156万ドルはロワーヌ天后の農家の中古ランナー購入費用に充当した。

 トライスターは農民から多額をピンハネする上、仕事で使うランナーもタダで貸してくれない。

 ただでさえ作物の出来不出来で農家や酪農家の収入は安定しない。

 作業用の重機ぐらいはタダにしないと、農家の生活は悪くなる一方だ。

 東の小島に向かう為、当面の生活費として二千ドルを残したが、残念な事にビュイック・リビエラは力尽きてしまった。

 一番悩んだのは、農家の為に買ったランナーのアタッチメントに機織り機をつけるかどうかだった。

 ロワーヌ天后の隠れた名産品として毛織物があるが、蘇利耶ヴァルハラの化学繊維に押され大衆の着るものからセレブの嗜好品になりつつある。

 セレブが買う量などたかが知れているのだから、羊飼いも職人も困る事になる。

 そのアタッチメントを買ってしまえば、ビュイック・リビエラは修理できない。

 ロワーヌ天后織りを復活させる為には、農家や畜産家や漁師が織物と食糧を交換し、ハイセンスな作業着や普段着を身に着ける事により、その魅力を再発見してもらう必要がある。

 羊の肉は臭いがあるが、美味しく食べる伝統料理は幾らでもある。

 ――少しでも役に立っているといいんだけど――

 農家がランナーを買ったとなれば、メアリは収入があるとして重税を課そうとするだろう。

 その為、譲渡ではなく、WRAライダー共済組合を通して農家が金を出し合って分割で購入したという体裁を取っている。

 アルセーヌの胃袋が切ない音を立てる。

 大草原の草は食用に適しておらず、秋なら多少の穀物を実らせるのだろうが、今の季節むしって食べても腹を下すだけだ。

「アルセーヌ、私はバイオロイドだから休眠モードにすれば一カ月は食べなくても平気だ」

 草笛で遊んでいたアリアが声をかけてくる。

 気遣いはありがたいが、子供が腹を空かせて大人が食べるなどという事はできない。

「子供はお腹いっぱい食べて、元気に遊ぶのが仕事だよ」

 アルセーヌはゆっくりと流れる羊雲を見上げる。

 誰か通りかかれば何か分けてもらうなりできるのだろうが、この寂しい大平原の大陸横断路に人通りはほとんど存在しない。

「保護者が倒れたら子供は遊ぶどころでは無くなるんじゃないか?」

「倒れるまで守るのが保護者だよ」

 アリアがアルセーヌに並んで座る。

「アルセーヌがいないのは嫌だ」

 珍しくしおらしい事を言う。

「大平原は涼しいから、砂漠みたいにすぐに乾いて死ぬ事は無いよ」

 アルセーヌがアリアの頭を撫でると、その頭が感電したように動いた。

 視線が地平線の向こうに向けられる。

「牛の臭い……機械油の臭いもするぞ」

「草原はいい草が多いから牛を育てるには丁度いいんだろうね」

 アルセーヌは笑みを浮かべる。

 あまり自然破壊になるような事はしたくないが、ロワーヌ天后式の牧畜を大平原に持ち込めば一大産業になるかもしれない。

「人が来たら食べ物をたかるつもりなんだろう?」

「ちゃんとお返しはするよ」

 アルセーヌはため息をつく。分け合うというのは心の交流、たかるという行為とは次元の異なる崇高な行為なのだ。

「屁理屈はいい。私が行って来る」

 言うが早いかアリアが馬を追い抜く程の速さで走っていく。

 アルセーヌの脚力でどうにかなるものではない。

 ――今回はアリアに甘えよう――

 自分の能力の及ばない事で悔いたり悔しがったりしても意味が無い。

 大切なのは力を認めて素直に頭を下げる事だ。



〈2〉



「騎遊民、ジョワイユクランのバーディー・ボン・ジョワイユだ」

 牛の群れと共にやって来たランナーから飛び降りた同年代の男性が笑顔で言う。

「こんにちは、アルセーヌ・リッシモンと言います。車が止まって身動きができないのですが、力をお借りできますか? 放牧は馬でしかできませんが、搾乳ならできます」

 アルセーヌが言うとバーディーが笑い声を上げる。

「死ぬほどお人よしの兄ちゃんが、本当に死にそうになっているって聞いて来たんだけど、本当にお人よしな事を言うんだな」

 バーディーが手を差し出して来る。

 アルセーヌは握り返して男の目を見つめる。

「車を修理してもらえると助かるんだけど、食事をさせて頂けるとありがたい」

「騎遊民は機械と酪農の専門家だ。車なんて朝飯前だ。俺じゃないけど」

 言ったバーディーがランナーに飛び乗る。

 角笛を慣らして牛をまとめながら、アルセーヌにビュイック・リビエラに乗るように促す。

 気付けばランナーの肩にはアリアが乗っており、気持ちよさそうに草笛を吹いている。

 アルセーヌはランナーにビュイック・リビエラごと担ぎ上げられ、牛の群れと共に移動を開始した。



〈3〉

 


 バーディーはジョワイユクランの若き族長だった。

 クランとは一族という意味で、大平原にはいくつものクランがあるのだと言う。

 整備や荷物を運ぶ為のトレーラーとランナー、生活の場となるテントが彼らの持ち物だ。

 バーディーが若い雄牛を選んで、夕食に提供してくれる。

 困っている旅人を歓待する事がクランの誇りなのだと言う。

「アルセーヌの車は、タイヤとエンジンとギアとバッテリーとシャフトやナットなんかが限界だ」

 馬乳酒を呷りながらバーディーが言う。

「直りそうに無かったら町まで運んでもらえると嬉しい。手伝える事があればできる範囲でさせてもらう。ロワーヌ天后は農業の国だから、野良仕事ならできる」

 アルセーヌは馬乳酒に口をつける。癖はあるが度数が高く、病みつきになりそうな味だ。

「じゃあ、牝牛の乳しぼりを頼むよ。タダで修理されたら心が痛むんだろ?」

 見透かしたようにバーディーが笑う。

 アルセーヌは好人物である事を再確認する。

「世話になる。明日は乳しぼりは休みだと伝えてくれ」

「アルセーヌ、俺たちにだって、善人か悪人かくらいの区別はつく。膝の上で子供が寝息を立てられるのは善人だけだ。食べて、飲んで、楽しかったと思ってくれればそれがジョワイユの誇りだ」

 アルセーヌがバーディーと話をしていると、一機のランナーがクランの宿営地に向かって来た。

「ブラーヴクランのランド・イールだ。バーディー族長に話がある」

 剽悍な印象の男がランナーから飛び降りる。

 大平原の人間は足腰が強いらしい。

「どうしたんだ?」

 バーディーの視線が険しいものとなる。

「VWCが我々に領域侵犯だと訴えてきた。バイオロイドライダーとランナーを引きつれている」

 ランドは怒りに身を震わせているが、一方でVWCが暴力を振るう事に対する恐怖もあるのだろう。

「族長会議だな。VWCはもう大平原に来ているのか?」

「勝手に家を建てて塀を巡らせて大平原を自分のものにしようとしているらしい」

 蘇利耶ヴァルハラらしいやり口だ。それでこちらが施設を破壊すれば暴力を振るったとして、蘇利耶ヴァルハラの法で勝手に裁いて何倍もの土地を奪おうとするだろう。

 リベルタ大陸を横断する道路があるとはいえ、ロワーヌ天后から幾つかの州を越え、更に山を越えるか北に迂回して入る必要がある。

 原油と小麦中心の北方のミチエーリ玄武が大平原に手を出す理由は無いし、ロワーヌ天后の西方、大平原を山脈で隔てた工業立国のガレリア天空も鉄も水もろくに無いような大平原を欲しいとは思わないだろう。  

 VWCがバイオロイドを連れて来ているという事は蘇利耶ヴァルハラ直轄と見るべきだろう。

 目的は不明だが、痛い目を見せておかないと蘇利耶ヴァルハラはますます無力な人々を犠牲にして富を増そうとするだろう。

「大平原にはどれくらいのランナーがあるんだ?」

 アルセーヌの言葉にランドがバーディーに目を向ける。

「全体では四千だ。仕事もあるし警備に回せるのは百機が限界だ」

 VWCが攻めて来たらひとたまりも無いだろう。

 ランナバウトで決着をつけるとしても、バイオロイドという戦力もあり、屁理屈をこねてどう転んでも騎遊民に不利になるよう仕向けるだろう。

「さっきの馬乳酒の蘇利耶ヴァルハラに対する独占販売権をミチエーリ玄武に。ベスタル大陸のベラウェア県長に製品サンプルを送って販売権交渉。北方牛の熟成肉をガレリア天空の肉屋に売り込んで、同業者組合を通じてガレリア天空知事に圧力をかける。ミチエーリ玄武とガレリア天空に交易の拡大のインフラ整備の為の大陸横断道路の通行税を提案。これでVWCは蘇利耶ヴァルハラから大平原まで移動する度に税金を払う必要が出て来る。更にベラウェア県長がヨークスター太陰に馬乳酒を広めれば大平原を守ろうとする動きが広がる。蘇利耶ヴァルハラが無理筋を通そうとすれば大反発が起きる」

 アルセーヌの言葉にバーディーとランドが唖然とした表情を浮かべる。

「兄ちゃん、俺には言ってる意味が良く分からない」

 バーディーの言葉にアルセーヌは苦笑する。

「外交交渉は俺に任せてくれ。大平原から蘇利耶ヴァルハラを叩き出すぞ」

 アルセーヌの言葉にバーディーとランドが頷く。

「俺たちは何をすればいい?」

 ランドが真剣な表情を浮かべる。

「外交が成功してから動いてもらう。二度と大平原に手を出したいと思えないようにするさ」

 アルセーヌは片目を閉じて見せる。

 ――に、しても、行く先々で蘇利耶ヴァルハラと揉めている気がするのは気のせいだろうか――



〈4〉



 VWCが大平原に進出してから二か月。

 百機のランナーと八十人のバイオロイド、千人の金で雇われた労働者が入植している。

 改めて分かった事だが、大平原の土地は痩せており、牧草は育っても農産物を育てる事は難しい。

 更に大して地下資源がある訳でもない。

 騎遊民が酪農で生活しているのは自然の摂理に適っているのだ。

 それを無視してVWCは都市を作ろうとしている。

 都市というのは名目で、金で騎遊民を汚染して誇りを失わせて死ぬまで働かせるつもりだろう。

『大平原の酒、グラスランドリカーとして商標登録。合同企業としてクラン族長連合の名前で登記する。まだ普及とは行かないが評判は上々だ』

 ベラウェア県長は馬乳酒の販売と普及に乗り気だ。

 元々酒好きなミチエーリ玄武知事は、ミチエーリブランドとして蘇利耶ヴァルハラ輸出の独占権を握り、通行税に同意した。

 ガレリア天空知事は特産のビールに大平原の熟成肉が合う事から精肉の同業者組合と大平原とで売買契約を締結、山岳行路に通行税を設けた。

 これでVWCは大平原に来ようと思ったら、厳しい検問を受け、更に通行税を払うというペナルティを課せられる事になる。

 通行税に対して蘇利耶ヴァルハラが抗議しているが、VWCそのものは蘇利耶ヴァルハラの所有物ではない。

 蘇利耶ヴァルハラが突出しているのは事実だが、多くの資本家や企業の代表が集まって組織を支えているのだ。

 ――トライスター次期当主として動ければもっと楽なんだけど――

 アルセーヌは大陸横断道路の整備に乗り出したミチエーリ玄武とガレリア天空の知事との間で密約を交わしている。

 道路を作る為に大量の物資が運び込まれ、山道が整備される。

 約百機の大平原のランナーは息を潜めている。

 ミチエーリ玄武州の運び込んだガソリンが「不注意で」流れ出し、作業中の「事故で」燃え上がり大平原を炎と煙に巻き込む。

 VWCから見れば大平原が丸ごと燃えているように見えるだろうが、実際には大平原のランナーが草を刈り、溝を作っているため、燃えているのはVWCの周りだけだ。

 VWCが恐慌状態に陥る中、ガレリア天空州が整備していた山岳道路で「事故」が発生。通行不能になる。

 更にミチエーリ玄武を貫くリグーシカ河が、満月の満潮で逆流、大平原への動脈とも言える橋を押し流した。

 VWCは逃げる事も、増援を送る事もできない。

 ベスタル大陸の資本家、ミチエーリ玄武ガレリア天空、グルメ・ロワーヌのトライスター以外の加盟社も蘇利耶ヴァルハラに冷淡だ。

 炎に巻かれる事一週間。食べ物を失い、通信手段も失い、大平原のVWCには逃げ道すら存在しない。

「お灸も据えたし、そろそろ助けてやろうか」

 アルセーヌは騎遊民の族長たちに向かって言う。

 大平原に進出したVWCの構成員は貧しい末端の人間とバイオロイドばかりだ。

美味しい料理と酒を飲み食いすれば、帰る頃には逆に大平原を故郷のように思うだろう。



〈5〉

 


「アルセーヌのお蔭で大平原は助かった。俺たちだけならランナー同士で戦って負けていたかも知れない」

 バーディーの言葉にアルセーヌは笑みを浮かべる。

 大平原に進出したVWCは全員騎遊民に従った。

 バイオロイドの少年少女は動物と遊ぶのが楽しいらしくVWCを離反。

 千人の労働者も騎遊民に帰化した。

 VWC幹部三名だけが悪態をついて蘇利耶ヴァルハラに帰還した。

「バーディーたちのお蔭で車が修理できたし、二か月も食事に困らなかった。助かったのは俺たちの方だよ」

 アルセーヌは気持ちの良いモーターの響きを感じながら言う。

 ビュイック・リビエラは新品のように息を吹き返している。

「えっと……今、トライスター御曹司のアルセーヌ・リッシモンが行方不明らしいんだけどよ」 

「よくある名前だよ。もし俺がそうなら、いつか美味しい肉と酒を交換しよう。ロワーヌ天后も料理には自信があるんだ」

 アルセーヌはビュイック・リビエラの窓から右手を差し出す。

 バーディーが右手を握り返して来る。 

「今度会う時はランナーを操縦できるようになるまでしごいてやるよ」

 アルセーヌは笑みを返してビュイック・リビエラを発進させる。

 大平原を超えた先、セリカ勾陳州と傑華青龍州を超えた大韓六合州から海に出れば、そこに問題の小島があるはずだった。

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