『近畿地方のある場所について』 4
「話があります」
電話口の小沢くんは心なしか怒っているようでした。
呼びつけられた私が神保町のカフェへ向かうと、彼はすでに到着しており、私が席に着くなり、一枚のプリントアウトを差し出しました。
「読んでください」
言われるがままに私はそのプリントアウトに目を通しました。
それは、●●●●●にあったというカルト教団への潜入レポートの記事でした。
最後まで読み終わらないうちに彼は言いました。
「これ、書いたのあなたですよね?」
私は驚きました。
確かに私は、女性です。
ライターとして駆け出しのころは、仕事を選ばず、過激な記事も書いてきました。
ちょうどその頃、入院をしていた記憶もあります。
でも、そんな記事を書いた記憶はありませんでした。
私が否定すると、小沢くんは黙って記事の末尾を指さしました。
そこには、筆者のクレジットとして私のペンネームがありました。
「あなたのペンネーム、少し珍しいですよね。これがあなたじゃないなら、他に誰が書いたって言うんですか?」
私は必死で否定しました。
彼は疑いの眼差しを隠そうともせず言いました。
「じゃあ、なんですか。あなたはこのときの記憶を失ってるっていうんですか?」
言い終わったタイミングでハッとした顔をしました。
「もしかして……」
私は続きを促しました。
「『新種UMA ホワイトマンを発見!』でも『待っている』でも助かった女性はいます。そして、助かった女性はみんな記憶を失ったり、痴呆のような症状が出ている……あなたもそうなんですか?」
私は自分に自信がなくなっており、反応ができませんでした。
「でも、もしそうだとしたら、なぜあなたは助かったんですか? なぜ、教団に潜入までしておきながら、こうして今も無事なんですか?」
私は、回らない頭で必死に考えました。なぜ、自分は生きているのか。なぜ、自分は「嫁」に選ばれなかったのか。なぜ、「高みへ行けなかった」のか……。
そして、ある理由に思い当たりました。
潜入レポートの記事は、2000年のものでした。
忘れもしません。その前年、私はひとり息子を事故で亡くしていました。
交通事故でした。
それが原因で夫とは離婚し、働いていた出版社を退職した後、ライターとしてがむしゃらに働き始めました。
ただ、肉体的にも精神的にも無理をしていた私は、身体を壊して、入院した、そう思っていました。記事によれば、私が入院したのは施設での出来事が原因だったようですが。
記事を書いたのが当時の私だとしたら、信者の女性に感情移入をしてしまい、取材を忘れて無用な声掛けをしてしまったのも納得です。
それを踏まえたうえで、私は小沢くんに言いました。
この山へ誘うモノは、出産していない女性を狙っているのではないかと。
漠然と若い女性を狙っているという認識だったが、この怪異はターゲットを明確に取捨選択していると。
彼はしばらく黙った後、口を開きました。
「確かに、そうかも知れません。いや、そうなのでしょう。疑ってしまって本当にすみませんでした」
詫びる彼に、その必要はない旨を伝えつつ、私たちは飲み物をオーダーしました。
私はブラックコーヒー、彼はアイスのカフェラテを。
彼は、飲み物を待っている間、落ち着きがありませんでした。
飲み物が運ばれてくると、受け取るなりアイスのカフェラテを一気に飲み干し、彼は言いました。
「僕、怖いんです」
******
この記事を読んでいる最中、僕はあることに気が付きました。
記事の中で信者が口々に唱えている呪文のようなものが、僕が大学のときに聞いた社会人サークルの話に出てくる呪文にとてもよく似ています。
でも、微妙に違うんです。
でも、微妙に違うということがなぜ僕にわかるんでしょうか。
なぜ、友人から話を聞いただけの僕が、その呪文を全て覚えているのでしょうか。
友人にしてもそうです。一度聞いただけの、しかも多人数が同時に話していたであろう意味不明な五十音の羅列を、なぜ全て暗記できるのでしょう。
昨日、友達数人から連絡がありました。女友達です。
夜中に変な電話をかけてくるのをやめろって。
その友達、言うんです。僕がずっと電話口で言ってたって。
「山に行こうよ。楽しいから。行こう。山へ」
そんな電話をかけた覚えはありませんでした。
でも、発信履歴を確認したら、電話帳を上から順に、女性にだけかけていました。
あなたの話を聞いた後に思い返すと、確かにこどものいる女性にはかけてなかったような気がします。
僕、おかしくなってしまったんでしょうか。
何をしてても、この特集についてずっと考えてしまうんです。
最初は、初めて任された仕事がうれしくて、少しハイになっているだけなのかなと思ってました。でも、家でシャワーを浴びながら考えているときに、鏡を見て気づいたんです。鏡の中の僕、笑ってました。
でも、やっぱり楽しい。
そんな自分が怖いんです。
あなたはどうですか?
******
私の反応を待たずに、彼は続けました。
そうです。「山へ誘うモノ」と「赤い女」と「あきらくん」についての考察を延々と。
私が話を遮ってようやく話すのをやめた彼は、一呼吸置き、言いました。
「もう少しです。もう少しな気がします。まだわからない部分は多いですが、もう少しで全部つながっていい特集になりそうなんです」
その勢いのまま、彼は続けました。
「僕、ここまで来たら一度●●●●●に行ってみようと思います」
私には彼を止める資格はありませんでした。
もう、私も無事ではありませんでしたから。
彼は行ってしまいました。
2か月後、彼は死にました。
いえ、2か月後に死体で見つかったというのが正確です。
彼がもう生きていないことを知っていた私が、ダムで友人が自殺したという通報をしたからです。
彼は●●●●●のダムで見つかりました。
彼とは面識のない女性と一緒に。
皆さんに嘘をついてしまって本当にごめんなさい。
『近畿地方のある場所について』はこれでお終いです。
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