二 蟹田
津軽半島の東海岸は、昔から外ヶ浜と呼ばれて船舶の往来の繁盛だったところである。青森市からバスに乗って、この東海岸を北上すると、
蟹田のN君の家では、赤い
「リンゴ酒でなくちゃいけないかね。日本酒も、ビールも駄目かね。」と、N君は、言いにくそうにして言うのである。
駄目どころか、それはリンゴ酒よりいいにきまっているのであるが、しかし、日本酒やビールの貴重なことは「
「それあ、どちらでも。」私は複雑な微笑をもらした。
N君は、ほっとした面持で、
「いや、それを聞いて安心した。僕は、どうも、リンゴ酒は好きじゃないんだ。実はね、女房の
「でも、奥さんの言も当っていないことはないんだ。」
「何を言ってる。もう、よせ。日本酒をさきにしますか? ビール?」
「ビールは、あとのほうがいい。」私も少し
「僕もそのほうがいい。おうい、お酒だ。お
青雲
二十年前に別れ、三千里外に行く。
(白居易)
私は、中学時代には、よその家へ遊びに行ったことは絶無であったが、どういうわけか、同じクラスのN君のところへは、実にしばしば遊びに行った。N君はその頃、寺町の大きい酒屋の二階に下宿していた。私たちは毎朝、誘い合って一緒に登校した。そうして、帰りには裏路の、海岸伝いにぶらぶら歩いて、雨が降っても、あわてて走ったりなどはせず、全身
慎しもうと思いながら、つい、
その夜は、しかし、私はそのような下手な感懐をもらすことはせず、芭蕉翁の遺訓にはそむいているようだったけれども、居眠りもせず大いに雑談にのみ打ち興じ、眼前に好物の蟹の山を眺めて夜の更けるまで飲みつづけた。N君の小柄でハキハキした奥さんは、私が蟹の山を眺めて楽しんでいるばかりで一向に手を出さないのを見てとり、これは蟹をむいてたべるのを大儀がっているのに違いないとお思いになった様子で、ご自分でせっせと蟹を器用にむいて、その白い美しい肉をそれぞれの蟹の甲羅につめて、フルウツ何とかという、あの、果物の原形を保持したままの香り高い涼しげな水菓子みたいな体裁にして、いくつもいくつも私にすすめた。おそらくは、けさ、この蟹田浜からあがったばかりの蟹なのであろう。もぎたての果実のように新鮮な軽い味である。私は、食べ物に無関心たれという自戒を平気で破って、三つも四つも食べた。この夜、奥さんは、来る人来る人みんなにお膳を差し上げて、この土地の人でさえ、そのお膳の豊潤に驚いていたくらいであった。顔役のお客さんたちが帰ってしまうと、私とN君は奥の座敷から茶の間へ酒席を移して、アトフキをはじめた。アトフキというのは、この津軽地方において、祝言か何か家に人寄せがあった場合、お客が皆かえった後で、身内の少数の者だけが、その
「しかし、君も、」と私は、深い
僕に酒を教えたのは、実に、このN君なのである。それは、たしかに、そうなのである。
「うむ。」とN君は盃を手にしたままで、
「ああ、そうなんだ。そのとおりなんだ。君に責任なんかありゃしないよ。全く、そのとおりなんだ。」
やがて奥さんも加わり、お互いの子供のことなど語り合って、しんみり、アトフキをやっているうちに、突如、鶏鳴あかつきを告げたので、大いに驚いて私は寝所へ引き上げた。
その前日には西風が強く吹いて、N君の家の戸障子をゆすぶり、「蟹田ってのは、風の町だね」と私は、れいの独り合点の卓説を吐いたりなどしていたものだが、きょうの蟹田町は、前夜の私の暴論を忍び笑うかのような、おだやかな上天気である。そよとの風もない。観瀾山の桜は、いまが最盛期らしい。静かに、淡く咲いている。
その日、蟹田の観瀾山で一緒にビールを飲んだ人たちも、たいていその五十年配の作家の心酔者らしく、私に対して、その作家のことばかり質問するので、とうとう私も芭蕉翁の行脚の掟を破って、そのような悪口を言い、言いはじめたら次第に興奮してきて、それこそ
「貴族的なんて、そんな馬鹿なことを私たちは言っていません。」と、今別から来たMさんは、当惑の面持で、ひとりごとのようにして言った。酔漢の放言に閉口し切っているというようなふうに見えた。他の人たちも、互いに顔を見合わせてにやにや笑っている。
「要するに、」私の声は悲鳴に似ていた。ああ、先輩作家の悪口は言うものではない。「男振りにだまされちゃいかんということだ。ルイ十六世は、史上まれに見る
「でも、あの人の作品は、私は好きです。」とMさんは、イヤにはっきり宣言する。
「日本じゃ、あの人の作品など、いいほうなんでしょう?」と青森の病院のHさんは、つつましく、取りなし顔に言う。
私の立場は、いけなくなるばかりだ。
「そりゃ、いいほうかもしれない。まあ、いいほうだろう。しかし、君たちは、僕を前に置きながら、僕の作品に就いて一言も言ってくれないのは、ひどいじゃないか。」私は笑いながら
みんな微笑した。やはり、本音を吐くに限る、と私は図に乗り、
「僕の作品なんかは、滅茶苦茶だけれど、しかし僕は、大望を抱いているんだ。その大望が重すぎて、よろめいているのが僕の現在のこの姿だ。君たちには、だらしのない無智な薄汚い姿に見えるだろうが、しかし僕は本当の気品というものを知っている。松葉の形の
暴言であった。「他の短を挙げて、己が長を顕すことなかれ。人を
「まあ、仕様がないや。」と私は、うしろに両手をついて
みんな、ひどく笑った。笑われて、私も、気持がたすかった。蟹田分院の事務長のSさんが、腰を浮かして、
「どうです。この辺で、席を変えませんか。」と、世慣れた人に特有の慈悲深くなだめるような口調で言った。蟹田町でいちばん大きいEという旅館に、皆の昼飯の支度をさせてあるという。いいのか、と私はT君に眼でたずねた。
「いいんです。ごちそうになりましょう。」T君は立ち上がって上衣を着ながら、「僕たちが前から計画していたのです。Sさんが配給の上等酒をとっておいたそうですから、これから皆で、それをごちそうになりに行きましょう。Nさんのごちそうにばかりなっていては、いけません。」
私はT君の言うことにおとなしく従った。だから、T君が傍についていてくれると、心強いのである。
Eという旅館は、なかなか
「やっぱり、蟹田だなあ。」と誰か言った。
T君はお酒を飲めないので、ひとり、さきにごはんを食べたが、他の人たちは、皆、Sさんの上等酒を飲み、ごはんを後廻しにした。酔うに従ってSさんは、上機嫌になってきた。
「私はね、誰の小説でも、みな一様に好きなんです。読んでみると、みんな面白い。なかなかどうして、上手なものです。だから私は、小説家ってやつを好きで仕様がないんです。どんな小説家でも、好きで好きでたまらないんです。私は、子供を、男の子で三つになりましたがね、こいつを小説家にしようと思っているんです。名前も、文男とつけました。
私の頭が、鉢が開いているとは初耳であった。私は、自分の
「どうです。お酒もそろそろなくなったようですし、これから私の家へみんなでいらっしゃいませんか。ね、ちょっとでいいんです。うちの女房にも、文男にも、逢ってやって下さい。たのみます。リンゴ酒なら、蟹田には、いくらでもありますから、家へ来て、リンゴ酒を、ね。」と、しきりに私を誘惑するのである。御好志はありがたかったが、私は頭の鉢以来、とみに意気が
「行っておやりになったら? Sさんは、きょうは珍しくひどく酔っているようですが、ずいぶん前から、あなたのおいでになるのを楽しみにして待っていたのです。」
私は行くことにした。頭の鉢にこだわることは、やめた。あれはSさんが、ユウモアのつもりでおっしゃったのに違いないと思い直した。どうも、容貌に自信がないと、こんなつまらぬことにもくよくよしていけない。容貌に就いてばかりでなく、私にいま最も欠けているものは「自信」かもしれない。
Sさんのお家へ行って、その津軽人の本性を暴露した熱狂的な接待振りには、同じ津軽人の私でさえ少しめんくらった。Sさんは、お家へはいるなり、たてつづけに奥さんに用事を言いつけるのである。
「おい、東京のお客さんを連れて来たぞ。とうとう連れて来たぞ。これが、そのれいの太宰って人なんだ。
私は決して誇張法を用いて描写しているのではない。この疾風
後で聞いたがSさんはそれから一週間、その日の卵味噌のことを思い出すと恥ずかしくて酒を飲まずには居られなかったという。ふだんは人一倍はにかみやの、神経の繊細な人らしい。これもまた津軽人の特徴である。生粋の津軽人というものは、ふだんは、決して粗野な野蛮人ではない。なまなかの都会人よりも、はるかに優雅な、こまかい思いやりを持っている。その抑制が、事情によって、どっと
「どう? あれから奥さんに
「いいえ、まだ。」と答えたという。
叱られるつもりでいるらしい。
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