三 外ヶ浜
Sさんの家を辞去してN君の家へ引き上げ、N君と私は、さらにまたビールを飲み、その夜はT君も引きとめられてN君の家へ泊ることになった。三人一緒に奥の部屋に寝たのであるが、T君は翌朝早々、私たちのまだ眠っているうちにバスで青森へ帰った。勤めがいそがしい様子である。
「
「うん、咳をしていた。」と厳粛な顔をして言った。酒飲みというものは、酒を飲んでいないときにはひどく厳粛な顔をしているものである。いや、顔ばかりではないかもしれない。心も、きびしくなっているものである。「あまり、いい咳じゃなかったね。」N君も、さすがに、眠っているようであっても、ちゃんとそれを聞き取っていたのである。
「気で押すさ。」とN君は突き放すような口調で言って、ズボンのバンドをしめ上げ、
「僕たちだって、なおしたんじゃないか。」
N君も、私も、永い間、呼吸器の病気と闘ってきたのである。N君はひどい
この旅行に出る前に、ある雑誌に短篇小説を一つ送ることを約束していて、その締切りがきょうあすに迫っていたので、私はその日一日と、それから
「書けたかね。二、三枚でも書けたかね。僕のほうは、もう一時間経ったら、完了だ。一週間分の仕事を二日でやってしまった。あとでまた遊ぼうと思うと気持に張り合いが出て、仕事の能率もぐんと上がるね。もう少しだ。最後の馬力をかけよう。」と言って、すぐ工場のほうへ行き、十分も経たぬうちに、また私の部屋へやって来て、
「書けたかね。僕のほうは、もう少しだ。このごろは機械の調子もいいんだ。君は、まだうちの工場を見たことがないだろう。汚い工場だよ。見ないほうがいいかもしれない。まあ、精を出そう。僕は工場のほうにいるからね。」と言って帰って行くのである。鈍感な私も、やっと、その時、気がついた。N君は私に、工場で働いている彼の
「さかんだね。」と私は大声で言った。
N君は振りかえり、それは
「仕事は、すんだか。よかったな。僕のほうも、もうすぐなんだ。はいりたまえ。下駄のままでいい。」と言うのだが、私は、下駄のままで精米所へのこのこはいるほど無神経な男ではない。N君だって、清潔な
「ずいぶん大がかりな機械じゃないか。よく君はひとりで操縦が出来るね。」お世辞ではなかった。N君も、私と同様、科学的知識においては、あまり達人ではなかったのである。
「いや、簡単なものなんだ。このスイッチをこうすると、」などと言いながら、あちこちのスイッチをひねって、モーターをぴたりと止めて見せたり、また
ふと私は、工場のまん中の柱に張りつけられてある小さいポスターに目をとめた。お
工場の奥に、かなり大きい機械が二つ休んでいる。あれは何? とN君に聞いたら、N君は
「あれは、なあ、縄を作る機械と、
N君には、四歳の男の子がひとりある他に、死んだ妹さんの子供をも三人あずかっているのだ。妹さんの御亭主も、北支で戦死をなさったので、N君夫妻は、この三人の遺児を当然のこととして育て、自分の子供と全く同様に
「七転び八起きだね。いろんなことがある。」と言って私は、自分の身の上とも思い合わせ、ふっと涙ぐましくなった。この善良な友人が、
その夜はまた、お互い一仕事すんだのだから、などと言いわけして二人でビールを飲み、郷土の凶作のことに就いて話し合った。N君は青森県郷土史研究会の会員だったので、郷土史の文献をかなり持っていた。
「何せ、こんなだからなあ。」と言ってN君はある本をひらいて私に見せたが、そのペエジには次のような、津軽凶作の年表とでもいうべき不吉な一覧表が載っていた。
元和二年 大凶
寛永十八年 大凶
寛永十九年 凶
寛文十一年 凶
延宝三年 凶
延宝七年 凶
元禄七年 大凶
元禄八年 大凶
元禄九年 凶
元禄十五年 半凶
宝永三年 凶
宝永四年 大凶
享保五年 凶
元文五年 凶
延享四年 凶
天明三年 大凶
天明六年 大凶
天明七年 半凶
寛政五年 凶
寛政十一年 凶
文化十年 凶
天保四年 大凶
天保六年 大凶
天保七年 大凶
天保八年 凶
天保九年 大凶
天保十年 凶
慶応二年 凶
明治二年 凶
明治六年 凶
明治二十二年 凶
明治二十四年 凶
明治三十年 凶
明治三十五年 大凶
明治三十八年 大凶
大正二年 凶
昭和六年 凶
昭和九年 凶
昭和十年 凶
昭和十五年 半凶
津軽の人でなくても、この年表に接しては
「これは、いかん。」と言った。「科学の世の中とか何とか偉そうなことを言ってたって、こんな凶作を防ぐ法を百姓たちに教えてやることも出来ないなんて、だらしがねえ。」
「いや、技師たちもいろいろ研究はしているのだ。冷害に堪えるように品種が改良されてもいるし、植え附けの時期にも工夫が加えられて、今では、昔のように徹底した不作などなくなったけれども、でも、それでも、やっぱり、四、五年に一度は、いけないときがあるんだねえ。」
「だらしがねえ。」私は、誰にともなき
N君は笑って、
「
「あんまり結構な人情でもないね。春風
「それでも君は、負けないじゃないか。津軽地方は昔から他国の者に攻め破られたことがないんだ。殴られるけれども、負けやしないんだ。」
生れ落ちるとすぐに凶作にたたかれ、雨露をすすって育った私たちの祖先の血が、いまの私たちに伝わっていないわけはない。春風駘蕩の美徳もうらやましいものには違いないが、私はやはり祖先のかなしい血に、出来るだけ見事な花を咲かせるように努力するより他には仕方がないようだ。いたずらに過去の悲惨に
どの地理書を
むく鳥、
まことに有難い祝辞で、思わず
「お酒は、どうします? リュックサックに、ビールの二、三本も入れておきましょうか?」と、奥さんに言われて、私は、まったく、冷汗三斗の思いであった。なぜ、酒飲みなどという不面目な種族の男に生れて来たか、と思った。
「いや、いいです。なければないで、また、それは、べつに。」などと、しどろもどろの不得要領なることを言いながらリュックサックを背負い、逃げるが如く家を出て、後からやって来たN君に、
「いや、どうも。酒、と聞くとひやっとするよ。針の
「僕もね、ひとりじゃ我慢も出来るんだが、君の顔を見ると、飲まずには居られないんだ。今別のMさんが配給のお酒を近所から少しずつ集めておくって言っていたから、今別にちょっと立ち寄ろうじゃないか。」
私は複雑な
「みんなに苦労をかけるわい。」と言った。
はじめは蟹田から船でまっすぐに竜飛まで行き、帰りは徒歩とバスという計画であったのだが、その日は朝から東風が強く、荒天といっていいくらいの天候で、乗って行くはずの定期船は欠航になってしまったので、予定をかえて、バスで出発することにしたのである。バスは案外、
「奥州津軽の外ヶ浜に在りし頃、所の役人より丹後の人は居ずやと
へんな話である。丹後の人こそ、いい迷惑である。丹後の国は、いまの京都府の北部であるが、あの辺の人は、この時代に津軽へ来たら、ひどいめに遭わなければならなかったわけである。安寿姫と
外ヶ浜の
「どちらへ、いらっしゃったのですか?」とN君はのんびりしている。リュックサックをおろして、「とにかく、ちょっと休ませていただきます。」玄関の式台に腰をおろした。
「呼んでまいります。」
「はあ、すみませんですな。」N君は泰然たるものである。「病院のほうですか?」
「え、そうかと思います。」美しく内気そうな奥さんは、小さい声で言って下駄をつっかけ外へ出て行った。Mさんは、今別のある病院に勤めているのである。
私もN君と並んで式台に腰をおろし、Mさんを待った。
「よく打ち合わせて置いたのかね。」
「うん、まあね。」N君は落ちついて煙草をふかしている。
「あいにく昼飯時で、いけなかったね。」私は何かと気をもんでいた。
「いや、僕たちもお弁当を持って来たんだから。」と言って澄ましている。西郷隆盛もかくやと思われるくらいであった。
Mさんが来た。はにかんで笑いながら、
「さ、どうぞ。」と言う。
「いや、そうしてもいられないんです。」とN君は腰をあげて、「船が出るようだったら、すぐに船で竜飛まで行きたいと思っているのです。」
「そう。」Mさんは軽く
Mさんがわざわざ波止場まで聞きに行ってくれたのだが、船はやはり欠航ということであった。
「仕方がない。」たのもしい私の案内者は別に
「うん、ここで腰かけたままでいい。」私はいやらしく遠慮した。
「あがりませんか。」Mさんは気弱そうに言う。
「あがらしてもらおうじゃないか。」N君は平気でゲートルを解きはじめた。「ゆっくり、次の旅程を考えましょう。」
私たちはMさんの書斎に通された。小さい囲炉裏があって、炭火がパチパチ言っておこっていた。書棚には本がぎっしりつまっていて、ヴァレリイ全集や鏡花全集も
「お酒は、あります。」上品なMさんは、かえってご自分のほうで顔を赤くしてそう言った。
「飲みましょう。」
「いやいや、ここで飲んでは、」と言いかけてN君は、うふふと笑ってごまかした。
「それは大丈夫。」とMさんは敏感に察して、「竜飛へお持ちになる酒は、また別に取って置いてありますから。」
「ほほ、」とN君は、はしゃいで、「いや、しかし、いまから飲んでは、きょうのうちに竜飛に到着することが出来なくなるかも、」などと言っているうちに、奥さんが黙ってお
「それじゃ酔わない程度に、少し飲もうか。」とN君に向かって提案した。
「飲んだら酔うよ。」N君は先輩顔で言って、「きょうは、これあ、三厩泊りかな?」
「それがいいでしょう。きょうは今別でゆっくり遊んで、三厩までだったら歩いて、まあ、ぶらぶら歩いて一時間かな? どんなに酔ってたって楽に行けます。」とMさんもすすめる。きょうは三厩一泊ときめて、私たちは飲んだ。
私には、この部屋へはいったときから、こだわっていたものが一つあった。それは私が蟹田でつい悪口を言ってしまったあの五十年配の作家の随筆集が、Mさんの机の上にきちんと置かれていることであった。愛読者というものは偉いもので、私があの日、蟹田の観瀾山であれほど口汚くこの作家を
「ちょっと、その本を貸して。」どうも気になって落ちつかないので、とうとう私は、Mさんからその本を借りて、いい加減にぱっと開いて、その箇所を
「いま読んだところは、少しよかった。しかし、他の作品には悪いところもある。」と私は負け惜しみを言った。
Mさんは、うれしそうにしていた。
「
Mさんは相手にせず、ただ黙って笑っている。勝利者の微笑である。けれども私は本心は、そんなに口惜しくもなかったのである。いい文章を読んでほっとしていたのである。アラを拾って凱歌などを奏するよりは、どんなに、いい気持のものかわからない。ウソじゃない。私は、いい文章を読みたい。
今別には本覚寺という有名なお寺がある。
「文学談もいいが、どうも、君の文学談は一般向きでないね。ヘンテコなところがある。だから、いつまで経っても有名にならん。貞伝和尚なんかはね、」とN君は、かなり酔っていた。
「貞伝和尚なんかはね、仏の教えを説くのは後まわしにして、まず民衆の生活の福利増進を図ってやった。そうでもなくちゃ、民衆なんか、仏の教えも何も聞きやしないんだ。貞伝和尚は、あるいは産業を興し、あるいは、」と言いかけて、ひとりで噴き出し、「まあ、とにかく行ってみよう。今別へ来て本覚寺を見なくちゃ恥です。貞伝和尚は、外ヶ浜の誇りなんだ。そう言いながら、実は僕もまだ見ていないんだ。いい機会だから、きょうは見に行きたい。みんなで一緒に見に行こうじゃないか。」
私は、ここで飲みながらMさんと、いわゆるヘンテコなところのある文学談をしていたかった。Mさんも、そうらしかった。けれどもN君の貞伝和尚に対する情熱はなかなかのもので、とうとう私たちの重い
「それじゃ、その本覚寺に立ち寄って、それからまっすぐに三厩まで歩いて行ってしまおう。」私は玄関の式台に腰かけてゲートルを巻きつけながら、「どうです、あなたも。」と、Mさんを誘った。
「はあ、三厩までお供させていただきます。」
「そいつあ有難い。この勢いじゃ、町会議員は今夜あたり、三厩の宿で蟹田町政に就いて長講一席やらかすんじゃないかと思って、実は、
「はあ。」とだけ言って、微笑する。少しは慣れた様子であった。いや、あきらめたのかもしれない。
私たちはお酒をそれぞれの水筒につめてもらって、大陽気で出発した。そうして途中も、N君は、テイデン和尚、テイデン和尚、と言い、すこぶるうるさかったのである。お寺の屋根が見えてきた頃、私たちは、魚売りの小母さんに
「その鯛は、いくらです。」まるっきり見当が、つかなかった。
「一円七十銭です。」安いものだと思った。
私は、つい、かってしまった。けれども買ってしまってから、始末に窮した。これからお寺へ行くのである。二尺の鯛をさげてお寺へ行くのは奇怪の図である。私は途方にくれた。
「つまらんものを買ったねえ。」とN君は、口をゆがめて私を
「いや、三厩の宿へ行って、これを一枚のままで塩焼きにしてもらって、大きいお皿に載せて三人でつつこうと思ってね。」
「どうも、君は、ヘンテコなことを考える。それでは、まるでお祝言か何かみたいだ。」
「でも、一円七十銭で、ちょっと豪華な気分にひたることも出来るんだから有難いじゃないか。」
「有難かないよ。一円七十銭なんて、この辺では高い。実に君は
「そうかねえ。」私は、しょげた。
とうとう私は二尺の鯛をぶらさげたまま、お寺の境内にはいってしまった。
「どうしましょう。」と私は小声でMさんに相談した。「弱りました。」
「そうですね。」Mさんは
Mさんはお寺の
「たいしたお寺でもないじゃないか。」と私は小声でN君に言った。
「いやいや、いやいや。外観よりも内容がいいんだ。とにかく、お寺へはいって坊さんの説明でも聞きましょう。」
私は気が重かった。しぶしぶN君の後について行ったが、それから、実にひどいめに
「しからば、さらにもう一つお尋ねいたしますが、」と言うのである。「いったい、このお寺はテイデン和尚が、いつごろお作りになったものなのでしょうか。」
「何をおっしゃっているのです。貞伝上人様はこのお寺を御草創なさったのではございませんよ。貞伝上人様は、このお寺の中興開山、五代目の上人様でございまして、──」と、またもや長い説明が続く。
「そうでしたかな。」とN君は、きょとんとして、「しからば、さらにお尋ねいたしますが、このテイザン和尚は、」テイザン和尚と言った。まったく滅茶苦茶である。
N君は、ひとり熱狂して膝をすすめ膝をすすめ、ついにはその老婦人の膝との間隔が紙一重くらいのところまで進出して、一問一答をつづけるのである。そろそろ、あたりが暗くなってきて、これから三厩まで行けるか、どうか心細くなってきた。
「あそこにありまする大きな見事な
「さようでございますか。」とN君は感服し、「大野九郎兵衛様と申しますと、──」
「ご存じでございましょう。忠臣義士のひとりでございます。」忠臣義士と言ったようである。
「あのお方は、この土地でおなくなりになりまして、おなくなりになったのは、四十二歳、たいへん御信仰の厚いお方でございましたそうで、このお寺にもたびたび
Mさんはこの時とうとう立ち上がり、おかみさんの前に行って、内ポケツトから白紙に包んだものを差し出し、黙って丁寧にお辞儀をしてそれからN君に向かって、
「そろそろ、おいとまを。」と小さい声で言った。
「はあ、いや、帰りましょう。」とN君は
「あんなに情熱的にいろんな質問を発していたじゃないか。」と言うと、
「いや、すべて、うわのそらだった。何せ、ひどく酔ってたんだ。僕は君たちがいろいろ知りたいだろうと思って、がまんして、あのおかみの話相手になってやっていたんだ。僕は犠牲者だ。」つまらない犠牲心を発揮したものである。
三厩の宿に着いた時には、もう日が暮れかけていた。表二階の
「わるくないね。鯛もあるし、海の雨を眺めながら、ゆっくり飲もう。」私はリュックサックから鯛の包みを出して、女中さんに渡し、「これは鯛ですけどね、これをこのまま塩焼きにして持って来て下さい。」
この女中さんは、あまり
「わかりましたか。」N君も、私と同様すこし女中さんに不安を感じたのであろう。呼びとめて念を押した。「そのまま塩焼きにするんですよ。三人だからと言って、三つに切らなくてもいいのですよ。ことさらに、三等分の必要はないんですよ。わかりましたか。」N君の説明も、あまり上手とは言えなかった。女中さんは、やっぱり、はあ、と頼りないような返事をしただけであった。
やがてお
「仕方がない。持参の酒を飲もう。」
「そういうことになるね。」とN君は気早く、水筒を引き寄せ、「すみませんがお
ことさらに三つとは限らないか、などと冗談を言っているうちに、鯛が出た。ことさらに三つに切らなくてもいいというN君の注意が、実に馬鹿馬鹿しい結果になっていたのである。頭も尾も骨もなく、ただ鯛の切り身の塩焼きが五片ばかり、何の風情もなく白茶けて皿に載っているのである。私は決して、たべものにこだわっているのではない。食いたくて、二尺の鯛を買ったのではない。読者は、わかってくれるだろうと思う。私はそれを一尾の原形のままで焼いてもらって、そうしてそれを大皿に載せて眺めたかったのである。食う食わないは主要な問題でないのだ。私は、それを眺めながらお酒を飲み、ゆたかな気分になりたかったのである。ことさらに三つに切らなくてもいい、というN君の言い方もへんだったが、そんなら五つに切りましょうと考えるこの宿の者の無神経が、
「つまらねえことをしてくれた。」お皿に愚かしく積まれてある五切れのやきざかな(それはもう鯛ではない、単なる、やきざかなだ)を眺めて、私は、泣きたく思った。せめて、刺身にでもしてもらったのなら、まだあきらめもつくと思った。頭や骨はどうしたろう。大きい見事な頭だったのに、捨てちゃったのかしら。さかなの豊富な地方の宿は、かえって、さかなに鈍感になって、料理法も何も知りやしない。
「怒るなよ、おいしいぜ。」人格円満のN君は、平気でそのやきざかなに
「そうかね。それじゃ、君がひとりで全部たべたらいい。食えよ。僕は、食わん。こんなもの馬鹿馬鹿しくって食えるか。だいたい、君が悪いんだ。ことさらに三等分の必要はない、なんて、そんな蟹田町会の予算総会で使うような気取った言葉で註釈を加えるから、あの間抜けの女中が、まごついてしまったんだ。君が悪いんだ。僕は、君を、うらむよ。」
N君はのんきに、うふふと笑い、
「しかし、また、愉快じゃないか。三つに切ったりなどしないように、と言ったら、五つに切った。しゃれている。しゃれているよ、ここの人は。さあ、乾盃、乾盃、乾盃。」
私は、わけのわからぬ乾盃を強いられ、鯛の
「姉と妹とがあってね。」私は、ふいとそんなお
「わかった、わかった。」N君は、がばと起きて、「万事、姉娘式で行こう。いちどにどっと、やってしまおう。」
私たちは起きて囲炉裏をかこみ、鉄瓶にお
お昼頃、雨がはれた。私たちは、おそい朝飯をたべ、出発の身支度をした。うすら寒い曇天である。宿の前で、Mさんとわかれ、N君と私は北に向かって発足した。
「登ってみようか。」N君は
「うん。」私たちはその石の鳥居をくぐって、石の段々を登った。頂上まで、かなりあった。石段の両側の樹々の梢から雨のしずくが落ちて来る。
「これか。」
石段を登り切った小山の頂上には、古ぼけた堂屋が立っている。堂の扉には、
「これか。」と、また言った。
「これだ。」N君は間抜けた声で答えた。
むかし源義経、高館をのがれ蝦夷へ渡らんと此所
れいの「東遊記」で紹介せられているのは、この寺である。
私たちは無言で石段を降りた。
「ほら、この石段のところどころに、くぼみがあるだろう? 弁慶の足あとだとか、義経の馬の足あとだとか、何だとかいう話だ。」N君はそう言って、力なく笑った。私は信じたいと思ったが、駄目であった。鳥居を出たところに岩がある。東遊記にまた
「波打際に大なる岩ありて馬屋のごとく、穴三つ並べり。是義経の馬を立給ひし所となり。是によりて此地を
私たちはその巨岩の前を、ことさらに急いで通り過ぎた。故郷のこのような伝説は、奇妙に恥ずかしいものである。
「これは、きっと、鎌倉時代によそから流れて来た不良青年の二人組が、何を隠そうそれがしは九郎判官、してまたこれなる
「しかし、弁慶の役は、つまらなかったろうね。」N君は私よりも更に
話しているうちに、そんな二人の不良青年の放浪生活が、ひどく楽しかったもののように空想せられ、うらやましくさえなってきた。
「この辺には、美人が多いね。」と私は小声で言った。通り過ぎる部落の、家の蔭からちらと姿を見せてふっと消える娘さんたちは、みな色が白く、みなりも小ざっぱりして、気品があった。手足が荒れていない感じなのである。
「そうかね。そう言えば、そうだね。」N君ほど、女にあっさりしている人も少ない。ただ、もっぱら、酒である。
「まさか、いま、義経だと言って名乗ったって、信じないだろうしね。」私は馬鹿なことを空想していた。
はじめは、そんなたわいないことを言い合って、ぶらぶら歩いていたのだが、だんだん二人の歩調が早くなってきた。まるで二人で
「これでも、道がずいぶんよくなったのだよ。六、七年前は、こうではなかった。波のひくのを待って素早く通り抜けなければならぬところが幾箇処もあったのだからね。」
「でも、いまでも、夜は駄目だね。とても、歩けまい。」
「そう、夜は駄目だ、義経でも弁慶でも駄目だ。」
私たちは真面目な顔をしてそんなことを言い、なおもせっせと歩いた。
「疲れないか。」N君は振り返って言った。「案外、健脚だね。」
「うん、未だ老いずだ。」
二時間ほど歩いた頃から、あたりの風景は何だか異様に
大洋の激浪や、沙漠の暴風に対しては、どんな文学的な形容詞も思い浮かばないのと同様に、この本州の路のきわまるところの岩石や水も、ただ、おそろしいばかりで、私はそれから眼をそらして、ただ自分の足もとばかり見て歩いた。もう三十分くらいで竜飛に着くという頃に、私は
「こりゃどうも、やっぱりお酒を残しておいたほうがよかったね。竜飛の宿に、お酒があるとは思えないし、どうもこう寒くてはね。」と思わず愚痴をこぼした。
「いや、僕もいまそのことを考えていたんだ。も少し行くと、僕の昔の知り合いの家があるんだが、ひょっとするとそこに配給のお酒があるかもしれない。そこは、お酒を飲まない家なんだ。」
「当ってみてくれ。」
「うん、やっぱり酒がなくちゃいけない。」
竜飛の一つ手前の部落に、その知り合いの家があった。N君は帽子を脱いでその家へはいり、しばらくして、笑いを
「悪運つよし。水筒にいっぱいつめてもらってきた。五合以上はある。」
「
もう少しだ。私たちは腰を曲げて烈風に抗し、小走りに走るようにして竜飛に向かって突進した。路がいよいよ狭くなったと思っているうちに、不意に、
「竜飛だ。」とN君が、変わった調子で言った。
「ここが?」落ちついて見廻すと、鶏小舎と感じたのが、すなわち竜飛の部落なのである。兇暴の風雨に対して、小さい家々が、ひしとひとかたまりになって互いに
「誰だって驚くよ。僕もね、はじめてここへ来たとき、や、これはよその台所へはいってしまった、と思ってひやりとしたからね。」とN君も言っていた。
露路をとおって私たちは旅館に着いた。お婆さんが出て来て、私たちを部屋に案内した。この旅館の部屋もまた、おや、と眼をみはるほど
「ええと、お酒はありますか。」N君は、思慮分別ありげな落ちついた口調で婆さんに尋ねた。答えは、案外であった。
「へえ、ございます。」おもながの、上品な婆さんである。そう答えて、平然としている。N君は苦笑して、
「いや、おばあさん。僕たちは少し多く飲みたいんだ。」
「どうぞ、ナンボでも。」と言って
私たちは顔を見合わせた。このお婆さんは、このごろお酒が貴重品になっているという事実を、知らないのではなかろうかとさえ疑われた。
「きょう配給がありましてな、近所に、飲まないところもかなりありますから、そんなのを集めて、」と言って、集めるような手つきをして、それから一升瓶をたくさんかかえるように腕をひろげて、「さっき内の者が、こんなにいっぱい持ってまいりました。」
「それくらいあれば、たくさんだ。」と私は、やっと安心して、「この鉄瓶でお
お婆さんは、言われたとおりに、お盆へ、お銚子を六本載せて来た。一、二本、飲んでいるうちにお膳も出た。
「どうぞ、まあ、ごゆっくり。」
「ありがとう。」
六本のお酒が、またたく間になくなった。
「もうなくなった。」私は驚いた。「ばかに早いね。早すぎるよ。」
「そんなに飲んだかね。」とN君も、いぶかしそうな顔をして、からのお銚子を一本ずつ振ってみて、「ない。何せ寒かったもので、無我夢中で飲んだらしいね。」
「どのお銚子にも、こぼれるくらいいっぱいお酒がはいっていたんだぜ。こんなに早く飲んでしまって、もう六本なんて言ったら、お婆さんは僕たちを化け物じゃないかと思って警戒するかもしれない。つまらぬ恐怖心を起こさせて、もうお酒はかんべんして下さいなどと言われてもいけないから、ここは、持参の酒をお燗して飲んで、少し
私たちは、水筒のお酒をお銚子に移して、こんどは出来るだけゆっくり飲んだ。そのうちにN君は、急に酔ってきた。
「こりゃいかん。今夜は僕は酔うかもしれない。」酔うかもしれないじゃない。既にもうひどく酔ってしまった様子である。「こりゃ、いかん。今夜は、僕は酔うぞ。いいか。酔ってもいいか。」
「かまわないとも。僕も今夜は酔うつもりだ。ま、ゆっくりやろう。」
「歌を一つやらかそうか。僕の歌は、君、聞いたことがないだろう。めったにやらないんだ。でも、今夜は一つ歌いたい。ね、君、歌ってもいいだろう。」
「仕方がない。拝聴しよう。」私は覚悟をきめた。
いくう、山河あ、と、れいの牧水の旅の歌を、N君は眼をつぶって低く吟じはじめた。想像していたほどは、ひどくない。黙って聞いていると、身にしみるものがあった。
「どう? へんかね。」
「いや、ちょっと、ほろりとした。」
「それじゃ、もう一つ。」
こんどは、ひどかった。彼も本州の北端の宿へ来て、気宇が広大になったのか、仰天するほどのおそろしい蛮声を張り上げた。
とうかいのう、小島のう、
「ひどいなあ。」と言ったら、
「ひどいか。それじゃ、やり直し。」大きく深呼吸を一つして、さらに蛮声を張り上げるのである。東海の磯の小島、と間違って歌ったり、また、どういうわけか突如として、今もまた昔を書けば増鏡、なんて増鏡の歌が出たり、
「さ、歌コも出たようだし、そろそろ、お休みになりせえ。」と言って、お
「まずかった。歌は、まずかった。一つか二つでよせばよかったのだ。あれじゃあ、誰だっておどろくよ。」と私は、ぶつぶつ不平を言いながら、泣き寝入りの形であった。
せッせッせ
夏もちかづく
八十八夜
野にも山にも
新緑の
風に藤波
さわぐ時
私は、たまらない気持になった。いまでも中央の人たちに蝦夷の土地と思い込まれて
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます