王女の手紙
樹結理(きゆり)
王女の手紙
「貴女に一目惚れしたのです」
あの人は突然そう言葉にした。
あれは花が咲き誇る暖かな季節。
私は城の中で一番好きな場所、『ユティナの園』にいた。
自分の名前が付けられた庭園。それはとてつもなく恥ずかしかったが、お父様が私のためにと用意してくださった庭だった。嬉しくないはずがない。
とても美しい花々が咲き誇り、花の香りが漂う。
太陽の光を浴びまるでキラキラと輝くかのように生き生きとした花たち。
庭園へ行くのは毎日の日課となっていた。
ある日、なんだか今日は騒がしいわね、と思っていると強い風が吹き、花弁と共に私の髪が風に舞った。
長い黒髪は太陽の光を浴び艶やかに光る。
ガサッと何やら人の気配を感じ驚き振り向くと、そこには太陽の光を浴びキラキラと煌めく金髪に、金色の瞳の男が立っていた。
突然見知らぬ男が現れ、恐怖になり固まった。
「ど、どなたですか?」
震えそうな声を必死に抑え、なんとか声を絞り出す。
「あぁ、申し訳ない。驚かせてしまいましたね」
男は胸に手を当て頭を下げた。
「ユティナ様とお見受けしますが、私はダナンタス王太子のラナバルトと申します。驚かせてしまい申し訳ない」
「ダナンタスの王太子様……」
そういえば今日ダナンタスから会談のため使者が訪れるとお父様から聞かされていた。
使者とは王太子様のこと!?
「ダナンタスの王太子殿下でいらっしゃいましたか! 私のほうこそ、ご挨拶もせず申し訳ありません。ルクナの王女ユティナと申します」
慌てながらも丁寧に膝を折る。
「あぁ、そのような堅苦しい挨拶は不要です! お顔をお上げください」
「ありがとうございます」
精悍な顔付きだと思っていたラナバルト殿下は少しオロオロとするように、そうおっしゃるものだから、少しクスッと笑ってしまった。
それに安心されたのかラナバルト殿下は優しいお顔で手を差し出された。
「もしよろしければ、この庭を案内していただけませんか?」
「……喜んで」
ラナバルト殿下にエスコートしていただきながら、他愛もない話をしつつ庭園を歩く。
初めてお会いしたとは思えないほど、私たちは話が合った。
穏やかな時間がとても心地良かった。
庭園の中央にあるガゼボで腰を下ろすと、ラナバルト殿下は手を握り締めたまま私の目の前に跪いた。
「ラナバルト殿下! な、何をなさっているのです! お立ちください!」
焦る私の手を両手で包み込み、真っ直ぐに見詰めた。
「貴女が好きです」
「え?」
突然の告白に頭が真っ白になった。
しかしラナバルト殿下は真剣なお顔。そしてフッと力が抜けたように優しいお顔になられた。
「貴女が好きなのです」
「あ、あの、しかし私たちは先程会ったばかりです……」
まだお互いのことを何も知らない。
「分かっています。ほんの数時間前に会ったばかり。しかし私はこの庭で貴女を見た瞬間、一目で心を奪われた」
「美しい花々に囲まれ、艶やかな美しい髪が風に舞い、まるで女神がおられるのかと思ったのです」
「私は貴女に一目惚れしたのです」
「私の妻になっていただけませんか」
ラナバルト殿下は再び真剣なお顔になられたかと思うと私の手の甲にそっと口付けた。
私は嬉しさの反面、どうにもならないことに心が沈むだけだった。
ラナバルト殿下は私の哀しそうな顔を見て、なぜそんな顔をするのかと聞いた。
それは私たちがいくら愛し合おうと結ばれることはないから。
私の生まれた国ルクナは魔術に長けた国。
魔術が長けているため、周りの国々はルクナを警戒したり、同盟を結ぼうとしたり、様々な思惑が渦巻いたと聞く。
しかし歴代ルクナ国王はとても穏やかな人で意思の強い人でもあった。どこの国にも侵略しない、同盟は結ばない、中立を貫いた。
そのおかげでルクナは一線を画す国となる。
今まで王女が他国に嫁いだことなど一度もない。だから私が他国に嫁ぐことなどあるはずがない。
それが分かっているから、ラナバルト殿下に愛の告白をされても、素直に喜べるはずがなかった。
ラナバルト殿下はルクナ国王、私の父に私との婚姻を申し込んだ。ダナンタス国王にも同様の手紙を書いたと聞いた。
しかし答えはどちらも同じ。許されるはずがなかった。
ラナバルト殿下は会談が終わってからも、ルクナに留まり、父王を説得し続けた。しかし答えは変わらない。
最終的には怒りを買い強制的に国から出された。一目姿を見ることも許されなかった。
見かねた兄の計らいで、手紙のやり取りだけ父王に内緒で交わすことが出来た。
毎日ラナバルト殿下からの手紙が届く。
「愛しています」
「いつか必ず貴女を迎えに行く」
「待っていて欲しい」
何気ない会話の中に、散りばめられた愛の言葉。
その手紙を読むときは私の幸せな時間だった。しかしそれと共に切ない時間でもあった。
私はいつまでもこの方を縛り付けてはいけない。この方は王太子殿下、いつかは国王になられ、王妃を娶られるはず。
いつまでも私の相手をしていてはいけないわ……。
次第に私からの返事は減って行った。手紙が来るたびに辛かった。
ラナバルト殿下からの手紙も次第に少なくなってきた。
「どうして返事をいただけないのですか?」
「貴女は私をどう思われているのですか?」
「貴女に会いたい」
そんな言葉ばかりになってきた頃、ダナンタス王太子に婚約者が出来たと噂が流れて来た。
あぁ、もうおしまいだわ。この夢のような素敵な時間はもう終わりなのよ。
そして、彼からの最後の手紙には、
「結婚します」
その一言だけが書かれていた……。
私は泣いた。今さら泣いたところで彼を傷付けたのは私。私に泣く権利などないのに。
それでも涙が止まらなかった。
辛い。
苦しい。
こんなことなら出逢わなければ良かった!
そう思いラナバルト殿下を逆恨みもした。しかしそんな想いはすぐに消えた。ただただ彼の優しい顔を思い出すだけだった。
私はやはり彼を愛していたのね……。
父王にも兄にも心配をされたが、私はもう他の男性を愛することが出来なかった。
彼の噂はたまに入って来た。迎えられた婚約者様と結婚し、即位し、子供がお生まれになった、と。
幸せそうで良かったわ。本当よ、本当に心からそう思えたの。
私は他の誰を愛することが出来なくとも、愛した方が幸せならそれで良い。
誰とも結婚せず、父王から跡を継いだ兄が即位し、何年も経ち、相変わらず『ユティナの園』でボンヤリと過ごしていると、侍女が驚き息を切らせて現れた。
「どうしたの? そんなに慌てて」
「ユ、ユティナ様、こ、こちらを……」
そう言って侍女が手渡したものにギクリとした。
見覚えのある封蝋。
見覚えのある手紙。
手が震えた。
震える手で侍女から手紙を受け取る。
手紙はすでに封が切られていた。
「陛下からユティナ様にお渡しするように、と」
「陛下から?」
「はい」
それはすでに兄が中身を確認したということ。
中身を確認した上で私に渡す、ということ。それは……
震える手で手紙を開いた。そこには見覚えのある文字が並ぶ。
「ユティナ様、ご無沙汰をしております。今さら何の手紙を寄越したのかとお怒りでしょうか。
そのお怒りでさえ、私には嬉しく思えます。それは貴女が私を忘れずにいてくれたという証だから。
それすら喜ぶ私は酷い男です。貴女にちゃんとお話もせず、貴女を振り回し、結局は父に逆らえず、こちらで妃を迎えてしまった。
きっと裏切られたとお思いでしょう。ですが、やはり私は貴女を忘れられなかった」
「え?」
涙が滲み手が震える。彼は何を言おうとしているの?
「王妃を迎え、私は貴女を忘れようとしました。王妃のことを懸命に愛しました。王妃は口にはしませんでしたが、私が他の誰かを愛していることに気付いていたと思います。
しかし私が情とは言え、王妃を愛していたことは理解してくれているようでした」
「王妃は病で亡くなったのです。そして死ぬ間際、「貴方は愛するお方と一緒になりなさい」そう言ってくれたのです。この言葉は私以外には聞いていません。恐らく周りの者たちは王妃を裏切ったと思うでしょう。
ですが、私はもう貴女を我慢したくはない。今さらなのは百も承知です。ですが……」
「私は貴女を愛しています」
「私を愛していただけませんか?」
そう締め括られていた。
涙が溢れて止まらなかった。ポタポタと落ちた涙で手紙の文字が滲んでしまう。
あぁ、この方はどれだけ私を愛してくれているのだろう。
「ユティナ、どうしたい?」
振り向くと兄が立っていた。
「陛下……」
「今は陛下じゃなくて良いよ。ユティナの兄として聞く。お前はどうしたい?」
「わ、私は……」
声が震える。言っても良いの? 私の気持ちを、素直な想いを口にしても良いの?
兄は私を抱き締めた。
「お前の気持ちを聞きたい。国のことは今は忘れろ。素直な想いを口にしてみろ。お前は十分我慢をしてきた。お前も幸せになる権利がある」
ボロボロと涙が零れる。震える声。まともに話せない。それでも心のままに叫んだ。
「わ、私は、私はラナバルト様を愛しています! 彼と共に生きたい!!」
情けなくも、わぁぁあ、と声を上げて泣きじゃくる私を、兄は小さい子供をあやすように頭を優しく撫でてくれた。
「分かった。俺がなんとかしてやる」
兄は王の顔ではなく、いたずらっ子のような顔でニッと笑うと、私の涙を手で拭い、額にキスをした。
後から聞くと、ラナバルト様は私への手紙と共に兄であるルクナ国王にも手紙を送っていた。
私を妃に迎えたい、と。
そして私への手紙を兄が確認することを理解した上で、あれだけの熱い想いを手紙にしたためてくれたのだ。
そう兄から聞かされ、一気に顔が火照った。
「フフ、あれだけ執念深く愛されているのではなぁ、認める以外ないではないか。反対なんかしたら逆恨みされそうだし」
二人だけの部屋で兄は笑いながら言った。
「しかし正妃ではなく側妃で良いのか? もう王妃は亡くなられておられる。お前が正妃になるのに、何の問題もないと思うが」
「良いのです。王妃様を愛し大切にされていたことを私も大事にしたいのです。私はただラナバルト様のお傍にいられるだけで幸せですので」
それから一年の時間をかけ、私はダナンタスへと嫁いだ。
前代未聞のルクナからの輿入れ。両国だけでなく、周りの国々にも衝撃が走った。しかし兄とラナバルト様が根回しをし、ルクナがダナンタスだけを特別扱いしている訳ではないと周知させていた。
ダナンタスへ嫁いだ後は、残された王子二人にあまり好まれていないのは理解していた。その王子たちの周りにいる方々にも。
でもそれは仕方がないと思えた。ラナバルト様は懸命に私を守ってくださった。だから私も頑張ることが出来たのよ。
そうやってラナバルト様の愛に守られながら、一人の王子を生んだ。黒髪のとても可愛い男の子。幸せだった。ラナバルト様もとても喜んでくださった。
しかし幸せな時間はそう長くは与えてもらえないものなのね。
私は病に侵された。
「ユティナ! 逝かないでくれ! 私を一人にしないでくれ!」
「貴方には可愛い息子たちがいらっしゃるではないですか。大丈夫ですよ。貴方は強いお方です。これからも息子たちを守りながら立派にお役目を果たされると私には分かります。
私は先に逝きますね。あちらでゆっくりお待ちしております。あんまり早く来ては行けませんよ?」
そう言ってフフっと笑った。
それから一週間後、私は天へと召された。
「ユティナ……、私は強くないよ。貴女がいないとこんなにも寂しい。貴女との時間はあまりにも短かった」
ユティナの部屋で懐かしそうに彼女が座っていた椅子を撫でる。その椅子に腰を下ろしたラナバルトは机の引き出しを開けた。
そこには一通の手紙が。
「? ユティナが生前書いたものだろうか……」
そう呟きながら手紙を開いた。
「ラナバルト様、この手紙は私からお渡しすることはないと思います。きっとこれを読まれているころには私はもう貴方の前からいなくなってしまったのでしょうね。
私はルクナにいたころ、貴方と出逢ったことを後悔しておりました。こんなに辛い想いをするのならば、貴方と出逢わなければ良かった、と。
しかし貴方は私を迎えに来てくれた。どれだけ時間がかかっても私を愛し続けてくれた。これがどれだけ嬉しかったことか貴方に分かるでしょうか。
私は幸せでした。貴方と離れていた時間ですら愛おしい。私は貴方から人を愛すること、愛されるということを教えていただきました。
そんな貴方に何も返せず先に逝ってしまう私をお許しください」
「私は貴方を愛しています。今までもこれからも。貴方は私の全てでした。ありがとう」
ラナバルトは声を上げ泣いた。
結婚してからは手紙のやり取りなどなくなっていた。最期の最期にユティナは再び手紙をしたためた。
長く離れていた間、二人を繋いだあの手紙で……。
完
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