第12話 美波、ユーチューバーになる。
こんなに幸せで良いのかな、死んでいるのに幸せって言うのも変な感じだけど、海斗くんは美波の理想の男性だった。スラリとした体形、サラサラの黒髪、優しい性格、なんか美波以外の人には厳しいような気がするけど。七回目にして初めて人に話しかけた、今までも店員さんと業務的な会話をする事はあったけどもう限界だった、誰かと話がしたい、繋がりを持ちたい、人は一人では生きていけないのだと痛感した。もう死んでるけど――。
話しかけた理由は単純で野球を見ていたから、こう見えてソフトボール部ではキャプテン、全国大会でベスト四まで行ったこともある、野球は小さな頃から大好きで知識では男子にも負けなかった。海斗くんは迷惑そうな素振りをしながらも付き合ってくれた、きっと優しい人なんだ。
海斗くんを好きだと認識した時、体が少し軽くなった様な気がした、海に行った時、プロポーズされた時、花火を見た時、その度に体は少しづつ軽くなる。海斗くんは私を幸せにしてくれる人なんだと信じて疑わなかった。
銀色の箱が夏の朝日に反射しながら駅のホームに滑り込んできた、通勤ラッシュにはまだ早い。八回目の夏休み、いつもは何処を拠点にするか考える所から始まった夏も今年からは行く場所が決まっている、時間的な感覚はなくて、さっきまで一緒にいたように感じるけど間違いなく一年経っている、海斗くんは楽しみに待っていてくれるかな。
そこまで考えて背筋が寒くなった、幽霊の背筋が寒くなるのも変な話だが確かに肩がブルっと震える感覚がしたのは確かだ。
本当に海斗くんは楽しみに待っているのだろうか――。
一年に一度、夏休みの間しか逢えない幽霊、結婚はおろか子供を作ることもできない、そんな女を首を長くして一年も待っている奇異な男がいるのだろうか。とっくに新しい彼女と一緒に住んでいて、去年、美波が過ごしたあの部屋は化粧の濃い女の趣味にあわせてサンリオのぬいぐるみが欄列し、カーテンもベットカバーもピンク色の気味の悪い部屋に様変わりしているのではないか――。
首を横に振って嫌な想像を掻き消した、電車は赤羽駅を出発して十分、上野駅で地下鉄に潜り日比谷線に乗り換えるともうすぐ目当ての人形町に到着する所だ。改札を出て地上に降り立っても一年経ったような変化は見て取れなかった、昨日までの人形町だ。歩いて一分で瀟洒なマンションは姿を表す、考えてみれば駅からこんなに近い立地でさぞや家賃は高いであろう、あまり仕事をしている様にも見えないが、今年はそんな事も聞いてみよう、鍵は持っていない。リセットされると全ての持ち物は無くなっている、文字通り記憶以外はリセットされているのだ。時刻は朝の六時、海斗くんは起きているだろうか。601のインターホン恐る恐る押そうとした時に後ろから声を掛けられた。
「美波、おかえり」
振り返ると少し年を重ねたような、気がするだけかな、髪がちょっとだけ伸びた海斗くんが立っていた。
「海斗くん」
思わず抱きついてしまう、待っていてくれた、その事実が何より美波を安心させる、まだ一緒にいても良いんだ。
「サンリオの女は? カーテンピンクになってない?」
「ははっ、なんだそれ」
海斗くんの部屋は驚くほど変わっていなかった、部屋の配置からゴミ箱の場所まで、すべて昨夜と同じ光景だった。
「まるで変わってないね、一年長かった?」
「めちゃくちゃ長かった」
やっぱりそうなんだ、自分は昨日の続きに感じても海斗くんは一年間という時間が流れている、それが何を意味するのか深く考えるのが怖くて思考を無理やり停止させた。
インターホンのディスプレイを操作して訪問者をチェックする、最新式のインターホンは部屋番号を押した人物が記録に残っているのだ、別に浮気を疑っている訳ではない、が一応それもチェックする、黒いカバンを背負った男性、赤い帽子を被った男性が殆ど毎日入れ替わりで映し出された。
「海斗くん、毎日出前ばっかり、体に良くないよ」
「え、ああ、どーも一人分作るってのが面倒で」
小姑みたいになっていないだろうか、しかし海斗くんの体調を心配するのは恋人として当然だ、ふふふ、恋人――。
「じゃあ、今日からはまた私が作るね」
「助かります」
去年終わらせたハズの宿題は再び真っ白に戻っていたが、また一からやり直す気にはならなかった、そんな時間も勿体ない、海斗くんと一緒の時間は有限なのだから有意義に過ごさなければ、しかし仕事の邪魔をする訳にはいかない、そうだ、何か手伝える事はないだろうか。
「ねえねえ、海斗くんの仕事ってなんなの?」
簡単な朝食を作って二人で食べている時に聞いてみた、しかしプログラミングがなんたら、HTMLがCSSでどーたら、全くチンプンカンプンで仕事を手伝うというのは即刻あきらめた。
「仕事かあ……」
そう考えてみると美波は一切仕事をしたことがない、学生だから当然だがアルバイトくらいは高校生だってみんなしている、しかし部活動に忙しい事もあり経験したことがない、つまり自分でお金を稼いだことがない。急に自分が子供のような気がして恥ずかしくなった、海斗くんは良く解らないが、ちゃんと仕事をしてこんなに良いお家に住んでいる。
「なに、美波は仕事がしたいの」
鮭の切り身を上手にほぐしながら海斗くんが聞いてきたが、どうなのだろう、やってみたい気持ちはあるが、幽霊が仕事をしても良いのだろうか。
「うーん、やったことないから一度くらいね」
「やめとけ、やめとけ、金に困ってる訳でもないんだから」
美波にはムリムリ、って言われているようでカチンときた、絶対に仕事してやる、そしてそのお金で海斗くんに何かプレゼントを買う、あ、これすごくいい考えだ、決定。
そうだ、ここの家賃なんかも払っちゃおうかな、夏休みの間だけでもね、居候とは呼ばせないわ。
「ねえ海斗くん、ここ家賃いくら」
「え、二十三万だけど」
に、にじゅうさんまん、だと――。
家賃は取り敢えず諦めよう、問題は何の仕事をするか、あまり家を空けて海斗くんとの時間を減らす様な事はしたくない、それでは本末転倒だ、家で自分にもできる仕事。朝食を食べ終わって、食器を片した後もずっとその事を考えていた、スマートフォンで検索するうちに一つの答えにたどり着いた。
「あたしユーチューバーになる」
「はあ?」
書斎で仕事をしていた海斗くんの後ろから宣言すると椅子ごとコチラに振り向いた、なにか訝しげな顔をしている。自分が死んだ時代にはそこまで流行っていなかったが、現代ではユーチューブはものすごい人気で誰でも動画を上げてお金を稼ぐ事ができるらしい、さっきスマホで調べた。
「美波、おまっ、ユーチューバーって、何でまた」
「だって、お家でできるし、お金もすごく稼げるんだってさ」
「いや、それはごく一部の人達だけだろう」
いーや、やる、もう決めたんだから。海斗くんの事は無視してさっそく準備に取り掛かった、スマホで調べればやり方はいくらでも出てくる。
『グーグルのアカウントを取得してください』
アカウントとは何の事だろう、グーグルは知っている、アメリカの会社だ。ユーチューブとアメリカの会社が何の関係があるのだろう、よく考えてみたら自分はあまり機械に詳しくない事に気が付いた、スマホの初期設定すらできない。早くも挫折しそうで天井を見上げてため息をつくと後ろから視線を感じた、海斗くんが私のスマホを覗き込んでいる。
「手伝ってやろうか」
ニヤニヤした顔を近づけてきた、かー憎たらしい、しかしここは海斗くんの助力が必要だ、まったく先に進めないのだから。
「お願いします……」
「何にせよパソコンでやったほうが良いな」
そう言って書斎に入るとノートパソコンを抱えて戻ってきた。
「これやるから、前に使っていたやつだけどまだ全然」
パソコンを起動させると、カタカタと何やら打ち込んでいる、アッという間にアカウントは取得された。
「で、なんの動画を上げるわけ」
それが問題だった、人気のあるユーチューバーの中にはカップルで動画を撮って上げている人達も多いらしい、カップルかあ。
「海斗くんと美波のカップチャンネルとか」
「絶対に嫌だ」
意志の強さが語尾に現れていた、確かに海斗くんがユーチューバーになって動画に出ている姿は想像できない、どうしようか、自分の得意分野といえばソフトボール、野球。それから午後はずっと何を配信するか悩んでいた、パソコンで検索したがコレと言って良いアイデアも浮かんでこない。
「取り敢えず撮ってみるかな」
なんの計画もなくスマートフォンを動画撮影モードにしてダイニングテーブルの上に置いた、ティッシュ箱に立てかけて角度を付けると画面には自分の姿が映し出された。
「どーもー、星野美波でーす」
流石に本名はまずいか、みんなニックネームのような物を付けていた事を思い出した、ニックネームねえ。
「どーもー、ホシミナでーす、今日はワイルドピッチとパスボールの違いについて解説していきまーす、野球初心者のそこの君、ホシミナチャンネルで目指せメジャーリーグ」
イェイイェイ、とダブルピースしていると後ろから大爆笑が聞こえてきた、書斎で仕事をしていたはずなのにいつの間にか出てきたようだ。
「プッ、クククッ、誰が観るんだよそれ、ワイルドピッチとパスボールの違いって、美波、冗談だろ」
腹を抱えて笑っている、今日は久しぶりに逢ったというのにこの仕打ち、絶対に良い動画を作ってやる。
「これは練習だから良いの、もう、そんな馬鹿にして、海斗くん嫌い」
「ごめんごめん、あまりにおもしろ――、いや可愛らしくて」
「じゃあキスして」
目をつぶって首の角度を上げた。
「それは駄目だ、美波が成仏しちゃうかも知れない」
海斗くんは自分の仮説をかなり信用している、本当だろうか、やり残した事を全て叶えた時に美波は成仏する、つまり夏休みをループするのもお終い、海斗くんともサヨウナラ。それは私も嫌だから強く反論はしない。
「まあ、最初から上手くはいかないよ、取り敢えずカメラを固定する機材くらい合ったほうが良いな、動画の編集するならソフトも必要だし、秋葉原でも行くか」
「うん」
結局はいつも美波の味方になって協力してくれる優しい海斗くん、さっき大爆笑したのは許さないけど、やっぱり大好き、これからもずーっと一緒にいれたら良いな、でもそしたら海斗くんはどんどん年を取っていく、自分は十七歳のまま――。背筋が凍るような寒さを感じたが問題は一旦隅に置いておく、八回目の夏休みを楽しまなければ。
記念すべき第一回目の動画は海斗くんに馬鹿にされたワイルドピッチとパスボールの違いについて解説する動画だった、あまりに需要が無さそうな所が逆にウケるかも知れないと思ったからだ、終始海斗くんは笑いを堪えていたが無視して撮影を続けた。
出来上がった動画に音楽やテロップを付けてくれたのは海斗くんだ、それだけで一気に本格的なユーチューブ動画になった、あとはアップロードして再生回数が上がるのを待つだけだ。
「どれくらい見られるかなあ」
「うーん、中々厳しいと思うよ、まあ面白いから毎日やろうよ」
すっかり海斗くんの中では趣味の部類に入っている、収益化出来るとは考えていないようだ、明日はなんの動画を撮ろうか考えていると楽しくて仕方なかった。
夕飯を食べながらプロ野球をみて、晩酌する海斗くんとお喋りしながら眠くなったら布団に入る、最初のうちはソファに寝ていた海斗くんも今では一緒にベッドで寝ている。とは言え襲われた事は一度もない、別に良いのに。朝起きてラジオ体操をしたら朝食を食べる、海斗くんはお仕事をして、美波は動画を撮影する、撮影した動画は午後に海斗くんが編集する、去年とは違う一日のルーティーンが確立されていた。
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