第13話 美波、バズる!
「海斗くんはムラムラしないの?」
その質問に海斗くんは曖昧な返事しか返してこなかった、腑に落ちない、若い男女が、いや海斗くんはそこまで若くもないか。とにかく男女が一つ屋根の下で暮らしているというのに何も起きないのは異常ではないか。女として魅力がない――。シャツの胸元からペタンコの胸を確認する、生きていればあるいはもう少し成長したのかも知れないが。
全身鏡の前でポーズをとる、寝癖がついてボサボサの髪、よれたTシャツにスウェットは海斗くんから借りた部屋着だった。
「はぁ……」
これじゃあ色気もクソもない、私服はオーバーオールしか持ってないし、よし、服を買おう。海斗くんがムラムラするようなセクシーな服だ。
「海斗くーん、ちょっと出かけてくるねー」
書斎の扉越しに声をかけると「はーいよ」と返事が返ってきた、次に会う時が楽しみね、心の中で一人ゴチるとまずは美容室に向かった。
「今日はどうされますか?」
少しチャラいけど年齢は三十前後、丁度いい。
「お兄さんは、どんな髪型がセクシー、いや、ムラムラしますか」
単刀直入に尋ねると、茶色い毛先を遊ばせた美容師のお兄さんは顎に手を当てて鏡越しに悩んでいる。
「人それぞれかと思いますけど」
何の解決にもならない答えが返ってきた事に落胆した。
「私って子供っぽくないですか」
「そんな事ないと思いますけど、おいくつですか?」
いくつか分からないのに、そんな事ないってどうして言えるのだろうか、この美容師は失敗だったか。
「二十四歳です」
「え、二十四歳、失礼しました十代かと、確かにお若いですね」
まあ、本当は十七歳なんだから彼は何も悪くない。
「もう少し大人っぽく見えるようにしたいんですよ」
せめて二十代に見えるように、と付け加えた。
「なるほど、お姉さんこの黒髪ロングでどうしてもアニメ美少女感がでちゃうんですよね、少し明るくしたり、黒髪だったら顎のラインでボブにしてシャープな感じにすると大人の女って感じになるかと思いますよ」
なるほど、やっと実践的なアドバイスが出てきた事に満足した、協議の結果、思い切ってバッサリと切ることにした、どうせ来年になればまた元通りに戻っているのだから。
「こんな感じでどうでしょうか?」
美容師のお兄さんは二面鏡を広げて後ろの出来上がりを見せてくれる、白いうなじが出ていて中々セクシーだった、思ったよりも良い出来に満足してお店を出るとその足で百貨店に向かった、ちょうど良く場所は銀座なので大人の服装にあり付けそうだ。
目線の前で揺れる毛先が大人の様な色気を放っている、ような気がした、周りの視線もなんとなく気持ちいい、そうだ大きな輪っかのピアスをしよう、ボブカットに似合いそうだ。
「素敵な髪型ですね」
さっそく店の店員さんに褒められた、ありがとうございますと笑みを返してこの髪型に似合うようなセクシーな服を選んでもらった、ドレスのような白いワンピース、いつも買う服の十倍くらいの金額だったが構わない、どうせ来年になったら元に戻っている。
家に帰ると海斗くんはまだ仕事中だった、しめしめ、今のうちに着替えて驚かせてしまおう、寝室に入って服を着替える、シルバーのピアスを両耳にするとまるでこれからパーティーにでも出席するような出立になった、思った以上に似合っている。
うーん、少し考えてこのまま部屋に突入するのも芸がないと考えた、何時もの様に振る舞っていて海斗くんの反応を観察するほうが面白そうだ、時刻を見ると十四時前、そろそろお腹が空いて書斎から出てくる頃だろう。その格好のままカウンターキッチンに入るといつものように手際よくスープを作り、フライパンで炒飯を炒めた。
「あー、首いてえ、美波お腹すいたーって、えっ」
肩と首の中間あたりを揉みしだきながらリビングに入ってきた、こちらを見て固まっている、効果は絶大のようだ。このまま襲われてしまったらどうしよう、別に良いけど。
「美波、お前、どうしたんだその格好、パーティーでも行くのか」
気のせいだろうか、笑いを堪えているようにも見える、まさかそんな筈はない、きっと照れているのだろう、自分の彼女が一瞬でセクシーな大人の女に変身していることに、そう女は魔術師、化粧や服装、髪型でこんなにも変わることができるのよ。
「ちょっとだけ、気分転換でね」
「いや、髪もバッサリとまあ」
「邪魔だったから切っちゃったわ」
感心したように全身を爪先から頭の天辺まで舐めるように見ている、そこまで凝視されるとさすがに恥ずかしい、
「こけしみたいだな……」
「え?」
「いやなんか、シルエットがこけしみたいだなって」
炒飯を振るうフライパンを持つ手に力が入る、このまま投げつけてやろうか、せっかく思い切って髪を切り、銀座の百貨店くんだりで、このどこに金がかかっているか分からないテラテラの服を購入し、針金を丸めた様なピアスまでしたのは、全て海斗くんに褒められる為だと言うのに出てきた言葉が。
こけしみたいだな――。
なるほど、世の中の男女カップルが喧嘩になるのは男のデリカシーのなさが原因だと聞いたことがある、殆ど完璧に見えた海斗くんの欠点を垣間見た気がした。が。
「うそうそ、すごく可愛い」
いつの間にか後ろに来たかと思うとそのまま抱きしめられた、しまった、ツンデレだったのか。
「海斗くん、フライパン、危ないから……」
「ごめんごめん、あまりに可愛くてさ」
心臓のドキドキが止まらない、佐藤海斗、やはり侮れないわ。
「今日はその格好で撮影しなよ」
海斗くんはスプーンで炒飯を口に運びながら提案してきた、そう言えば昨日の動画はどれくらい再生されただろうか、スマホを手に取り自分のページを表示させた。
「あれ、再生数が凄い事になってる……」
何が起きたのか理解できなかった、確かに昨日までは良くても十回観られてるかどうかだったはず、それが今日になって急に全ての動画が十万回を超えている、コメント欄も何百件と溢れていた。
『圧倒的美少女降臨』
『ほしみなまじ可愛い』
『ワイルドピッチの動画はまじで草』
『イェイイェイ』
『ほしみなはJK?』
コメントの殆どが動画の内容よりは美波が何者かと言う憶測だった、好意的な意見が殆どだったが中には『うざい』や『ビッチ』などの謂れの無い誹謗中傷も混じっていた。それは八年前に教室で受けた行為と酷似している。早急に心の警鐘が鳴らされる、これ以上は見ない方がいい。海斗くんに画面を見せた。
「ツイッターからの流入かな、誰か有名な奴が拡散して一気に広まったんだろ」
まずいな、と呟きスマホの画面を凝視している。
「なんかまずい?」
「ん、ああ、あまり有名になり過ぎると知り合いが見る可能性もあるだろ」
同級生や家族がみたら気がつくだろうか、八年前の姿の美波に。
「でも世の中には似た人が三人はいるって言うし」
まだ続けたいのか、そう聞かれてすぐに答えは出なかった。
「コメントに悪口書かれてる……」
十の褒め言葉よりも一個の悪口に反応してしまう。
「ああ、この世で最も低脳なやつらの批判コメントね、低収入、低学歴で性格も見た目も残念な奴らの集まりなんだ、許してやってくれ」
確認しなくても分かると海斗くんは言う、人生が充実している人間がこんな所に批判コメントはしない、誰にも相手にされないから構って欲しいだけだと。
「でも、やっぱショックだよね」
「この程度で落ち込んでたらSNSは出来ないよ」
やめるか、と海斗くんは確認してきたけど首を横に振った、もう逃げない。その日も夕方六時、いつもの時間に動画をアップした。
「どこにでもいるんだね、人の悪口で盛り上がる人達って」
真夏にエアコンを付けて、海鮮チゲ鍋を食べていた、海斗くんのリクエストだ。
「自分に特筆した能力がないからな、他人の欠点を探すしかない、なければ捏造する」
十八度に設定しているが額から汗が滲んでいる。
「なにが楽しいのかな」
人の悪口を言った記憶がなかった。
「美波には分からないよ」
「海斗くんは分かるの?」
子供扱いをされたようで少しムッとした。
「分からないね、分かりたくもない、馬鹿は嫌いなんだ、それに薄っぺらい奴らの言葉なんか響かないだろ」
海斗くんは心底軽蔑している様子だった。
「心の声なんじゃないかな」
社会への不満、不平等への怒り、心の中に溜まった心痛は行き場をなくして無関係の第三者に向けられる。それは自己防衛に等しくてある意味では社会の平穏を保つために必要な悪意なのではないか。
「甘えだね」
海斗くんはにべもない、もちろん自己防衛の為に赤の他人を犠牲にして良い道理はない。言い換えればそれは戦争だ。己の正義の為に戦うのであれば他人はどうなっても構わない、聖戦と言う名の暴力は結局どちらかに不幸が訪れるのだから。
「この人達と話せないかな、実際に合って」
「はああ、このしょうもないコメントを入れてくる奴とか?」
「うん、実際に合って話したらまた違うと思うの」
「無駄無駄、コイツラは安全な場所からしか攻撃できないへっぽこの集まりだよ」
それからも動画の視聴回数はどんどん伸びていった、それに伴い悪口や誹謗中傷も増えていく。やらなければ良かった――。思い出したくもない過去を穿り返された気分だった、もちろん今なら自殺なんて考えない、その理由は明確、海斗くんがいるから。
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