1-11
「どうもお世話になりました」
深々とピールド騎士団長――いや、「元騎士団長」が頭を下げた。初夏の風が、彼女の長い金髪を揺らす。
彼女の隣には、屈強そうな若い騎士が2人いる。彼女の脱走を防ぐため、そして確実にカルディアに「追放」するためだ。
ヴァランの浄化から3日。一連の騒乱の責任を取る格好で、彼女はフィラデリア騎士団長の職を解かれていた。
そして、ハーディ・エムスに(脅迫されていたとはいえ)通じていたことも問題視された。彼女を疎ましく思う一部騎士からの讒言もあったようだが。
処分は「公職追放」程度で済ませることも可能だった。だが、実際には「10年間の国外追放」という法定上では最も重い刑が下ることになった。
裁判所を通さないこのスピード決着が実現したのは、私たちがフリード皇太子に働きかけたからだ。そして、それは私たちとエル・ピールドが話し合って決めた「けじめ」でもあった。
ジャニスが風になびく髪を押さえて言う。
「念のため訊くわ。貴女、本当にこれでいいの?」
「ええ。ヴァランに合わす顔がないのもそうですが……本当の親子に戻るには、距離を置いたほうがいいと思っていたので。自分勝手な母親と嗤ってくれても構いません」
ヴァラン・ピールドはここには来ていない。彼に憑依していた竹内瑞樹の所業を知り、酷くショックを受けていたというのはある。事件の一連の流れは説明したが、それを飲み込むまでには時間がかかるだろう。
転生者に憑依された人間には、その期間の記憶はない。それだけに、浄化後に転生者が何をやっていたかを知った際には大なり小なり精神的なショックを受けることが多い。
立ち直るまでの時間は様々だ。マルコ・モラントはすぐに元に戻れたが、彼は長くなりそうだった。社会復帰までの時間は、教会から派遣される「癒やし手」がどれだけの仕事をしてくれるかにかかっている。
私は懐から手紙を一通取り出した。
「ヴァラン君から、これを預かりました。落ち着いたら読んでください」
「ヴァランから、ですか」
「ええ。落ち着いたら読んでください」
こくん、と小さくピールド女史が頷く。中身は読んでいない。ただ、ヴァランからは「今の僕の思いを素直に綴りました。また、母さんに会える日をここで待っています」と聞いている。それを言付けると、彼女はまた泣き出した。
「彼は、少なくとも貴女を恨んではいない。もう一度親子として暮らしたい思いもあるようです。
ただ、それには冷却期間も必要だと。何より、自分が本当の意味で独り立ちし、フィラデリアをいい街にしてから会いたいのだと」
「……本当に、ごめんなさい」
ジャニスがふうと息をついた。
「しっかりしなさいな。そもそも敢えて10年間の国外追放にしたのは、事件が風化するまで待って、ヴァランが禁忌の子と悟られないようにするのが最大の理由でしょ?
これから貴女には、文字通り新しい人生が待ってる。ヴラド大橋を渡ってしばらくしたらカルディアとの国境。そこにはモラント商会の人が待ってるはずよ」
モラント商会には、新しい家政婦候補が入ることを伝えている。事情は詳しく話していないが、ジェフリー・モラントは「貴方たちの紹介なら大丈夫でしょう」と二つ返事で受け入れた。
ピールド女史には十分な教養がある。家事もまあまあできると本人は言っている。恐らく、そうかからないうちに家政婦としての勤め先は見つかるだろう。
「……はい。1つ、訊いていいですか」
「いいわよ」
「ミズキとは……転生したとしても、もう会えないのでしょうか」
ジャニスが少し考えた上で肩を竦める。
「それは慈悲と混沌の神、『アザト』のみぞ知ることね。彼の自我は失われているし、『魂晶』に込められた魂がどこに転生するのかも分からない。
ただ、強い縁があればまた会うこともあるでしょうね。あるいは、近いうちに」
「……縁があれば、ですか」
「そうね。ま、せいぜい頑張りなさい」
私はおや、と思った。この手の質問には「知らないわよそんなの」と冷たく返すのがジャニスなのだが。
「時間です」と若い騎士が告げた。別れの時間のようだ。
「それでは、本当にどうもありがとうございました」
「ええ。カルディアに寄ったら、顔を見に来るわ。また会いましょ」
会釈をし、ピールド女史と2人の騎士は全長約3kmのヴラド大橋へと向かっていった。
私はジャニスの顔を見る。
「期待を持たせるような言い回しをするとは珍しいですね。どういう風の吹き回しです?」
「半分は勘、ね。同情も少し入ってるかしら」
「同情、ですか」
「そう。家族を喪った辛さは分かるもの。まして、彼女は転生者である『タケウチミズキ』を愛してしまった。多少の救いはあってもいいでしょう?」
「にしては貴女らしくもない。無根拠にああいうことは言わないでしょうに」
ジャニスは目を閉じ、少し考える素振りを見せた。
「……彼女、妊娠してるわ。これは間違いない」
「妊娠?」
「ええ。念のため、『鑑定』をこっそり彼女にかけたわ。まだとても小さいけど、彼女にはもう一つの命がいる」
私は思わず言葉に詰まった。
「……誰の子かまでは、分かりませんよね」
「そうね。エムスの子でも、ヴァランの子でも……あるいはタケウチの子でもなかなか大変だと思うわ。何となく、タケウチとの子だとは思うけど」
父親がヴァランや竹内の場合、遺伝的に健康な子が生まれるだろうか。この世界においても、近親相姦の結果生まれた子供には障がいが出やすいという経験則がある。だからこそ教会はこれを死罪に相当する禁忌としているのだ。
その意味でも、教会の威光が弱いカルディアに彼女を向かわせたのは正解ではある。あそこならば、生まれた子供にいきなり「鑑定」をかけることなどするまい。
「転生先が、その子だと?」
私の質問に、「そればかりは分からないわ」とジャニスが首を振った。
「ただ、過去に『前世の記憶』がかけらでも戻った事例の多くは、受肉体の子供だったからね。まあ、健康な子が生まれてくれればいいとは思ってるわ」
だから「顔を見に行く」と言っていたのか。冷酷そうに見えて、ジャニスは意外と――というよりはかなりウェットだ。
私は苦笑した。「何よ」とジャニスがむくれる。
「いえ、何でも。それより、私たちもそろそろ馬車に乗らねば。フリード陛下からの、直々の依頼案件が来ております故。先程、私の所に連絡が」
「げっ……それ、絶対に面倒なやつじゃない。何なのそれ」
「デルヴァー市大歌劇場の歌姫に対する浄化依頼です。依頼人は歌劇場支配人、ニコラス・ヨーリヒ。私たちの留守中に、フリード陛下に直接話されたと」
「またきな臭そうな案件ね……というか、あの熊は大人しくしてるのかしら」
「熊……ああ、ユウのことですか。まあ、大丈夫ではないですか?何も連絡がないということは、そういうことなのでしょう」
とはいえ、「義体」に入れたばかりだ。そちらの様子も見なければいけない。なかなかゆっくりとは休めそうにないようだ。
私はふうと息をつき、ヴァンダヴィルに向かう馬車が待つ宿へと向かうのだった。
依頼1 完遂
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