序章3
「やっと、見えた……」
全速で走ること5分ほど。息切れしかかってようやく駅舎が見えた時、思わず涙が流れた。これで多分、大丈夫だ。
安心すると、不意に一つの疑問が浮かんだ。
そういえば、ジャニス・ワイズマンという名前をマルコはどうして知っていたのだろう。
そんなことはどうだっていいように思えた。しかし、何か大事なことのような気がする。世界的な有名人なのか?
そう思っているうちに、駅舎の入り口とヴァンダヴィル行きの列車が見えた。汽車はまだ出発していない。この分なら問題なく間に合うはず……
俺の安堵は、一瞬のうちに絶望へと変わった。
「なかなかに足の速い御仁ですな」
駅舎の入り口、警備騎士を従えて立っているのは……あの、ハンスという眼鏡の男だ。
口元には意地の悪そうな微笑が浮かんでいる。まるで、「よく頑張りました」とでも言っているかのようだ。
「う、嘘、だろ……??」
視界が滲む。……そんな馬鹿な。
宿から駅舎までの最短距離を、俺は通ったはずだった。大通りを通るルートはかなりの遠回りで、人間の足ではまず俺に追いつけない。そう、そのはずなんだ。
だが、あのハンスという男は息切れ1つせずに、悠然と俺を待っていた。……転移魔法か何かでも使ったというのか?
だが、マルコの知識によれば……転移魔法は最高位の魔法使いでないと使えない。ハンスがそれに該当するのだろうか?年齢的に、奴はジャニスとそう変わらないぐらいにしか見えないのに?
俺の疑問をよそに、ハンスはゆっくりと俺に歩み寄ってくる。
「大方ヴァンダヴィルまで逃げてセルフォニアに亡命、とか考えていたのでしょうな。転生者の考えることは、大体同じです」
後ろからスタッと誰かの足音がした。振り向くと、そこにはあのジャニスという女がいる。……こいつも一体、どうやって来たんだ。
「ハンスの読み通りね。とりあえずジタバタしないで大人しくなさいな。暴れると『依代』の子の魂が傷付いちゃうじゃない」
「だ……だからお前たちは一体何なんだっ!!何で俺を殺そうとするんだ!!」
女は一瞬キョトンとした表情を浮かべた後、「ププッ」と吹き出した。
「貴方……というより依代の子、何も知らないのね。モラント商事の御曹司なら、知っていてもおかしくないでしょうに」
「な、何が言いた……」
……思い出した。その次の瞬間、俺は思わず座り込んだ。全てが崩れ落ちた、そんな気がした。
ジャニス・ワイズマン。レヴリア王国、いや世界でも随一の「祓い手」。
転生者の魂を受肉した人物から引き剥がし、転生者が引き起こした揉め事や騒動を法外な報酬と引き換えに100%解決する「死神」……それがこの女だ。
そうだ。マルコは商売で転生者絡みのトラブルがあった場合、「最後の手段」として父親からこの女の存在を聞かされていたのだ。
マルコは隣国のレヴリアまで依頼をしに行くことはないだろうと、その存在を殆ど忘れていたみたいだが……
ジャニスも俺へとゆっくりと近づいてくる。「うふふ」と女が笑った。
「やっと私たちが誰か気付いたみたいね。じゃあ、抵抗しても無駄って分かるわよね?」
何だその見下した、余裕綽々の表情は。……ふざけるなよ。
*
脳裏に走馬灯のように前世のあれこれが思い浮かんだ。
対立するグループとの抗争で刺され、俺は命を失った。何一つ思い通りにならない、ろくでもない人生だった。
ガキの頃からそうだ。底辺の家に生まれ、ろくな物も金も与えられなかった俺に残されたのは、無駄にでかい図体だけだった。
力さえあれば何とかなると半グレの団体に入ってはみたものの、偉そうに指図するのは上流階級出身のボンボンばかり。俺は結局、何一つ手にできなかった。
たまに、スマホの「なろう系小説」を読むのが数少ない楽しみだった。転生してチート能力で無双する、そんな代わり映えのない話ばかりだ。
だが、俺はそれに憧れた。自分も人生をやり直し、チート能力でやりたい放題したい。自分が決して手に入れられなかった金と女……そして羨望を異世界転生で手に入れられたら、どんなにいいだろうか。
だが、それは所詮作り話だ。だからこうやって、駄文でもいいから小説を読んで、自分を慰めていたのだ。
だから、実際に自分が異世界転生したと知った時、俺はこの上ない喜びを感じた。お望みのチート能力まである。イケメンのルックスも手に入れた。
そしてできないことは何一つないと、俺は家を飛び出した。モラント商事にいても、片田舎の商人で終わる。それなら異国の地で一旗揚げてやる。そう思っていた。
そう、希望と可能性に満ちた新しい人生は始まったばかりだ。そのはずだった。
*
俺は女……ジャニスを見上げた。
「ふざ……ふざけるなよっ!!お前たちに、俺を殺す権利なんて……」
ジャニスが心底つまらなそうに言う。
「あるわよ。レヴリアでもカルディアでも、転生者に対する処遇は基本的にどちらかしかない。
依代の身体から転生者の魂を引き剥がす『浄化』、依代ごと殺す『討伐』。『転生者処置法』によって定められてるじゃない」
「マルコ青年は法律に疎かったようですな。依頼人のお父上の言う通り、もう少々座学をちゃんとやっておくべきなのですが」
ハンスがやれやれと首を振った。
「依頼人……マルコの親父が?」
「当然でしょう。大事な跡継ぎ息子の突然の失踪。そして、国境近くでのウオル盗賊団の壊滅。その下手人が貴方だとの疑いがかかった瞬間に、お父上はマルコ青年が転生者に憑依されたと考え、私たちに依頼されたのです。
カルディアの田舎の商人にしてはなかなか勘が鋭い御仁だ。金払いもいい」
ハンスは胸元から何かを取り出し、右手にはめた。……皮のグローブ?
「まあとにかく、お喋りはこれまで。私たちに、貴方を見逃すという選択肢はないのです。そもそも転生者たる貴方の『生』は、依代たるマルコ青年の魂の消失、つまりは『死』を意味する。どちらを助けねばならないかは自明でしょう。
大丈夫、貴方の魂は全ての記憶と能力を失った状態で神に捧げられ、新たな生命として転生します。無駄になることはないのです」
ジリジリとハンスが距離を詰めてくる。新たな生命として転生?それは、もはや俺じゃないじゃないか。
俺は何とか立ち上がり、腰に下げた短剣の柄に手をかける。「錬金術師の掌」は使えないかもしれない。だが、ジャニスを殺せば?
見た感じ、この女が実は武術の達人ということはなさそうだ。魔法使いなのかもしれないが、それでもこの間合いならひょっとしたら先に殺せるかもしれない。そうすれば……生き残りにはワンチャンある。
ジャニスは足を止めている。俺との距離は3メートルほど。ハンスとは5メートルぐらい。多分、僅かに俺がジャニスの首を斬る方が速い。
あのハンスという男は多分只者じゃない。だが、「錬金術師の掌」が使えるのなら……俺が負ける要素はない。そのはずなんだ。
可能性が少しでもあるなら、最期まで足掻いてやるっ!!
俺は地面を蹴ってジャニスへと跳ぶ。短剣を引き抜き、銀刃が夕日に光った。
ジャニスは突然の俺の行動に反応できていない。もらった!!
「その心意気やよし」
背後から低く、重い声が聞こえた。口元に、皮のグローブが押し当てられる。猛烈な、甘い香りが意識を一気に飛ばしていく。
一体、どうやって?俺の方が、明らかに早かったはずだ。そもそも、このハンスという男は一体……
そんな疑問に答えを出すことなく、俺の……「マルコ・モラント」としての最期の意識は、失われた。
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