鍋は鳥にかぎる

Tempp @ぷかぷか

第1話

「そろそろ起きてくださいよ、吉弘よしひろさん」

「ん……」


 布団の中で寝返りを打てば、ぷんといい香りが漂った。どこか懐かしい故郷の香りだ。これはくつくつと長時間鳥骨を煮込んで作る、俺の実家の鶏鍋の香りだな。けれども美知みちが作ればいつも少し味が違う。それはそれで美味いから、文句など何もない。

 でも頭がガンガンと痛い。二日酔いかもしれない。喉がヒリヒリと乾き、頭がギシリと痛む。そんなに飲んだかな。飲んだっけ。記憶が定かじゃない。記憶が飛ぶほど飲むことなんてあんまりないんだけどな。

「美知、ごめん、あと5分だけ」

「もう、あなたはいつもそうなんですから。本当に5分たったら起きてくださいね」

「うん」

 このぬくぬくとした布団が気持ちいい。

 うん?

 あれ?

 何か変だな。二日酔いにしては胃のムカつきがない。けれども全身が重だるい。どちらかといえば筋肉痛のような気もしてきた。そしてごろごろと態勢を変えていると、やけに左肩が痛いことに気がついた。酔っ払って壁か電信柱にでもぶつけただろうか。


「美知、体がなんかミシミシする」

「そりゃ、あなたもそんなに若くないんですもの。無理して私達についてくるからよ」

 無理してついてくる?

 そういや美知は登山が好きなんだよな。昔はよく一緒に登ったものだが、最近はとみに体力が衰えたものだから、あまり一緒に登ってはいなかった。仕事も事務方だし、仕方がないとはいえ。

「山?」

「そうよ。昨日は随分登ったでしょう?」

「そうだったかな? 体が痛い」

「だからついて来ないでっていったのに」

「でも心配だったんだよ」

 心配? 自分で言っていて、いまいちピンとこない。心配といえば心配だったような気はするが、美知のほうがよっぽど山に慣れている。俺と同じく50を少し超えたところというのに随分若い。頭は相変わらず、霞がかかったようだ。

 ガチャガチャと皿が並べられる音が聞こえた。そろそろ起きなくては。


「よいせ」

 気合をいれて起き上がってみて、もっと痛むかなとは思ったけれど、それほどでもなかった。ただ、体全体が引き攣れているような、じわりとした妙な感じがする。目の前のローテーブルにはいつもの鍋敷の上に土鍋が置かれたところだ。

「あらあら? そんなに急いで起きちゃだめですよ、まだ治ってないんですから」

 慌ててかけよるその美知の応答に混乱した。

「怪我したっけ?」

「ああ、薬のせいでぼんやりしてるのね?」

「薬?」

「ええ。ゆっくり、ゆっくり。傷口が開いてしまうわ。そんなことより食べましょう? 滋養にいいのよ」

 そうして起き上がって目の前の鍋に混乱した。本来白濁しているはずの鶏鍋が、なんだか緑がかっている。

「ちょ、ちょっと待て、待てよ。何で緑なんだ?」

「そりゃ薬草が混ざってるからよ」

 薬草? 薬膳か何かかな。そういえば美知はよく山で野草を取ってきて天ぷらや和え物にする。だからって鍋にいれることはないだろう。


「なんなら食べさせてあげましょうか?」

「いや、食べる」

 それは流石に恥ずかしかった。

 緑色の汁が注がれたお椀を渡され、恐る恐る鼻を近づける。そうすると、暖かな湯気とともに米と鳥骨から煮出された滋味豊かな香りが鼻腔に立ち上ってくる。さらにくんくんと嗅いでみたが、想像していたような青臭さは感じなかった。そして恐る恐る口に含めば、少し熱めの汁に鳥の旨味がしっかりと染み込み、肉を一口かじればその身はほろりと骨から外れ、けれども噛みしめれば口の中で踊るようだ。

「いい鳥だな」

「そりゃあそうよ。最高級ですもの」

 あれ? 本当に踊っているようだ。もごもごと口の中で肉を転がせば、何やら抵抗するように左右に動く。なんだこれ。そうして視界が上下にずれた。正確に言えば、崖から落ちるように右目と左目の間に段差ができたような。というか、だから倒れたのかと思ったのに、何故だか未だ座っている。

「あ、いけないいけない。傷が開いちゃう」

「俺、どこを怪我したんだ?」

「あら。それもおぼえていないんですか? 仕方がないわねぇ。やっぱり脳が真っ二つになると駄目なのかしら?」

「の、脳?」


 美知は聞いたこともない言葉をもごもごと唱えた。まるで呪文のようだ。そう思っていると、パァと美知の手のひらから光が満ち、エイという掛け声とともに顔の両脇、両耳のあたりを捕まれ、無理やりぐいと抑えつけられると、左右の視界のズレが元通りに戻った。

 俺は一体何が起こったのかと固まった。

「の、脳ってのは何のことだよ」

「本当に覚えていないの? やっぱり胴で真っ二つになったときとは違うのね」

 先程から美知の表情は普段のものと全くかわらないのに、その言っていることの意味がさっぱりわからねぇ。

「あなた、あなたは今日、大きな斧を持ったオーガに頭から真っ二つにされたんですよ」

「は? オーガ? 何を」

「記憶が断線でもしているのかしら?」

 仕方がないわね、と呟いて美知は小物入れから鏡を出し、俺に渡した。覗き込めば、俺の顔のど真ん中に一本の線が入っていた。真っ二つ? 嘘だろ?

「やっぱり頭をやられるとぼんやりしてしまうようね。強制的に直しますから。我慢して下さいね」

 そうして呆然としている俺に、美知は再び何かの呪文を唱えた。そうすると、急激に俺の体から力がぬけていく。まるで全力疾走した後のような酷い疲労感が俺を襲う。力が消費され、脳のズレが全部まともに収まったのか、恐ろしい激痛とともに俺に記憶が戻ってきた。


 そうだ、俺は異世界転移して右往左往しながら死にかけてた所、妻の美知がどうやってだか追いかけてきて、何故だか魔王だか大魔道士だかとかになって、俺とまた一緒に住むようになったんだ。

 この見慣れた家も美知の謎の魔法で強引に作ったんだった。だからこの家の外は死毒の沼地だったような。

「思い出した。すまん、美知。ついていっちまって。古代竜を倒しに行くなんていうもんだから」

「いいんですよ。普段ならあなたを守れるのだけど、今日はちょっと花粉がひどくて油断してしまってごめんなさいな。さぁ、鍋より体力回復が先ね。ゆっくり寝て頂戴。明日には元気になってますから。お鍋は明日、雑炊で頂きましょうね」

 強引な体力回復に疲労困憊で、大人しく横たわる。あの緑色のは世界樹の葉とかなんだろう。それで多分、あの口の中で跳ねてた鳥は、不死鳥な気がしてきた。

 なんだか俺は、異世界にきても、結局美知の尻に敷かれている。

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