暗黙の了解

月井 忠

第1話

「これ、お土産でーす」

 カナエがすぐ横に来て言った。

 私は慌ててスマホを伏せて、デスクの上に置く。


 カナエの手には個包装のお菓子があった。


「ありがとう、どこ行ったの?」

 お菓子を受け取りながら聞く。


「秘密です」

 そう言ってウィンクをする。


 女の私にもこうして愛嬌を振りまくところは、彼女らしい。

 カナエは背中を見せると、オフィスを回って他の社員にもお菓子を配り始めた。


「相変わらず、白々しいわね」

 向かいの席のミキが近づいてきて小声で言う。


「ですねえ」

 渡されたビスケットの上には、これみよがしにアーモンドが乗っている。


「アナタがナッツアレルギーと知っていて、それを渡すとはね……私のと交換しましょう」

 ミキは自分の持っていたお菓子を差し出す。


「お願いします」

 アーモンドの乗ったお菓子をミキのものと交換する。

 質素なチョコレートビスケットだった。


 カナエはまだオフィスを回ってお菓子を配っている。

 向かいのミキは自分の席で仕事の準備を始めていた。


 私はチョコレートビスケットを裏返して、包装に目を凝らす。

 残念ながら個包装のフィルムに、成分はいちいち記載されていないようだった。


 ナッツが含まれている可能性は否定できない。


 以前、ミキからお菓子をもらったことがある。

 お菓子の袋には最後の方にナッツ類の記述があったのを見つけた。


 そのことを後で指摘したらミキは平謝りした。


 しかし、私はそこに悪意を見た。

 確信犯だと思っている。


 ある意味、カナエのように、これみよがしにやってもらった方がいっそ気持ちがいい。

 ミキは仲間のフリをした裏切り者だと思っている。


 どうして、私がこんな目にあっているのかというと、社内で人気のキョウジから言い寄られているから。

 カナエとミキはキョウジ狙いということで、私のことが邪魔らしい。


 ちなみに、私には大学の頃から付き合っている彼氏がいる。

 そういってキョウジからの誘いを断っているが、向こうは全く意に介さない。


 キョウジはどこでもお構いなしに私に声をかける。

 そのお陰で、二人からの密かな攻撃はエスカレートする一方。


 もっとも、私だけが善人だと言う気もない。


 そもそも、私にナッツアレルギーはない。


 というか、むしろナッツは大好きだ。


 ある時、私、カナエ、ミキで食事をともにしたことがある。

 その時はたまたまダイエット中で、デザートまで食べる気はなかった。


 その店は、アーモンドの入ったデザートが有名だった。

 カナエがどうして頼まないのかと聞くので、アーモンドが苦手だからと答えた。


 ダイエット中とは言いたくなかった。

 すると、ミキがアレルギー? と聞くので、曖昧にうなずく。


 その一件から私はナッツアレルギーということになった。


 否定するのも面倒なので放っておいたら、こうしてナッツのお菓子が舞い込むことになった。

 アレルギーを持っている相手には、その食べ物を上げないというのが暗黙の了解だと思うのだけど。


 本当にナッツアレルギーだったら犯罪だぞ、と思いながらチョコレートビスケットを見つめる。

 まあ、彼女たちにとって悪意のはけ口は必要だろうから、黙っておくつもりだけど。


「おはよう。今日もキレイだね」

 キョウジが私の席まで来て挨拶をする。


「おはようございます」

 水面下で行われている死闘を、この男に教えてやりたい。

 もっとも、この男は私とヤりたいだけなので、まったく聞く耳を持たないだろうけど。


「キョウジさん、これお土産でーす」

 カナエが戻ってきて、キョウジにお菓子を渡す。


 私としても朝からキョウジのねっとりした声を聞きたくないので、さっさとキョウジを他の場所に連れて行って欲しい。

 横目で向かいの席のミキを見ると、にらみつけるような視線をカナエに送っている。


 事情を把握していれば、ちょっとした修羅場だ。


 私はデスクに伏せたスマホを持った。

 転職サイトにアクセスして情報収集を再開する。


 退職願は昨日出した。


 こんな職場、こっちから願い下げだ。

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暗黙の了解 月井 忠 @TKTDS

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