第12話 クロエとコウ
さすがにダメージ大きくて、食欲も湧かない。それでも体力を失うわけにはいかないので、スープを流し込み、ワインをあおる。
部屋に戻ると、クロエちゃんがベッドをくっつけていた。
「コウ、今日は一緒に寝よう」
「いいの?」
正直、すごくありがたい。
「コウ、大変だったね」
クロエちゃんの小柄な身体に抱かれる。身長160センチの私より、クロエちゃんはひとまわり小さい。140センチ台かもしれない。栄養状態の悪いこの世界では、これが普通だ。
胸はクロエちゃんのほうが大きくて、顔をうずめると安心した。
「泣いていいよ、コウ」
「濡れちゃうよ」
「いいよ」
私は声を上げて泣く。クロエちゃんは、ゆっくり私の頭を撫でてくれる。
「今日ね、ずっと死にたいって思ってた」
「うん」
「なんで私なんだろ。なんで私この世界に来ちゃったのかな。なんで私だけなんのスキルもなくて、奴隷なのかな。もうやだよ。戻りたい」
多分これは、クロエちゃんに言っちゃダメなやつだ。この世界の生まれながらの奴隷の彼女は、もっと地獄を見ている。
それでも彼女は私を抱きしめていてくれる。
「あたしのため、じゃダメ?」
クロエちゃんは言った。
「え?」
「コウが来てくれて、一緒の部屋になって、あたしは助かってる。妹のこと助けなきゃって思うけど、ときどきあたしも限界になる。そんな時コウといると、あたしはもうちょっとだけ頑張れる。コウのこと、変だけど妹みたいに思ってるよ」
この人と出会えてよかったと思う。クロエちゃんの助けになっていたなら、それだけで私はこの世界に来た価値がある。
「お姉ちゃん、って呼んでいい?」
「それは恥ずかしいから、ダメ」
私たちは笑った。
人権なくて、自由もなくても、私たちは尊厳を保ち、生きる意味を見つける。そしてなんとか、本当にギリギリだけど、毎日を生き延びていた。
翌日は休みで、私はホールに立つ。まだ死にたいけど、もうちょっと寝ていたいけど、先輩また来たらどうしようって思うけど、来週は多分生理だ。今日稼がなきゃ。
一人の冒険者が近づいてきて、今日最初の人はこの人かって思う。
精一杯の愛想笑いを浮かべる。最初こそ30デールとか稼いでたけど、愛想あんまりない私は今じゃ10デールくらいにしかならない。これ以上安くならないようにしなきゃ。胸元に手が伸びて、揉まれるくらいは笑って我慢って思ったところ、チクリとなにかが当たった。
「静かにしろ」
男は袖口にナイフを隠していた。
朝のホールは人もまだ少ない。カウンターのメイドは半分寝てるし、厨房は奥で朝ごはん作ってる。
「メイドのコウってのはお前だな?」
悪いことって続くなと思いながら、はいって答える。
「お前のせいで俺は全財産を失ったんだ。大人しくしてたら殺しやしねえよ。来い」
借金返してなかったんだ。自業自得の逆恨み。
肩を抱かれたまま、ヤリ部屋に連れてかれる。レイプされるんだ。昔なら必死で抵抗しただろうな。それこそ死んだほうがマシってくらいに。でも今の私は、痛いのとタダはやだなってしか思えなくて、自分が嫌になる。
「待て。その人を離せ」
後ろから声をかけられて、男が振り返る。私もそっと様子を伺う。
皆川くんだ。杖を構えている。
「お前、ナイフを持っているな。その人に何するつもりだ。離せ」
男が舌打ちする。
「お前が呪文唱えるのと、俺がこいつを刺すのと、どっちが早いか試してみるか?」
「やってみるか? 俺のスキルは大魔道士だ。瞬きする間に、お前は黒焦げだ」
「クソっ。噂の黄金ランクってやつか」
男は私を突き飛ばし、逃げるようにギルドを出ていった。床に転がりそうになる私を、皆川くんが支えてくれる。
皆川くんって、こんなにがっしりしてたっけ?
「結構鍛えられたんだよ、俺も。シンヤ先輩ほどじゃないけど」
力こぶを触らせてもらうと、とても固かった。
私たちは、休み時間みたいに、ホールの台に腰掛けて話していた。
「助けてくれて、ありがとね」
「昨日あんなことがあっただろ? 凹んでないか気になってさ」
「凹んだよ。だいぶメンタルやられた」
「シンヤ先輩マジで強いんだけど、ああいうとこあるからなあ、苦手」
「やっぱり? 先輩、今日は来ないよね?」
「来ないと思うよ。昨日の夜、上坂とやりまくってたから、多分一日寝てる」
どこに泊まってるか聞いたら、めちゃくちゃいい宿だった。いい暮らししてんなあって思う。こっちは病気にでもならなきゃ休めないってのに。
「皆川くんは、なんで先輩とパーティー組んでるの? 皆川くんも強いんでしょ?」
「俺、魔法職だから、強力な前衛いるんだよね。シンヤ先輩性格はアレだけど、誰よりも強いし。上坂のこともあるし」
そういうもんなんかと思う。考えてみれば、冒険者のことは詳しくても、彼らがどんなふうに戦ってるかは知らない。
「俺、東山とこんなふうに話したの、初めてだよ」
「そうだっけ?」
確かに、あまり会話した記憶はないけど、初めてかって言われると自信がない。
「そういえば皆川くん、教室じゃずっと早川くんたちとアニメの話してたよね。異世界転生、詳しいんでしょ? 私、皆川くんと一緒が良かったなあ」
皆川くんは顔をぱーっと輝かせた。
「うそ? 東山、俺が良かったの? 俺みたいな陰キャのオタ、名前も覚えられてないかと思ってた」
やべ、変なふうに取られてる。あくまで一人っきりよりは、ってことね。釘刺しとこう。
「同級生だもん。名前くらいは覚えてるよ」
「名前くらいは……そうだよな」
皆川くん、がっつり落ち込んでる。ごめんね。
「視界に入ってないよりはマシって思うことにするよ。俺、東山のこと、ずっと凄いなって思ってたから。勉強も運動も出来て、美人だし、みんなに頼りにされてて、1年のとき、男女混合リレーあったの覚えてる?」
体育祭か。そんなのもあったなって思う。何人か抜いて、1着でバトン渡せたっけ。
「その時抜かれた一人が俺」
皆川くんは自分を指さして笑った。
学校での皆川くんは、ちょっと太ってて、悪く言えばどんくさい感じだった。
「皆川くん、変わったね」
「え? どんなふうに?」
「シュッとした。助けてくれたとき、ちょっとカッコよかったよ」
「ほんと?」
「ほんとだよ」
そう言って私は立ち上がった。
「来てくれてありがとうね。そろそろ仕事しなきゃ」
黄金ランクの皆川くんと話してるせいで、冒険者たちは遠巻きに私を見ているだけで、声をかけてくる人はいない。
「仕事って、メイド?」
「ううん。今日は休み。その……ね」
流石に直接口に出すのは恥ずかしい。
「え? それって、シンヤ先輩が言ってた、アレ……?」
「そう」
諦めて素直に認める。
「お、俺、生徒会長選挙で、東山に入れたんだ。俺じゃダメか?」
「流石に元同級生とじゃ気まずいよ」
私は笑って言った。
「知らない人とだから出来るんだよ。春を売っているのは奴隷のコウ。東山幸じゃないって、いっつも思ってるんだ。じゃあね」
私はメイド長に頼み込んで、受付にはなるだけ出ないようにした。
先輩のパーティーはジョーセーという名前で、通ってた高校名を元にしてて、それを見るのも辛かった。彼らは滅多に働かないけど、確実に仕事をこなしていた。
皆川くんは用もないのによくギルドに来ていた。
「俺、宿こっちに変えようかな。先輩と上坂がやってる声聞くのも飽きたし」
やめてと私は言った。
奴隷の姿を見られるのは結構苦痛なんだよ。なんでわかってくれないのかなあ。
「あのミナガワって人、絶対コウのこと好きだよ」
クロエちゃんはそう言うと、コンッて小さな咳をした。
「たぶんね」
「一回寝てあげれば? 100デールくらい取ってさ」
「無理だよ。それやったら立ち直れない」
クロエちゃんはまた咳をした。彼女はこのところずっと咳き込んでいる。悪い病気じゃなきゃいいのにって思う。
「コウならではの悩みだね。あたしは最初から奴隷だから、これ以上落ちようない。なんだってできる」
クロエちゃんの体調はどんどん悪くなっていった。魔法薬を飲んでも、僧侶にお金を払って祈ってもらっても、ちっとも良くならない。
酷い咳が一晩中続き、心配で私まで寝不足になる。
ついには働けなくなり、病院に送られることになった。教会で見たあそこだろうと思う。
「これ、コウに預けるね。病院にはベッドなんてないから」
クロエちゃんに金貨の入った袋を渡される。ずっしりと重い。
「あとこれ、妹の名前と娼館。万が一のときは、このお金を妹に渡してね」
「それって……」
嫌な想像が胸をよぎる。
クロエちゃんは笑った。
「勘違いしないで、万が一って言ったでしょ。あたしは必ず帰ってくる。だからそれまで、コウが預かってて」
クロエちゃんは、人力車みたいな車の座席に寝かされて、ギルドを後にした。
私はいつでも彼女が帰ってこれるよう、毎日クロエちゃんのベッドを整え、部屋の掃除をした。
クロエちゃんのことを考えない時はなかった。仕事をしていても、男に抱かれていても、皆川くんと話していても、私はクロエちゃんのことを思っていた。
眠る前、私はいつも彼女のために、この世界の神様に祈った。私に厳しいこの世界の神様、どうかクロエちゃんを助けてください。彼女はもう充分苦しみました。苦しみなら、私が甘んじて受けます。だからお願い、彼女を助けて。
けれど1週間経っても2週間経っても、クロエちゃんは帰って来なかった。
嫌な想像が、胸から離れない。
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