第6話 アラビア数字は神
こっちの世界になんとか馴染んで、仕事も覚え、実は結構やっていけるんじゃないかって私は思い始めてた。
そんな矢先。事件が起きる。
ギルドのお金がなくなったのだ。100デール。
営業の終わった暗いホールに、奴隷と使用人が集められる。
悪いことにその日の受付は私だった。しかもカウンターで、金庫に触れられる位置に常にいた。
「コウ、正直に言え。盗んだのか?」
「盗んでません盗んでません。絶対に盗んでません」
パウロに詰められて、私は全力で否定する。呼吸が苦しい。レイプされたときのことフラッシュバックして苦手なんだよ、パウロ。寝室に呼ばれても、なるだけ他の子に代わって貰って回避してるくらい。
ギルドの売上は、受付のメイドが帳簿を付けて、営業終了後に使用人が金庫の中身を確認しながら帳簿を集計する。
「もう一度計算してもらえますか? 私、絶対に盗んでなんかいません」
「この奴隷が! 俺の計算が間違ってるって言いたいのか?」
今日、帳簿を集計した使用人が声を上げる。
自由市民の使用人と奴隷では、立場は天と地ほど違う。もう、何を言っても無駄だ。
「奴隷が盗みを働いたときは手を切り落とすのが法律だ……。だが今回は許してやる。尻を出せ、コウ」
「はい」
壁に手を付き、お尻を突き出す。
「尻を出せ、と言った。その布は何だ?」
恥辱で顔が真っ赤になった。
心を殺して、スカートと下着を脱ぐ。
「これで、よろしいでしょうか。御主人様」
自分の声なのに、他人の声みたいに聞こえる。
「100、数えろ」
パウロは棍棒を手にしていた。え? それでお尻殴るの? ギルドで一番安い武器だけど、モンスター殺せるやつでしょ?
私は30回くらいで失神して、それ以上叩かれはしなかったらしい。
お尻にあてた氷を包んだ布を取り替えながら、クロエちゃんが教えてくれる。
明日は正直働ける気がしない。奴隷には、お金を払って労働を免除してもらう権利もある。私と看病してくれるクロエちゃんのぶん、20デール払って私は、明日の休みを買った。
他に、魔法系のスキル持ちの冒険者に氷を作ってもらうのに10デール。
痛い出費。取り戻すために、何回抱かれなきゃならないか考えると死にたくなる。
「私、本当に盗んでなんかないよ……」
「わかってるよ。コウはそんなことしない」
クロエちゃんは本当に優しい。この世界で、彼女に会えたことが唯一の救いだ。
クロエちゃんは私のために一生懸命祈ってくれる。僧侶系のスキル持ちじゃない彼女がいくら祈っても、神様は傷を癒やしてはくれない。この世界じゃ、神様もクソ。スキルとかで依怙贔屓するなんて卑怯だ。地球の神様みたいに、せめて平等に願いを叶えないでほしい。
「祈らなくていいよ、クロエちゃん」
「ごめんね。嫌だった?」
「嫌じゃないけど……。私、神様嫌いだし」
「そんなこと言ってると、また呪われるよ」
この世界では、病気は呪いだと思われている。魔法使いや魔族や、神による呪い。この世界に来て間がないころ、私はしょっちゅう熱を出した。
「今も呪われてるよ」
そう呟くと、お尻の痛みが一層酷くなった。
私がちゃんと計算すると、間違っていたのは使用人のほうだった。
アラビア数字をびっしり書き足した帳簿を持って、パウロの部屋の扉を叩く。
「そうか。あとでサルメを叱っておく」
パウロは帳簿に目を落としたまま、それだけ言った。
はあああああ?? 何それ?? まずはごめんなさいだろ。お尻殴ってごめんなさいしろ。ってかお尻元通りにしろ。あと30デール返せ。
怒りに震える私をパウロが見上げる。
「お前、計算が得意なのか?」
得意ってか、こっちの記数法がクソなだけだと思いますよバーカって言ってやりたかったけど、私は、まあ、とだけ答えた。
パウロは立ち上がり、私は殴られるのかと身構えたが、そんなことはなく奴は棚から10冊ほどの帳簿を出した。
「ここ一年分の帳簿だ。最近赤字が多くてな。お前、これが合ってるかどうか確認しろ」
え? ヤダ。めんどくさい。なんで私がそんなことをしなきゃいけないの?
「部屋を用意させる。机と椅子もだ。その間メイドの仕事はしなくていい。報酬も払う。1日5デール。どうだ?」
まあ、お金くれるってなら、やってやらんこともない。引き伸ばしてお金多めに貰うけど。
「わかりました。でも、もうちょっと待ってもらっていいですか?」
「何故だ?」
「その。お尻痛くて。椅子に座れそうにないんです」
パウロは、がははと笑った。そこ、笑うとこじゃないんだけど。
「そうだったな。すまなかった。僧侶を呼んでやる。治療してもらうといい」
「その、お金は……?」
「心配するな。ワシが出してやる」
やった。私は心のなかでガッツポーズを決めた。
調べてみると、確かに集計間違いが多い。その度に誰かがお尻を叩かれてたかと思うと、気の毒になる。
でも、赤字が多い原因は、もっと別の場所にあった。
ギルドでは冒険者にお金を貸しているが、全然回収できていないのだ。なんつう放漫経営。
「というわけで、金貸しのマネごとをやめれば、ギルドの赤字は解消します」
「それはできん」
苦い顔でパウロは言った。
ギルドが金融をやってるのは、怪我の治療費や働けない間の生活費など、福利厚生の意味合いが大きいらしい。
その割に利息は月5パーセント取ってて、ボッタクリだろって思う。複利じゃないのは良心的だけど、多分それは計算が複雑になるからだ。
「冒険者はな、何かとカネがいるんだ。戦士なら武器、鎧。魔法使いなら杖、宝玉。女への手切れ金や、孕ませたら詫び料だってかかる」
最低だな、冒険者。知ってたけど。
「お金を返さない冒険者が、どこで何やってるか、わかんないんですか? 通信の魔法で連絡取ったりして」
「お前、魔法をなんだと思ってるんだ?」
パウロが可哀想な子を見る目をしている。こんな脳筋にバカにされてる。屈辱。
「まあ、どうせどこかの街で冒険者やってるか、下手したら盗賊にでもなってるんだろうな。冒険に取り憑かれたものは、まともには生きられない」
あ、それわかる。基本的にダメ人間だもん、冒険者。にしても盗賊って。私を売り飛ばしたのも盗賊なんだけど。私がこんな目にあってるの、全部冒険者のせいじゃん。
ふと、私は一つのアイデアを閃く。
「とってもいい案があるんですけど、買いませんか? 御主人様」
ここ10年の帳簿と借用書の束を借り、私は与えられた2階の部屋に籠もる。2階はパウロの私室や執務室、応接間や使用人の部屋なんかがある。
「コウ、いる?」
非番のクロエちゃんが遊びに来てくれる。
「いるよ。入って」
私は手元から目を上げずに言う。本音を言えば、今結構集中してるから、気を散らしたくないのだけど。
「凄いね。窓がある!」
クロエちゃんが歓声を上げる。
「いいでしょ。私も気に入ってる」
ガラスは貴重なので、木製で、窓というより小さな扉みたい。だけど、部屋を独り占めして、窓を全開にして外の空気をたっぷり味わうと、自由市民に戻れたみたいで気分がいい。
「コウは、ここでなにしてんの?」
「過去10年のギルドのお金の貸出履歴を整理して分析してる。返済までの期間、冒険者のランクと貸出金額ごとの回収率。未回収の分も金額とランクに分けて、表にしてる」
「なんだかわかんないけど、凄いね、コウ」
「ありがと」
「ねえ、コウ。自分を買い戻したいって御主人様に言った?」
「まだ、言ってない」
毎日を生きるので、私は精一杯だった。自分を買い戻すまであと何年とか、考えないようにしていた。あと5年とか具体的な数字を見たら、心が砕けてしまいそうだ。
「早いうちに宣言したほうがいいよ。値段って変わるからね。そういう仕事するなら、特にね」
「ありがと」
私は気のない返事をした。このとき私は結局、一度もクロエちゃんと目を合わさなかった。
「貸出から1年以上経つと、返済された実績は0です。これは、返済額が倍近くとなり、返済より逃げることを選択する人が多くなるものと考えられます。ですので、利率を引き下げます。私の試算では、年2割の利率で、じゅうぶん元が取れます」
私の作った資料を、パウロはじめギルドの役員が食い入るように眺めている。
コピーなんてないから、同じものを何枚も書いた。大変だった。
「また、貸出額では鉄ランクが一番大きくなっています。未回収額も鉄ランクが最大です。銅の上位以上では、未回収は1件もありません。ですので、貸出から1年以上経過した鉄クラスの借用書を、冒険者に安価で販売します。購入した冒険者は、借用書に記された元本と利息を、その後自由に取り立てることができます」
案の定、役員たちはざわつく。
奴隷の戯言だとか、この資料が正しい証拠はあるのかとか、口々にまくし立てる。
そこから? と私は鼻白む。
まあ、どうでもいいよ。ギルドの赤字なんて、心底どうでもいい。ちょっと一生懸命やった自分が馬鹿みたい。
待て、とパウロが言った。
「コウは奴隷だが、元は異国の姫だ。こいつの能力を、ワシは信頼している。コウへの不信はワシへの不信だと思え。改めて問う。コウの提案、どう思う?」
やるじゃんパウロって私は思った。
ってか異国のお姫様って設定、まだ生きてたんだ。
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