26ページ クソ外道
痛む頭を叩かれて意識が戻ってくる。ランサイアは熱にうなされながら目を開けた。
「起きましたか。生きていてよかったです」
目の前で、銀髪の女が微笑んでいた。こいつはたしか……私の命を狙っていた人造人間か。
時間は太陽がまだ傾いている朝方、場所はオフィスビルの屋上であった。どうやらご丁寧にここまで運んできてくれたらしい。
「こんなクソみたいな負け筋なんて、最悪の気分よ」
ため息交じりに手元を見ると、厳重に拘束されていた。目の前の女の強さは、日本の排斥派から耳が腐るほど聞いた。
「話が分かる人ですね。助かります」ランサイアを見下ろす天夢は冷淡な口調だった。
「それにしても、ずっと大阪にいたなんて。随分とハイリスクをとるんですね」
「ハイリスクギャンブルしてないと安心して眠れないのよ。明日は今日とは違う1日になるって、確信できるから」ランサイアは自嘲した。
「おかげで縄にかけられました。その
そういって笑い、天夢は袖から小さな紙束を取り出した。
「私はここからいつでもあなたを殺せます。応援も敵襲も来ません。最後に、ポーカーでもしませんか」
トランプか。
「悪趣味ね。賭けるの?」ランサイアは視線を落とした。
「もちろん。あなたが勝ったら、なんでも願いをひとつ叶えてやりましょう」
「へぇ」ランサイアは鼻で笑った。「それじゃああんたが勝ったら、私も言う事をなんでも聞いてあげるわ」
天夢は無視を決め込んでランサイアに歩み寄り、手際よく手錠を外した。
無言のまま、カードを配り始める。奇妙な奴だとランサイアは思った。
全て配り終えたところで、天夢はようやく口を開いた。
「あなたの所為で多くの人が亡くなりました。今日の朝にも、病院は涙を拭く遺族で溢れています」
「あなたが言えた事じゃないわ」ランサイアは即座に言い返した。
「ですね。そういうものですよ、この世界って」
ランサイアが不服そうな顔をしたところで、ゲームが始まった。
*
「ストレートフラッシュ」
10分後。逆転で、ランサイアのカードが天夢を上回った。
「負けました」天夢は両手を上げてカードを落とした。
ほとんど運勝ちだったが、それが逆にスリルを感じさせた。
「強かったわ。こんな苦戦した相手は初めてかも」ランサイアは久々に接戦を演じて、満足そうに汗を拭いた。
天夢は素っ気なく「対ありです」と口ごもった。
「それで……じゃあ、願いを聞きましょうか」
「そういえば賭けてたわね」夢中になって忘れていた。何を願おう?
生存願望ははっきりいって、ない。命をかけたギャンブルに負けたのに、自分を大して好きでもない仲間の元へ帰ろうなんて思わなかった。
それなら、微かに頭の中にあった願望に使ってしまおうと思った。
「私、気になるのよ。どうすれば他人が、私の事を分かってくれるかって」
「へ?」天夢は口をあんぐりと開けた。
「人間って、どれだけ偉くなっても、どれだけ周りに仲間がいても、幸福になれないときは幸福になれないの」
ランサイアは熱心だった。
「私も最近、ずっとつまらなかった。趣味もいまいちで、司令官なんて大して動かない仕事には向いていない気がした」
深いため息をつく。
「人間に必要なのは理解者よ。やっとそれに気付いたけど……すぐには見つからないものね」
世界中の穏健派から脅威と言われる女。その肩が天夢には、急に小さいものに思えた。
「だから――」ランサイアは続けた。「あなたには私の事を分かってほしいわ。死ぬ前に、そのくらいいいでしょ」
天夢は面食らった。そんな願いを口にするとは思ってもみなかった。
「しかし、最期にそんなことをする意味はないのでは……」
「ないわよ。何したっていいじゃない」ランサイアは少し落ち込んだ様子になった。
理解者になるといったって、可能なんだろうか?思想が正反対なのに。
そうだ。単純な話だ。なれない。
「あなたの理解者にはなれませんよ」なるべく温かい口調になるよう、天夢は心掛けた。「あなたの気持ちがわかるのは、あなたの生涯を見てきた人だけです」
「そんなことはないと思うけれどね。でも、確かに無理な注文だったかしら。あなた人間じゃないしね」ランサイアは目を細め、首を横に振った。
少しの間があった。
ランサイアは目の下を撫で、「じゃあ、願いを変えるわ。質問にこたえて」と微笑を浮かべた。
「なんですか」
「あなたは日本排斥派のトップ、城ケ崎ロジィに雇われていたんでしょ?」
「あの司令官ですか。——買われた、といったほうが正しいかもしれませんね」
「ともかく」アンサイアは天夢の額を指差した。「彼の目的について何か知っている事は?」
天夢は肩をすくめた。あの男の事は、思い出しただけで悔しさがこみ上げてくる。
「私はほとんど海外にいました。会うのは1週間にいちどくらいでしたし、そもそも彼と親しい人は――娘を除いて――私の知る限り、いませんでした」天夢は平静を装った。
「あいつが?」ランサイアは怪訝そうな顔をした。「あいつとは古い仲だけれど。昔から随分と変わったわ」
「昔の事は知らないけれど。今では最悪の人間です」天夢は噛み締めるように言った。「魔人の脅威から人間を守ると
「そ」ランサイアは納得したように呟いた。「正直、それには私も賛成してたわ……。でも、彼にはまだ何かがあるのよ」
天夢は「何も知りません」と言った。嘘ではない。
ランサイアは溜め息をついて、腰にひそめていた拳銃を取り出す。
そしてその銃口を、自らのコメカミに押し付けた。
「あの男は他とは違うわ。非合理的な人間の善性の、対極に位置する存在——戦うなら、自分の墓くらい立てておくことね」
言い切ってから、もう一度息を吸い込む。
「それと……私が日本で死んでも、日本の排斥派はあまり手出しはしない。情勢的に、今の日本はロシアと仲が悪いからね。でも、国外からはどうかしら」そういって微笑む。
「あなたがどれだけ強かろうと、穏健派の軟弱な人間を守ることはできない――今回、それが十分に分かったはずよ。あなたはここにいるべきじゃないわ」
天夢は不満げにランサイアを睨んだ。
「さっさと引き金を引きなさい」
「はいはい」
純白の雲が見下ろす街で、孤独な銃声が鳴り響く。鳥が逃げるように羽ばたいていった。
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