25ページ 甘えたね。

 目下の穴から銃弾の噴水が湧き上がってくる。群青は逃げるように立ち上がるだけで精一杯だった。


「ヴ」顎が砕け、声はもう出せそうにない。


 そして運の悪いことに、群青が出た地上は誰一人としていない無菌室であった。これじゃあ、自力で屋外まで出なければデッドエンドを迎えることになる。


 こんな場所にいられない。地を這って扉へ向かう。


 やせ細ったように見える右手の力を振り絞って、白色の扉を開いた。


「やあ」


 唐突に前方から声をかけられ、驚いた群青はうつむいた顔を勢いよく上げた。そこに立っていたのは、記憶に新しい仮面の女だった。下水道に沸いたドブネズミでも見るような眼をしている。


「また会ったわね。死んでいると思ったのに。サーネチカ、余計な事をした上に失敗するなんて……失望したわ」


 彼女はそう呟いて、気だるげに指を鳴らした。



 次の瞬間、足元から轟く爆発音。そして断末魔。駐車場の場所と一致する。


 こいつ、まさか……。群青の顔が真っ青になった。


 彼女は仮面をスライドするように外した。果たしてその顔は、バーで会った金髪の女と全く同じ。


「あなたを殺そうとした女には、ちょいとお仕置きしておいたわ。それじゃあ、私の手で殺してもらえることに感謝しなさい、半魔人の男」


 群青は戦慄を覚えた。あんな近くまで忍び寄られていたなんて。


 悔みながらも、群青にはもう立っていられるだけの体力もない。地面に崩れ落ちた。


「あら、倒れちゃったわね。根性がないこと」


「ヴヴ……」黙れ……僕はこうして這いつくばって生きているだけで運がいいんだ。お前にこの場で殺されることだけは、回避しなくてはならない。


 しかし、群青の体力は底をつき始めていた。指を動かすのにも苦労するほどに。



 少しの間、固まっていると、よどんだ溜め息がランサイアの口から漏れた。


「諦めたの?そう。なんだか幻滅したわ」彼女の不快そうな態度が一層と強まる。しかし、群青にはそれを感じ取る余力さえ残っていなかった。


 すぐに背中が痺れだした。スタンガンでも押し付けられているのだろうか。頭上からは刃物を研ぐような雑音が僅かに耳を刺してくる。


「はい、どうぞ」冷たい声と重なって、小さな針が群青の首筋に落ちた。


 猛烈に痛い。息ができない。背中に、もう1本の針が刺さったことにすら気付けない。


 もうすこしで生き延びれると思ったのに。僕は何もしていないじゃないか。


 なんで魔人というだけでこんな、こんな――。こんな死に方をしなきゃいけないんだ。


 痛覚が麻痺しはじめ、群青の怒りは加速度的に膨れ上がっていった。


 その感情をさらけ出して。群青は顎を破壊しながら声にならない叫びを発した。


「!!!!!!!」


 血管の隅に留まっていた血が、怒涛の勢いで流れ出た。意識を留めている事などできはしなかった。


 生ゴミのように自分を蹴る恐ろしい女を視界から切り、群青は意識を失った。


「最後の抵抗がそれ?おもしろくないわね……」


 ランサイアは歯ぎしりをした。疑似的な死人を本物の死人にするだけの、至極単純な作業——。面白くもなんともない。


 背中に突き刺さった針を抜いて、気絶した群青の脳天に突き立てる。


「手間をかけて殺す価値も無いわよ、あなたなんて」


 血飛沫が舞って、目を閉じた群青の顔面から色が消えた。


「これで、終わりね――」


 ランサイアは一仕事終えた気になり、首を回して立ち上がった。


 さあ、とっとと帰ってカジノでも……そう思った時だった。



「う」ランサイアの頭に、生温いものを流し込まれたような感覚が奔った。


「まさか、呪文——ウッ!!」


 直後、脳に何かが侵入してくる。感じた事の――ない痛み。


 目の前で倒れる男は微動だにせず、生きているとは思えなかったが、それでもランサイアはこの男に空前の怒りを向けた。


「あんたのような、腐葉土に沸いたバクテリア未満の生命体が――なにがおもしろくて、こんな――」


 言いかけたところで、脳を襲う痛みが更に強くなる。その苦痛は無我夢中でランサイアの意識に噛みつき、落とそうとしてくる。


「嫌よ、こんな如何様にやられてたまるものか!」それでもランサイアは、震える足を押さえて歩き始めた。


 殆ど死んでいる魔人でも、人間を殺せる。だから、あんな事件が――。ランサイアは憤慨した。


「畜生、やはり魔人は……最低な生き物よ……最低な生き物よ!!」


 吐血と共に叫ぶ。痰の絡んだ血に、1匹の蚊がとまった。


「消えろクソ蟲!」もう、何にでも激怒できる気がした。よりによって、最も嫌いな種族の男に殺されかけているのだ。


 行き場のない怒りが動力源になったのか知らないが、ランサイアは脳溢血した体を無理矢理動かし続けた。


 そしてどれだけ経っただろうか、無菌室の向こうにある外への出口に辿り着いた。


「まだ、生きられる――」ランサイアは藁にもすがる思いで扉をがっしりと掴んだ。


 一帯に出来た血だまりを一瞥し、扉を力一杯開く。これで、仲間と合流することが――。



「こんにちは。今日はいい天気ですね」


「あ――」ランサイアの背筋に、氷点下の衝撃が奔った。


「柊さん、ありがとうございました。大当たりです。そしてランサイア、あなたも無能な部下を持ってくれてありがとうございます」


 扉の向こうで、銀色の長髪が太陽に照らされていた。

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