23ページ 作戦再開
任務開始から1週間と2日が経った。
群青が二日酔いで寝込んでいる隙にリビングの机を占領し、蓮は朝っぱらから作戦を熱弁していた。
「作戦変更だ――。ネット上でランサイアの顔写真——といっても仮面だが—―を流した。奴の仲間はあの仮面を被っている……それを利用してやるのさ」
「その後はどう動くんです?」聞いていた天夢が首を傾げる。
「フフフ……」蓮は人差し指を振った。そして、赤い液体の入った小さな試験管をいくつか取り出し、指に挟んだ。
「これは奴らのヘリに忍ばせた人工モスキートを使い、採取したランサイアたちの血液だ。これと同じDNAを持つ人間を発見できれば、最速で奴に辿り着けるだろう」
「おお!それはいいですね。どのぐらいの人数の血液を調べられるんですか?」天夢は乗り気に目を輝かせた。
「10000人くらいかな……人工モスキートは使いすぎるとリスクが高いんだ」
蓮はリュックからいかにも禍々しいケースを取り出した。その中に精巧な機材が入っているらしい。
「で、さっそくだが目撃情報があったんだ。大阪駅の近くでね」
蓮は親指を噛んだ。
これなら見つけられるさ。地球上のどこにいようが――宇宙に行こうが――巣に毒を流された
「マジで突き止めに行くぞ」
「そう来なくちゃ、ですね」天夢は残忍に奥歯を剥き出した。
残存日数、4日と15時間。
*
「ここが第一の怪しいスポットだ。軍事情報通の人間に聞いた」
蓮は大阪駅付近にあるビル街の土を踏んだ。都会にしては珍しく、ソースのようないい匂いが漂っている。
後からついてきた天夢はあたりを見渡して肩を落とした。ここ半径1キロメートル以内だけでも、どれだけの人数がいるかわからない。DNA鑑定で捜索するのは、想像を絶して難しいのかもしれない。
「蓮、目撃情報はありましたか?」
「今のところはないが、掲示板の目立つところに貼っておいたからいずれ出てくるはずだ。それが事実であることを祈ろう」
結局は運頼みか。まあ、それも仕方がない。天夢は気合いを入れ、帽子の向きを正した。
「それじゃあ、蚊をばら撒きますか」
「ちょっと悪い事してる気分になるな」
「ふふ」天夢は薄く笑ってケースの中身を空へ放り投げた。黒い霧のような塊が四方へ散っていく。
「お、タクシー来たな。時間ぴったりだ。よし、帰ろう。ぶらついている暇はないよ」
「ですねえ」
2人は視界の外へ消えた蚊に別れを告げ、道端に停められた黒い車へ乗り込んだ。
数十分が経ち、アパートの近くで車が止まる。瓦礫の山となった隣の建造物にしばし黙祷を捧げてから、ふたりはアパートの階段を上がっていった。
そうして群青の部屋まで着くと、天夢はすぐさまある違和感に気付いた。
「あれ……鍵が開いてます」
「そうか」蓮は特段驚いた様子もなく、そのままドアを開ける。
「ほんとだ。柊さんいなくなってるね」
玄関に入った瞬間から
その足は、ドアを開けた瞬間にぴたりと静止した。
「あ……え……なにこれ」
「さあ。強盗でしょうか」
全方位の壁に血が滲み、部屋中が地獄の痕跡を残さんばかりに荒らされていた。
「柊さん、無事でしょうか」天夢は心配げに蓮を見下ろした。蓮は真剣な眼差しを返す。
「多分無事じゃないだろ。探しに行くか?とりあえず警察か?」
「なんだか嫌な予感がします……探しましょう」
蓮は頷いて、懐から取り出したスマホで群青に連絡をかけた。
間をあけて電話が繋がる。直後、21世紀とは思えないノイズ音が鳴り始めた。
「この魔人の関係者か?諦めろ、こいつに干渉するなら今すぐ殺してやるからな」そんな言葉が途切れ途切れに聞こえる。蓮は眉を寄せた。
「こちらの声が聞こえるか!?お前は誰だ、なにが目的だ」
スマホから漏れるノイズが唐突にやわらぎ、鮮明な声に変った。
「誰かと思えば、ランサイア様が仰っていたガキか。なら警告する。3日以内にこの国から出ていけ。さもなくば穏健派に壊滅的な被害が及ぶ」
蓮は黙り込んで真剣に聞いていた。異様な程に集中して耳と画面をくっつけ、一定の時間が経つと、相手の話を遮って通話を切断した。
「?」天夢は意図が分からず首を傾げる。
蓮は歩き回ってなにやらぶつぶつと呟いていたが、やがて足を止めた。
「そうだ!駅のアナウンスだ!通話中、たしかに聞こえた!」
そういって、録音していた先程の通話をいきなり大音量で流した。
「これは……」女の声の後ろで響いているのは、確かにさっき聞いた駅内アナウンスだ。天夢は目を丸くした。
「急いで駅に戻ろうか、天夢」
「……はい」天夢は唖然として立ち尽くした。こいつ……できる。
*
群青は頭蓋に走る激痛で目を覚ました。
「いっだァ……なんだここ」
誰もいない地下駐車場の中。おぼろげな視界の中央に、ブロンドの色で囲まれた人間の顔が見える。群青ははっとして跳ね起き、自分の頭から流れる血を肌に感じた。
「あ、起きた」眼前から声が聞こえる。群青は目に精一杯の力を込めて声の主を凝視した。そこにいる女は口を開いた。
「私はサーネチカというんだけれど。知っているか?」
「知らない……誰だお前は」群青は声を絞り出す。頭が割れたように痛んで思うように発音できない。
サーネチカと名乗った女は2本の包丁を持って迫ってくる。群青に顔を寄せ、包丁を目の前で交差させた。
「ランサイア様がお前を殺さねばとうるさいから身柄を頂いたよ。この場で処刑させてもらう」
「お前……ランサイアの関係者か?」
「黙れ」サーネチカは包丁の片割れを群青の喉に押し付ける。「お前を含め、ここ近郊に3人の魔人がいる。そいつらについて知っている事があれば先に言え」
なんだ?寝ている隙に……尋問のために僕を捕らえたということか?群青は死にかけの頭で考える。
「何も言わないなら、このまま殺す」
時間を稼がなければ。群青は直感した。少しでも回復すれば魔法が使える……そこまでは耐える。
「待ってほしい!話すことがある」
サーネチカの手が止まった。その隙に群青は目を大きく見開いて空間を見回す。
地下駐車場は完全に閉鎖されていた。隙間から侵入してくる光を除けばほとんど暗闇である。しかし、どこからか駅のプラットフォームのような音がするあたり、外界と完全に分離された空間でないのも確かだ。
しかし、この空間については、蚊も飛んでいて不気味としか言いようが……蚊?季節外れだな。
周りを見てしばらく気を逸らしていると、首に当てられた包丁に再び力が戻った。
「一体、何を話そうと?」サーネチカは一段と苛立った様子になった。
「ぐが……も、もうひとりの魔人については知っている。2人目は知らない」群青は早口で言った。
サーネチカは自らの顎をゆっくり撫でる。
「それは本当か?その顔……やけに冷静だな。なにか考えがありそうだ」
「クッ……だったらどうするんだ」群青は出来る限り怒りに触れないよう睨んだ。
「どうしようか、早めに殺したいところだが――」もう片方の包丁まで群青の首筋に当てる。「ただ首を持っていくだけじゃ、ランサイア様は喜んではくれない。それに、お前の命より価値のある情報があれば排斥派で生かしてやってもいいんだぞ」
なるほど、それは都合がいい。僕から何か有益なものを得られるまでは殺さないということだ。群青は内心でほっとした。
そして、そろそろ魔力が半分ほど使える。何をすればよいだろうか?……まあ、こいつを殺してしまえば問題ないか。
「それじゃあまずは、包丁をどけてくれないか」
「いいや、喉の先が切れたくらいじゃ会話不可能にはならない。このまま話せ」サーネチカは手に込めた力を緩めない。
大丈夫。話したところでこいつは殺せる。群青は一旦諦めて口を切った。
「本部にいる、ジーヴィスという名前の魔人について話す。それでいいか」
サーネチカは片方の包丁をどけ、喉への負担を減らした。
「言ってみろ」
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