20ページ 植物人間
元気になった群青を玄関口で見ると、天夢は過去最高に驚いた顔をした。
「もう治ったんですか?」
「なんか、本部から来たっていう魔人の人が治してくれて。骨まで全部よくなりました」群青はそれだけ説明して廃病院を出た。
外は見知らぬ場所だったので、しようがなく群青はタクシーを呼んだ。
上官とふたりで待っていると、薄黒く汚れた病院の自動ドアから天夢が顔を出した。
「私も同行したいのですが」
「えっ」
無理だと返すより前に、蓮が追加で顔を出した。
「あたしも」
「いやいや」
ますます無理。断ろうと掌を向けるも、その手は上官に掴まれた。
「代わりに行ってもらえないか?俺はまだ腕が痛いから行きたくない」そういって病院の方を顎で示した。
「まぁ、そう言うなら。後で状況報告します」
どうして2人が行きたいと言うのか分からないが、訊くより前にタクシーが着いた。群青はなりゆきで助手席に座ることとなった。
*
目的地に到着するなり、自分がどれだけ劣悪な環境の病院にいたのか思い知らされた。当たり前なのだが、病院というものは本来清潔である。
「僕、なんであんな所に寝かされてたんです?」
謎過ぎるあまり訊いたところ、帰ってきた答えは「救助の邪魔だったから」だった。僕に人権はないのだろうか。
巨大な病院の中を早歩きで抜けていくと、一段と広い病室の前まで辿り着いた。
「軽傷の人は、ここにいるらしいです」天夢が扉に手をかけ、蓮と目を見合わせたのちに開いた。
病室の中に入ってすぐ仲間の顔を見れると思ったが、出迎えてきたのは純白のカーテンだった。群青はひとり部屋にもぐりこむ。
直後、扉の音を聞きつけたのか、手前でカーテンが僅かに開き、いかにも寝起きの女性が顔を出した。
「どなた……ですか」
女性は群青を見て咄嗟の笑みを繕った。
「ああ、柊くん。久しぶり。大丈夫だった?」
「僕は大丈夫です。あなたもお元気そうでよかった」正直、名前を憶えていない人だったので群青は焦った。さっさと安否状況を確認して話を切り上げたい。
そんな思いを暗に悟ったのか、彼女は嫌そうな顔をして話し始めた。
「私たちは大体、4階——食堂と同じ階——にいた。1か所の骨折程度で助かった人が大半よ。それでも、柊くんみたいに無傷なのは奇跡ね」
ぜんぜん無傷ではないのだが、それを説明する事さえ面倒なので、群青はただ「あざっす」とだけ返した。
「それで。重傷者はどこに、どのくらいいるんですか」
女性の顔に暗雲が立ち込めた。なにか思い出すように視線を泳がせ、僅かな間の後に重い口を開いた。
「事務局には元々500人くらいいたのが、9割以上死にかけよ。この病院はまるで占拠状態だわ」
死にかけ……ということは、死者は思うほど出ていないということか?群青が期待を込めて訊くと、彼女は溜め息をついた。
「とは言っても、みんな植物状態よ。1週間もすれば、訃報が朝の
「そんな……」
「早いとこ、見に行ってやりなさい」
彼女が顔を背けると、群青は感謝しながら病室を後にした。
「どうでした?」部屋の前で待っていた天夢が訊いてくる。
「最悪です。このままじゃ事務局には誰も戻ってこれない」
「そうか……」蓮は目を泳がせ、苦々しく舌を噛んだ。
重い足で重傷者がいるらしい上の階まで上ると、場の空気がまさにお葬式であった。3人はすり足で歩いてゆく。
「この部屋ですね」天夢が小声で伝える。
冷える背中をさすり、電気のついた個室におずおずと入る。
目の前で、人工呼吸器をつけられた日黒先輩が眠っていた。顔は隠れて、特徴的な茶色い短髪だけがベッドの上に見える。
「——先輩」
群青は自らの額を押さえた。酷い気分だ。病院では、皆が皆こんな思いをするんだろうか。
「ごめんなさい」後ろにいた天夢が深く頭を下げた。群青は振り返って、彼女の顔に出た悔しさを見て心底驚いた。彼女だって随分と責任を感じているんだろう。
「あなた達に任務を課したのはこちら側です。今は誰が悪いかなんて考える時じゃない」群青はなだめた。
「すいません」天夢は再び頭を下げ、病室に入ってきた。
先輩の顔を覗き込むなり、彼女は眉を寄せた。
「人手が足りないのでしょうが、この人に看護師のひとりもつけないのは非常に危険です」天夢は頬に汗を浮かべ、嘘をついているようには見えない。
群青は焦って病室から出て辺りを見回した。親族とおぼしき人物以外はどこにも見えない。歯ぎしりとともに病室へ戻った。
「蓮さん……どうにかできないんですか」
「あたしにはどうにかできない……でも、天夢を殴ったことは謝ってほしいね」そう言う彼女の顔にも、遺恨が残るようだった。
「いま頼れるのは医者だけだ。あたしらはただ祈りながら、けじめをつけることを考えなければならない」顔を上げた連の顔はやけに頼もしい。僕らに必要なのは……復讐心と、生命力と、敵方を上回るブレインだ。
「と、いっても……本部の協力なくランサイアを出し抜くなんて到底無理でしょう」
それを聞き、蓮の目の奥が光る。
「本部がランサイアに手を出したら、いよいよ戦争に突入してしまう。しかもロシアと日本の排斥派が手を組んだ時の軍事力は、穏健派なんざ余裕で上回っている。あたしらは本部の手を借りることはできない。なんなら奴の首を、本部への土産にしなければならない」
群青はそれを聞いて気が遠くなる思いだった。僕らだけで?無理がある。現に蓮さんだって、手も足も出ていないじゃないか。
咎めようとすると、先輩の隣に座っていた天夢がそれを遮った。
「我儘になりますが、私達には信用が必要なんです。作戦はもう完成しています。被害を受けたこの人達のためにも、ランサイアは”クソガキ”が殺します」
天夢の眼球はいつの間にか、金色に染まり切っていた。人間ではないと一瞬で分かるその圧力に、群青は顔を背けた。
「任せても、いいんですか?失敗したら殺されますよ」
「こっちは最初からその条件でやってるんです。信じてください」
口元を拭い、先輩に合掌して天夢は病室から去っていった。
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