20ページ 植物人間

 元気になった群青を玄関口で見ると、天夢は過去最高に驚いた顔をした。


「もう治ったんですか?」


「なんか、本部から来たっていう魔人の人が治してくれて。骨まで全部よくなりました」群青はそれだけ説明して廃病院を出た。


 外は見知らぬ場所だったので、しようがなく群青はタクシーを呼んだ。


 上官とふたりで待っていると、薄黒く汚れた病院の自動ドアから天夢が顔を出した。


「私も同行したいのですが」


「えっ」


 無理だと返すより前に、蓮が追加で顔を出した。


「あたしも」


「いやいや」


 ますます無理。断ろうと掌を向けるも、その手は上官に掴まれた。


「代わりに行ってもらえないか?俺はまだ腕が痛いから行きたくない」そういって病院の方を顎で示した。


「まぁ、そう言うなら。後で状況報告します」


 どうして2人が行きたいと言うのか分からないが、訊くより前にタクシーが着いた。群青はなりゆきで助手席に座ることとなった。



 目的地に到着するなり、自分がどれだけ劣悪な環境の病院にいたのか思い知らされた。当たり前なのだが、病院というものは本来清潔である。


「僕、なんであんな所に寝かされてたんです?」


 謎過ぎるあまり訊いたところ、帰ってきた答えは「救助の邪魔だったから」だった。僕に人権はないのだろうか。


 巨大な病院の中を早歩きで抜けていくと、一段と広い病室の前まで辿り着いた。


「軽傷の人は、ここにいるらしいです」天夢が扉に手をかけ、蓮と目を見合わせたのちに開いた。


 病室の中に入ってすぐ仲間の顔を見れると思ったが、出迎えてきたのは純白のカーテンだった。群青はひとり部屋にもぐりこむ。


 直後、扉の音を聞きつけたのか、手前でカーテンが僅かに開き、いかにも寝起きの女性が顔を出した。


「どなた……ですか」


 女性は群青を見て咄嗟の笑みを繕った。


「ああ、柊くん。久しぶり。大丈夫だった?」


「僕は大丈夫です。あなたもお元気そうでよかった」正直、名前を憶えていない人だったので群青は焦った。さっさと安否状況を確認して話を切り上げたい。


 そんな思いを暗に悟ったのか、彼女は嫌そうな顔をして話し始めた。


「私たちは大体、4階——食堂と同じ階——にいた。1か所の骨折程度で助かった人が大半よ。それでも、柊くんみたいに無傷なのは奇跡ね」


 ぜんぜん無傷ではないのだが、それを説明する事さえ面倒なので、群青はただ「あざっす」とだけ返した。


「それで。重傷者はどこに、どのくらいいるんですか」


 女性の顔に暗雲が立ち込めた。なにか思い出すように視線を泳がせ、僅かな間の後に重い口を開いた。


「事務局には元々500人くらいいたのが、9割以上死にかけよ。この病院はまるで占拠状態だわ」


 死にかけ……ということは、死者は思うほど出ていないということか?群青が期待を込めて訊くと、彼女は溜め息をついた。


「とは言っても、みんな植物状態よ。1週間もすれば、訃報が朝のつばめのように舞い込んでくるでしょうね。そうじゃなくても社会復帰は難しいわ」


「そんな……」


「早いとこ、見に行ってやりなさい」


 彼女が顔を背けると、群青は感謝しながら病室を後にした。


「どうでした?」部屋の前で待っていた天夢が訊いてくる。


「最悪です。このままじゃ事務局には誰も戻ってこれない」


「そうか……」蓮は目を泳がせ、苦々しく舌を噛んだ。


 重い足で重傷者がいるらしい上の階まで上ると、場の空気がまさにお葬式であった。3人はすり足で歩いてゆく。


「この部屋ですね」天夢が小声で伝える。


 冷える背中をさすり、電気のついた個室におずおずと入る。


 目の前で、人工呼吸器をつけられた日黒先輩が眠っていた。顔は隠れて、特徴的な茶色い短髪だけがベッドの上に見える。


「——先輩」


 群青は自らの額を押さえた。酷い気分だ。病院では、皆が皆こんな思いをするんだろうか。


「ごめんなさい」後ろにいた天夢が深く頭を下げた。群青は振り返って、彼女の顔に出た悔しさを見て心底驚いた。彼女だって随分と責任を感じているんだろう。


「あなた達に任務を課したのはこちら側です。今は誰が悪いかなんて考える時じゃない」群青はなだめた。


「すいません」天夢は再び頭を下げ、病室に入ってきた。


 先輩の顔を覗き込むなり、彼女は眉を寄せた。


「人手が足りないのでしょうが、この人に看護師のひとりもつけないのは非常に危険です」天夢は頬に汗を浮かべ、嘘をついているようには見えない。


 群青は焦って病室から出て辺りを見回した。親族とおぼしき人物以外はどこにも見えない。歯ぎしりとともに病室へ戻った。


「蓮さん……どうにかできないんですか」


「あたしにはどうにかできない……でも、天夢を殴ったことは謝ってほしいね」そう言う彼女の顔にも、遺恨が残るようだった。


「いま頼れるのは医者だけだ。あたしらはただ祈りながら、けじめをつけることを考えなければならない」顔を上げた連の顔はやけに頼もしい。僕らに必要なのは……復讐心と、生命力と、敵方を上回るブレインだ。


「と、いっても……本部の協力なくランサイアを出し抜くなんて到底無理でしょう」


 それを聞き、蓮の目の奥が光る。


「本部がランサイアに手を出したら、いよいよ戦争に突入してしまう。しかもロシアと日本の排斥派が手を組んだ時の軍事力は、穏健派なんざ余裕で上回っている。あたしらは本部の手を借りることはできない。なんなら奴の首を、本部への土産にしなければならない」


 群青はそれを聞いて気が遠くなる思いだった。僕らだけで?無理がある。現に蓮さんだって、手も足も出ていないじゃないか。


 咎めようとすると、先輩の隣に座っていた天夢がそれを遮った。


「我儘になりますが、私達には信用が必要なんです。作戦はもう完成しています。被害を受けたこの人達のためにも、ランサイアは”クソガキ”が殺します」


 天夢の眼球はいつの間にか、金色に染まり切っていた。人間ではないと一瞬で分かるその圧力に、群青は顔を背けた。


「任せても、いいんですか?失敗したら殺されますよ」


「こっちは最初からその条件でやってるんです。信じてください」


 口元を拭い、先輩に合掌して天夢は病室から去っていった。

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