19ページ 惨劇と偉人

 近辺の病院が殆ど埋まった。群青は郊外にある廃病院のベッドで目を覚ました。


「ここは……?きったねえな……」


「あなたの部屋よりはマシでしょう」


 いらっとして首を傾けると、灰色の壁によりかかる天夢が見えた。


「こんな場所で寝かせてすいませんね。しかし、理由があるので勘弁してください。今はとにかく安静に」天夢は部屋の電気だけ点けてドアの向こうへ消えていった。


って……」体を動かそうとすると、内臓をつつかれるような痛みが流れる。群青は顔をしかめて仰向けの姿勢に戻った。


 それから真っ先に思い出したのは先輩のこと。次に、事務局の再建築費用……いや、もう建て直すのは無理だろう。群青は全壊した事務局を思い返してせつない気持ちになった。


「無情だな……。僕はどこに行けばいいんだ」


 自嘲気味に呟くと、ドアが開く音がした。そこからは、腕にギプスをつけた上官が入ってきた。


「あ……上官、無事でよかったです」群青は少し安心した。思ったほど、犠牲者は出ていない事への希望が見えたから。


「ありがとな。俺は地震かと思って机に隠れたら、本当に崩落したけどなんとか助かったんダ」上官はわざとらしく額を拭った。賢いんだか悪運だけなんだか。


「まあ、助かったならそれが最善です。で、どうなんです?他の人達は」


「他の人達、とは?」


「事務局にいた全員のことですよ」


「あぁ」上官は顔を落とした。「俺もまだよくわかっていないんだ。なにせまだ起きたばかりだからな……おそらくは、死傷者数が多すぎていくつかの病院に散らばっている」


「そうですか」安心を得られるかと期待したが、かえって不安をあおられた。「最上部にいた僕がここまで怪我したんです、下の階にはどれだけの被害が出ているか……」


「心配性はつらいな、群青」上官は苦笑しながら腕をさすった。


「仲間ですから」群青は顔を背けた。


「お前にとっては家族だものな」


 そうだ。穏健派に拾ってもらったのは何年前だろう……もう覚えていない。とにかく、それくらい大事な存在だ。


 どこかに消えたい気分になるが、最低限の現実として群青は生き残ったのだ。ランサイアの嘲笑がまだ、脳髄の中で響いているのだ。


「僕は今まで軍人として何も成してきませんでしたが……今回は流石に黙っていられません。あの女にひと泡ふた泡、吹かせなきゃあ気が済まない」


「ああ、聞いたぞ。ウチを爆撃したのはランサイアらしいな……まさか本部より前に事務局を潰してくるとは、噂通り陰湿な女だ。仲間を襲撃された穏健派は真っ先に奴を抹殺対象にするだろう」上官は苦虫そのものみたいな顔をした。


「それはありがたい。それで、僕が手を下せる余地は?」うっすらと考えていたことを訊いた。


「ほとんどないな」上官はきっぱりと言った。「この件は本部に任せる。俺達が介入できる話じゃない……」


「そう、ですよね」群青は納得した。あんな多義的にイカれたのと戦うには、相当な戦力がいるだろう。


「でも、どうしてもというなら可能かもしれん。丁度、お前と話したいという本部のかたがいるんだ」上官は続けざまに言った。


 群青は寝返りを打って上官に向き直った。


「本当ですか?」


「ああ。見舞いも兼ねて、もうすぐ来る」


 マジか。本部の人っていったら超お偉いさんじゃん。こんな廃墟みたいな場所に来て大丈夫なのか??そもそもこんな大怪我をしているのに、応対できる気がしないぞ。


 群青の焦りを感じ取ったのか、上官は怪我していない方の手をあおいだ。


「いや、魔人のお前が死んだら軍の信用に関わる。割とマジで関わる。それで来るだけだと思うぞ」


「え?それだったら、僕が本部に行くという希望もなくないですか?」


「そんなこともないんだ。なぜなら――」


 上官が言いかけたところで、ドアが奇怪な音を立てて開いた。


「噂をすれば」上官は道をあけるように下がった。


 群青は客人の顔が見えるように瞳を動かした。そしてその男の風貌を眼に入れた時、痛みも忘れて飛び上がった。


「やあ、柊くん。はじめまして」


「はじめ……まして……」


 均整のとれた長身。白黒に分断された髪。紫の瞳。柔らかに尖った耳。間違いない――群青は生まれて初めて、自分以外の魔人と出会った。


「穏健派本部から来た。ジーヴィス・ライカーというものだ」


 外人らしい、いかつい名前だった。群青は興奮のあまり体を起こす。ライカーは掌を向けてそれを制した。


「まだ動いちゃダメだ、そんな重傷で。この場で治してやるから、横になってくれないか」


 群青はすんなり受け入れて体勢を直した。治してくれるという台詞に興味をひかれ、頭がいっぱいになった。


 ライカーが鞄から白く短い杖を取り出すと、その興奮は更に高まった。


「柊くん」


「はいっ」呼びかけられ、全身がこわばった。


「傷を治したら、きっと動けるようになる。そのあと頼みがあるんだが、少しだけ付き合ってもらえるか?」


「もちろん」群青はふたつ返事で返した。


 ライカーは微笑んで杖を群青の胸に触れさせた。


回復ラピア


 杖の触れた場所から、全身に空気を吹き込まれるような感覚があった。まるで全身がボールにでもなったようだ。といっても太る訳ではなく、むしろ体重を段々と感じなくなっていく。


 無意識のうちに、体をがばっと起こしていた。自分の魔法で浮くのとは違う、自然的な無重力を感じる。


「お……おお!なんか、すごい」腕の至るところで折れていた骨が治っている。首を動かしても肩に痛みがない。


「動けるか?」


「もちろん!全部良くなりました!ありがとうございます!」群青はベッドから降りて思い切り頭を下げた。


「そりゃよかった」ライカーは杖をしまって群青の顔をまじまじと見た。「思った以上に、今ので魔力を使った。見えない体内にも損傷があったんだろう」


「すいません」


「謝ることじゃないさ」


 群青はそれでも申し訳なさそうに座り込んだ。


「……それで、頼みというのはなんでしょうか」


「そんな縮み上がることはない。君にとっても大事なことだよ」


 ライカーは安心させようと笑いかけ、腰に差していたふたつめの――黒く塗装された――杖を群青に差し出した。


「?」群青はよくわからず、受け取るのをためらった。


「君、杖がないんだろ。貸してやるから、怪我人の治療を手伝ってくれないか」


「え……いや。僕は杖使ったことなくて」そういって差し出された杖を押し戻そうとする。


 群青はそのとき、ライカーがやけに間の抜けた顔をしていることに気付いた。


「……マジ?それ」


「マジですけど……」


「マジかぁ……」ライカーは苦い笑いをもらした。「じゃあこの話は、また今度にしようか」


「えっ」いきなり打ち切られ、群青はぽかんと固まった。


「今度会ったときに色々話そう。俺は治療に回るから、困ったことがあった時に連絡してくれ」


 なんだ?急に冷たくなったな。まあ、こちらからどうこう言うつもりはない。


「了解です」群青は不可解ながらも受け入れた。


「それじゃあ、連絡先は記しておくよ。お大事に」


「色々と助かります」群青と上官はペコペコ頭を下げた。ライカーは少しだけ申し訳なさそうに荷物をまとめ、ドアの向こうへ踵を返した。


「じゃあ、またな」


「はい」


 群青は肩の力を抜き、万全になった足で病室を歩き回った。


「本当に全部治ったのか?」上官がふと訊いてくる。


「体感そうですね。ライカーさんには感謝して、今すぐ他の病院も見に行かないと」

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