17ページ 作戦は逆流し味方へ

 空から、ヘリの超低周波音がけたたましく轟いてくる。


 翌朝、予想通り群青はブリキ人形のように固い動作でオフィスへと入った。休もうかとさえ迷っていたせいで、初めて遅刻しそうになった。既に15人ほどが待ち構えていた。


「あれ、日黒さんはいないんですか」自分と同じことを考えていたのか、はたまた風邪でも引いたのか、彼女の姿は珍しく見えなかった。


「日黒ちゃんなら、さっきからずっとトイレ籠ってるんだよね。最初からいたはずなんだけど……ちょっと私、呼んでくる」誰かがそういって廊下へ駆けていった。


 数分ほどして、日黒先輩は芋虫のように引きずられながら入ってきた。


「おはようございます」明るく声をかけたつもりだったが、先輩は身をよじって顔を背けた。


 そのまま脇を持たれて椅子に座らせられる。座った後も、力なくデスクに突っ伏した。


 死んだように動かない彼女をちらちら見ていると、逆に気まずいことに気付いて群青はなるべく別の方向を見ようと心掛けた。


 結局、昼休みが来るまで2人とも一切の仕事を手に着けなかった。群青は少し後悔しながら背を伸ばし、隣の席へ手を伸ばした。


「先輩、そろそろ起きてください」


「……」


 どうやら寝たふりをしているうちに本当に寝てしまったらしい。


「先輩!もうお昼ですよ?」先輩の顔を覗き込みながら肩を叩く。


「んー……もうそんな時間……って、わーーー!!!」起き出して目が合った瞬間、先輩は椅子から転げ落ちた。


「なに!?」


「なにじゃないですよ。もうお昼だって言ってるんです」


「そ、そうか……」先輩は罪を隠す罪人のように落ち着きなく立ち上がった。


「今日の先輩、何しでかすか分かったもんじゃないですね。ランチご一緒しますか?」


 正直なところ今日はずっと避けようと思っていたが、早いところ決着をつけておかなければ気が済まないし仕事もできない。勇気の勧誘だった。


「わかったよ、もう」先輩は意外にもすんなり受け入れた。


 お互いの顔も見ることなく、食堂まで足を運んだ。だだっ広い食堂はいつも通り窮屈で席も数えるほどしか空いていなかった。ふたりは端の端に座るほかなかった。


「何食べます?」食券機を指差すと、先輩は首を横に振った。


「食欲がない……私は大丈夫だから、勝手に注文してきなよ」


「は、はあ」


 群青はひとりでカツ丼を頼みに行った。誘ったのは藪蛇だったかもしれない。


 待っている間はお化け屋敷の中盤くらい静かだった。


「あの……昨日……」群青は渋々と話を切り出した。


「ひぃッ!あ、いや、ごめん……なに?」先輩は変に震えあがって、はっとしたように正気に戻った。


「昨日の話、考え直してみたんですけど……先輩が辞めたいなら辞めても大丈夫です。僕は嫌いになったりしません」


「な」先輩はここで初めて頬を真っ赤に染めた。「なんでそんな回りくどく言うの!?返事になってないし!」


「だって恥ずかしいじゃないですか。先輩だって、いきなり好きな人とか聞きますか?……意味わかりませんよあんなの」


「だってわかんなかったんだもんんん!」先輩は悶々と頭を抱えた。「辞める前に気持ちだけ伝えようと思ってさあ?でも、もし断られて……とか、考えると何も言えなくなるじゃん!」


「純粋な人ですねえ。正直に伝えた方が楽ですよ」群青は呆れかえった。


「なんとでも言いなよ。それで?結局?好きでもない女を君はどうするの?」


「ぁあー……」どうしようかと考えるより前に、群青は自分の勘が当たっていたことを知って複雑な気分になった。なにせ、彼女とは2年も隣の席だったんだから。


 先輩は何を考えているのか本当にわからない。もしこれがラブコメなのであればそういうタイトルにしてもいいくらいには何を考えているのか分からない。


「うーん」群青は先輩をじっと見つめた。見つめても、今更何か発見があるわけでもない。そのうち先輩は顔を逸らしてしまった。


「先輩、じゃあ……」群青は、思いついたことをそのまま言おうとした。


 が、その言葉は真上から轟いてくるヘリの重低音で掻き消されてしまった。


「……なに?」先輩はびくびくしながら聞き返してきた。


「じゃあ、——」またも掻き消されてしまった。


「もう、こんな時に」先輩は歯がゆそうに視線を落とした。


 みたび言おうか迷ったが、群青は考え直して先輩の口あたりを指差した。


「その前に、先輩の口からその気持ちを聞かせてくださいよ。僕から言うのもなんだか恥ずかしい」


「その言葉は聞こえるんだけどなあ」勿体ない。そう言いたげに先輩は口元を群青の耳に寄せてきた。


「——————!」全ての音をヘリの轟音が奪い去っていく。先輩は負けじと大声を出そうと腹に力を込めた。


「もう!好きだよって言ってんじゃん!!!!」


 耳元で叫ぶには大きすぎる声だった。そして悲しいかな、こういう時に限って邪魔は入らなかった。食堂中から視線が集まる。


「いや、その、違うんです、これわぁ。待って待って待って」大勢に聞かれ、先輩は取り乱してしまった。


「柊!返事はどうなんだ!?」さっきまで廃人みたいな顔で飲食していた人々の顔に、光が灯る。群青にまで酷くプレッシャーがかかった。それでも、昂った気分に任せて立ち上がる。


「僕は!」出来る限りの誠意を言葉に込めた。


「うおお!」周りがどっと沸き上がる。


「僕は、先輩の、事を――」先輩が顔を上げる。真っ赤なその顔に、自分の言葉をぶつけようと声を振り絞った。


「事を――」


 その瞬間、先輩の鼓膜に響鳴したのは、群青からの返事ではなく、空から降ってくる爆発音だった。



 戦慄に顔を上げた群青の視界には、誰も映っていなかった。見えるのは網膜を焦がす赤い光だけ。爆撃を悟ってもなお、脳のスイッチは切り替わらなかった。


 ヘリから落とされた爆弾が死のサイレンを叩き割り、爆音が鼓膜を貫通する。床が破壊され、群青は溺れる蟻ように重力へと落下していった。


 背中に響く、焼けた鉄を喰らったような痛み。目を開けた先から、かつて天井だったものが降り注いでくるのが見えた。


「はぁぁ、あ!?ひィ—―」恐怖心から手で顔を覆うと、手の甲の骨がスムージーにされる音がした。


「あぁ、がぁ」幾本かのあばらが折れ、心臓は狂ったように脈を鳴らしている。煙が晴れ、群青は全霊を込めて立ち上がった。


 煙幕の先に、赤黒い3機のヘリと青空が見える。地上へ降り積もった瓦礫の隙間に、群青はひとりで立っていた。


「先輩……?みんな?」周りを見渡しても、瓦礫の上で立っているのは群青ただひとり。


「運がいいわねえ、魔人くん」空から降ってくる声に、群青は思わず顔を上げた。


 最も小さいヘリから垂れたロープから、ガスマスクのような仮面を着けた女が降りてくる。


「ディリーティ」反射神経の限界速度で、群青は血の滴る腕を女へ向けた。が、黒色の水は血と共に地面へ流れ出てしまった。


黒水ディリーティ……そんな魔力量の要る魔法が今のあなたに使えるわけないじゃない」



「お前は誰だ。何をしたんだ」群青はガンガン痛む頭を押さえて叫んだ。


「私はランサイア。私の仲間に手を出そうとしているクソガキの趣味を真似たのよ。お熱いところを邪魔してごめんなさいね。でも、平和ボケした穏健派の廃棄物ゴミにはこのぐらいがいいの」


 女は仮面をずらして、口元と、羽根のような形状のナイフを出した。


「その諦めた顔が素敵よ!さあ、死にましょうか!!」

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