16ページ 手も足も出ない

 蓮はいつも通りと言うべきか、夜が来ても全く眠くなかった。排斥派のセキュリティを突破した興奮もあったが、もとから10年も寝ることを避けてきて、睡魔が寄り付かなくなったのだろう。隣で寝息を立てる天夢を起こさないよう、そっとパソコンを開いた。


「近頃はネットニュースとか見てなかったなあ。久しぶりに暇つぶしでもするか」


 のほほんとネットの海を泳いでいると、ニュースの頂点にあった真っ赤な画像に気をひかれた。


「軍事ニュース?珍しいな。外国でなんかあったのかな」


 文字から文字へと視線を進めていくと、蓮は目をごしごし擦った。見間違えだろう、こんな文章。


 だが視界がはっきりしても、見える文字は変わらない。いやいや奥さん、冗談きついですよ。


 また目を擦り、こんどは電気を付け直す。明るくなった部屋で、蓮は泡を吹いて倒れた。


「ん……連、なんですか、こんな時間に……」天夢は目を閉じたまま起き上がった。目を開いて真っ先に倒れた連を見た時にはぞっとしたが、まだ余裕で意識があることに気が付くと布団をかぶり直した。


「天夢……最悪だぁ」蓮は天井をうらめしそうな眼で睨んでいる。


「なにがあったんですか?」


「それを見な」開きっぱなしのパソコンを顎で示す。天夢は興味深く覗き込んだ。


「なんですかこれ……。変な広告ですね」


「違う違う、上に書いてあるニュースだ」


「なるほど?」言われた通り上にスクロールする。そこに書かれていた文章は、なるほど。天夢は読み上げる。


「国中の監視カメラへの干渉と排斥派のサーバーがハッキングされた件について、犯人は三極院蓮(16)とみられる。彼女は大学生のとき6歳上の先輩にずっと片想いしていたが、先輩の卒業時に恋人らしき人物を視認して玉砕した過去を持つ……。え?」なんですかこの文章。


「確実に、ランサイアの仕業だ……。あいつは敵の情報を晒し上げる時、本人の黒歴史を真っ先に書く癖があるそうだからな」


「最悪すぎますね、それは。で、事実なんですか?これ」


「事実だよ!笑えよ!!」蓮は地団駄を踏んだ。


「だけどそんな事はもはや問題じゃない!全ての行動が奴に筒抜けなんだぞ!?ネットニュースに載せられるってことは、奴は確実に日本で行動している。だけどあたし達は奴を全く捉えることができない!こんなまずい状況があるか!?」


「ありません!!!」天夢が声を張り上げると、隣の個室から壁をバンバン叩かれた。ここがネカフェという事をすっかり忘れていた。


 ふたりはきまり悪そうに顔を見合わせ、パソコンを白いリュックに詰め込んだ。


「数時間は喋らない方がいいな」


「イエス・サー。それじゃあ、その時間までは寝ます。おやすみなさい」天夢はひとつあくびをして布団を手繰り寄せる。


「おやすみ。起こしてごめんね」


 次の行き先を頭の片隅で考えながら、天夢の意識は睡魔に引きずられていった。



 任務開始から3日目。朝起きると、蓮の顔はげっそりとやつれていた。


「あのロシア人……大っ嫌いだ」


「また何かあったんですか」天夢は呆れてきた。


「あたしのスマホ、パソコン、IoT……すべてにサイバー攻撃が仕掛けられた。電波を殆ど遮断された。大阪の監視カメラだけはかろうじて生きているが……その気になれば一瞬で乗っ取られる……」


 蓮のことがなんだかかわいそうになってきた。彼女の行動は全て裏目に出て、モルモットのように弄ばれている。


「情報戦が強いだとかそんなレヴェルじゃない。居場所さえ掴んで物理戦に持ち込めればあたしらの勝ちなのに……こんなのを暗殺しろなんて言われたら、地球ごとぶっ壊すしかないじゃんか」


「落ち着いてください」


「あたしは冷静だ。うん、きっと、冷静だ」蓮は目が回ったようにふらふらと立ち上がった。


「天夢、作戦変更だ。あたしは今から、陰湿な女になるよ。ヤツランサイアに負けないくらいの」


「なにするんです?」


「奴の仲間を片っ端から殺す」


「うわぁ……」


「うわぁじゃない。あたしのショートした頭ではそれくらいしか思い浮かばない」蓮はそういって自分の頭をつついた。


 蓮が真面目なのかふざけているのかわからないが、それほどにこちらが追い詰められていることは間違いない。


「しかし、どうやってランサイアの仲間を見つけ出すんです?」


「ランサイアの仲間というか、排斥派だ。本人にはたどり着けないにしても……大阪にいる排斥派の因子を尋問すれば、ひとりくらいはランサイアと親しい仲間の情報を持っていてもおかしくない」蓮は苦虫をかみ潰したような顔で言った。


「そんな事考えるんですね。少し恐怖を覚えました」


「やだ。嫌いにならないで」蓮は急に泣きそうになった。


「ん」天夢は顔を寄せ、蓮の唇に舌をねじ込んだ。


 蓮は頬を真っ赤にして、手に持っていたマウスを落とした。


「恐怖を覚えはしましたが」天夢は顔を離し、袖で口を拭った。「実行するのは私です。あなたに言われれば、尋問だって諜報だって全力でやりますよ」


「天夢ー!」



「あ、百合の花」


 群青は賑やかな夜道の端に、小さく白い花を見つけた。


「おーい!置いてくよ!?」立ち止まった群青に痺れを切らしたのか、日黒先輩が遠くから呼びかけてきた。


「今行きます!」慌てて走っていった。


 天夢が消えてから3日目の夜。仕事終わりに先輩からサシ飲みを提案されて怖気づいていたが、社会ではこういう場も乗り切らねばなるまい。店は安いと噂の……目の前にそびえるラーメン屋だ。


「ら、らっしゃっせー」暖簾をくぐると、いかつい白髪交じりの店主がびくっとしたように挨拶してきた。テーブルとカウンターは半分ずつほど空いていた。


「いつもの塩ラーメンと、生をふたつずつ」先輩は迷いなく注文してからテーブル席に座った。いきつけなのだろう。


 群青も遅れて席につく。コップに水を注ぎ終えると、先輩は目つきを悪くして口を切った。


「柊……私は正直、仕事を辞めようと思ってる」


「な、なんですかいきなり」何を言い出すかと思えば、随分と重そうな話だ。


「今までは軍の雑務みたいなデスクワークが多かった……でも、最近は物騒な話が増えてきた。実家の親からも、帰ってこいって言われてる」


「あー……そうなんですね」群青は不憫に思った。この人はやんちゃなので、転職先があるか怪しい。かといって今は大変な状況なので、辞めるのは適切な判断かもしれない。


「それで?そのことは上官には言ったんですか」


「いや、まだ決めてない。ひとつ、辞める前にちょぉっと、必要な事があるから」先輩はなぜだかひそかなガッツポーズをとった。


「必要な事?」なんだろう。僕に関係あるのか?


「えぇっと……その、ねぇ?そのっ……」


「なんです?忘れたんですか?」


「いや、違うんだ。恥ずかし……いや、そう言う事じゃないけど……そう言う事じゃないけど!あーもう、そうじゃないんだって……くっ」


「なんですか?」先輩の様子が明らかにおかしい。何やらぶつぶつ言っているし、あられもなくキョドっている。


「いや、あのォ。つかぬことを訊くんだケド……」先輩は不自然な笑顔でようやく喋り出した。


「はい、なんでしょう」


「柊さあ、すっ、……すス……す!好きな人いる!?」先輩はいきおいあまって身を乗り出した。


「え、ホントになんなんですかいきなり。いやいませんけど。質問間違えてませんか?」


「そんなことない、ない……うん。そうなんだ……そう……」


「で、仕事はどうするんです?」


「あーはいはい!ラーメン来た!食べよう!この話は終わり!」


「ちょっと……」群青は圧倒されて、考える暇も与えられずにラーメンを食わされた。先輩は驚くほどのスピードで平らげてしまい、テーブルにお札を2枚ほど置いてひとりで帰っていってしまった。


「こんなに値段しませんって……本当にどうしちゃったんだろ」


 合掌まで終えて会計に行くと、白髪交じりの店主がにやにやしながら話しかけてきた。


「日黒は高校時代からここ来てるけどな、誰かを誘ってきたのはあんたが初めてだぜ。あいつの気持ち、じっくり受け止めてやんな」そういって高笑いし、なぜか100円多いお釣りをくれた。指摘したら「おまけ」だってさ。なんじゃそりゃ。


「結局なにが言いたかったんだ……気持ちって……」


 店から出ると、風が先程よりずっと強くなっていた。鞄を押さえて、必死で帰路を歩く。


 何を伝えたかったんだろう。好きな人?なんでそんなことを聞いたんだ?はぐらかしたのは……なんでだ?


「うーん、好きな人か……って、す、好きなヒト!?」


 とんでもないことを聞かれたんじゃないかなー。今更気付いた。そこから彼女の言葉の意味を推察するのに、1秒もかからなかった。


「はっ、まさか?」群青は先刻の先輩のようにはにかんで右往左往した。


「僕、そういう経験高校以来ないんだケド……いや、それも勘違いだったら嫌だなぁ」


 こんなタイミングで色恋沙汰か。明日、無心で彼女と顔を合わせるのは無理そうだ。

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