第一章 第一関門 ランサイア・スカーレット

2074/03/28_Sunday_AM:07:25:40

 はぁ、今日も平和だな。最近東京で大きな事件があったと聞いたが、この辺で暮らす分には大して変わったことは無い。少しガッカリだ。


 僕、ひいらぎ 群青まおは21歳。人間で言えば立派な成人男性だが、魔人の感覚だとまだまだ青臭い半人前だ。身長は人間の平均程度……紫の瞳も、白と黒の混ざった髪も、他の魔人と比べるとどこかくすんでいる。耳の尖りも甘く、母親譲りの綺麗な目鼻立ちだけが外面そとづらの取り柄だった。


 それもそのはずで、僕は純粋な魔人の血筋ではない。日本人である父親の結婚相手が日本人で、母親の不倫相手が魔人だっただけの話である。両親は別れ、僕が物心つく前に両方殺された。そして僕は希少な人材といわれ、大阪にある穏健派軍で世話をしてもらって育った。今は穏健派、大阪事務局実動隊第1班として働いている。事務仕事メインなので戦場に出た経験は無い。


 軍にいるうちに、自分がなんなのか段々と分かっていった。魔法も独学だが多少使えるようになった。いつか魔国に行ってみたい気持ちはあるが、10年は先でいいだろう。


 それに穏健派には種族を気にしない人が多かった。そのため僕も普通の人と同じように軍籍をとって、働いて、友人を作って、社会の中で生きていた。


 半分魔人の僕は誰よりも強かった。殺られるにしても集団攻撃の類だと思っていた。だが、そんな当たり前だった事実はある日、2人の客人によってぶち壊されたよね。



 3月も終わりに差し掛かった曇りの日の朝、パーカーとリュックをお好み焼きのソースで濡らした二色髪の少女がず事務局に顔を出した。後からついてきた女性は身長こそ低いが、雰囲気と白衣で大人だと判別できた。2人は声を潜めてなにやら呟きあうと、ひとり休憩していた群青まおへ大きく手を振ってきた。


 貴重な休憩時間なんだけどな。心中で毒づきながらも彼女らと軽く話すと、どうやら特別採用で入隊したいとの事だった。アポは取って欲しかったが、こんなご時世だ、なにか事情がありそうなので追及もしなかった。


「お名前、ここに書いてください」


「三極院 レン……と、テンム」


 姉妹なのかな。だいぶ髪色違うけど……染めてるんだろうな。


「お時間いただきますが……とりあえず、上がってください。上官を呼んでくるんで」


 ふたりを玄関口に座らせ、群青まおはエスカレーターへ走った。大病院のような構造をした事務局は縦に長く天井も邪魔で、魔法で飛んで移動するには不向きだった。


 3階まで急いで上がって事務長室の扉を叩く。


「上官、お客様です。入隊したいって」


「お、群青か。客人は綺麗なお姉さんか?」


「いちおう」


 上官は事務長室の中を見せないいきおいで出てきた。現金なおっさんだ。


 上官に急かされ、転げ落ちそうになりながら1階まで降りる。ふたりを見るなり、上官は物陰に隠れて髪形を整え始めた。


「そんなだから避けられるんですよ、まったく」


 群青は呆れる暇もなく手を招いて、こちらに気付いた客人ふたりを狭い応接室へ案内した。


 数分後、ようやく上官は恰好をつけて応接室の絨毯じゅうたんを踏んだ。4人で机を並べてソファに腰掛け、応接の形をとる。


 今一度、蓮の風貌をよく見ると、とても面接に来る身なりではない。まずその汚れを取ってこい!……と叫びたいのを抑え、群青は愛想笑いを作った。


「ふたりはどこからいらっしゃったんで?」


「東京です」蓮はぶっきらぼうにそう言った。視線はずっと、こちらではなく天夢の方を向いている。


「特別採用ということでキャリアは問いませんので、プロフィールを教えてください」


 連はすこしためらってからパーカーのポケットを漁り、白い身分証を取り出した。


「東大でコンピュータ科学とアンドロイド開発をかじってました。これは博士学位の証明書です……。ホワイトハッカーや技術開発で軍事をサポートできるかと」


 群青まおは舌を噛みながら、差し出された名刺に目を通した。未成年にしか見えないのに……不思議な人がいたもんだ。


「もう採用でいいよ」上官は嬉々とした声で言った。群青もそう思った。


「それで……天夢さんのほうはどんな技能で?」


「私は強いです」


 それだけ言って天夢は口を塞いだ。沈着な様子をみると本当にそれ以上言う事がないのだろう。


 おかしな人たちだな。群青はなぜだか感心してしまった。


「それじゃあ、テストでもしますかい」


「テスト?」上官の声に、3人が同時に反応した。


「群青、お前強いだろ。手合わせしてやってくれないか」


「ええ?僕すか?」群青は思いがけず指名されて肩をすくめた。


「そう、嫌か?」


「いや、僕は別にいいですけど」天夢のほうを見ると、なんの感情もなさそうな顔だった。これは合意でいいのだろうか?


 すると彼女はすぐに白衣を脱いで腰に巻き、下に着ていた真っ赤なTシャツの袖をまくった。やる気らしい。


「はぁ」


 群青も席を立って手首を軽く回した。


「じゃあ、ついてきてください」


 手招きしながら群青は部屋を出て、目的地へ駆け出していった。



 やってきたのは1階の最奥にある、体育館よろしく広々とした古い闘技場。壁のスイッチを弾いて電気をつけると、眩しい光が白黒の頭を照らす。誰かの忘れ物であろうペットボトルをどかすと、先の天夢のように、青い軍服を一枚脱いで首を回した。骨からポキリと音がする。


 本来、魔人は杖を使って魔法を繰り出すらしいが、群青にはそれがなかった。普通の魔人でもやろうと思えばできるのだろうか?体をほぐしながらそんなことを考える。


 ストレッチを終えた頃、天夢がひとりで闘技場に入ってきた。銀色の髪をサイドテールにまとめ、歩きながら群青を優しく睨んできた。


 いきなり、群青はうなじにドライアイスを埋め込まれたような冷気を叩きつけられた。目の前にいる美しい女性の、微笑みなのか威嚇なのかわからない表情がどこか恐ろしかった。


「なに固まってんねん」上から声がする。闘技場の壁高いところに張られた窓を開け、上官が身を乗り出していた。どうやら上の階からこちらを見ているらしいが、危ないおっさんだ。


「天夢ー、がんばってぇ」同じ場所から、蓮が裏声で応援している。目の前の天夢は眼力をあからさまに弱め、足を肩幅に広げて頭を下げた。そんなこんなで舞台は整った。


「それでは、挑戦おねがいします」


「こちらこそ」



 広々とした緑色の空間の中、闘技場の中心を挟んで2人は向かい合った。


「初撃は譲りますよ。魔法をじっくり見てみたい」天夢は余裕そうな顔で爪先を鳴らしはじめた。


「へえ、僕が魔人って前提なんですね」見破られるのは珍しい事ではなかったので、群青はたいして驚きもしなかった。


 それと、魔法が見たいってんならいくらでもどうぞだ。指を鳴らし、喉からせり上がるその言葉じゅもんを放った。


本日の災難アティマ



 右心室から指先まで、青い電流の渦が奔る。痛みに歪んだ笑いを漏らした群青の右掌から、渦巻く火花が噴き出て、段々と球体を形成し始めた。


「……?」天夢は興味深そうに屈んで覗き込んできた。


「これはテストですから。対処しなければ大怪我しますよ」群青は忠告し、掌の倍ほどに大きくなった火球を力強く上方に放り投げた。


 火の玉は放物線を描いて天夢の眼前でぴたりと止まり、鼓動を打つように空気を揺らした。それを確認すると、群青は全体重を乗せて地面を蹴りバックステップした。


「これは――」天夢は何か悟ったのか、目を見開いて咄嗟に顔を両腕で覆った。


 瞬間、爆発音が鼓膜を切り裂く。銀色の髪がほどけて巻き上がり、天夢は靴が擦り切れる轟音と煙を上げながら訓練場の壁まで滑っていった。空間には火花が溢れて視界を塞いでいる。


「その反応速度は……100点!」群青はうならされた。


 周辺の火花が散っていくと、天夢は既にガードを外し、壁際で動かずにこちらを見上げていた。どう見ても無傷。


 眉を潜めていると、天夢が数歩、前に出てきた。群青は迎え撃とうと10本の指を全て突き出す。


蜘蛛の糸ア・ラクネ


 ノイズ音を立て、指先から白色はくしょくの光線が飛ぶ。人体くらいなら難なく貫通する代物だ。姿勢を限界まで低くした天夢は軽く飛びのいて全弾躱し、着地するなりバク転して反射した線までも躱した。周囲の壁が悲鳴を上げて純黒に焦げる。


「なるほど……」群青はダメ元で追撃を放つが、不規則に動く彼女を狙った白線は全て空を切る。当たる気がしないと諦めて指を納めた。


「バカヤロー!施設を壊すな」上官が怒鳴りつけてきたので、群青は大声で「ごめんなさーい!」と叫んだ。


 意識を戻すと、天夢はどうしてだか隙だらけに見えた。群青は腕をさらにまくり上げ、拳を握って踏み込んだ。だが距離を詰めようとすると、今度は天夢が鳥のように飛び上がって天井の鉄骨を掴んだ。


 ……。


 そう、天井の鉄骨を掴んだ。20メートルはある高さだ。


「うぇえ???」上官の間抜けな声が響いた。群青の頬に冷たい汗が流れる。


 天夢は鉄骨を投げるように飛び、群青の遥か後ろの壁を蹴って地面に降り立った。


「まじッ」腰を捻って振り向くと、既に素早い足薙ぎが飛んできていた。


「ひっ」無様に頭を抱えて避けた。そのはずみに尻餅をついて倒れる。


「でぃ」焦りきった群青は反射的に掌を突き出していた。「黒水ディリーティ!」無意識に放った呪文は体から膨大なエネルギーを吸い取り、黒い球体を宙に出現させた。鏡のように艶やかな球体は、心臓のように激しく波打って今にも爆発しそうである。


「まずい――」顔面が蒼白になる。こんなもの、今までいちども錬成したことがない。


「逃げてください!」群青は叫び、背を向けて走った。壁際まで行ったところで振り返ると、天夢は未だ微動だにしていなかった。そしてあろうことか足を開き、空手のような構えをとっている。


「ちょっと――」頭が真っ白になったが、直後に発せられた天夢のたけびはその空白さえ吹き飛ばした。


「破ァァッッッ!!!!!!!」


 彼女が球体に向けて放った蹴りは、素人目でも度肝を抜かれる程に完璧なモーションだった。蹴り飛ばされた球体は、重機が爆発したような轟音を上げながら天井をぶち抜き、屋外で破裂して黒い雨を降らせ始めた。


「ッ……」外側が黒く濁る窓。群青は理解が追い付かなかった。全力を込めた魔法が水泡のように破壊されたことも、一瞬の隙のうちに背後から首を絞められていることも。天夢の赤い袖を喉仏に押し込まれ、群青は片足をばたつかせる。耳元からは微笑を乗せた声がした。


「いきなり畳み掛けてきて驚きましたよ。そう焦らずとも、逃げはしませんので」


 背中が感電したように震えた。子供の頃に暗闇で感じた、あの恐怖だ。


「ご、ごめんなさい……」


 首に回された腕の力が弱まれ、背中を蹴られる。息苦しさから解放されて膝に手をつくと、天夢は息切れのひとつもせずに口を開いた。


「あなたには初めて会う気がしなくって。つい加減せず絞めてしまいました」


「なんじゃそりゃ……」群青はやっとの思いで首を押さえ、息を整えた。


 疲労感に加えて、掌と首が痛む。群青はその場に膝をついた。


「想像の100倍つええ……あなたは一体——」


 声をかけようとしたが、その頃には眼前に天夢の姿はなく、代わりに上官が群青の頭を押さえて引っ張ってきた。群青はよろけて危うく倒れそうになった。


「ボケっとするな馬鹿、仕事中だぞ」


 格好悪いとこ見たからって偉そうに。不貞腐れそうになったが、そういうわけにもいかないので群青は苦い気分に蓋をした。


 上にいた蓮も丁度降りてきたので、脱いだ軍服を拾おうとした手で彼女を呼び止めた。振り返った彼女に真剣な表情を繕う。


「ふたりとも合格ですね、これは。まぁ……こっからは僕の介入するところではないんで、お好きに」


「は……はあ。お怪我は」


「お気になさらず……」


 心配そうな蓮に無理矢理笑顔を返し、そのまま軍服を拾って肩にかける。彼女は服の汚れを払う天夢と少し言葉を交わしたのちに頭を深々と下げ、大きなリュックを背負って闘技場を後にした。


 窓口に戻り、天夢も白衣を着直して帰る準備を終えた。


「それじゃ、もう帰ります」手を繋いで、ふたりは15度ほど上がった太陽の下に帰っていった。ドアが鈍い衝撃音を立てて閉じる。嵐のような人達だった。


「……」


 間もなく、群青の耳から血が噴き出した。


「がっ」


 襲い掛かってくる、身体から心臓が引き抜かれるような不快感。鼻血もあふれ出して止まらない。壁にもたれかかると、首筋の血管がブチブチと千切れる感覚があった。


「治癒が間に合わない……?どんな力で絞めたらこうなるんだよ……」


「とんでもねえのが来たな……」


 群青は意識を押し流す大波に逆らえず白目を剥き、大の字で床の木目に倒れた。

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