7ページ 初めて見せる手の甲

 記憶を押し固めた夢は天夢の頭を駆け巡り、四方で映像の断片を映しては煙とともに消えていく。


 人間の頭を握りつぶす感触。点灯と消灯を繰り返す街の景色。姉の手が持つぬくもり。気付くと、見覚えのない天井の下で横たわっていた。


「あ……?」見覚えはないが、拘束するための素材で出来た天井ではなかった。無数の巴で埋め尽くされた特徴的な模様を睨む。


 今度は首を横に向けて、部屋の隅々まで見た。からのワゴンが置いてあり、病室のようでどこか違う空間。緑の壁に囲まれた部屋の中心には、自分と同じベッドで仰向けになる少女の姿があった。青とブロンドの髪は濡れ、額には3枚のガーゼが貼られていた。


 体を起こし、少女の隣に立つ。よく見ると、小さな体は震えて息を切らしていた。


「大丈夫ですか」天夢はとっさに少女の肩を叩く。


 まぶたが薄く開き、瞳がこちらを向いた。


「天夢か、おはよう。無事かい?」


「見ての通りですよ。あなたこそ死にかけではないですか」


「はは、許してくれよ……私は生きてるだけ幸運だ」少女は目を閉じた。顔に汗が浮いている。


「今は安全だよ……気を抜いていいさ」


 どういう状況かと聞くと、少女はいたいけな咳をして語り始めた。


「はぁ、ハァ。助けてくれたんだよ……たまたま通りがかった後輩がさ。あたしもすぐ気絶したから分からないけど、ここは確か……東大にある……」


 そこまで告げて、彼女はまた激しく咳込んだ。


「すまない。少し……痛むだけだ」


「……?」天夢は不思議に思った。目の前にいる少女は疲れてこそいるが、そこまでの重態には見えない。興味半分で少女を覆う布団を少しめくった。


 僅かに胸元がひらけただけだったが、首から下に広がる血のにじんだ包帯は確実に見えた。天夢は眉をひそめる。


「かなり深い傷ができていますね。動くべきではないですよ」


「わかってる……」少女は苦しさを隠し切れない小声で呟いた。


 少女に聞きたいことはいくらでもあったが、天夢は放っておくことにした。ここが安全な場所なのであれば、いくらでも待つ事ができる。他に誰か、彼女を世話できる人がいればよいのだが。悩みながら少女の布団を元にもどした。


 ふと、どうしても気になる疑問が脳裏に浮かび上がってきた。これからのために、知っておかなければならない事だった。


「そういえば。まだ名前を聞いていませんでした」


 少女は驚いた顔をして起き上がろうとした。しかし傷が開くのか、うめき声を上げて肩をつく。それでも抑えられないものがあったのか、息を上げながら口を開いた。


「意外だな。あの子は――光は――君に話さなかったのか?」


 天夢がうつむいて無言で頷くと、乾いた笑いが部屋に響いた。


「名前は三極院 れん。ハスの漢字で読みがれん、だ。これからよろしくね」


 天夢は頭の中でハスの漢字を組み立て、軽く「なるほど。こちらこそ」と返した。


「おいおい……仮にも生き別れの親なんだけどな。もう少し噛み締めくれてもいいじゃないか」そういって蓮は苦く笑った。


「…………」天夢は言葉を返す気になれず黙り込んだ。


 その瞬間とき、ドアをノックする低い音が聞こえた。


「どうぞ」天夢は反射的に招いた。


 ドアを抜け、細身で中背の青年が入ってきた。


「ああ、千牙くん。お疲れ様」蓮は明るく迎えたが、今度こそ痛む体を動かすことは無かった。天夢は安心して、千牙と呼ばれた青年に声を掛ける。


「千牙さん、ですね。ご用件は?」


「はは、ただの綺麗な人かと思ったが、話してみると随分と不愛想みたいだね」


 千牙は無邪気な顔で天夢の顔を覗き込む。しかし、その目の奥にはなにか思惑を感じさせる光源があった。


「……俺は、蓮先輩の容態を見に来た。君のほうは大丈夫に見えるけど、先輩はまだまだよくならないね。腹に切り傷と銃創じゅうそうが多数ある」


 天夢はやはりか、とため息をついた。


 千牙はゼリー飲料をひとつ蓮のベッドに置き、視線を天夢に戻す。


「ところで君はおととい、この近くにある官邸を襲撃し、総理を手に掛けた戦争犯罪者じゃないか?」


 天夢の瞳孔が開いた。


「えぇと、総理を殺したのはあの皇太子です。問題はそこじゃないのでしょうが……なにか……?」


「やっぱり君だったか」千牙は蓮のベッドに腰掛けた。


「君は、先輩が作った2体目のアンドロイド…らしいね?話には聞いていたよ。天才と呼ばれた蓮先輩が異様に固執する相手がどれほどのもんか、すごく興味があった」


 座ったまま、千牙の顔が天夢に寄る。


「それで?」天夢は受け流そうとする。千牙はいかにも興奮した様子だった。


「俺は堅気だからな、おとといに君と先輩を保護した時は怖くて仕方なかった。でも、先輩が娘って言うもんだから大事にしたくてね、バッテリーを替えて目覚めさせてもらったよ」


「あ……あぁ、なるほど、それはありがたいです」意表をついてきた話に、天夢は1拍遅れて反応する。


「そう。だからね……」千牙はいたずらに笑う。「金払ってくれませんかね、蓮先輩」


 ベッドの上で、蓮の顔が青ざめる。


「空気が読めないやつだな……兎も角あたしは金がないんだ。無理」


「相変わらず財布のひもが緩いみたいですね」千牙は冷たい視線と共にそう言って、ぶっきらぼうにゼリー飲料のキャップを取った。


 天夢は聞かないふりをして、自分がいたベッドに腰掛ける。話の腰を戻そうと切り出した。


「私はまだ、これからのことを考えていません。例えば……穏健派に行くとしても、今すぐという訳には――」


「穏健派ならすぐ行く」蓮が割り込んできた。


「あたしたちは裏切ったんだ。もう取返しがつかない。あのクソ司令官どもと対立するならあっち側に行くのが一番いい」


 天夢はジト目になって引いた。


「大丈夫なんですか?考える時間が必要なのでは」


 蓮は横になりつつ、胸を押さえて引きつった笑みを浮かべる。


「時間をかけてると追っ手に見つかる。何もしないよりは、早く逃げ込んでおいた方が危険もないだろう」


 しかし穏健派は、最悪の敵だった自分を許して受け入れるだろうか?天夢はあまり納得がいかなかった。それを伝えると、蓮は苦い顔をした。


「君は、別人ってことにすれば……なんとかなるはずだ。目撃者は消してきたんだろ」


 天夢は肩をすくめた。


「そこまでして行きますか……まあいいです、私は失うものないですし」


 蓮は拍車をかけて苦い顔をした。


「そういう理由で行きたくないなあ、あたしは社会的地位とかねえ、あるわけで」


「そのまま傷開いてお亡くなりになったら全部お釈迦ですよ、先輩」部屋を出ようとした千牙が足を止め、呆れた声で忠告する。


「わかったわかった」蓮はそういって、小さなゼリー飲料をかすれた喉に流し込んだ。


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