6ページ 夜中の亡霊

「光……かわいそうに。なにも殺すことはなかったはずだ」


 雨音に混じり、後ろから声がする。天夢は重苦しく振り返った。サファイアと銅が混ざったようなミディアムヘアーが目に映る。


「久しぶりだね、天夢…いや、ミス・アンドロイド」天夢を見下ろす少女は、目の下にひどいくまを刻み、悲し気な顔をしていた。どこかで見た顔だ。見間違えではない……この人は……。誰だっけ――。


「誰ですか」天夢は震え切った声を絞り出す。


「君の開発者……まあ、親みたいなものだよ。無論、光にとってもね。ごめんな、会いに来てやれなくて。この子を、守ってやれなくて」


 少女はポケットから手を出して頭を下げた。厚手のパーカーが雨を弾く。


 思い出した。確かにこの人は、自分が生まれた瞬間ときを見た人だ。ただ、それだけしか覚えてはいない。今となっては殆ど他人なのだ。天夢は歯を食いしばってうなだれた。


「私の責任せいです。いつか、組織が光を殺すと分かっていた、分かっていたのに……何もできなかった」


「君は悪くない」少女がきっぱりという。「君は支配されていたんだろ」


 天夢は力が抜けたように膝をついた。


「だったら私が消えればよかった。なんで光は…姉さんは、死ななきゃいけなかったんですか」


「人間が終わってたんだよ、この軍は」少女の口調が強くなる。「あたしはもう、排斥派あいつらを許さない。君たちだって人なのに…この有様さ。許せないよ」


 天夢は少女の話を咀嚼そしゃくし、息と共に飲み込んだ。さらに頭を垂れ、虚ろな視線を不愛敬に撒き散らす。


「私はもうどうでもいいです。失うものは全て失った。あなたに干渉するつもりもありません……。逃げたければ、どうぞ」


「いや、違うんだ……」少女の語気が弱まり、やがて優しい口調に変わった。


「君も逃げろ。もう見ていられないんだ」


 天夢は沈み切っていた顔を僅かに上げた。


「傷心している君に声をかける非礼を、どうか許して欲しい。だが君だって気付いているはずだ、この場所にいても地獄しか待っていないと」


「覚悟はしていました」


 雨が激しさを増し、天夢は光の亡骸が濡れないよう手繰り寄せる。視界の外で、少女の目がうるんだ。


「死にたいっていうのか?この子みたいに」


「っ……」天夢は再三うなだれた。さらけ出した髪は濡れ、光沢を失っている。


「君は生き抜いてくれよ」少女は憐憫れんびんに満ちた声を渡してくる。


「……」


「……」


「…光はまれに、あなたの話をしてくれました。多忙極まりない生活なのに、いつも笑顔で会いにきてくれたと。いい人じゃないですか…貴方は自由で、なんの罪もない。私のような産業廃棄物と関わらないでください」


「あたしはそんなんじゃ――」


「私は」天夢は無理に遮って話を続ける。「私は数え切れない命を奪いました。倫理的にあるまじき存在であることは薄々分かっています。逃避が許されるとは到底思えません」


「知らないね」少女は呆れた口調に変わった。


「これだけ不安定な君を見た指令は、きっと君を処分する。そうすれば新しいアンドロイドを作れと言ってあたしをひっ捕らえ、地の底に閉じ込めるだろう…そもそも――」


「もう帰ってください」天夢は消えてしまいそうな震え声で言い返した。


「ク…………!!!!」


 少女は顔を真っ赤にして天夢に掴みかかる。充血しきった眼球を前に、天夢は顔をそらした。


「現実からの逃避が、いちばん……いちばん許されないことだよ」少女はゆっくり、ゆっくりと諭す。その声は途切れ途切れだが、揺るぎない芯を持っていた。


「君がいなくなるくらいなら…いや、そんなこと想像もしたくないさ、ああ。自分につく嘘ばかり上手くなったんだな」


 天夢は怯まなかったが、後ろめたさを隠しきれないように拳から血をにじませた。


「やっぱりあなたは優しいんですね」


 水たまりが靴下まで染みこむ。


 少女は跳ねる泥水を顔に張り付け、頬から天夢の胸に飛び込んだ。困惑する天夢をよそに、背中まで回された掌に力がこもる。


「私はただ……嫌なだけだよ」


 天夢は少女の頭を撫でながら地面に腰を下ろした。雨が弱まり、微かな月明かりが隣で眠る光の顔を照らす。不思議と肩の力が抜け、目の前にある少女の髪が愛おしくも弱々しく感じられた。



 ビルの隙を吹き抜ける風に乗って、聞き慣れた罵声とエンジンの不協和音が届いてきた。天夢の心にひとかけら、夢が薄く浮かんできた。まだ、死ねない。私は、この腐った集団を消さなければならない。



「もう、折れました……どこまでも、逃げてやりますよ」天夢は少女の冷たい肩に触れて、無理やり笑顔を見せてやった。


「ぁぁあ……ありがとう」少女は腫れた目元を拭って立ち上がる。ロードバイクの轟音がすぐそばまで近付いていた。


 天夢は少女から手を外し、光を抱きかかえる。


「いたぞ!!この隙間だ!!逃がすな!」月光の差す方向から、軍人の大声が耳に入った。


「さあ、行こう!」少女は笑って手を差し伸べた。追っ手の男は遠くでバイクを呼び集めている。



 しかしなぜか、男の手元に拳銃の輝きが見えても、天夢は少女の手を取らない。


「……天夢?」少女は不安げに見上げた。天夢はいつの間にか表情を固め、腕から光の体を落としてしまった。


「……うです」天夢のささやきが、少女の耳の端を震わせた。


「へ?」少女は慌てて聞き返す。耳を近付けた天夢の口から言葉が発せられた瞬間、その全身に鳥肌が立った。


「こんな時にすいません、本当に申し訳ありません……バッテリーの故障です」


 追っ手がビルの隙間に雪崩れ込み、無作為に2人へ襲い掛かってきた。

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