5ページ 消灯のお時間
「官邸全域が壊滅状態……皇太子様はヘリに回収され、既に排斥派と合流した……と。素晴らしい。さて……そろそろか」
司令官は、時計とパソコンを見比べる。
「三極院、よくやった」
「只今」彼女は
「ご苦労だったな。まさかここまで計画通りに決めてしまうとは流石だ」
「光栄です」小さく添えて天夢は一歩下がった。「しかし、少しお待ちを。まずはバッテリーの整備をお許し下さい」
「ふふん」司令官の口元が緩む。「砲を使いすぎるなよ。無理をして搭載させたんだから」
「分かっております」
天夢は開発室へ向かう階段を見据える。視界の端に、白い布切れのようなものを見つけた。
「あら、ごみが…」無菌室並みの清潔な部屋であるだけに、天夢は気を引かれる。
歩み寄って拾い上げると、何か冷たいものが背中に流れるような感覚があった。初めて味わった痛みに、天夢は後ずさる。
「なんだ?」司令官が怪訝に頬杖をつく。
「この布…誰の服ですか」
「知らんな。それより早く整備したらどうだ」
「……」何か引っかかる。なぜ司令官はただの布を服だという前提で返答したのだろう?口調もどこか焦っているようだった。なによりも……。
「……これ、女性用の服では——」
「だったらなんだ。早くしろ」
司令官は憤慨して手を払った。天夢の眉尻が下がる。
「なにを隠してらっしゃるんです……?」
「やけに反抗的だな」司令官はせせら笑った。「こんなめでたい日くらい、落ち着いたらどうだ」
天夢の頭に様々な可能性が巡る。この程度のやり取りは何度かしたが、ここまで拒絶されるのには何らかの理由があるはずだ。
しかし司令官は睨み合いもそこそこに席を立つ。呼び止める間もなく、足早に角の奥へ消えてしまった。
「一体なにが……?」
釈然としないまま視線を戻し階段へ足を踏み出す。
しかし何かとっかかりのような抵抗が天夢を足止めしてきた。速くなる鼓動に反比例するように、足の動きが鈍くなってくる。
「なぜ…」
目に力を込めて手元の布を睨む。見ているうちに背中から力が抜けていく。これは――。
天夢は息を呑みこんで足の向きを変え、司令官を追うように歩き出した。彼の歩んだ先には初めて見る鉄の階段があった。躊躇いながらも足音を消して登る。
「これは、光が……いちばん大事にしていた服です」
「なんで…」
「なんで……」
「なんで…………!」
最上階まで歩くと、暗い廊下の隅にそいつはいた。司令官の背中が小さく目に映る。
「……よく違和感に気付いたものだな。鈍い奴だと思っていたが」せせら笑うような声。
空気が一気に張り詰めた。天夢はおびえたように拳を握る。
「何をなさっているのですか……!」
「お前は、知らなくていいことだ。帰れ」
「……」温度のない声を返され、天夢は顔を上げた。
この男が何を言おうと、天夢は退く気を起こさないと決めた。
「教えてください。私には知る権利があるはずです。ここまで尽力してきたのに……」
「はぁ?」司令官が振り返り、目を丸くした。
「何を言っている?お前は、そんなものが許されると考えているのか?」
「へ…?」
天夢の脳裏に、かつて路上で誰かが叫んでいた言葉がよぎった。
「指令。及び無い話だと
怒りをあらわにしたその言葉に、司令官は震える。
「いいから黙って帰れ…命令だ」
天夢は確信を得た。立ち止まる司令官を抜き去り、片開きのドアに手をかける。
「おい、お前――」後ろから手が伸びてきた。天夢はさらりと躱して地面を強く踏む。
「邪魔しないでください」僅かに振り返り、司令官を制する。「この部屋なのですね?」
「おいおい、なんだその態度は――」司令官は靴下に着火されたようにあわただしく手首を振った。
「……」
天夢はドアに向き直り、指先に全霊を込めて開いた。
そこは、フェンスのない屋上へと続いていた。
「あ――——」
「て、ん……天夢?」
「光。これは、なんですか…。その傷は…?」
「助けて……!」
「どうして――」
「死にたくないよ……!」
「っ。司令官、光に何したんですか!!!!」
「落ち着けよ」
「光に何をしたと聞いているんです!!!」
「クソが。邪魔をするな」
「ッ……!!!」
「待って、待って――」
「姉さん!!」
「体が熱いよ…やめて。許して」
「うるさい」
「何を――。ッ、ふざけないでください!!!今すぐ助けないと死んでしまいます!!」
「そんな無能に未練はないだろ」
「なっ……どうしてそんなことを!!姉をどうしようと!!!?」
「ああ、お前には言ってなかったか。こいつは処分する」
「はっ…?司令官…今なんて――。正気ですか!!??」
「おお、風が強いな。もうすぐ真っ逆さまに落ちるんじゃないか」
「……やめっ…話を――」
「ひぃ……助けて」
「はっ……!!?光!!!!!待っ——」
「天夢…ごめんね…」
「て……」
「あ…」
「あ…」
「えっ…」
「は……?」
「…………」
「あっ」
*
頭が冷えた頃には、なにも聞こえなくなっていた。
男の影がどこにも見えなくなると、天夢は立ち上がり、亡霊のような形相で屋上のドアを叩き壊した。階段を下った。腕をだらりと垂らし、窓を割り、彷徨うように外に出た。
ビルの隙間を歩き、屋上の真下で足を止めた。
一面は時が止まったように静かで、壁を這うトカゲと空に去ってゆくハトだけが視界を流れていった。冷たい風を運んでくるフェンスを離していよいよ視線を動かすと、足元に金色のペンダントが転がっていた。
「………」
雨が降ってきて、天夢は膝から崩れ落ちた。
「言われた通り、生きて帰ってきました。だから……起きてくださいよ……」
みだれ髪に収まった光の表情は虚ろだったが、どこまでも綺麗に整っていた。世界で最も美しい顔だと思えた。首から下は……見たくもなかった。
「て、ん……」
見直すと、光の眼が微かに開いているのが見えた。
「光……?」顔を押さえた指の隙間から覗く。信じられなかったが、光は笑って天夢の手を握っていた。
「光!!」天夢は光の手を強く握り返した。指が3本千切れた姉の左手を両手で持ったら、全身が酷く震えてきた。
「よかった、いきてる……」光は囁くような掠れた声を絞り出した。
「なに言ってるんですか、あなたは……」
「わたし、つらくないよ」
微笑む光の頬に、天夢は涙を落とした。
「なんで……?」
「……だって……しょうがないでしょ」光の顔はどうしようもないくらいに恍惚としていた。天夢にはその意味が分からなかった。
「でも私は、姉さんに……まだ、なにも……」
人間なんて、社会なんてどうでもよかった。生きてさえいれば。一番近くにいたはずの人でさえ、こんな姿になるまで眼を見て話せなかった。それでもひとつだけ、天夢の心の中で、絶対にやらなければいけない事はあった。
「私はまだ姉さんに、なんの夢も……見せていないんです」零れる涙と唇から出た血、そして降り続ける雨が混ざりあった。
「なに言ってるの?きみが生まれるずっと前から、きみは……わたしの――」
「……」
午前3時11分14秒46。彼女は世界の片隅でひとりになった。
さみしい夜に響く甲高い足音に、大粒の水滴が跳ねる音が混ざった。
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