4ページ ローマは1日にして崩壊する

 華やかに飾られた玄関口から、ひとつの影が入り込む。無数の手に招かれたその客人は帽子を取り、数百と並んだ政治家の御前ごぜんで胸を張った。


「魔国、皇太子親王、ビクター・アラノイド様!只今、ご参着になられました」


 深々と頭を下げる人々。客人の一挙手一投足に気を配り、敬いで押し固めた言葉を使って挨拶を済ませる。


 側頭部から覗く、柔らかに尖った耳。白と黒が調和した髪。小宇宙を思わせる紫の瞳。魔人の完成形といえる風貌をした彼を、人々は羨望の目で見つめる。


 やがて、人混みを突っ切って案内係が現れた。サングラスをかけた銀髪の彼女がひざまずくと、皇太子は右の口角を上げて「よろしく」とささやいた。


 彼らは足早に、官邸の中心部まで歩みを進めた。


 応接室という名を冠した魔境へ足を踏み入れる。部屋の中央に腰を下ろすスーツ姿の中年女性は、最後の花と言わんばかりの厳粛さを身にまとっていた。


 皇太子はひとつ頭を下げて彼女の前に座る。


 21時20分。会談に許可された時間は120分間。


「ようこそ、皇太子様」


「よろしくお願い致します、総理」




 24時00分。鼓膜に突き刺さる大衆の叫び声で目が覚めた。どうやら大学の研究室で寝てしまっていたらしい。ひとつあくびをして、硬い体をほぐすように立ち上がる。見下ろすと、白衣にできたしみが目に入って顔をしかめた。


千牙せんがさん!」自分の名前を呼ぶ声が遠くから聞こえる。やけに慌てた

声色だったものだから、こちらも自分の頬を張って目を覚まし、早急に声のする方へ走った。


 渡り廊下を抜け、狭まった裏口から屋外に出る。強風にあおられながらも、久しぶりの新鮮な空気を口にしてニヤついていると、すぐそばから声をかけられて振り向いた。後輩の顔が目の前に現れ、驚いて体をのけぞらせた。


「こんな時間にすいませんっ!でも、大事件が起こってるんですよ、今!」


 そういって彼は、明後日の方角を勢いよく指差した。


「うん?」指の先にある駐車場はいたって普通だ。首をかしげる。「なにかあったのか?」


「違います、千牙さん!上空!上空を見てください!」焦りを感じさせる声でわめきたててくる。若干ひきながらも、視線を上へ上へとあげた。


 なるほどそこでは火山ほどもある巨大な火花が散り、白煙が渦巻き、この世の終わりのような景色が広がっていた。さらに上を見上げると、錯視かと思うほどの巨大なヘリコプターが空に浮いているのも確認できる。


「こりゃひでえ火事だな。起こしてくれて助かったよ」肝を冷やした調子で会釈した。しかし後輩は赤に囲まれた猛牛のように興奮し、「なんでそんな冷静なんですか!」と叫んだ。


「いや、まあ気持ちは分かるけども……俺はあまり事件に興味がないからな。それとも、あの火事が起きている家に問題があるのか?あの方面に俺の家はないが」


「ボケたんですか!?燃えてるあの場所、官邸じゃないですか!!!しかも今日、魔国の皇太子が来てる!!!」


「は」一瞬、理解が追い付かなかった。久しぶりに味わう感覚だったが、話をのみこむ頃には大粒の汗を流してそれどころではなくなっていた。


「は……マジか……」


 火の海を見返す。それは革命の象徴であり——社会を殺さんばかりの爆炎だった。何か考えようとするが、思考が抜け落ちた頭にはどんな感情も浮かんでこない。


 救急車、消防車、無数のパトカー。野次馬の声が鼓膜の奥深くまで侵入し、体温と共に意識が遠のいていくのを感じる。


 地面の芝に倒れ込む直前、千牙の視線が飛び去るヘリコプターをかすめた。機体からぶらさがった縄の先に、血に濡れた白銀の髪をなびかせる人影が見えた気がして、千牙はその目を大きく見開いた。


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