3ページ 家族には……!

 そのころ、鉄の部屋に辿り着いた天夢はひとり固い扉を抜けた。


 鍵のかかった地下牢ちかろうの中をはじめて見たが、想像通りと言うべきか、なんの面白みもない空間であった。ただひとつ、すみに塞ぎ込む姉の姿があることを除けば、だが。


ひかり、また何か失敗したんですか?」金髪にうずめられた姉の顔を覗き込み、天夢は無造作に声を掛けた。


「天夢?ひさしぶりだね。……私は護送してた金庫を盗まれた……はぁあ。そういうあなたは何やったのよ」


 光は顔を上げ、興味深そうな表情を覗かせる。常人なら顔をそらすほどの美貌にも天夢は眉一つ動かさずに「遅刻」とだけ返した。


「あっは、なんだそれ……」光は苦笑して立ちあがる。腰まで伸びる髪をいながら円卓に腰掛けると、ささやかに置かれたコーヒーを天夢に差し出した。


「ありがとうございます」


 彼女らを襲うのは、しばしの沈黙。天夢は空になったコップを元の位置に戻すと、光のすぐ横にある椅子へ腰を下ろした。座高の高い光を見上げ、姿勢を正す。


「……出張、どうだったの?」


 ず出てきた光の問いかけに、天夢はうつむいた。


「今回は……あまり仕事できませんでした。人を殺すだけの仕事はもううんざりです」


「そっか」光は目をつむる。「天夢は大変だね。いつも、世界中で理不尽な任務を受けて」


「ほとんど無駄な活動ですがね……」天夢は落ち着いた様子を崩さずに返す。


「そう?じゃあ、なんでなにも言わないの?」眉尻を下げ、光の表情が心配げに変わる。


 天夢は目の開きを大きくして指を組んだ。


「暇なので、なにかしていた方がいいでしょう。それに、欠かせない任務だってあります――本命は、今度来日する魔国の皇太子を奪取する任務……これが成功しさえすれば、排斥派の力は一気に増すらしいです」


「そんな……話が」光は返す言葉が見当たらないようで、ただ目をしばたかせる。


「ええ。皇太子様は排斥派のスパイとして暗躍してくださっているので。じきに軍へ迎え入れたいと、司令官からの要請です」


「すごいね天夢。大仕事じゃん」光は自分事のように喜んでいた。


 天夢は微笑んで円卓の端に手を伸ばし、光のコップへ最後のコーヒーをいだ。


「ありがと」光は間も開けず受け取る。天夢はそれきり、机に突っ伏して目を閉じた。


「どうせ戦争になるなら、我々は早期決着に努めるだけです。こちら側から仕掛けなければ、つまらないつつきあいになるだけですから…」


「そうだね…。でも、今くらいはゆっくりしなよ。貴女はいつも遠くへ行く……私に残るのは、抜けた髪の毛だけ」


 光の笑みが段々と弱まっていく。


「アンドロイドは水物だってみんな言う……失敗作に容赦はされないんだってさ。私も、いつ用済みにされるかわかんない。すこしくらい……一緒にいてよ」


「そんな、悲観せずともいいでしょう。司令官が私たちアンドロイドのことを何も知らないだけですから」天夢は首を振る。


「ごめんね、心配させちゃって。私もそこまで捨てたもんじゃないかな」光は頬杖を外したかわり、天夢の頭をかきむしるように撫でた。


 机に伏せられた天夢の顔が、微かにほころぶ。腕を腰のポケットに回し、突っ込んだ手を握って光の鼻先に差し出した。


「なになに?」光はいそいそと天夢の拳を開き、握られていた純金のペンダントを手に取った。


「腕時計のお返しです」天夢は差し出した腕に巻かれた腕時計を示す。2か月前の初めて会った日、光にプレゼントされた木製の時計は、秀麗に磨かれて光沢を放っていた。


「綺麗……。ありがと、大切にするね」光は無垢な笑顔でペンダントを首にかけた。無言で笑い合う姉妹の影が、殺風景な部屋で揺れていた。



 翌日。朝。ノック音もなくドアが開いた。出迎えると、身なりを整えた警備員が肩を震わせ立っていた。


「2人とも出ていいぞ、会議室で緊急の話があるらしい」


 小さく頷き、天夢はドアを抜けて階段を上る。置き去りにした警備員が追い付いてきた頃、ロビーの手前にそびえる会議室に辿り着いた。指の付け根を、扉に3回ぶつける。


「失礼します」


 無数の机が佇む白壁の会議室を不遜に突き抜け、天夢は最奥にいる司令官の眼前で立ち止まった。


「早かったな。察したか」司令官はいつにもまして早口であった。


 天夢は鮮黄に彩られた瞳を鋭く尖らせて頷く。



「皇太子様が現在、空港に到着したと報告があった。今日の夜には日首脳との会談場所である官邸を来訪するだろう…。潜入できるな?」


 圧力の高い口調。天夢は同様に力強く「むろん」と返した。司令官は帽子を取って天夢に向ける。


「作戦決行の日時が決定した。本日24時に皇太子様を回収しろ」


 その場に会した男たちから、驚愕の声が上がる。不可能だと罵声を飛ばす者も。だが、天夢の選択肢はただひとつであった。


「了、解」


 覚悟の眼光を放ち、髪を巻き上げる。司令官の顔色も伺わずに自分の荷物を取りに向かった。


 会議室のドアをこじあけ、廊下を歩く足を速める。そのまま淡い日光が差す部屋に辿り着くと、首から下げたペンダントを握る光がたたずんでいた。


「もう行くの?」その声は微かに震えている。


「予想できたことです」天夢は姉に世話を焼かせまいと力強く返す。


 光は考え込むように視線を落とす。天夢は僅かに待ったが、光が黙り込んだことを知るとすぐに部屋の中へ立ち入った。


 ハンガーにかかった数あるスーツの中から、ひときわ部屋に馴染んだ焦げ茶をチョイスする。肩に乗せ、端正な足取りで再び廊下の床を踏む。


「天夢。行かないで」唐突に、あられもなく光が引き留めてきた。


「なぜ?」天夢は真摯に受け止める。


「わからない…でもなにか、なにか危ない気がして――」


 天夢は光の目を一直線に見上げる。言葉を止め、光に向かって1歩だけ前に出た。


「では、私は絶対に帰ってきます。何を捨ててでも」


「……わかった」


 話を飲み、光が道を開ける。天夢はしたたかにきびすを返した。


 ロビーでは、厳かに着込んだ司令官が待ち構えていた。周囲にも、赤い光彩を放つ軍服が華麗に列をなしている。天夢はひと通り視線を飛ばして会釈した。


 司令官は左手の指輪を外し、汚濁した目で口を切る。


「これは我々にとって正念場だ。何を捨ててでも皇太子様キーマンを奪え、三極院」


「……御意」


 ドアが開かれた。


「……。はぁ」

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