2ページ 東京

 自動ドアを抜けると、優しいクラシックの音と共に見慣れたロビーが視界に飛び込んでくる。天夢は革靴で爽やかな足音を立てながら、赤い絨毯じゅうたんを一直線に進んだ。


「三極院、ただいま帰りました」


 足を止めて口を開く。と、艶めくデスクの奥から、角ばった軍帽がゆっくりと揺れながら現れた。


「あぁ、ご苦労。……シンガポールはどうだったんだ?」


「肝要な成果は出ませんでした。視界に入った敵はすべて排除しましたが……それ以上の成果は特に」


「そうか」


 軍帽が上がり、黒い長髪をした男の顔が覗く。しわひとつないその頭には、司令官にだけ許された洒落なピアスがいくつか下げられていた。司令官ということ以外、天夢はこの男について殆ど何も知らない。知りたくもない。


 顔を上げたいきおいでデスクに手をつき立ち上がった彼は、まさしく死んだような目をして、宝石の埋まった腕時計を突き出した。それは音を立てながら7時5分を指している。


「まあ、仕事の成否はどうでもよい。だが、お前はスケジュールに遅れた。お前、うちに買われてからの2か月間ミスなかったのにな」


「寄り道していたもので」


「喋るな」司令官の声に冷たい怒気が籠る。天夢は泰然と口を閉じた。


「遅刻には厳罰を科す。1日か……2日ほど拘置処分を受けてもらうよ。地下牢へ向かえ、今すぐだ」


 言い終えた司令官に、天夢は顔色一つ変えず頭を下げる。司令官はそれを尻目に腰を下ろすと、何かを思い出したように人差し指だけ立てた。


「っと、報告はしていけよ」


「……了解」


 天夢は速やかに胸ポケットの中を漁り、小さなメモリを取り出した。手を伸ばして司令官に受け取らせる。


「ここに全てが入ってんのか?」


 大人しく頷く。司令官は訝しみなからも受け取ると、メモリを手元のケースへ挟んだ。


 それを見届けると、天夢は肩の力を抜き、髪をなびかせて踵を返す。


「それでは。お疲れ様です……司令官」


「ああ」


 強烈な音を立てて扉が閉まる。司令官は骨ばった手で頬杖をつき、取り出した薄型のノートパソコンを開いた。



 そこからロビーには沈黙が走るかと思われたが、デスクの隣から顔を出した少女が司令官へ突然「ねえお父さん」と切り出した。頭を出した彼女は背伸びをして、座る父親に目線を合わせる。


「なんだソフィー」司令官が多少和らいだ視線を向ける。ソフィーと呼ばれた少女は不可解げながら実直に続ける。


「いまの人、悪いことしたの?」


「無論だ。お前もタイムスケジュールに合わせた行動ができる大人にならないと、ああいう事になるぞ」


「ああいう事って?あの人に何したの?逮捕?」


「まあ、そうだな……しばらく閉じ込めて自由を奪う」


「ふーん。そんな事していいの?」


 頬を膨らませるソフィーに、司令官が目を光らせた。ノートパソコンが音を立てて閉じられる。


「ほぉ。気になるのか?話してやってもいいぞ?お前も暇だろうしな」


 司令官が椅子の背にもたれて指を組むと、少女は目を泳がせながら頷いた。



「それじゃあはじめに言ってしまうが、アイツは人間ではない」


「えー?」


 はて、と首を傾げる少女に、司令官は腕を組んだ。


「アイツは単純な話、人心を介さぬ兵器なのだ」


 ソフィーの首が更に傾く。あどけなさが色濃く残る顔を押さえて、あれこれ考え込み始めた。


「まあ、お前には難しい話か…。どこから話すべきだろうな、分からないが……この際だ。昔話をしてやろう」


「ん、難しいの?」


「もうすぐ学校で習うところ……くらいじゃないか」


「聞く聞く」ソフィーの溌剌はつらつとした声が弾む。


 司令官は一つ咳をして、鉤爪かぎづめのような手を広げた。


「1000年前のこと。世界には、魔法が使える魔人とそうでない普通の人間が半分ずつ存在した。きっちり半分ずつだ。とても長い間、2つの人種はお互いと関わらないように分断され、それぞれが創った国家で生活していた。300年ほど前までそうだった」


 息継ぎを挟む。


「だが19世紀に入ってから、魔人と人間の数に大きな差があらわれ始めた。人間が産業革命によって爆発的に増えていったせいで、魔人の割合がみるみるうちに少なくなっていったんだよ。そうして日本の元号が令和になった頃には、魔人は世界中のほとんどの国で見られなくなった」


「だが、今でも確かに、魔人しかいない国、魔国は存在する。あの事件・・・・のあと、すぐに消すべきだったろうに……生き残っている。その脅威から人々を守るために、我ら排斥派がいるのだ――」司令官がそういってめると、ソフィーは細い唇に指を置いて考え込んだ。


「ありがと、教えてくれて……」しかしなにか煮え切らないように身を乗り出した。「でもさぁ、さっきの話と関係あるの?」


「いやいや、おおありさ。あの女三極院は、魔人を殺すために作らせたアンドロイドだからな」


 どういうこと?またも、ソフィーの理解が遅れをとる。顎に手を当てつつ司令官に人指し指を向けると、彼女はゆっくり口を開いた。


「あんなキレイな人が……?人間にしか見えなかったよ」


「そんなこともないさ。あいつはなんの抵抗もせず淡々と仕事をする……いっちゃ悪いが、まさに奴隷だ。人間じゃない」


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