クソ長プロローグ

1ページ ピカソと馬と牡牛と折れた剣。

 月と蒼いネオンがきらめく夜の街。


 シンガポールのド真ん中。


 ひときわ目立つ、高層オフィスビルの屋上。


 壊れかけの椅子。


 その上で、両手を後ろに縛られた、1人の不法侵入者。


 黒服を着た無数の軍人が全方位からライフルを構え、彼女の脳天を狙っている。



「——嬢ちゃん、まず名前を聞こうか」


 ひとつの質問に破られる沈黙。彼女はフードの奥から強烈な眼光を覗かせ、悠然と口を開いた。


「……私は排斥派、日本本部から参りました三極院さんごくいん 天夢てんむというものです。あなた達のボスに用があります」


「よし分かった、黙れ」


 敵対する軍の名前を聞いた軍人は銃を下ろさず、ただあざわらった。明らかに敵である人間の要望など、聞く理由がなかった。


「……貴様、1人で乗り込んでくるとはそれなりに度胸があるらしいが、犬死にするだけだ。俺達の玩具にされて死ぬか、そうでないなら即時この場で死んでくれ」


「死ぬ?なぜそのような話に?私が何もしてないのに?」


「シラを切るなよ大罪人!」


 軍人の1人が、醜悪な笑みで呟く。天夢は面倒くさそうに視線を落としたが、それでも男は一層と口角を吊り上げた。


「フン、お前の顔は空港で目撃されている。排斥派の刺客しかくだと分かった時点で、今更そんな方便は命乞いにも使えねんだよ」


 言い放ちながら、その男も銃を抜く。


「さあ、逃げられねえぞ…貴様ら排斥派クズ共は死あるのみ!楽しみだ」


 メインディッシュと言わんばかりに、周囲がざわめく。


 と、すかさず道をあける軍人達。


 間もなく、そこからボスらしき厳格な雰囲気の男が現れ、天夢の眼前まで歩み寄ってきた。


「侵入者ひとりに何を手こずっているのかと来てみれば、排斥派の人間か?俺に話があると言ってたな。おい、こいつとはなさせろ……」


 軍人はみな銃を背中に隠し、「どうぞ」といってしきりに頭を下げた。


「はぁ……。さて、三極院とかいったか、貴様」ボスが椅子の方へ歩み寄ってきた。


 天夢はしたたかに頷く。それを見たボスはかがんで彼女に視線を合わせると、瞳孔を開く。


「ああ、そうか。奴等ヤツら…こんな日本人のお嬢様を寄越してくるとは、ふざけてるらしいな」


 後方で囁くような笑いがおこる。



 天夢は表情を微塵も変えずに口を開いた。彼女の声は低く澄んでいて感情が無く、機械を思わせた。


「私はそのような堅気かたぎではありません。万が一、話が通じないと判断すれば、こちらからの攻撃もやむを得ませんが」


 ボスは手を叩いて笑った。


「舐めてくれるじゃないか、小娘!!変に自信だけついた兵隊は面倒で困るよ、まったく。貴様みたいな物言いの馬鹿に、俺は散々呆れさせられてきた……!」


 何が面白いのかやけに饒舌じょうぜつだが、天夢は反応を見せない。


 ボスは徐々に笑い止むと、立ち上がると同時に、青くつやめく拳銃を抜いた。


「こいつに尋問するだけ無駄だ。そもそも、られることを前提にしてるから単身で来てやがるんだろ。……この場で殺すぞ」


「チッ。まぁ、オーケーオーケー」口惜し気に、隣で誰かが返す。ボスは満足げに撃鉄を起こした。


「面倒かけやがって。最後に文句でもあるか?」


 ボスが引き金に指を掛ける。天夢は最後に顔を上げ、唐突に不敵な笑みを浮かべた。



「——あなたの口元に、ソースがついていますが……最後の晩餐はパスタでよかったですか?」


「……はぁ?」


 ボスは衝撃からか一瞬茫然としたが、すぐに耳まで赤くし、その拳銃の照準を合わせる。


「おいおい、何を言ってやがる。不愉快だ!」


 ボスが吐き捨てると、周辺の軍人もうるさく喚きたてる。我慢ならなかったようで、その内の数人が歯止めもかけずに引き金を引いた。


「じゃあな!」


 銃口から破裂音が轟く。瞬間的に、天夢の瞳に2発の銃弾が映った。


 それは、寸分の狂いなく天夢の額に衝突し――可聴域を超えた金属音を発した。


 直後、鼓膜に突き刺さる落下音。落ちた銃弾は勢い付いて転がり、ボスの足先に当たって止まった。


 天夢は足元を2本指で差し、弾頭が潰れたもう1つの銃弾を踏みつけた。彼女は当然のように、無傷であった。



「……すいませんね。生憎あいにく私は、鉛に殺されるような人間じゃないので」残響に包まれた空間の中で、天夢の低い声が響き渡った。



「はぁぁ?な、なんだ?お前……」途端に、すみにいた男が構えた銃を落とす。


 それに呼応するように、視界に映る軍人達の顔が次々と青ざめていく。


 唖然として突っ立つボスを前に、天夢は悠然と立ちあがった。その手を縛った麻縄が、瞬時にほどけて地面に落ちる。


「さあ、念仏でも唱えてください」


 冷え切った声が反響した刹那、街を照らす全てのネオンがあかく変色する。天夢の細長い瞳がおおきく広がり、眼球全体を輝く金色に染め上げた。


「貴様、まさか?」顔面を赤い光に照らされ、ボスは震えながら後ずさった。


「ふふ」天夢はそれを横目に小さく笑う。


 そして、破壊的な勢いで屋上の地面を蹴り、夜空へ跳び上がった。鈍い音と共に、地面にヒビが入る。


 そして、立ちすくんで見上げるボスの目が、疑念から確信に変わる。


「ああ……クソが……なんでお前がこんな所に来てやがるんだ」


 上空にいる天夢が自身の右肩を強く抑える。ボスは目を真っ赤に充血させて叫んだ。


「排斥派のクソ共が!どうしてアンドロイドがここにいるんだよ!!!」


 悔恨と悲痛が入り交じった叫びが木霊す。


 同時に、天夢が真下へと突き出す掌がじわじわと光り始めた。



 掌の赤い光がまさに頂点に達した瞬間、天夢は夜空に浮かぶ月と重なって、張り付けたような笑みを浮かべた。


「挑戦、アりがとうございました」


「——でんくうほう



 ――言葉と共に右腕から放たれる深紅の稲妻いなずま


 瞬時にビルを貫き、轟音と共に無数の亀裂が疾駆する。最下部の公道までもがうなりを上げてめくれ上がっていく。


 阿鼻叫喚となった屋上で無数の死体が飛び交い、街には凄まじい勢いで

烈火が広がっていく。火に巻かれて絶叫する路上生活者が眼下に見えた。


 天夢は炎に覆われた地面へ、颯爽と着地した。


 全身に火の粉が降りかかり、黒装束が焼けて灰となる。黒い輝きを放つスーツ、肩に垂れる銀髪と白い肌、そして異様すぎるほどに整った顔立ちがあらわになった。


 ビルのひしめく街は焦熱の炎に炙られ、この世の地獄を描き出している。火花で背中を赤く染めながら、天夢は崩れゆく屋上から身を投げた。


「早く会いたいです、姉さん」


 三極院 天夢。生後2か月のアンドロイド。肉体年齢24。今は、まだ、排斥派。



***


 プロローグ 開幕

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