十話
「名前は、ディーク・ノクセン。二十四歳……」
夜の会議室には、丸い机を囲むようにセグロブ国王、シファル、メティエ、シアリーズ軍治安担当高官、そして、弱々しい声で犯人の名を言う護衛兵長が集まっていた。
「……何か言いたそうだけど、どうしたの?」
メティエは隣で納得のいかない表情を見せる護衛兵長をのぞき込み、聞いた。
「姫様、再度お聞きいたしますが、襲ってきたのは間違いなく、ディークだったのですか?」
「ええ。そうよ。残念だけど」
これに護衛兵長は大きな溜息を吐き、頭を抱えた。
「信頼していた部下に裏切られたことは辛いでしょうけど、でも、現実を受け止めないと……」
「わかっております。ですが、個人的には信じられないのです」
「個人的? 普段からディークとは親交があったの?」
「はい。ディークは若くして騎士団に入団し、誰よりも努力を惜しまない男でした。なぜそれほどの熱意があるのかと、ある日たずねたことがあります。彼の両親は二人揃って病にふせっており、仕事ができない状態で、その薬代を稼ぐため、自分は出世し、両親にいい治療を受けさせたいと、真っすぐな眼差しで私に話してくれました。それから私はディークのことを気に留めるようになり、食事に誘ったり、両親の見舞いに行ったりと、騎士団の内外で親しくしておりました。ですからわかるのです。ディークは殺人など考える人間ではありません。両親思いの、優しい若者なのです」
「だが、その優しい若者は、姫を襲い亡き者にしようとした。それに弁解の余地はない」
国王の厳しい言葉に、護衛兵長はうなだれた。
「して、捜索のほうはどうなっておる」
「はい。昼夜を問わず行う予定です。それから、町村に兵を常駐させ、捜索と目撃情報等を集めたいと思います」
高官の説明に国王はうなずく。
「しかし、なぜメティエは狙われたのだろうか。メティエ、心当たりはあるかい?」
シファルに聞かれ、メティエは首をかしげる。ディークの人となりを聞く限り、国や王家に対する不満や悪意は感じられない。ただ家族を守りたいという純粋な心だけがうかがえる。そんな人間が、自国の王女を狙う理由とは? まだ何か見えないものが裏にあるのだろうかとメティエは考え込む。
「姫がわからぬなら、動機は犯人を捕らえるまではわからぬだろう。とにかく今は犯人の捜索に集中するのだ。姫は傷が癒えるまでは城でゆっくり休むがよい。フォルトナへはこちらから事情を伝えておこう」
「そんな、これ以上お世話になってしまうのは……」
「何を今さら遠慮する? それとも、怪我をした家臣らを無理やりに引き連れて帰るつもりか?」
国王の口元の笑みが、無理をするなと言っているようだった。メティエは頭を下げ、感謝を表した。
翌日からディークの捜索は国中に広げられた。セグラン城の警備も増強され、侵入者はどこからも入れないほど、至る所に兵士の姿があった。セグラン城に出入りする者も、いちいち止められては荷物を細かく確認され、警備態勢は万全となっていた。それは城内でも変わらず、各部屋の扉前や窓際など、人の通れる場所には兵士が立ち、目を光らせていた。その光景はかなり物々しい。
「ここまでなさってくださるとは……姫様、これなら安心ですね」
部屋のソファでくつろぐメティエに、ミアンが笑顔で言った。
「……そうね。でも、もうちょっと少なくしても――」
「姫様!」
リリアの大声に、メティエは肩をすくませる。
「すべては姫様をお守りするためになさっていることなのですよ。それを、もう少し少なくだなんて、わがままが過ぎます」
「ち、違うわよ。もうちょっと少なかったら、いいなあって思っただけで。だって、兵士ばっかり見えるのって、なんか落ち着かない気がしない? 今、危険な状況なのかなって思えて」
「今、危険な状況なのです。姫様はそれをご理解していないのですか?」
「……もう、いい」
自分の気持ちを理解してもらえそうにないと、メティエは会話を打ち切った。つまりメティエが言いたかったことは、自分の身が危険なことは十分わかっているが、それを意識して生まれる緊張感と、周囲に漂うピリピリした雰囲気で、メティエは一日中息苦しさを感じているということだった。右腕の怪我のせいで、頻繁に出歩くこともできず、シファルも怪我を気遣ってか、部屋に訪ねてくる回数は少ない。犯人を捕まえたという吉報を待つだけの時間は、メティエにはどうも慣れず、どこかで息抜きが必要だった。
「明日、庭の花を見に行っていい?」
「お怪我に差しさわりがないのであれば結構です。ですが、中庭の花はもう何度も見に行っておられるのでは?」
「中庭じゃなくて、裏庭の花よ。あっちはまだ一回しか行ってないから」
「裏庭でしたか。確かにあちらの方はあまり行っていませんね」
「じゃあ決まりね。皆のお見舞いに行った後で行きましょう」
皆とは、怪我の治療を受けているフォルトナ兵達のことで、メティエはほぼ毎日様子を見に行っていた。苦しむ兵士を少しでも励ませたらという思いからだったが、逆に兵士達から心強い言葉をもらい、メティエは気持ちを支えられていた。
翌日、ベッドで安静にしている兵士達と共に昼食を済ませると、メティエ達はさっそく裏庭へと向かった。裏庭は三階の外周部分にあり、その広さはメティエの泊まる部屋と同じくらいで、扇状に広がっている。四角や丸の花壇が並び、その向こうに見える自然の景色と調和させるように、控え目な色の花が多く植えられている。
「中庭の鮮やかな色のものもいいけど、こういう落ち着いた色も綺麗ね」
メティエはいくつもある花壇を興味深そうに一つ一つ見て回る。そのすぐ側には見張りの兵士がやや緊張気味に見守っている。
「この花、初めて見る……リリア、ミアン、知ってる?」
二人は花を見つめるが、揃って首を振る。
「あなたは、知ってる?」
突然振り向かれ、質問された見張りの兵士は、ぎょっとしてメティエを見つめ返した。
「この花なんだけど……」
メティエは花壇の小さな水色の花を指差す。
「……申し訳ありません。私には……」
花の名前などまったく知らない兵士は、恐縮しながら答えた。
「そう……シファルに頼んで、図鑑を見せてもらわないとだめか」
メティエはしばらく花壇を眺めると、満足したように裏庭を後にした。
後日、再びやってきたメティエの手には、分厚い本が握られていた。一直線に向かった花壇には、名前のわからない水色の花が咲いている。メティエの姿を見て、兵士は慌てて敬礼をするが、メティエはすでに花に夢中だった。
「えっと……二百九十四ページだっけ……あっ、これ」
本のあるページを開き、目の前の花と見比べる。
「葉とがくの形が同じ……やっぱりこれだ」
そう呟くと、メティエは兵士に近寄り、開いたページを見せた。
「あれは、マウロリエスっていう花よ」
王女に笑顔で教えられ、兵士は戸惑いながら言葉を返す。
「わ、わざわざ私などに教えてくださることは……」
「男だって、花の名前くらい知っておいたほうがいいわ。どこかで役に立つかもしれないし。これ、読む?」
城の貴重な図鑑を渡そうとするメティエに、兵士は滅相もないと丁寧に断った。少し残念そうな表情を見せたメティエだったが、すぐに気を取り直し、他の花壇の花を見に行った。
メティエはこの裏庭を気に入り、連日訪れるようになっていた。見張りの兵士とも顔馴染みとなり、息抜きの時間をリリア、ミアンと共に過ごしていた。だが、時々メティエは一人でやってくることもあり、そのことについて兵士は案じていた。そして、この日もメティエは一人で裏庭へ来ていた。
「あの、メティエ様、恐れながら、ここへお一人でいらっしゃるのは、あまりよいとは思えないのですが……」
「どうして?」
メティエは晴れ渡った青空を眺めながら聞いた。
「メティエ様は今、お命を狙われている身、お一人という無防備な状態はお控えしたほうが……」
「一人じゃないわ。あなたがいるから大丈夫よ」
頼りにされ、思わずはいと答えそうになるのをこらえ、兵士は続けた。
「侍女はお連れになられていますが、護衛兵の姿はありません。できましたら護衛兵をお付けになられたほうが……」
「城内の警備は完璧だから」
メティエは安心しきっている。それはシアリーズの兵士達を信頼しているということでもあり、兵士はそれ以上注意の言葉を言うことができなかった。
振り返ったメティエは、にこりと笑って聞いた。
「あなたはずっとここの見張りなの?」
「は、はい。昼から夜の時間帯を見張っております」
「ここからの夜空って、どう? 綺麗?」
「晴れていれば、無数の星がきらめき、とても美しい空になります」
「そっか……じゃあ今日の夜、見に来るわ」
「えっ……」
驚く兵士に構わず、メティエは続ける。
「皆の怪我が大分よくなってきてるの。そろそろ帰れるようになると思うから、その前に夜のここからの景色も見ておきたいと思って。……そうだ、差し入れ持ってきてあげる。夜まで見張りって大変でしょ?」
「と、とんでもございません! 大変など、これまで思ったことは一度として――」
「楽しみにしててね」
兵士の言葉は聞かず、メティエは裏庭を出て行った。残された兵士は、ただ呆然と立ちすくみ、後ろ姿を見送った。
そして、その夜――
「姫様、どういうことなのですか」
先を歩くメティエを追いながら、リリアが怒鳴った。
「ちょっと、静かに。夜なんだから」
メティエは早足で歩きながら、後ろの侍女らをちらと見る。
「なぜこのような時間に、裏庭へ行かなければならないのですか」
「だからあ、さっき言ったじゃない。夜空を見たいって」
「では、そのかごは何なのですか」
「ハムとチーズを挟んだパン。見ればわかるでしょ。差し入れよ」
「姫様は親切のつもりかもしれませんが、相手にとっては迷惑に――」
「迷惑かどうかは、本人に聞いてちょうだい」
「……姫様。とにかく夜に出歩かれるのは――」
「ほら、本人がいたわ」
裏庭が星空に照らされて見えてきた。その中央には、花壇と花壇の間にしゃがんでいるような人影が見える。
「何してるんだろ。花壇の手入れかな?」
走り出したメティエを、リリアとミアンは慌てて追いかける。
「お待ちください!」
「……ご苦労様。はい、差し入れ――」
人影に近寄ったメティエは、パンに入ったかごを差し出そうとして動きを止めた。
「……姫様?」
メティエの様子に気付き、リリアは後ろから前をのぞき込む。するとそこには、足首を縄で縛られ、猿ぐつわをかませられた見張りの兵士の姿があった。
「これは!」
驚きながらも、リリアはミアンを呼び、うずくまるように倒れる兵士の様子を確認する。
「どういうこと? 大丈夫なの?」
メティエは心配げに二人に聞く。その間、リリアは冷静に首の脈を確かめる。
「亡くなってはおりません。意識がないだけのようです」
「先輩、後頭部に大きなこぶができています。おそらく殴られて気を失ったのでしょう」
「誰がこんなこと……早く縄を解いてあげて」
「その前に姫様はミアンと共にお部屋へお戻りください」
「この人を置いてくの? 嫌よ」
「違います姫様、この方は何者かに襲われているのです。つまりその者は、この近くにいるか、すでに城内に入り込んでいる可能性があるのです。この方は私が見ておりますので、姫様は急いで安全なお部屋へ。ミアンは警備の者に知らせ――」
その時、どさっという音が響いた。見ると、メティエの足元にパンの入ったかごが落ちていた。
「姫様……?」
リリアがメティエの顔を見上げる。と、その首の前には、銀色に光る金属らしきものが見えた。引きつるメティエの表情に、リリアは息を呑んだ。
「ひ、姫様!」
隣のミアンも気付き、駆け寄ろうとするのをリリアは咄嗟に手で押さえた。
「何者か!」
緊張の面持ちでリリアは呼びかけた。
「兵士はまだ呼ばないでほしい」
若い男の声だった。すると男は、首に突きつけていた剣を下ろすと、メティエの背後から出てきた。その姿に、リリアはさらに息を呑んだ。
「……ディーク・ノクセン!」
メティエを護衛し、メティエを襲った犯人、ディークその本人だった。
「どうしてお前がここに……」
侍女二人に睨まれながら、ディークは固まるメティエの横に立つ。服装は護衛をしていた当時の軽装備のままで、かなり汚れが目立つ。右腕の袖には、シファルの矢を受けた時のものと思われる赤黒い染みが残っていた。逃亡中満足に食べていないのか、頬がややこけて見える。その弱々しい顔に、かつての冷酷さは感じられなかった。
「警備の様子を観察していれば、隙というものが見えてくるのです。そこの城壁を上るのも夜なら簡単でした。その倒れている兵士から服を奪って姫様に会いに行く予定だったのですが、まさかそちらから来てくださるとは、本当に幸運です」
「姫様のお命を奪うことが、幸運だというのか」
息巻くリリアに、ディークはゆっくり首を振る。
「いえ、そうではなく――」
ディークはメティエのほうを向くと、おもむろにその場にひざまずき、剣を床に置いて頭を垂れた。その姿に、三人は困惑の眼差しを向ける。
「……どういうつもりか」
リリアの問いに、ディークは頭を上げず答える。
「姫様、私の犯した大罪を、ここで今謝罪いたします。決して許されるものではないことと十分に理解しており、私はどんな罰でも受け入れる覚悟ができております。ですがその前に、わずかながらお時間をいただきたいのです」
「大罪と知っておきながら、姫様に刃を突きつける者を、どう信じろと――」
怒鳴るリリアを、メティエは手で制する。
「姫様、この者は――」
「わかってる」
何かを感じ取ったメティエはその場にしゃがむと、ディークと同じ高さの目線になった。メティエに恐れる様子はない。目の前には、かつて見たぎらついた目ではなく、静かに沈む光だけがあった。
「なんでわざわざ、こんな危険な方法で私に会おうと?」
「拘束された後の尋問では、私が真実を言ったところで、すべてを信じてもらうのは難しいと思ったのです。ですからその前に、真っ先に伝えるべき姫様の元へ、危険を承知で参りました」
「真実? 何か隠してることがあるの?」
ディークは小さくうなずく。
「私は、愚かだったのです……」
後悔の念をにじませながら、ディークはメティエにとつとつと話し始めた。
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