三話

 澄み切った青空の下を、メティエは馬に乗り優雅に歩いていた。その隣にはいつもの侍女二人と、後ろには十人の護衛兵が連なって歩いている。空を見上げると日差しはぽかぽかと暖かく、その中を吹く風がちょうどいい涼しさを運んできてくれる。もう明日には花が咲き始めてもおかしくない陽気だった。城を出てまだ一時間も経っていなかったが、平坦な道が続いているせいか、馬の揺れがまるでゆりかごのようで、メティエは若干の眠気を覚え始めていた。


「――姫様、聞いておりますか? 姫様?」


 隣を歩くリリアがしつこく聞いてくる声に、メティエの眠気は覚めた。


「え? 何? 聞いてなかった」


「ですから、寝室の机に、お手紙が溜まっているのをお見受けしたのですが、それらすべて、ちゃんとお読みしておりますか?」


 メティエの目が一瞬泳ぐ。


「……うん。読んでる」


「あっ、今嘘をつきましたね。いけません! 必ずお読みくださいと前にも――」


「わかってるわよ。でも、いつも大した内容じゃないし、全部読む必要はないかなって」


「必要はあるんです。シファル王子の愛のこもったお手紙なのですよ? お読みにならないのは大変失礼なことだとおわかりですか」


 メティエは深く溜息を吐いた。


 シファルが城へやってくるのも面倒なことだったが、同じく面倒なことが、送られてくる手紙だった。シファルは手紙を一週間に一回、時には三日に一回の頻度でメティエに送ってくるのだ。何か重要な内容なら読む必要もあるのだが、書いてあることは自分がどれだけメティエを好きか、今度はいつ会えるのかなど、いわゆる愛のこもり過ぎたラブレターで、それが婚約の決まってからの二年、途切れず続いているのだから、読むほうはうんざりしてしまう。それでも四通に一回は返事の手紙を出す努力をしていて、メティエにしてみれば、返事を出しているのだから読まないことくらいは勘弁してほしいという心境だった。


「姫様は、外出されてもお説教のお時間があるようですね」


 前を行っていたクスフォーが、乗っている黒い馬を寄せ、笑顔で話しかけてきた。今日は休日ということで、騎士団長の黒い制服ではなく、上下茶色の狩り仕様の服に身を包んでいる。


「やめてって言ってくれない?」


「しかし、シアリーズの王子のお手紙なのですから、お目をお通しするくらいはなさったほうがいいかと……」


 そうだそうだと言わんばかりに、リリアがうなずく。


「……あなたは私の辛さをわかってくれると思ったのに」


「王子のお手紙がお辛いのですか?」


「手紙と言うより、シファル王子の存在が――」


「姫様! なんてことを!」


 リリアが即座に怒鳴った。


「ごめんなさい、違うの。大げさに言うとそういうことで、上手い言い方がわからないんだけど……」


 メティエは王子のことを嫌っているわけではない。むしろ社交的な性格に好印象を持っていた。ただ、それを上回る面倒くささが目立ち過ぎて、辛いと感じることしかできなくなっていた。


「姫様は、王子とのご結婚をお望みではないのですか?」


 クスフォーの質問に、メティエ、リリア、ミアンの表情が固まった。


「……ク、クスフォー様、姫様へのお言葉はもう少し選んでいただかないと」


 リリアが動揺しながら注意する。


「ああ、これは失礼いたしました。ですが、姫様はあまり王子に関心を持たれていないご様子。王家をお守りする身としては、姫様にはぜひお幸せに過ごしていただきたいと……」


「クスフォー様、お言葉が過ぎます!」


「……これも過言でしたか。申し訳ない」


 クスフォーは怒るリリアに頭を下げる。


「確かに、婚約は勝手にされちゃったし、シファル王子も面倒くさい。でも、王子のことは嫌いじゃないし、結婚も両国のためと思えば本望なことだわ。大丈夫よクスフォー、私は幸せになるから、心配なんていらないわ」


 気丈に振る舞うメティエに、リリアは驚きの声を上げる。


「姫様、いつの間にそれほどの立派なお考えをお持ちになられたのですか」


「リリア、私もう十八よ。驚きすぎじゃない?」


「私としては、そのお言葉遣いを聞いていると、まだ十二、三歳ほどの感覚でしたので」


 小言を聞かされる予感がしたメティエは、これを無視した。


「しかし、姫様がそのようなご決意をなさっておられたとは……私は一安心いたしました」


「決意だなんて、クスフォー、私そこまで真面目に考えて――」


「真面目でなければ、どういったお考えなのですか?」


 リリアの目が鋭く光った。


「……いえ、真面目です」


 たじろぐメティエに、リリアは満足そうに微笑んだ。


「……ええっと、お話はここまでにいたしましょう。そろそろ狩り場に到着いたしますので」


 一行が向かっている狩り場は、クーディエンテ城から南へ行ったところにある森で、それほど広くもなく、城からもほど近いということで、狩りをする者は決まってこの森へやってくる。ちなみにメティエが狩り場に来るのはこれで二回目だった。一度目は幼い頃に父ナシェルクと共に来たことがあった。その時は当然狩りのやり方など何もわかっておらず、それは十八になった今もほとんど変わっていない。つまりメティエは現在も狩り初心者である。


 まもなく前方に森の入り口が見えてきた。と、そこに馬に乗った四人の人影があった。


「誰かいるけど、あれは?」


「私の狩り仲間です。本日は姫様をお連れするということで、一足先に森へ向かってもらい、安全の確認と獲物の様子を見てもらっていました」


 一行が到着すると、待っていた四人は馬から降り、一斉に頭を下げた。


「姫様、お目にかかれて光栄です」


 クスフォーも馬を降りると、四人を紹介する。


「右から、ダン、パスラル、チェルガ、ジフォンです。皆町に住む私の友人です」


 おそらくクスフォーと同じ三十代と思われる四人は、体格がよく肌も日に焼けていて、見た目はまるで戦士のようだった。


「なんだか、頼もしいご友人ね」


 これに四人は笑う。


「私共の仕事は、皆力仕事なんで、嫌でもこんな体になってしまうんです」


「まあ、おかげで女性にはよくもてますがね」


 がっはっはと豪快に笑う四人に、クスフォーが表情をしかめる。


「おい、姫様の御前ということを忘れるなよ」


「構わないわよ。私にぎやかなのは好きだから」


「姫様、こういう場だからといって、あまりお気を緩ませないように。王女というお立場があるのですよ」


 また始まったリリアの小言に、メティエは飽き飽きという表情を見せる。


「あのねえ、リリアは堅過ぎるのよ。一緒に狩りをするっていうのに、そんなんじゃ仲良くなれないじゃない」


「そういうことではなく、軽んじられてしまっては王女として――」


 永遠に続きそうな説教を、メティエは右から左へ聞き流した。


「それで、獲物はどうだった」


 クスフォーの質問に四人は笑顔を見せる。


「おう。暖かい日が続いてるからな。鹿、兎、キジはかなり見かけた」


「そうか。期待できそうだな」


 クスフォーは颯爽と馬にまたがった。


「では姫様、早速森へ参りましょう」


 四人も馬に乗り、その後をついていくようにメティエ達は森へ入った。


 頭上の木漏れ日が、木々を縫うように進むメティエ達の先を照らしていく。昼間でも薄暗い森でも、それが照明となって辺りを明るくしてくれていた。これなら標的の動物も見失うことはなさそうだった。


「リリアにミアン、動物を見つけたらすぐに私に言って……」


 横にいるはずの二人を見ると、姿がなかった。馬の足を緩め、振り返ってみると、二人は馬の後方で懸命に歩を進めていた。


「どうしたの?」


「思っていた以上に歩きづらいもので……お気になさらず」


 森に入ると、足元には背の高い雑草が多く生えていた。二人は普段の侍女の制服である足首までの長いスカートを着てきてしまったものだから、雑草がスカートに引っ掛かり、なかなか前に進めなくなっていたのだ。そんな二人が壁になり、護衛兵達も自分の早さで歩けないようで、メティエとの距離が開いていた。これでは護衛するにもできない状態だ。


 見かねてメティエは馬を止めた。


「森に行くっていうのに、なんでそんなスカートなのよ」


 二人は雑草をかき分け、ようやくメティエの横にたどり着く。


「なぜと言われましても、これが私共の制服ですので」


「私にこれを履けって言ったのは二人じゃない。なんで二人はズボンじゃないのよ」


 今日のメティエは上下水色のズボン姿で、これを用意したのはリリアとミアンだった。当然狩りということを考えての選択のはずである。


 すると、もじもじしながらミアンが言った。


「あの、私、ズボンを持っていないもので……両親が昔から、女の子ならスカートを履けって、ずっとそう言われて育ってきたので」


 これはミアンの家庭が特殊なわけではなく、この国ではごく一般的なことで、女性は女性らしい格好をするのが当たり前であった。特殊なのは逆にメティエのほうで、女性なのに、まして王女という立場でズボンを履くということは、少々奇抜な行為である。でもメティエは他人の目を気にしない性格で、それをわかっている二人は動きやすいズボンを用意したのである。だが、自分達となると、また違ってくる。


「女はスカートっていうのが常識なのはわかるけど、でも、ズボンも動きやすくていいわよ。何着か買ってあげようか」


「い、いえ、そのお気持ちだけで十分です」


 ミアンは恐縮しながら頭を下げる。


「どうされましたか」


 クスフォー達がついてこないメティエ達の元に引き返してきた。


「なんでもないの。この二人がちょっと遅れてて。先に行ってもいいから。こっちはゆっくりついていくわ」


「そういうわけには参りません。姫様を置いていくなど、万が一のことが起きたらお守りできませんので」


「平気よ。護衛兵もいるんだし」


 クスフォーはメティエの後ろに陣取る十人の護衛兵を見渡す。どの兵も屈強な面構えをしている。


「……ね?」


 迷うクスフォーに、ジフォンが横から言った。


「十人も兵を引き連れて歩かれたら、どうせ獲物に気付かれる。それなら姫様にはここで待ってもらって、俺らが獲物を追い込んでやったらどうだ」


「……ふむ、それはいいかもしれないな。姫様、いかがでしょうか」


「私はここで待ってればいいのね。ちょっと残念だけど、まあ仕方ないわね。狩り初心者だし」


「クスフォー、キジだ!」


 突然パスラルが呼んだ。指差す先には、木の陰から体半分を見せる茶色のキジがいた。距離は少し遠い。


「姫様、やってみますか」


 聞かれてうなずきそうになったメティエだが、弓の勘をまだ取り戻していない今は仕留める自信はなかった。


「ねえクスフォー、お手本を見せて」


「私の腕では手本にならないと思いますが」


「いいから」


「……では」


 クスフォーは馬にくくりつけていた弓と矢を取ると、馬上で姿勢を正し、弓に矢をつがえる。右腕を大きく引き、慎重に狙いを定めると、シュッと風を切る音と共に矢は高速で解き放たれた。木々の隙間を一直線に飛んでいく矢は、動き出そうとしたキジの横腹に深々と刺さった。


「やったぜ!」


 ダンが声を上げる。


「行ってみましょう」


 クスフォーと共に、全員で仕留めたキジのもとへ近付く。すると、深い雑草の中でがさがさと暴れる音がしてきた。


「まだ生きてるの?」


 メティエは興味深そうに雑草の中を注目する。


 馬を降りたクスフォーは、揺れる雑草の中におもむろに手を突っ込むと、キジの首をつかんだ状態で持ち上げて見せた。腹にはちゃんと矢が突き刺さっていたが、キジはまだもがき続けていた。


「最後のあがきです。じき息絶えるでしょう」


 クスフォーの冷めた言葉に、メティエは一瞬どきりとしたが、これは狩りの場では常なのだと思い直し、どうにか顔に出ずに済んだ。


 クスフォーはキジをパスラルに渡し、馬に乗る。


「手本になれたでしょうか」


「もちろん。あなたがこんなに弓が上手いなんて、私知らなかった」


「嬉しいお言葉ですが、自分としてはまだまだの腕と感じております」


「私の前で謙遜はいいのよ。本当に上手いんだから」


「ありがとうございます……では、お次は姫様のお手本をお見せくださいますか」


「いいわよって言いたいけど、私ずっと城内で練習してたから、動くものを狙ったことがないのよね。だからお手本は期待しないで」


 苦笑いのメティエにクスフォーは微笑む。


「わかりました。そんな姫様のために、できるだけ大きな獲物を追い込んできましょう」


 クスフォーは四人に目で合図をすると、森の奥へ一斉に馬を走らせ獲物を探しに向かっていった。馬の駆ける足音が遠くへ消えると、時折鳥のさえずりが聞こえるだけで、メティエ達の周囲は静けさに包まれた。その間にメティエは弓の準備をしようと、横にいる侍女二人を呼んだ。


「ねえ、馬につけてるその紐ほどいて、弓を――」


 思わず言葉を止めた。不意に呼ばれた二人の表情が何かおかしいのだ。リリアは眉間にしわを寄せ、険しい視線をあちこちへ送り、ミアンは逆に何かに怯えるような目で、四方を警戒している感じだった。


「……あっ、何でしょうか姫様」


 呼ばれたことに気付いたリリアはメティエに振り向くと、すぐにいつも通りの侍女の顔に戻った。それにつられるように、ミアンも普段の表情に戻る。明らかにおかしかった。


「どうかしたの?」


「何がでしょうか?」


 リリアはとぼける。


「今怖い顔してた」


「……え? それは失礼をいたしました。姫様の前だというのに、気を抜いてしまっていたようですね」


 リリアは照れ笑いをする。


「そうじゃなくて……ミアン、あなたは何か怖がってるの?」


 聞かれたミアンはわかりやすいほどの驚き顔を浮かべた。


「ミアンは嘘がつけない子なのね」


 焦るミアンに、リリアが威圧するように聞く。


「怖がっていることがあるのなら、姫様に言ってみなさい」


 じっと見るリリアの視線を気にしながら、ミアンはうつむき加減に言う。


「あの、実は……私、虫が、その、苦手で……」


 メティエは目を丸くした。


「虫で、そんなに怯えた顔をしてたの?」


「申し訳、ありません」


 ミアンが頭を下げると、リリアがすかさず言った。


「姫様に仕える者としては、どんなことにも対応できなければいけないのですが、ミアンはまだ侍女の経験が浅いものでして」


「でも、前にミアン、ネズミを素手で持ってたわよね」


「ネズミと虫はまったく違うものです!」


 ミアンが怒鳴るならまだしも、なぜかリリアが怒鳴ったので、メティエは呆気にとられてしまった。


「……はっ、思わず大声など出してしまいました。姫様の前だというのに」


「い、いいのよリリア。私が変なこと言ったから。確かにネズミと虫は全然違うものね。虫って裏返すと、結構気持ち悪かったりするし、ミアンが苦手なの私もわからなくは――」


 その時だった。メティエの足元ががさがさと音を立て、その中から小さな影が飛び出した。それが灰色の兎だとわかった瞬間、メティエの乗る馬が突然甲高い鳴き声を上げて暴れ出した。兎に驚き、パニックに陥ったのだ。


「きゃっ……!」


 馬が前足を上げ、メティエの全身が後ろへ大きく傾いたほんの一瞬でのことだった。メティエはバランスを崩しながらも、自分の鼻先を矢が飛んでいくのをはっきりと目撃した。


「姫様!」


 リリアの悲鳴を聞きながら、メティエの体は暴れる馬から投げ出された。しかし、背後に陣取っていた護衛兵達がしっかりとメティエを抱き留め、地面に叩きつけられることは避けられた。騎手を失った馬は、パニックのまま森の先へと駆けていってしまった。


「姫様、お怪我はなされておりませんか!」


 地面に下ろされたメティエは普通に立ち上がって見せた。


「どこにも怪我はないから平気よ。ほら」


「ああ、姫様……何か取り返しのつかないことにでもなっていたら、私は一体どうしたらいいのかと……」


 リリアは今にも泣きそうな目でメティエを見つめる。その後ろではミアンが顔面蒼白で立っていた。


 だが、メティエはほんのわずかの差で、本当に取り返しのつかないことになっていたかもしれなかった。馬が兎に驚き、暴れていなければ、鼻先を通った矢は確実にメティエの頭に刺さっていたに違いない。背筋に寒いものを感じながら、メティエは矢の飛んでいった先を見つめた。


 しばらくすると、森の奥からクスフォー達が戻ってきた。メティエ達の異変に気付いているのか、馬をかなり速く走らせてきた。


「姫様、一体どうされましたか。姫様の乗られていた馬だけが走ってきたので、今ダンにそれを追ってもらっているのですが……」


 クスフォーは馬を降りながら、心配そうにメティエのもとに近付く。


「実は、姫様は落馬しそうになりまして」


 横からリリアが説明をする。


「なっ……それで、お怪我などは?」


「幸い何事もなく、ご覧の通り無事でした」


「そうでもないの」


 リリアが目を丸くしてメティエを見る。意外な言葉にかなりの間が開いた。


「……や、やっぱり、どこか打ちつけてお怪我を――」


 慌てふためくリリアを制して、メティエはクスフォーに言った。


「狙われたの」


「狙われた、とは?」


 クスフォーは小首をかしげる。


「落馬しそうになった瞬間、私のすぐ目の前を矢が飛んでいったの。見間違いじゃないわ」


 この言葉にクスフォーを始め、聞いていた周囲の者達の空気が一変した。声には出さないが、皆驚きを隠せないでいた。


「……本当なのですか?」


 クスフォーが真剣に聞く。


「こんな嘘ついて何の意味があるのよ」


 メティエも真剣に返す。


「クスフォー様、すぐに城へ戻りましょう。ここは危険です」


 リリアは焦るように言う。これにクスフォーも同調する。


「そのようだ……姫様、私の馬にお乗りください。それと護衛兵、姫様の周囲を――」


「ちょっと待って」


 急に止めたメティエは皆の元から離れると、一人ふらふらと歩き始めた。それを見てリリアが慌てて引き止める。


「姫様! 何をなさっているのですか。急いで馬に――」


「私を狙った矢がどこかに残ってるかもしれないわ。見つければ犯人に近付けるかもしれない」


 矢が飛んでいった方向は確認している。決して難しい探し物ではないとメティエは考えていた。


「それは姫様のなさることではありません。それよりまず城へお戻りになり、探すのなら改めて兵に任せて――」


「駄目よ。戻ってる間に証拠を回収されちゃうわ。探すなら今しかないの」


 メティエはリリアを振り切り、また歩き出す。すると今度はクスフォーが止めに入る。


「お待ちください姫様。犯人はまだ近くに潜んでいるかもしれません。姫様がお探しになるのはあまりに危険です。ですから、姫様が城へお戻りの間に、私共が代わりに探しますので、お早く馬に――」


「じゃあ、全員で探しましょう。それなら早く見つかるわ」


 まったく聞き入れないメティエに、クスフォーは戸惑った表情を浮かべる。


「矢はあっちに飛んでいったわ。ほら、探しましょう。護衛は頼んだわよ」


 さっさと歩いていくメティエを放っておくわけにもいかず、護衛兵達はメティエを囲み、一緒に探しに向かう。


 その後ろ姿に溜息を吐くリリアは、ミアンと共に諦め、歩き始めた。


「姫様はお命を狙われていると、ご理解なさっているのでしょうか」


 クスフォーがリリアに聞く。


「申し訳ございませんクスフォー様。姫様はこれと思うとなかなか曲げないところがありまして……ここは諦める他ありません」


 侍女二人の顔にクスフォーも諦め、仲間を連れて歩き出した。


 メティエは皆に矢の飛んだ方向を教え、探し続けた。木の幹に雑草の中と、見落とさないよう丁寧に探していく。が、犯人の放った矢はどこにも見当たらなかった。方向は間違っていないはずだと、メティエはすでに探した雑草の中をもう一度かき分けて探す。中腰で探す姿勢が続き、メティエは疲労の溜まった腰を伸ばそうと頭上を仰いだ時、視界に一本の枝が映った。他の枝より随分細いと思ったが、その先端に白い羽がついているのを見つけて、メティエの目は大きく見開かれた。


「あった!」


 探していた全員がメティエの元に駆け寄ってきた。


「どこですか、姫様」


 リリアの声にメティエは頭上を指差す。矢はメティエの頭三つ分ほど高い、木の幹に刺さっていた。


「私がお取りします」


 リリアは前に出ると、精一杯矢に手を伸ばした。背丈はメティエとほとんど変わらないリリアなので、当然手は届かない。背伸びをしてみても、矢に届く気配はなかった。


「無理ね。クスフォー、あなたなら取れる?」


「お任せを」


 前に出てきたクスフォーは矢に手を伸ばすと、少しかかとを上げただけであっさり矢を引き抜いて見せた。


「ありがとうクスフォー」


 メティエが矢を受け取ろうとすると、クスフォーは手で制した。


「危険です、姫様。この矢には何か塗られております」


 そう言ってクスフォーは持った矢をメティエに見せた。確かに、尖った矢尻の部分に赤茶けた液体のようなものが塗られていた。まじまじと見るメティエに、クスフォーは静かに言う。


「おそらくですが、何らかの毒と思われます」


「毒……!」


 頭に刺さっただけでも致命傷だというのに、その矢に毒まで塗る周到さに、メティエは犯人の浅からぬ悪意を感じた。


「狩りの場で、矢尻に何か塗るという行為はありません。これは姫様のおっしゃる通り、何者かによる企てなのかもしれません」


 クスフォーの深刻な顔に、メティエの不安は増大していく。そして、脳裏にふとあの日の出来事がよみがえった。


「……これって、私が城外に連れ出された、あれと同じ犯人なのかな」


 メティエの中ではもう過去の出来事となっていたが、未だに犯人もその理由もわかっていない事件で、今こうして命を狙われている可能性に直面し、メティエは何かしらつながりがあるのではと思えてきた。


 これに侍女二人は、はっとしたような表情を見せたが、クスフォーは深刻な顔を変えずに言った。


「以前のことに関しては、私には何とも……ですが、姫様の周囲によからぬ者がうろついているのは確かなようです」


 誰かが自分を狙っている――それはいつ何時命を奪われてもおかしくないことで、神経をすり減らしながら、見えない恐怖に怯え続ける、そんな日々を過ごさなければならないと思うと、メティエの胸には怖がる気持ちも当然あったが、なぜ殺されなければいけないのかという犯人の理不尽さへの苛立ちも強かった。


「矢を回収したのですから、早く城へ戻りましょう。さあ早く」


 リリアはメティエを追い立てるように馬に乗せる。その様子はかなり焦っている。


「慌てないでよリリア。また落馬したら、今度はあなたが受け止めてくれるの?」


 自分の中の恐怖を打ち消そうと、あえて笑顔で軽口を言ったメティエだったが、リリアの耳には一言も届いていないようだった。


 仲間のチェルガの馬を借りたクスフォーが先頭となって、その後ろに護衛兵に囲まれたメティエ、侍女二人、最後尾にパスラル、チェルガ、ジフォンと列を成して城へ向かった。森を抜けたところで、メティエの馬を連れたダンが加わり、快晴の景色を見る余裕もなく、一団は早足で道なりに進んでいく。


 その途中、メティエの耳に、背後からついてくる侍女二人の会話が聞こえた。


「だから、私は反対だったんです」


「反対なのは私も同じよ。でも、姫様があんなに楽しみになさっていたのを、こっちで勝手に断ることはできないでしょ。クスフォー様のお誘いでもあったし」


「先輩は姫様のお命を第一と考えてないんですか」


「考えてないわけないでしょ。じゃあ、ミアンは姫様をずっと城に閉じ込めておけと言いたいの?」


「そんなことは言ってません。でも今回の場合は――」


 二人の言い合いは、まるで今日の狩りをする前から、メティエが命を狙われていることを知っているかのようだった。メティエは二人の言葉を背中で聞きながら、その疑問をとりあえず胸にしまった。


 その後、一団は無事クーディエンテ城に帰り着いた。

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