四話

 狩りから戻ったその夜――


 会議室の円卓には、国王、王妃を始め、大臣、将軍、警備長が座っている。その中には当然、当事者であるメティエとクスフォー団長の姿もある。皆そろって険しい表情を浮かべている。が、国王ナシェルクだけは、のほほんとしていた。


「先ほどの鳥の蒸し煮は美味だったな。言ってまた作らせようと思うのだが、お前はどうだ?」


 王は隣の妻に話しかける。王妃イシェラは呆れたように返す。


「……陛下、そういうお話は後ほどに。今はメティエの身に起きたことを聞きましょう」


「そうか? では後でお前の感想も聞かせておくれ」


 娘の命が狙われるという重大な事件が王の耳に入ったのは、メティエ達が城に戻った直後だった。王妃はただちに重臣らを集めて会議をしようと提案したのだが、ナシェルクは夕食の後にしようと、いつものマイペースぶりを発揮し、こうして夜に集まることとなった。こういうことは日常茶飯事なので、臣下らは今さら何も言わなかったが、娘であるメティエにとっては後回しにされたようで、少し寂しく感じるところもあった。


 うつむくメティエに、母が優しい眼差しを送る。こういう父親なのと無言で詫びているようだった。メティエは一度うなずき、無言の気持ちを母に返した。


「おほん……では、始めてもよろしいでしょうか」


 大臣の言葉に王は大きくうなずく。


「まずは、クスフォー殿から事のあらましをお話いただきましょうか」


 促され、クスフォーは狩りでの出来事を細かく話した。途中からメティエも加わり、自身に起きたことを説明する。


「――だから、私本当に幸運だったの。あの兎が飛び出してこなければ、多分私はここに座ってなかったわ」


 思い出すと、メティエは今もぞっとする危機一髪の場面だった。


「何と恐ろしい……」


 王妃は怯えるように呟く。その横では王が宙を見つめ、白いひげを撫でていた。


「兎か……久しく食べておらんな」


「陛下!」


 さすがに王妃は怒り、夫を睨む。その夫は笑顔でまあまあと妻をなだめる。こんな父親にメティエは何度溜息を吐いたかわからない。


「……続けても、よろしいでしょうか」


 戸惑いながら聞くクスフォーに、王妃は力強くええと答える。


「その後、姫様が木に刺さった矢を発見なさり、持ち帰って軍で使われている矢と比較してみたところ、長さも使われている材料も、軍のものとは異なっておりました」


 ひげを撫でながら王が聞く。


「ふむ。では町で売られているものということか?」


「まだ断定はできておりません。他の可能性といたしましては、国外のもの、または犯人の手作りということも考えられます。いずれにせよ、矢がどこで作られたものかは、ただちに調査をいたします」


「ねえクスフォー、塗られてたのはやっぱり毒だったの?」


「毒? そんなものが塗られていたの?」


 王妃は口を手で覆い、驚いている。


「はい。詳しい者に調べさせたところ、塗られていたのはバリーダという花の根から採れる毒でした。この毒は触れるだけなら害はないらしいのですが、一度体内に入ると、五分後には死に至るという即効性の猛毒ということでした」


 これには円卓を囲む皆の表情が固まった。


「そ、そんなすごい毒だったの?」


 メティエの心臓は、今さら鼓動が速くなった。


「バリーダなど、わしは聞いたことのない花だ。どこに咲いておるのだ?」


「ここフォルトナより、海を越えた南の地域に咲いているようで、この辺りではまず見られない花ということです」


「では、メティエ様を狙ったのは、外国の者?」


 大臣の言葉に、クスフォーは首を振る。


「そうとは限りません。こういう毒は、闇社会ではよく取引されているものです。船で密輸されたものを犯人が手に入れて使ったとも考えられます」


「なるほど。そうなると、現時点で犯人を特定することは、かなり難しいですね」


 大臣は表情を曇らせる。


「明日から早速、国中の町村に調査員を送ります。まずは唯一の証拠である矢について調べたいと思います」


「できる限り、迅速な調査を頼みます」


「承知いたしました」


 心配顔の王妃にクスフォーは頭を下げる。


「しかし、姫様を狙う犯人の動機がわかりませんな。お命を奪って、一体何の得があるというのか」


 将軍は首をひねる。


「ユティウスが狙われるのなら、なんとなく動機も浮かんでくるものだけれど……まさか、メティエとユティウス、二人を亡き者にしようとしているのでは! ど、どうしましょう、ユティウスは今、国外にいるのに……!」


 メティエの二歳上の兄で、次期国王である王子ユティウスは、すでに遠方の国の王女と婚約が成立しており、現在はその未来の王妃の両親と親交を深めるという口実で、長期静養に行っていた。最悪な想像を膨らませ、一人慌てふためく王妃に、王はのんびりと言った。


「ユティウスには十分護衛がついておる。何がそんなに心配だというのだ。犯人は二度も失敗しておる腕前だ。過剰に怖がることもなかろう」


 言葉通り、怖がる素振りを見せない王だったが、横から警備長が言った。


「恐れながら陛下、メティエ様に起きた一度目の出来事は、今回の暗殺未遂を起こした犯人と同一とお考えなのでしょうか」


「わしはそう思っておったのだが……違うのか?」


「私の見解を申し上げれば、この二つの出来事は何かしらつながりはあっても、犯人は同一ではないと思われます」


 皆が興味深そうに警備長を見つめる。


「ほう。その理由とは?」


「今回の事件では、矢に猛毒が塗られるなど、犯人に強い殺意がうかがえます。しかし、以前の時は姫様のお話をおうかがいすると、まず姫様は城外の、しかも夜空の下で目を覚まされた。その後姫様はお一人で歩き続けていらっしゃった。犯人からすれば、その時の姫様は無防備で、害をなす気があるのならいくらでも機会はあったはずなのです。ですが、犯人は何もしなかった。そこに今回のような強い殺意は微塵も感じられません」


 確かにそうだとメティエは思った。以前の出来事は、ただメティエを外に連れ出しただけで、犯人の目的が一切わからなかった。だが、今回ははっきりとした殺意を犯人は示している。この落差を同一人物とは考えにくい。


「つまり、メティエ様を狙う者が、二人はいると?」


 大臣に警備長はうなずく。


「そう考えられます。ですが、以前の時の犯人は、姫様に害をなそうとしているのか、はなはだ疑問ではありますが」


「犯人が同一であろうとなかろうと、我らが姫様をお守りし、卑劣な犯人を捕まえることに変わりない。どうかご安心くだされ姫様。今夜中に新たな警備計画を作成し、我々が姫様のお命をお守りいたします」


 将軍が自信を込めて言う。


「我らも早速、姫様の身辺警護を強化いたします。まずは人数を今の――」


「ちょっと待って!」


 突然の声に、警備長がきょとんとメティエを見る。


「……どういたしましたか」


「もしかして、人数を倍にする、とか言うつもりだった?」


「いえ。倍ではなく、今の三倍にと」


 メティエは円卓に突っ伏した。今の三倍の護衛がついた日常を想像すると、メティエは確実に護衛兵の中に埋もれて見えなくなっていた。以前の出来事の後、心配する母イシェラが、これでもかというほど護衛をつけ、三日で限界だったメティエが毎日拝み倒してやっと元の人数に戻したのだ。それなのに、またあの窮屈な生活をしなければならないのかと思うと、全身から力が抜ける気分だった。


「メティエ、今回ばかりは嫌とは言わせませんよ。あなたは命を狙われているのです。今まで通りというわけにはいきません」


 王妃は厳しい口調で言い聞かす。


「三倍なんて大げさよ。これまでの人数で十分足りてるってば」


「警備長、頼みましたよ」


「はっ」


 王妃は娘の言葉をまったく聞いていない。こればかりは譲れないという態度だった。


「護衛を増やしたところで、かえって私が目立つだけよ。……そ、そうよ、逆に狙われやすくなると思わない? ねえ、母様」


 どうにか気を引いて考え直させようとするも、王妃は聞こえないふりを決め込む。


「大体決まったようだな……夜も更けてきたことだ。解散としよう」


 王の一声に、皆が席を立とうとする。このまま会議が終われば、明日から護衛兵に囲まれた窮屈な日々が待っている。それだけは避けたいメティエは、皆を引き止められる話を頭の中から急いで探す。


「……あっ、そうだ。私、聞きたいことがあるの。皆待ってくれない?」


 席から離れようとする王と王妃が一旦立ち止まる。


「何を聞きたいというの」


 王妃がいぶかしむように聞く。


「まあ、とりあえずもう一度席に座って」


 皆はお互いの顔を見合いながら、言われた通り席についた。だが、メティエだけは部屋の扉へ向かう。


「メティエ、どこへ行くの」


 王妃の声を気にせず、メティエは扉を半分開け、そこから顔だけを出した。部屋の外には二人の衛兵が立っていた。


「ちょっと、いい?」


 メティエは衛兵の一人を手招きした。突然王女に声をかけられ、衛兵は緊張の面持ちで歩み寄る。


「私の侍女の、リリアとミアンを呼んできてくれない?」


 衛兵は何も聞かず、かしこまりましたと言って廊下を走って呼びに向かった。その三分後、衛兵は二人の侍女を連れて戻ってきた。


「ご苦労さま」


 メティエは衛兵に言葉をかけ、侍女達を部屋に引き入れる。


「姫様、一体何のご用で……」


 リリアとミアンは訳がわからず部屋に入れられた。見ると目の前には国の中心人物達がずらりと並び、二人を見つめている。リリアとミアンは途端に体を硬直させた。


「ひ……姫様、なぜ私共を、このような場に……?」


 普段は常に気丈なリリアも、さすがに緊張が隠せず、声が裏返った。


「二人に聞きたいことがあって」


「ここでなければ、いけないので?」


「ここで今、聞きたいの」


 メティエは自分の席に戻り、二人を隣に立たせる。


「……それで? その二人から何を聞きたいのだ?」


 王の問いにメティエは二人を見ながら答える。


「狩りからの帰り道、二人が気になる会話をしてたの。それについて聞かせてほしいんだけど」


 それは一旦胸にしまっておいた疑問だった。メティエは部屋に戻ってから、ゆっくり二人に聞くつもりでいたが、護衛増員阻止の時間稼ぎのため、急きょこの場で聞くことにしたのだった。


「狩りの帰り道、ですか? ええと……どんなことを話していたかしら……」


 リリアは思い出そうと宙を見つめる。一方のミアンは、無言ではあったが、視線が激しく泳いでいた。これは緊張なのか、はたまた何かに気付いたのか、どちらとも思える様子だった。


「ミアン、あなたは憶えてる?」


 メティエは何気なく聞いただけだった。だがミアンは大げさなほど肩をびくつかせ、メティエを見つめ返した。


「……どうしたの? ミアン」


 緊張というには、あまりに度が過ぎているように見えた。隣に立つリリアも、ミアンの様子をうかがう。それにミアンは何か言いたげな表情を向ける。


「二人とも、憶えてないの? なら私が代わりに言うけど――」


「あっ……」


 リリアが小さな声を出した。皆が注目すると、慌てて両手で口を塞いだ。


「リリア、思い出した?」


「……い、いえ、まだ」


 メティエの問いに、リリアは動揺しながら答える。どうやら思い出したようだった。


「お願いリリア、正直に言って。あの時のあなた達の会話は、私の命が狙われていることをすでに知っていたかのように聞こえたわ」


 円卓を囲む者達がわずかにざわめく。


「それはどういうことだ」


 警備長が二人の侍女に険しい目を向ける。


「それは違います姫様。姫様は以前に不可解な目に遭われていましたから、狩りの場でもそのようなことが起きてもおかしくはないと思い――」


「でも、前は何が目的なのかわからない出来事だったわ。それなのに、今日は私の命が狙われていると、なぜそう思ったの?」


 リリアは一瞬言葉を詰まらせる。


「……ですから、侍女としましては、最悪の事態まで想定することが、姫様への行き届いたお世話ができると考え……ました」


 小さな声で答えたリリアは、言い終えるとうつむいた。メティエの目を見続けることが苦しそうだった。


 すると、王妃が立ち上がった。


「侍女としては、素晴らしい考え方だわ。メティエ、もう聞きたいことは聞いたでしょう。早く二人を解放してあげなさい。緊張しすぎて倒れてしまうわよ」


 リリアとミアンの表情を、王妃はただの緊張と見ていた。だが、いつも共にいるメティエには、何か違うものが混ざっているように感じた。うつむくリリアに目を泳がせるミアン――時間稼ぎのつもりで聞いた話だったが、意外にも大きな何かが隠れていそうな気配をメティエは感じ取っていた。


「メティエ、わしらは行くが、よいか?」


 王の声を無視して、メティエは侍女二人に向き合った。


「リリア、あなた嘘ついてるでしょ」


 リリアは反応を見せない。


「私が八歳の時だから……十年か。それだけ一緒にいるのよ? リリアのことは大体わかるんだから。本当のことを言ってないのだってわかる。ねえ、どんなことだとしても、私は絶対リリアを怒らない。約束する。リリアは私の大事な人だから……もう家族と一緒だから」


 メティエはリリアの顔をのぞき込んだ。


「……姫様……」


 わずかに顔を上げたリリアの目は、潤んでいた。


「家族だなんて、私などに……もったいないお言葉を」


「だって、長年そう思ってるんだから仕方ないじゃない。ミアンもだからね」


「わ、私はまだ新米の身ですので……」


「関係ない!」


 メティエは二人の手を取る。


「お願いだから、本当のこと教えて。知りたいの」


 二人は困った表情でお互いを見合う。


「……確かに私共は、姫様に嘘を申しておりました。それはお詫びいたします。ですが、それは姫様をお守りしたいがためのものだったとおわかりください」


「リリア……」


 リリアはかたくなだった。メティエは思わず黙り込んでしまう。


「嘘とはどういうことなの?」


 王妃が席から、いぶかしげに聞いてきた。これにリリアは恐縮しながら答える。


「それにつきましては、その、やはりこの場では……」


「王妃のご質問に答えられないというのか」


 将軍が強い口調で聞く。


「嘘はよくない。素直に申してみよ」


 王が穏やかに促す。それでもリリアはまだためらっている。その態度に警備長が眉を上げた。


「陛下のお言葉を無視する気か! 早く言うのだ」


 皆の厳しい目がリリアに注がれる。見兼ねてメティエは小さな声で話しかけた。


「ねえ、言ったほうがいいわリリア。黙ってたらあなた――」


「………」


 メティエの言葉に、リリアはただ目を瞑り続ける。言うことはできないと言っていた。


「……この状況じゃあ、もう無理です。先輩」


 横からミアンが弱々しく言った。驚いたようにリリアがミアンに振り返る。


「やっぱり、私達だけじゃどうにもできない問題だったんです」


「でも、ミアン――」


「二人だけでは姫様をお守りすることはできません。それは今日のことで先輩もわかったはずです。ここは……皆様にお話ししましょう」


 リリアはしばらく迷っていたが、やがて一息吐き、決心したようだった。


「姫様、では……すべてお話させていただきます」


「わ、わかった。お願い」


 メティエは再び席に座った。皆はリリアに注目する。


「それで、嘘とは何なのですか?」


 王妃が改めて聞いた。リリアは間を置いてから、真剣な面持ちで話し始めた。


「正直に申します。私共は、姫様のお命が狙われていることを知っておりました」


 円卓の面々に驚きが浮かぶ。それに構わずリリアは続ける。


「知ったのは、以前姫様に起きたあの出来事の前日の夜ことです。私共は姫様の私室から自分達の部屋へ戻る途中でした。裏庭の見える廊下に差しかかったところで、庭の木陰に二人の人影があることに気付き、私共は不審に感じ、思わず足を止めました。耳を澄ましますと、メティエ王女という言葉が聞こえ、私共は身を隠しながら話の聞こえる距離まで近付きました。その内容はというと……姫様を殺してほしいというものでした」


 場は静まり返っていた。室内にはリリアの声だけが響く。


「依頼していた男は、どうも城内について詳しく知っている様子で、姫様の私室はもちろん、衛兵の交代時間まで知っていました。殺せるなら、剣でも毒でも手段は任せると言って、その場を去っていきました」


「顔は見たのか」


 将軍の問いに、リリアは首を振る。


「残念ながら。依頼した男は黒いフードを目深にかぶっていたので、顔は何も見えませんでした。けれど、声を聞いた限りでは、若い印象を受けました」


 若い男と聞いて、メティエは頭の中で城中の若い男の顔を思い出すが、数え切れないほどいる男の顔は、どれも犯人とは思えなかった。


「依頼された側、つまり実行犯の顔は?」


 クスフォーが聞いた。


「はい。暗かったのではっきりとはわかりませんでしたが、その男の顔はかろうじて見ることができました」


 将軍と警備長が声を上げる。


「おお、それは大きな手掛かりになる。後ほど絵師に人相書を頼もう」


 メティエは頬に手を当て、考える。


「ねえリリア、その男は殺してほしいと言ったけど、私は外に出されただけで、まだ生きてるわ。実行犯は依頼を果たさなかったっていうこと?」


「それは……」


 リリアとミアンは一瞬目を合わせて言った。


「実は、以前のあの出来事ですが、姫様を城外へお運びしたのは……私共なのです」


「……はい?」


 メティエを始め、円卓の面々は皆目を丸くした。


「本当に、大変申し訳ありませんでした」


 リリアが頭を深々と下げた。それを見てミアンも慌てて頭を下げる。


「……なるほど。あなた方は先手を打ったわけか」


 クスフォーの言葉にリリアは顔を上げる。


「はい……。姫様が狙われていると知った翌日、私共は一時も姫様から離れず、お食事も必ず毒見し、周囲を警戒し続けていました。ですが犯人の動きは見当たらず、もしかしたら今夜、姫様の寝室に忍び込んでくるのではと思い、姫様を一時避難させることを考えつきました」


「あれって、避難だったの……まったくひどい避難だったわ。どうして起こしてくれなかったのよ。言ってくれれば自分で歩いて行ったのに」


 メティエの不満顔にリリアは申し訳なさそうに答える。


「それは、万が一姫様のご移動中に犯人に見つかってしまったら、私共だけで太刀打ちできる自信がなかったもので……ですから、姫様には薬で眠ってもらい――」


「薬? な、何よそれ」


 初耳の単語にメティエは驚いて聞き返した。


「いえ、決してお体に障るものではございません。私がミアンに頼み、お医者様に睡眠薬を処方していただき、それを少量姫様の紅茶にお入れさせていただいただけで――」


「けしからん! 姫様のお飲み物に無断で薬を盛るなど、断じて許されぬことだ!」


 警備長は机を叩き、怒りをあらわに怒鳴る。それを見てリリアとミアンは身をすくませた。


「落ち着きなさい、警備長。確かに問題のある行為ではありますが、その時はメティエの命が懸かっていたのですよ。そう考えてみれば、リリアとミアンの行動は非難されるだけのものではないはずです」


 王妃の理解ある言葉に、二人の侍女は安堵の表情を見せた。警備長も王妃には言い返せず、怒りを押し殺し、椅子に座り直した。


「それで、二人だけでどうやって私を外に運んだの?」


「城内の物置部屋に、使われていない絨毯がありましたので、それに姫様をくるみ、二人で担いでお運びいたしました」


 メティエはあの時の手に触れた感触を思い出した。地面に敷いてあったあの絨毯は、そういうことだったのだ。


「じゃあ、あの後、絨毯を探しに行ったのになくなってたのは、二人が?」


 リリアはうなずいた。


「私共の予定では、夜明け前には姫様をお迎えに行くつもりだったのですが、どうも薬の量が少なかったのか、まさか姫様がご自分で城にお戻りになられるとは思いもしませんでした。その時私共は外の雨音に気付き、タオルを持って姫様の元へ向かおうとしていた最中でして、そこで姫様のお姿を目撃しました瞬間は、もう息が止まるほど驚きました」


 あの時、リリアはタオルを持ってメティエを迎えていた。それをメティエは用意がいいと思ったが、実はまったくそうではなかったのだ。


「でもさ、狙われてるのは私なんだから、本人には教えてくれてもよかったんじゃない? そうすれば薬で眠らされて、雨でびしょ濡れにならずに済んだっていうのに」


 口を尖らせて言うメティエに続き、クスフォーも言った。


「姫様が狙われるという重大な問題を、あなた方はなぜ私達に報告しなかったのです。これは侍女という身で解決できる問題では到底ないとわかっているはずだ」


「それは――」


 リリアは伏し目がちに言った。


「姫様ご本人にはとても言えませんでした。命が狙われているなど、怖がらせてしまう言葉を言ってしまっては、姫様のご生活に影響を及ぼしてしまいますから。姫様の笑顔は、何よりも失いたくなかったのです」


「……気を使ってくれたのね、リリア」


 リリアは微笑みを返すと続けた。


「そして、皆様方に報告しなかったのは、その、私共は依頼した男の顔を見ておりません。ですので、あらゆる可能性を考えまして、今は報告することは控えたほうがいいのではと思いまして……」


 これに将軍が噛みついた。


「お前達は、我々の中に犯人がいると考えたのか。愚かな! 聞いた声は若かったのだろう。この中にそんな歳の者がおらぬことは明白ではないか!」


 将軍は五十四歳、大臣は四十九歳、警備長は四十七歳と若くはない。三人に比べ、クスフォーは三十三歳と若いが、年齢だけ見ると決して若いとは言えない。


 将軍の勢いにうろたえながら、リリアは答えた。


「ですから、私共はあらゆる可能性を考えたのです。声色を変えていたのではとか、部下を使って――」


「両陛下にご報告しなかったのはなぜだ? まさか両陛下まで疑っていたのではないだろうな」


 リリアの答えをさえぎるように、クスフォーが鋭い眼差しを向けて聞いてきた。


「陛下を疑うなど、そんなことは――」


「では、なぜご報告しなかった。あらゆる可能性を考えたのではないのか」


「一時はご報告しなければと思いました。ですが、両陛下は毎日お忙しくしておいでで、謁見のお時間も、私共侍女ではなかなか難しく――」


「それは単なる言い訳に過ぎない。姫様のお命が狙われているのだ。強引にでも両陛下にご報告するのがあなた方の役目だった。そうしなかったのは、やはり両陛下を疑っていたと思われても仕方がないと思うが?」


 クスフォーの正論に、リリアは言葉を詰まらせ、悔しそうに眉をひそめる。


「まあまあクスフォー、そんなにいじめないであげて。悪いのは話を聞いてあげられなかったこちらなのだから」


 見兼ねて王妃が二人の間に割って入った。


「いえ、王妃様、すべて私共の考えの至らなさです。クスフォー様の……言う通りです」


 沈んだ表情を浮かべるリリアの元に、王妃は歩み寄った。


「リリア、あなたは大変優秀な侍女よ。だから安心してメティエの世話を頼んでいられるの。でも、優秀すぎるからなのか、責任を感じて何でも一人で背負い込んでしまうところがあるわ。時には人を頼ることも必要よ。私があなたを信頼しているように、あなたも皆を信頼してほしい」


「王妃様……ありがとうございます」


 緊張と感激で、リリアの涙腺が緩む。


「ミアン、あなたはリリアがすべて背負い込まないよう、手助けしてあげてね」


「はいっ、も、もちろんそういたします」


 ミアンのぎくしゃくした返答に、王妃は小さく笑う。


「さあメティエ、二人からの話はもういいかしら?」


 振り返った王妃は片眉を上げ、メティエを見下ろす。その顔には、もう時間稼ぎはさせないと書いてあった。メティエはこれが時間稼ぎだったことを思い出し、この後のことを考えて顔を引きつらせた。


「えーっと……ほら、今言ってたように、信頼してよ。今まで通りでも私は大丈夫だから」


「信頼と護衛の人数がどう関係するというの?」


 聞き返され、メティエは考えてみたが、無理なことだった。


「陛下、ここまでにいたしましょう」


 王妃が声をかけると、王はのっそりと立ち上がった。


「そうか。ならば皆、メティエのため、犯人捜索を頼んだぞ」


 全員が席を立ち、王に頭を下げる。王と王妃が部屋を出るのを見送ると、続いて大臣、将軍が出て行った。


「じゃあ、私達も部屋に戻りましょう」


 メティエが侍女二人に声をかけた時、後ろから警備長がやってきた。


「お待ちください。その二人には絵師に会ってもらわなければいけません」


「あ、そっか……」


 実行犯の顔を見ている二人は、人相書を作成するために人相を伝える仕事が残っている。リリアとミアンはまた後ほどと言うと、警備長と共に部屋を出て行った。


 仕方なくメティエは一人で部屋に戻ろうと歩き出した時、後ろから今度はクスフォーがやってきた。


「姫様、私がお部屋までお送りいたします」


「え? 平気よ。ちょっとの距離なんだから」


「いけません。お話をお聞きしていたでしょう。犯人は城内に入れる者。いつどこから狙っているかわからないのですよ」


「それはそうだけど……」


「油断なさってはいけません。もしかしたら、衛兵の姿をしていることも考えられるのですから」


 クスフォーは決して大げさなことは言っていなかった。犯人は城内で目撃されていて、それはメティエが一度は見たことのある人間かもしれないのだ。だが、そう思うとメティエは寂しく感じずにはいられなかった。


「私はあんまり、そういうふうには考えたくない。皆、昔から知ってる人達ばかりだから、疑って見るなんてこと、私はやっぱり……」


 メティエは視線を上げ、クスフォーを見た。クスフォーは目を細め、優しい眼差しでメティエを見つめていた。まるで恋人を見るような目にメティエは思わず動揺する。


「なっ、何? どうしたのよ!」


「……いえ、やはり姫様はお優しすぎる方だと思いまして。兵士達からも愛されるわけです」


「愛されるっ……まさか! おてんばだとか、じゃじゃ馬だとか、陰でそう言われてることくらい知ってるんだから」


 照れて否定するメティエに、クスフォーは笑顔で言った。


「それはおそらく、女性は慎ましくあるべきだという昔の価値観に縛られた人間の言葉でしょう。まあ、誰とは申しませんが、少なくとも私の周りの者は、皆姫様に親近感を抱いておりますよ」


「……本当?」


「はい」


 はっきりとうなずくクスフォーを見て、メティエは笑顔がこぼれそうになった。それを見られるのがどこかはずかしく思え、メティエは咄嗟に入り口に顔を向けた。


「部屋に、戻りましょう」


「はい」


 一人はにかみながら、メティエは扉を開けた。すると、目の前の薄暗い廊下には、メティエのほうを向き、整列して立つ数十人の兵士達がいた。その威圧感ある光景に、メティエは部屋から踏み出せなかった。


「……どうしたの?」


 恐る恐る聞くと、前列の一人が前に出て言った。


「両陛下のご命令により、本日から姫様の護衛に当たらせていただきます。不審な人、物をお見かけしましたら、我らにおっしゃってください」


 両陛下というより、これは王妃一人の命令だとメティエは思った。ざっと見ただけでも三十人ほどはいそうだった。こんなに人数を増やしても、部屋の周囲に配置できないだろうと心でぼやきながら、メティエは溜息を我慢して護衛兵達に近付く。


「あ、クスフォー、こういうことみたいだから、ここでいいわ。あなたは先に行って」


 護衛兵に囲まれながらクスフォーに振り向く。


「念のため、私もご一緒に」


 ついてこようとするクスフォーを、メティエは手で止める。


「いいから。これだけの人数なら犯人も手出しできないわ。ありがとうクスフォー。お休みなさい」


「そうですか……では、姫様のことは頼んだぞ」


 護衛兵達はクスフォーに敬礼すると、メティエを守りながら長い列となって廊下の先へ消えていった。その様子をクスフォーはじっと見送った。




 後日、実行犯の人相書ができあがり、大量に作られたそれは国内の町村に貼り出された。その顔は、黒髪の短髪で痩せ形、目はつり上がり、鼻は高く、口は大きい。メティエはその人相書を長いこと見ていたが、特に思い出す人物はいなかった。この実行犯と、依頼した男の捜索、そして毒矢の入手先については、クスフォー率いる騎士団によって捜査されることになった。王女が狙われている事件ということで、王家の親衛隊的役割を担っている騎士団が担当するのは自然なことであった。


 それと同時に、城内の各部門で内偵を行うことも決まった。これは限られた人間しか知らされず、メティエもそう知らされた一人だった。ちなみに、目撃者であるリリアとミアンも内偵の対象である。自分を守ろうとしてくれている二人まで調べていると知り、メティエは二人と顔を合わせるたびに、どこか罪悪感に似た気持ちを抱いていた。


 そんな普段の生活では、王妃の命令により大量の護衛兵が、一日中メティエを取り囲みついてくる。どこかへ行くにもいちいち行き先を伝え、その場所に異常がないとわかった時点でやっと歩き出せるという時間のかけようだった。これは以前に一度体験していることなので、メティエにとっては予想通りのことだったが、二週間、三週間と日が経つにつれ、メティエの我慢も限界に達してきた。何をするにも待たされ、円滑に進まないことに苛立ってきたのだ。護衛兵が自分の命を守ってくれていることはわかっているが、これまで自由奔放に過ごしてきたメティエにはかなり窮屈で息苦しい状況だった。そうなると、部屋から出るのもおっくうになり、気晴らしもできないため気分も沈みがちになり、用でもできない限り、メティエは部屋から出ることはなくなっていった。リリアとミアンに促されても、メティエはただ無気力に首を振るだけだった。一日をただ景色を眺めるだけで終わらせる日もあれば、机の上を整理整頓するだけの日もあった。そこには隣国シアリーズの王子シファルからの封の切られていない手紙が山と積まれていたが、すでにメティエの眼中には入っていなかった。そんなまったく興味を抱かせない手紙は、誰に読まれることもなく、日に日に増えるばかりだった。

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