【夢六輝石】女王の秘宝

 目を覚ますと、豪奢な造りの天蓋が見えた。

 私は、金で縁取られた白紗織の服を身に纏い、大人が5人は寝られるベッドに一人で横たわっている。


 昨日、夫が死んだ。


 勇猛果敢で世界を征服する男だと思っていた男が死んだ。暗殺されたのだ。夫の部下たちの手によって。


 その報を聞いた時、私は悲しむよりも先に腹が立った。夫を殺した者たちに対してではなく、おめおめと殺されてしまった夫に対してでもない。自分にだ。選択を誤った。戦局を見誤った将と同じ。私を導いてくれるのは、あの男ではなかった。

 私は、間違ったのだ。


 夜、従者たちの計らいで小さな宴が催された。誰もが主賓の私に慰めと気遣いの言葉をかけていくが、誰もが同じことを考えている。次の夫に選ぶのは誰か、と。


 私は、蜂蜜漬けにしたデーツを齧りながら、貴族の男たちを物色した。

 ある男は、顔はいいが痩せすぎている。

 ある男は、筋肉質だが頭が悪そうだ。

 ある男は、賢そうだが腹に一物を抱えていそうな目をして私を見ている。


 ため息を吐いた私の視界に、金のアンフォラがそっと差し出された。傾けられた差し口からルビーの輝きを放つ液体が私の空になった金の容器に注がれる。ふわっと果実の甘い香りが鼻腔を満たし、食欲をそそらせる。そのまま口に運ぶと、甘いザクロ酒が喉の奥にある燻りを優しく冷ましてくれるようだった。


 思わずほっと息を漏らす私の様子を、アンフォラの持ち手が柔らかな笑みで眺めていた。まだ年若い男の従者は、整った顔立ちに絹のように白い肌、真っすぐに切り揃えられた白金の髪をしている。

 私は、その無垢でしなやかそうな手をとった。


 寝台の中でなかなか眠れずにいた私に、年若い少年従者は優しく問いかけた。


「何を考えておいでですか」


 “ファラオ”と最後に付け加えるのを、 “クイーン”でいい、と訂正する。この国でのこの呼ばれ方に私は未だ慣れない。


「何だと思う」


 質問に質問で返すと、少年従者は謎解きを楽しむかのようにあれこれと答えを挙げていった。それら全てに私が首を振ると、最後に少年は真剣な眼差しで言った。


「国の行く末を」


 私は、首を横にも縦にも振ることができなかった。この国の女王として、考えなければならないことはたくさんあった。

 でも、今の私が必要としているものは、ただ何も考えずに眠ることだ。無言のままでいた私の様子をどう受け取ったのか、少年従者は私の頭を優しく撫ぜてくれた。


「こうして私がずっと、女王陛下クイーンの髪を撫ぜております」


 だから今は、と美しい少年の手が私を優しく眠りへと誘う。初めて撫ぜられている筈なのに、私はこの手をどこかで知っているような気がした。

 その夜、私は夢も見ることなく眠った。



 女王の一日は忙しい。

 朝は日が昇ると共に起き、湯浴みを済ませると衣装を身に纏い化粧を施す。全て従者の手によって行われるため私がやることはただ立ったり座ったりするだけなのだが、じっとしているだけというのも意外と疲れる。

 蛇型記章ウラエウスが取り付けられた金の帯状冠ダイアデムを額に装着し、鏡の前に立つと、そこには見慣れた異国姿の女王がいた。


 朝食をとっていると、宰相がやってきて今日一日の業務内容を淡々と告げる。

 私は、イチジクと蜂蜜がけのヨーグルトを口に運びながら話を聞く。

 農作物の収穫量や水路の修繕、催事の準備、現在建造中の神殿の工期が遅れていることや外交問題まで内容は多岐に渡る。

 また、一人一人の民の声に耳を傾けるのも女王として重要な仕事の一つだ。衣食住に決して困ることのない贅沢な生活。誰に指図されることもなく自分の好きなようやりたいようにできる暮らし。

――――その代償がこれだ。


 決めなければならないこと考えなければならないことはたくさんあるのに、それら全てを行えるのは女王の私ひとりのみ。

 宰相は相談に乗ってはくれるが、最終的に決断を下すのは私だ。

その決断を誤ったとして、責任を負うのも私だけなのだ。


 水平線に船団の影が現れたのは、私が建設中の神殿の視察に訪れている時のことだった。私はそれを、早馬を飛ばして来た軍の警備隊員から聞き、海岸へと急いだ。

 海岸には既に船団が到着しており、物々しい雰囲気が決して友好的な訪問ではないことを教えていた。


 船団は、海を挟んだ向こうの大陸からやってきた軍船だった。私の夫を殺した部下たちも同乗していた。彼らの要求は、無条件降伏と女王の命。

 闘う、という選択肢はなかった。この国には、彼らに打ち勝つ強い船団はない。

 黒い軍服を身に纏った男は、私に考える時間をやると言った。私の夫を殺し、新たに指導者と成り代わった男だ。その暗い瞳の奥には、有無を言わさぬ強い意志があった。


 私は、胸に下げている金の装飾品を握りしめた。羽根を広げた女神の姿を模した美しい飾りで、王家が代々引き継いでいる宝物庫の鍵でもある。その鍵を使い、宝物庫の中へ身を滑らせると内側から鍵をかけた。


 背後には金銀財宝の山が積まれ、私はひとり。もう逃げ場はない。

 こんなことなら女王様になる夢がみたい、なんて考えなければ良かった。


「秘宝を渡してください」


 私以外誰もいない筈の背後から突然若い男の声がした。振り返るとそこには、先日ザクロ酒を私に注いでくれた少年従者が立っていた。

 驚いて声も出ない私に、少年は手を差し出した。先日寝床で私の髪を優しく撫ぜてくれた手で、今度は私の《夢》を奪おうとしている。どうして、と呟いた私の声は、自分でも驚くほど震えていた。


「私は、あなたに生きていて欲しい」


 その言葉は、まるで宝物庫の鍵のように、私の中にあった、開かずの扉を開けた。

私の頬を涙が零れ落ちていく。

 夫が死んだ時でさえ出なかった涙がどうして今でるのか、私にはわからない。わからないが、少年の瞳に嘘偽りがないことだけはわかる。

 その時はじめて私は、自分が本当に欲していたものが何だったのかを知った。


「あなたの名前を聞いていなかったわ」


 私は、女神の首飾りを少年に手渡しながら尋ねた。どうしても最後にそれだけは聞いておかなければいけないという気がしていた。目が覚めた時に覚えていられるように。


 少年は少し困ったような表情かおをして、失くしてしまったのだと言う。それなら、と私が彼にぴったりの名前を付けることにした。


「アンク。この国の言葉で、 “生きる”という意味よ」


 だから覚えていて、私がきっとあなたを見つけるから。そう言って女王は笑った。

 少年アンクは、その笑みを今まで見た彼女の顔で一番きれいだと思った。


 女王が姿を消すと、世界は砂のように崩れ落ちていった。

 ただアンクだけが、ひとり砂の中を佇んでいる。

 彼は、自身の中に目覚めたものの名前を砂の中に探しているようだった。


 目覚めた彼女は、きっと自分のことを覚えていないだろうが、自分は彼女のことをきっと覚えていよう。

 この身が砂のように崩れて消えてしまうまでは―――。

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